注)記事の日付は太陰暦を用いております

2024年08月30日

人歴(human era)を世界に導入しよう

HE12024年 文月廿七日 野分(台風)

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 いきなりだけど、常識的に採用しているモノサシや概念をほんの少し見直すだけで、人生観がごろっと変わりだし、世界の見え方が違ってくることがある。一見くだらなく見えたり、そんなのどーでもいいように感じたりするかもしれないが、日常的、常識的に運用されているものを疑うことすらなく、世界観が固定化され、それに気づかずに不自由になっていて、社会が実は停滞している一因になっていることも少なくない。

 その一つが、西暦(紀元前=BC:before Christ、紀元後=AD:anno Domini)である。結論的仮説から述べると、現在が2024年と規定されているこのなんとなくの二千年という時間量が、現代的人類史観の絶妙で微妙な歴史的浅薄さの根源を規定してしまっている。本来私たちに内在している「動物的本能力」や「文明以前的DNA」が重視されず、機械文明的な近未来思考に迎合してしまうある種の弱さは、2024年前を西暦元年としている西暦の採用によってもたらされているのではないだろうか。
  
 思い返せば、少年時代から違和感を抱いていた。漠然と、なんで今は1986年なんだろう?と10歳の頃に考えていた。大人からの返答は、それは西暦って言うんだよ、だった。西暦はなんで決まってるの?と返すと、キリストが生まれた年が始まりらしいよ、と帰ってきた(当時はそう教えられた)。そして、なんでキリストの生まれた年から数えなきゃいけないの?と問うと、もうラリーは終わりに近づく。そう決まってるから!と、問答は打ち切りになる。

 あれから40年近く。日本独自の元号や、皇紀、旧暦新暦など一通り様々な暦についても見聞きし、受け止めつつも、それでもまだ、西暦を採用し続ける世界に、疑問を捨てきれずにいる。

 このところ、古代世界の技術(古代文明や遺跡に使用された、「超技術」と呼ぶにふさわしい古来の英知)に関わる本などを読み進めていくうちに、またその火が再燃した。とかく、古代エジプトやギリシャ・ローマあたりの記述になると、ある時は紀元前3000年と記述され、またある時は4500年前と書かれており、一方で紀元13年だったり、はては紀元前6世紀だったり、紀元元年を境にした表記が乱立する。文系脳のせいなのかはわからないが、その乱立と時間の幅感に、全然しっくりくることができない。ニュアンスで申し訳ないが、紀元前2000年と、西暦2000年が、西暦1年を境に同じだけ離れてる、という感覚が、どうしてもピントが合わない表現に感じる(絶対値が等しい、という感覚がつかめない)のだ。

 大げさに言えば、エジプト文明に代表される四大文明や、その他古代文明、そして我ら縄文文明と、紀元元年を挟んだ現代の私たちは本当は連綿と途切れることなく続いている。だがしかし、西暦のせいで、断裂(とまでいかなくとも、分断くらいは)してしまっている気がするのだ。ありていに言えば、歴史的距離感がバグってしまっている気がするのだ。縄文時代や弥生時代は〇千年前、なのに、そこからいきなり古墳時代までぶっ飛んで飛鳥時代は600年ごろ、奈良時代〜江戸時代を経て、今、2024年。いやいや、人類史って2000年では収まらないじゃん!もっともっとはるかに重厚なボリュームがあっての今の我々なのに、2024年って言われることで、直感的な薄っぺらさ、「とはいっても2000年くらいじゃん?」と無意識に刷り込まされてしまっている可能性がある。

 それが一体何が問題なのか。例えば、今25歳の人は、4倍で100年。今50歳の人は、倍で100年。てことは、人生100年時代と嘯かれる昨今、自分たちの人生が、2000年間分の100年を埋めてしまえるのだ。自分の人生が、「歴史」の20分の1に該当するのである。そのボリューム感こそが、歴史を、世界と、地球を少々甘く算段し、思い通りにコントロールしようとし、エネルギーも自然環境も使い尽くし破壊し続けてしまう、現代文明の究極的課題の精神的支柱になっているのだと想像するのだ。

 そこで私は発見した。そして大いに提唱する。

 旧石器時代から新石器時代に移行したとされ、その後世界各地に古代遺跡や文字の発生、農耕の萌芽が徐々に起こり始めるとされる、今から約一万二千年前、つまり紀元元年からちょうど1万年前(今日現在に直せば12,024年前の1月1日)を、【人歴元年】として人類史を描きなおそうではないか!西暦から、人歴へ。AD、BCから、HE(Human Era)へ。

 これに直すと、人類史が非常に鮮やかに、原始的文明の起こりから古代文明、勃興、そして現代にいたる時間軸が、極彩色をもって立ち現れてくる。(※以下年代は、おおよその年代で表しています。)

人歴元年:原始農業の起こり(BC10,000年)※12,024年前
人歴3,000年:イネ(東アジア)や小麦(中東)の栽培開始(BC7,000年)
人歴4,500年:縄文時代前期(BC5,500年)
人歴5,000年:初期黄河文明出現(BC5,000年)
人歴6,700年:初期インダス文明出現(BC3,300年)
人歴7,000年:文字の発明(メソポタミア)(BC3,000年)
人歴7,411年:クフ王のピラミッド建設開始(BC2,589年) 
人歴8,250年:ハンムラビ法典(BC1,750年)
人歴8,500年:鉄器の発明(ヒッタイト)(BC1,500年)
人歴9,000年:弥生時代前期(BC1000年)
人歴9,437年:仏陀生誕(BC563年)
人歴9,449年:孔子生誕(BC551年)
人歴9,517年:パルテノン神殿完成(BC483年)
人歴9,530年:ソクラテス生誕(BC430年)
人歴9,779年:秦の始皇帝即位(BC221年)
人歴9,998年:キリスト生誕(BC2年)
人歴10,365年:ナスカの地上絵(AD365年ごろ)
人歴10,550年:仁徳天皇陵完成(AD550年ごろ)
人歴10,570年:ムハンマド生誕(AD570年)
人歴11,603年:江戸幕府開府(AD1,603年)
人歴12,011年:東日本大震災(AD2,011年)

 このように、紀元後のカウントは、現在の西暦の年代にシンプルに10,000年を足したものが人歴の年代として算出できる。
 
 さあどうだろう。こうして眺めると、氷河期が収束して狩猟採集的旧石器時代からの移行が始まったのが約12,000年前だと規定することで、人類史がいかに長い間ゆっくりと歩みを進めてきたががぐっと肌感覚で分かってくる。我々が普段把握している歴史なんて、せいぜいここ三千年程度の出来事であり、人歴で言えば9,000年以降から現在12,024年の間に起きたに過ぎない。

 人歴の開始を、5,000年前に置くべきか、あるいは20万年前に置くべきか、それは、人文科学、社会科学すべてを巻き込むほどの、答えのないテーマになってしまうだろう。そこで、文字や農耕や古代文明の発祥にほど遠くない約12,000年前を仮に採用することで、現在の西暦にそっくり一万年を足すだけで済むので、ほとんど現代歴に影響を与えずに採用できるのである。

 この人歴(Human Era)の採用で何が起きるか、というと、それは一言で言えば、「本能的人間性の自覚」である。わたしたち人類が、圧倒的非文明の助走を経て今ここにいることを、右脳的に実感する、とも表現できるだろう。何せ、古代文明として絶対的存在感を放つピラミッドでさえ、人歴に直せば7,000年から8,000年代に起きた出来事なのである。仏陀やキリストが生まれたのが9,000年代、三国志の時代は10,180年ごろ、ジンギスカンが活躍したモンゴル帝国は11,206年に成立、第2次世界大戦は11,939年勃発。ああ、実感値として、12,000年の人類史からみたら、ほとんどの歴史的事件がここ最近の出来事に過ぎないんだなあ。とボリュームがじわじわと体感できない?西暦2,024年の今日からみて2,100年はどうなる?と思考すると大ごとで大変な感じが出てくるが、人歴12,024年の今日から見る12,100年は、膨大な人類史のちっぽけな、そして些細な、大上段に構えることない、大げさに不安がったり自らを尊大に見せたりする必要のない未来な感じがしない?

 今の西暦に一万年を足すだけで、この絶大な、無言ともいえる寡黙さで紡いできた人類の営みへの無条件な安心が生まれ、これからの未来を謙虚に切実に地球と共生して編んでいく勇気が育まれる礎となる気がしてこないだろうか。

 さあ今日から、人歴12,024年の世界を、導入していこうではないか!

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 って、最後まで書いたときに衝撃のWikipediaを発見!!!!!
 西暦1993年に、地質学者のチェザーレ・エミリアーニによって、西暦紀元にちょうど10000を加えた数値によって表される『人類紀元(じんるいきげん、英語:Human Era)』が提唱されていた!!さらには、ほぼ同様の趣旨がまとめられているサイトも発見(涙)!

 https://gigazine.net/news/20161208-new-history-for-humanity/

 誓って言いますが、この最後の文章を書く瞬間まで、完全オリジナルの考えだと確信してました(笑)。恥ずかしさと共に、皆さんにお届けすることにします。以上、妄想終わり!
posted by 学 at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月01日

レンタルまーちゃん 夏の陣

文月朔日 晴れ時々曇り

 今年は、田畑が忙しい。心を亡くしているいる忙しさとはまた違うのだが、とにかく、種を蒔き、お世話し、子らに振り回され、田畑を往復している間に一日が過ぎていく(笑)。

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 そうこうしている間に、その「過ぎていく一日」にまったく金融資本を増やす要素を組み込んでいないが故に、飛ぶように現金資産が飛んでいく。ガソリン、車検、ガソリン、電気代、もろもろもろ、目の前に数十万円分のマンモスを狩りに出ねばならぬ事態に。(殆どが石油または鉱物資源を基とする資源エネルギー消費ばっかりだな、こうして書くと。)
 
 ということで、ウダウダと申しません。雑草屋、昨年から頻発している金融危機を、またもや迎えております! 物価高、毎年起きる数十年ぶりの猛暑(笑)、を切り抜けるべく、そして皆さんからの熱い応援をいただきたく、雑草屋の【期間限定】新商品を再度大展開いたします!♪!

 その名も
 『レンタルまーちゃん』!!

 雑草屋、自然体研究家として20数年間、蓄積発酵濃縮してきた小松学の人的資産すべてが商品。昨年より好評いただいてます出張レンタルを、さらに大募集いたします。

 1日6時間(おおよそ9時〜16時(夏季は7時〜10時、15時〜18時も要相談)、1万円ぽっきり(交通費別途実費)。
 オンラインの場合は、1時間1500円から。

 下記メニューから自由に組み合わせてお申し込みください!

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※1 時間はあくまでも目安です。増減はご了承ください。
※2 事前にメールやオンラインにて日程や内容詳細の打ち合わせミーティングをしてからのお申し込みとなります。
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『レンタルまーちゃん』メニューリスト

(★=オンライン可能)

自然農相談、実践アドバイス 【3時間〜】
 ※参考URL 「自然農=RPG論

マインドボディヒーリング(心身治癒法)講座 【4時間〜】
 ※参考URL 「マインドボディヒーリングとは

お庭や畑の環境再生(初歩的な土中環境・大地の再生風)相談、実作業 【3時間〜】
 ※参考URL 「古い家を「大地再生」で快適に!〜水路の手入れ〜

古武術的ボディワーク(日常動作への応用可能)【2時間〜】
 ※参考URL 「古武術百姓を目指す会

ポスト資本主義経済のお話(里山的実践編)【2時間〜】
 ※参考URL 「ポスト資本主義合宿

ヤギの飼い方 【1時間〜】
 ※参考URL 「子ヤギ誕生!(妻のBlogから)」

田舎暮らし移住のお話 【2時間〜】
 ※参考URL 「田舎籠り実践トレーニング

自宅出産のお話 【1時間〜】
 ※参考URL 「プライベート出産期(妻のBlogから)」

自然育児的ホームスクール、家庭保育のお話 【2時間〜】
 ※参考URL 「"したいなー教育"のススメ

森のセラピーガイド 【3時間〜】
 ※参考URL 「森のセラピー開催

ひきこもり、不登校相談 【2時間〜】
 ※参考URL 「こうみえて・ひきこもり・ジェラシー

ベーシックエンカウンター的ファシリテーション 【3時間〜】
 ※参考URL 「話す・聴く・気づきのワークショップ

初級的マインドフルネス瞑想 【2時間〜】
 ※参考URL 「プチ・マインドフルネス体験会

野原でできるアメリカインディアン的瞑想(初級編)【2時間〜】
 ※参考URL 「感覚瞑想をしてみよう」(友人のBlogから)

耐火煉瓦でできる簡易ロケットストーブ・簡易釜戸づくり(材料費別途) 【4時間〜】
 ※参考URL 「ロケットストーブで屋根裏を燻す

一日一食、裸睡眠、素足草履、風呂無し生活、など各種健康法 【1時間〜】
 ※参考URL 「体質改善PJ

簡易バイオトイレ(ノグソ式、コンポストトイレ式)作成 【1日】
 ※参考URL 「簡易バイオトイレ実習のご報告

お散歩したり雑談したりお食事したり(人生相談可)【何時間でも】

外国の歌(曲)に日本語の意訳・創作歌詞を作る 【1曲1万円】

2023年12月初納品レポートはこちらから!
2024年4月、修善寺での1泊2日出張納品の様子はこちらから!
 (2024/08/01 更新)


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 お申し込み方法は、
 ▼直接メール(komatsu@zassouya.com)※@は半角へ変換
 あるいは
 ▼Facebookのメッセンジャー(https://www.facebook.com/manabu.komatsu.9
 まで!

 双方の豊かさを等価交換できる、またとないチャンスをどうぞお楽しみください♪

 Let's help us!

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<自然農の畑で育ったラッキョウ!>


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<自家用で飼い鶏を長男と解体中!>

2024年01月04日

正月に想う

霜月廿三日 晴れ@大子町

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 新年あけましておめでとうございます。

 生を受けて47回目、高校卒業し実家を離れてから29回目、大学卒業し勤めに出てから24回目、自然農の田畑を始めてから21回目、大子町に拠点を移してから5回目の正月を迎えた。いつの間にか、妻と子ども4人の6人家族に増え、ヤギは7頭、鶏は6羽、築150年を超える古民家と、裏の杉山、眼下の田畑と共に、数年先のことさえ考えずに日々暮らしている。

 
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<みんなで作った正月飾り>


 門松やしめ飾りを子どもたちと作り、お節を作り、初日を眺め、凧揚げしたりカルタしたり、穏やかに暮れと年明けを過ごし、そして、北陸の地震に驚き、心を痛める。それでも、だからこそ、自覚を深める。世の中の森羅万象は、不変のものは何一つなく、現在現時点を突き詰めれば、幸も不幸も、善も悪も、過不足もなく、自他が別であり一つであり、只今において十全でしかない。

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<お節は75%ほど自給自足>


 太陽太陰暦(新暦)の暦では年が変わったが、そもそも暦は世界各地で多種多様であったわけで、2024年1月1日に何か特別なものが切り替わったわけではない。しかし人類は、カレンダーを区切りやリセットとして日常的に設け、時の流れを感じると同時に、他人が存在する世界と自分の関係性を日々確認するきっかけに利用してきた。年賀状を交わし、SNSでコミュニケートし、顔を合わせて挨拶することで、過去からつながる今、宇宙にあまねく広がるこの空間を生きていることを実感しあっている。

 天災も、人災も、生も死も、苦も楽も、実は一人一人の人生のすぐ隣にある。であるからこそ、明日を願い、今年の四季を願い、自分の目の前の今日の手足を動かすこと、今の瞬間の心の安らぎに耳を傾けることに人生を費やしたい。そこに徹することで、その中心点から広がる家族、隣人、友人、生きとし生けるものへ、植物の根や菌糸が闊達に伸びていくように情愛が拡散していくことを願ってやまない。

 だからこそ、変わらずに、毎日が自然農な暮らしを、ただただ、続けていきます。土に触れ、草木を感じ、種を蒔き、生命に沿い、心身を十全に。今年も、天の計らいに導かれて、皆様とお会いできることを心から楽しみにしております。

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<毎朝の厳しい冷え込みを楽しみへ>


 令和6年1月4日 (旧暦 霜月廿三日)
 自然体研究家 兼 自然農百姓  小松(後藤)学

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2023年12月20日

自主スクーリング悶々記

霜月八日 晴れ @大子町

 ホームスクールを3年生まで続けてきている次女。通ってるスイミングや交流する同世代との話題で小学校の話が出てくるので、いよいよ学校行きたくなってきました。(我が家はもとから不登校ではなく積極的ホームスクールです。)

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<今年も家族で味噌づくり!>


 さて、シュタイナー教育に心惹かれ、「7歳までは夢の中」をモットーにカリキュラム無視で自由に育ってきてくれた(我が家では「したいなー教育」と呼びます♪)ので、漢字や九九の類は特に時間を取ってきてません。学校からは教科書やワークプリントが渡されていますが、遊びや読書や料理に比べたら面白いわけがないので一人では続きません。でも学校行くならやらないとなーと考えてるようで、いわゆる「お勉強」もしたいけど家だと弟チームに邪魔されて集中できない!

 という流れで、町の教育サポートで開かれている教育支援センターに通い始める運びになりました(昨日申し込み!)。そしたらマスク界隈に敏感な公的機関、町で増え始めた風邪の流行の影響で今日は休み。楽しみにしてた次女のしょんぼり顔とやる気にちょっと寄り添おうかなと、午前の野良活の予定を取り下げて、一緒に二人で図書館の自学スペースに来ました。

 渡されてるプリントワークの2年生の漢字プリントを1時間ほど。父親は向かいのテーブルで「シュタイナー教育を考える(子安美知子著)」の読書。なるほど、面白くて豊かな時間。漢字を書いたり、文章を書いたり時々絵を書いたり、それなりに1時間机に向かうと、手がつかれた〜と言ってヨガ的リラクゼーションを始めました。好きにしな、と告げると、階下に降りてナイチンゲールを読み始めました。まあそうだよね、そっちのほうが楽しいよね(笑)。

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<小1時間だけど、なんとも豊かな時間>


 長女は小4から通い始めた「学校教育」に肌があったようで中2の今では副会長に部長と、なんか適応しまくってますが、次女はさてどうなるか。

 こんな偶然の豊かな時間をきっかけに、いよいよ、ちゃんと、シュタイナー的人間観をベースにした、ゆるゆる自由教育フリースクールっぽい活動も、やっぱり始めるべきなのかなあ。こんな次女との時間を過ごせるなら、考えちゃうよね。次女の学びへの意欲&友達と過ごしたい時間&健やかさを育みたい親の想い、の融合点を希求していきたいなあ。

 つまりは、子どもの人生と親の人生の掛け算だもんね。

・大地を楽しむ、自然農&大地再生的な野良活の時間
・心身合一、身土不二の思想を素にした自然療法&心身治癒法の提供
・シュタイナー的人間観をベースにした、自然派自主教育
・「放置林、遊休農地、空き家の利用」×「生きづらさを感じる人たちが勇気を育む時間」の体験の場

 別々の事象のように見えつつも、完全に全てが調和して重なる。
 お金のことを心配せずに、集中させてもらえるなら、大子町でどっぷり、これらにフォーカスして取り組みたいよなあ。

 と、だんだん風呂敷が広がりすぎたのでまずは目の前。次女とのお勉強時間を毎日数時間とってみる作戦。あとは、方向性に共感してくれる、少数でもいいから交流できるホームスクール的ご家族とのご縁。それに加えて、家での自分の野良活時間と、好評いただき始めているレンタルまーちゃん的な家の外での稼ぎの時間と、バランスとるのが本当に難しいんだけども、せっかくワクワクが止まらないのだから始めてみるしかないよなー。

posted by 学 at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 子どもと育つ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月04日

第一作品 納品報告

神無月廿二日 晴れ@つくばみらい市

 
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 『レンタルまーちゃん』、一品目が本日納品されました。大子町から130km離れたつくばみらい市のNさんからのご注文で、ご夫婦やお仲間と利用されている田畑での自然農&大地再生的お手入れ実習+使用中のビニルハウスの簡易的補修、な一日。最後に記念すべき最初のお客様として記念撮影してもらって、家路についた。

 大げさではなく、「ああ、こんな時間のためにも俺は生きてるんだなあ。生きててよかった!」と感じ入りながら軽トラをぶっ飛ばす。

 過ごした時間は、正味7時間。朝日が昇る前の霜に覆われた早朝に家を発ち、快晴の9時に到着。つくばエクスプレス沿線の都市開発の津波にポツンと取り残されたような駅から数km程度のエリアに、その田畑はあった。耕作放棄地で持ち主が手入れできていない農地を借りられて、ご友人たちと楽しまれている畑や田んぼ。そこに数棟並ぶ立派なビニルハウスの一番奥の一棟を、温室栽培エリア兼物置として利用されているのだが、入り口部の扉が部品の破損などで歪みがあり、いつも開け閉めに手間取っていたという。ビニルハウスは門外漢のご依頼ではあったが、農的DIYの範疇ではあったのでお受けし、ダメもとで応急処置的補修を試みることに。全員が不慣れな手つきの中、集まられたお仲間の皆さんと一緒に不具合のある扉を外し、ビニルを取り、構造をチェック。不具合の原因を観察し、補修部品購入や手法を一緒に考えていく。今日一日で終わらせずにご自分達でゆっくりと直す選択しも提案しつつ、皆さんと相談の上、近所の資材店で代替品を購入し設置することを決定。しかしながら資材店では同じサイズの代替品は探し求めることができず、悩んだ末に少しだけ幅の短いパイプ扉を購入。備品も含め、それでも概そで事前に計算していた予算には収まり、そっと胸をなでおろす。(何せビニルハウスの扉を外すのも購入するのも私にとっても初めてなのだから(笑)!)

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 畑に戻り、サイズの小さい扉と接続部を重ねてみる。合わないし、くっつけられない(笑)。さあ大変だ。皆さんには悟られないように頭をフル回転させる。なんとかこの午前中で終わらせないと、田畑での自然農実習の時間が無くなってしまう。おそらく、意識下無意識下の小松学の脳みそ貯金残高の全量を駆使していた。どうすればこのイレギュラーサイズのパイプ扉を既存のハウス入り口部の取り付けが可能なのか。手を動かし、目を動かし、みんなが昼食の用意を始めた隙にあれやこれやを試行錯誤する。幸運なことにその場に転がっていたありものの資材をひと工夫ふた工夫して何とか着工し、これでイケるはず!と鼻息が荒くなる。

 焦げ付きそうな脳みそCPUの状況がバレたかのは分からないが、Nさんからお昼の小休止を促され、味わい満点の具だくさんお味噌汁と焼き餅の野原ランチをご馳走になる。気が付くと、雲一つない初冬の青空。草に腰掛け、カセットコンロで温めてくださったランチを食べながら、移住話や田舎事情などあれやこれやで話も弾む。談笑に後ろ髪を引かれつつも、気持ちは見通しはついたものの内心ではまだソワソワしているハウス扉へ。さあ逃げられないぞ、と心を決め、紙皿を片付け、ハウスへ戻った。

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 詳細はともかく、かくして、最後はみんなで力を合わせて扉の設置、ビニルの張り直し、部品の取り付けも完了!火事場的応急処置修繕は無事、オーダー時のリクエスト基準を満たすことができたのでした。拍手(笑)! あー、自然農的右往左往を20年続けててよかった!なのでありました。

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 ハウスを後にした一行は、夕方が差し迫る中、別の畑へ移動。自然農を今年の6月から始められた農地へ向かう。一般的な慣行農を続けられていた農地が耕作放棄されていた場所を借りられてスタートさせた畑であり、杭を差し込んでみると15p程でカチカチの層に突き当たる。でも大丈夫。土の中で起きていること、自然農のフィールドでこれから起きる微生物と植物たちの土壌を舞台としたファンタジックな未来をお伝えする。そして鎌一本鍬一本スコップ一つで今すぐできる、大地に菌類を増やし、植物の根が土中に張り巡らされ、まるで微生物たちの放牧場のような畑に育っていく手入れをスタートさせていく。大人も子どもも、野良道具を手に持ち、大子で作って運んだ竹炭や、地元で集めておいてくださった落ち葉を振り撒き、土を鍬で動かし畝を作り、刈り草を戻し敷く。たったそれだけで、微生物と植物と人間が共存していける農的フィールドが動き始める。用意が整ったら、種を降ろすだけ。自然界と人間界の絶妙な関係性のあり方に想いを広げ、リアルに手足を動かし、気持ちを乗せ、具体的にイメージを描く。そのらせん状のポジティブフィードバックの輪を現実化していくのは、実に容易いのだ。そんなこんなを、時間にしたら数十分から1時間ちょっとだったけれど、みんなで共有して過ごせたことの喜び。しみじみ。 ああ、これも、毎日が自然農な暮らしを20年続けてきて良かった〜、なのでありました。

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 帰宅後にNさんから、「よいお買い物ができて光栄に思います!!お得意様になりたいです」とのメッセージが入る。毎度ありがとうございます。であり、おかげさまでこちらこそ素敵な一日を過ごすことができました。である。そんなこんなで、八方良しな要素のみで構成されたと言っても過言ではない、1日を終えたのだった。

・ ・ ・

 『レンタルまーちゃん』は、事前振込(後日商品提供)、ドネーション、現物供与、などなど、どんな形でも大歓迎しております。皆さんの自由な発想、自由な想い、自由な愛を、雑草屋を通してフロー(流れ)してください。どんな申し出でも、その瞬間から世界の豊かさにつながっていることを確信しています。

 いやー、現時点で、これ結構、革命的な商品じゃないか?と筆を走らせてみた夜。

2023年11月28日

レンタルまーちゃん スタート!

神無月十六日 晴れ

 この1年、開催してきたポスト資本主義合宿、第五回目も終了。
お金でしか動けなくなっている世界の窮屈さを時に深刻に語り、時に軽やかに笑い飛ばし、より普遍的な「豊かさ」への旅路を参加者とともに探求する時間を過ごす。

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<合宿での自然食の夕餉。無添加、ギフト、自然農の詰め合わせ♪>


 その最終盤、これからの「マイ・ポスト資本主義(資本主義偏重の世の中から抜け出せるように自分ができる取り組み)」を共有しようという時間になったのだが、唐突に、真逆の気づきが頭に浮かんで離れない。

 「年末の家賃支払いと年末年始の現金がヤバい(笑)!!!」
 「だって今年人差し指を切り落とす大けがして、お金摘み(現金の狩猟採集)に行けなかったじゃん(涙)!!」

 「ポスト資本主義合宿」を満喫しつつ直面した、今そこにある現実。

 ということで、普段は金融資本からの楽しい離脱を実践している我が家に訪れた金融危機、を切り抜けるべく、そして皆さんからの熱い応援をいただきたく、雑草屋の【期間限定】新商品を開発しました!♪!

 その名も
 『レンタルまーちゃん』!!

 雑草屋、自然体研究家として20数年間、蓄積発酵濃縮してきた小松学の人的資産すべてが商品。いざ出張レンタルをスタートさせます。

 1日7時間(おおよそ9時〜16時)、1万円ぽっきり(交通費別途実費)。
 オンラインの場合は、1時間1500円から。

 下記メニューから自由に組み合わせてお申し込みください!

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※1 時間はあくまでも目安です。増減はご了承ください。
※2 事前にメールやオンラインにて日程や内容詳細の打ち合わせミーティングをしてからのお申し込みとなります。
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『レンタルまーちゃん』メニューリスト

(★=オンライン可能)

自然農相談、実践アドバイス 【4時間〜】
 ※参考URL 「自然農=RPG論

マインドボディヒーリング(心身治癒法)講座 【4時間〜】
 ※参考URL 「マインドボディヒーリングとは

お庭や畑の環境再生(初歩的な土中環境・大地の再生風)相談、実作業 【4時間〜】
 ※参考URL 「古い家を「大地再生」で快適に!〜水路の手入れ〜

古武術的ボディワーク(日常動作への応用可能)【2時間〜】
 ※参考URL 「古武術百姓を目指す会

ポスト資本主義経済のお話(里山的実践編)【2時間〜】
 ※参考URL 「ポスト資本主義合宿

ヤギの飼い方 【1時間〜】
 ※参考URL 「子ヤギ誕生!(妻のBlogから)」

田舎暮らし移住のお話 【2時間〜】
 ※参考URL 「田舎籠り実践トレーニング

自宅出産のお話 【1時間〜】
 ※参考URL 「プライベート出産期(妻のBlogから)」

自然育児的ホームスクール、家庭保育のお話 【2時間〜】
 ※参考URL 「"したいなー教育"のススメ

森のセラピーガイド 【3時間〜】
 ※参考URL 「森のセラピー開催

ひきこもり、不登校相談 【2時間〜】
 ※参考URL 「こうみえて・ひきこもり・ジェラシー

ベーシックエンカウンター的ファシリテーション 【3時間〜】
 ※参考URL 「話す・聴く・気づきのワークショップ

初級的マインドフルネス瞑想 【2時間〜】
 ※参考URL 「プチ・マインドフルネス体験会

野原でできるアメリカインディアン的瞑想(初級編)【2時間〜】
 ※参考URL 「感覚瞑想をしてみよう」(友人のBlogから)

耐火煉瓦でできる簡易ロケットストーブ・簡易釜戸づくり(材料費別途) 【4時間〜】
 ※参考URL 「ロケットストーブで屋根裏を燻す

一日一食、裸睡眠、素足草履、風呂無し生活、など各種健康法 【1時間〜】
 ※参考URL 「体質改善PJ

簡易バイオトイレ(ノグソ式、コンポストトイレ式)作成 【1日】
 ※参考URL 「簡易バイオトイレ実習のご報告

お散歩したり雑談したりお食事したり(人生相談可)【何時間でも】

外国の歌(曲)に日本語の意訳・創作歌詞を作る 【1曲1万円】

第一作品目の納品レポートはこちらから! (2023/12/04 更新)


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 お申し込み方法は、
 ▼直接メール(komatsu@zassouya.com)※@は半角へ変換
 あるいは
 ▼Facebookのメッセンジャー(https://www.facebook.com/manabu.komatsu.9
 まで!

 双方の豊かさを等価交換できる、またとないチャンスをどうぞお楽しみください♪

 Let's help us!

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<自然農の畑で育つ大根の美しさ!>


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<暮らしの中に瞑想的時間のある日々>


2023年05月21日

リアルライブミュージック

卯月二日 晴れ時々曇り

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 ケヤキの大木の木陰の下。
 シタールの調べ、ギターの奏で。
 子どもたちに沁み込む、一生に一度のバイブレーション。

 スマホもYoutubeもテレビもスピーカーも日常にない日々を過ごす子どもの耳へ届く、本物の楽器から産みだされる空気の振動。リアルライブミュージック。魂を揺さぶり、身体の記憶へ浸透していく。

 集落を流れる小川にそってそよぐ風の音、森に暮らす鳥の声、草に隠れる虫の声。築150年を超える古民家のある里山に移り、森を調え、種を蒔き、草を刈り、火を起こす暮らし。そんな景色がBGMになる。ケヤキの木陰がステージになる。

 音に対する真摯な感性を携えたゲストが、そのBGMを楽しみ、そこにシタールとギターのインプロビゼーションを乗せる。

 思わず二人に、「演奏を聴いていて、僕たちの暮らしを心から誇りに思った」と伝えていた。記録しても決して再現できない、一生に一度の生の記憶。子どもたちの身体に、深く深く、刻み込まれますように。

 ありがとう。けんくん、トミー。
 ありがとう。今日のコンサートに居てくれたみんな。
 ありがとう。生きとし生けるものすべての十全さ。

※ほんの少しだけでも、おすそ分け
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 https://youtu.be/DrvzH7JNr_g
posted by 学 at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 友と共に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年03月04日

花粉症と踊ろう

如月十三日 晴れ

 三寒四温で零下5度以下の朝と日中15度を行き来する大子町にも、春はいそいそと育ってきている。

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<次男を的ちゃんが乗せて走る!>


 一昨日、昨日、今日と、日本に黄色き春の恵みが飛来しているらしく、元・重度の花粉症キャリアの私は、なかなか楽しみの深い三日を過ごしている。一昨日、鼻水だらだら&クシャミ連発に負けた一日。昨日、くしゃみ鼻水はコントロール下だが、目のかゆみとぼんやり感は継続。そして今日、症状ゼロではないが、花粉症としてのツラサ・苦しさは限りなく無く、快調。これ全て、脳の中の認識が変わっただけの変化である。

 大前提として、11歳から40歳くらいまで、1月から4月はマスク必須の日常。鼻水、目のかゆみ、クシャミ、頭のぼんやり感、花粉への恐怖心、に心から苦しめられてきた。受験シーズンの頃は、薬も治療もフル活用して、息も絶え絶えに乗り越えたことを覚えている。(受験をことごとく失敗し、母校に辛うじて救われたことは全て花粉のせいにしています(笑)。)自然農を20代半ばから始めた後も、2月の田畑の準備、3月のジャガイモ植え、4月の作業ラッシュを、防塵マスク、花粉防止ゴーグル、アイボン、鼻うがい、○○茶(流行りの効能茶)と、まるで戦時下のように必死で乗り越えていた。体験農園を始業してからは、参加者の皆さんとお話しする時だけマスクをずらしていたことも、今となっては良き思い出。

 さて、その後、今から8年前にマインドボディヒーリング(サーノ博士のTMS理論をベースとした心身相関メカニズムに基づいた、症状改善プログラム)を始めてから、ノーマスクどころかゼロ対策での春満喫の日々を送るようになり、人様にその体験を踏まえて伝えてきた。

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<8年前は俺が次女を乗せて♪>



 結論から言うと、

 ●花粉症は、薬なしで改善する
 ●ただ、症状をゼロにすることが目的ではない
 ●症状がなぜ出てるのかを理解して、自分なりにどうそれを乗りこなすか
 ●結果、花粉に左右される苦しみが激減する

 そのことを、改めて再認識した日々であった。

 これらの三日間のあれやこれやを、自然体研究所メンバーの的ちゃんや、古武術百姓の会に参加してくださったOさんと話し、意見交換し、さらに理解と実践を重ねての今日の現時点での到達点。

『どんだけ花粉飛んでても、症状の苦しさとは関係ない。花粉に反応する自分を受け入れ、その反応の理由が無意識下のストレス感情であることに気づき、抵抗せず、観察し、待つ。ただそれだけで、クシャミの連発も、鼻水地獄も、掻き毟りたくなる目のかゆみも、遠く薄れていく。』


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 <3人とも花粉症、杉の木の下でノーマスク談笑♪>



さああなたも、こっちにおいでよ〜♪

※2024年1月時点情報※
今年の1月〜3月にかけて、集中開催を予定しております。
Facebookの自然体研究所ページをご参照ください!
※※※※※※※※※※

蛇足ながら、過去(2006年)の私はこんな記事を書いてました♪(わかい!!)
↓ ↓ ↓
【憎い奴】(毎日が自然農より)
 ⇒ http://104.seesaa.net/article/13530845.html


 

最後に、サーノ博士の書籍の一部を引用(加筆・修正あり)します。

==「サーノ博士のヒーリング・バック・ペイン」より=====

アレルギー疾患は心が原因があって発症したものがあると考えている。そういうと、いつも同じ返事が返ってくる。「まさか。花粉症の原因は、花粉やほこり、カビじゃありませんか。緊張が原因で起こるわけがありません」しかし、花粉の飛び散る原っぱに10人が10人ともくしゃみをしはじめるわけではない。アレルギーのあるものだけがくしゃみをする。ではアレルギーか、アレルギーでないかの違いは何だろう?前者の場合、緊張の影響、つまり本書のテーマである抑圧された感情の影響で、免疫系が過剰反応しているのだ。この事実は、患者を治療していると、ときどきどころか、頻繁に確認できる。花粉症はTMS(心身性症候群)であり、他の症状(腰痛や頭痛など)と同じ方法で消すことができるということを教育プログラムで教えられている患者の場合、本当に花粉症も消えてしまう。

ある方がグループミーティングで報告した。十七年間、秋になると花粉症で苦しんだのに、今年は平気だったという。「教えられたことをしっかり頭に入れておいたのです。本当に奇跡かと思いました。この秋には全く花粉症の気配もなかったのですから」

わたし(サーノ博士)も、ずっと以前から猫アレルギーがある。猫がいるかどうか知らないまま、よその家に入り、目がかゆくなりはじめるときがある。たいてい何も考えないで目をこすってしまうのだが、そのうち、子猫が部屋に入ってきたりすると、「なんだ、目がかゆいのはこのせいか」と思う。そして、かゆみは消える。なぜこうなるかというと、わたしには自分のアレルギー性鼻炎と結膜炎が、心に緊張が生じたせいであるとわかっているからだ。なぜそういう症状が起きるのかわかっていれば、症状を起こす意味がなくなるために、症状は消えるのだ。』

=========


posted by 学 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体を見つめる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月08日

持続可能性を塗る

神無月十五日 満月(皆既月食) 晴れ

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<土壁内部の竹小舞をライトアップ>


 この2週間ほど、土壁を塗りながら、土壁の永続性について想いを巡らす。

 土壁は、微生物と稲藁と泥土が育む、完璧に再生可能な建設資材だ。崩れても、壊し、潰し、また稲藁と水を混ぜて捏ねて発酵させれば、また塗って壁に復活する。芯材としての竹小舞は、木材と割った竹と縄(藁縄やシュロ縄)で編む。水と土と植物と菌類が建材を構成し、動物としての人間が塗って完成する。地球上のおおよそ全ての構成成分で出来ており、そして永遠に作り直し続けられる存在なのだ。

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<3月、崩れていた土壁を「きちんと」壊し>

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<分別し、水と藁を混ぜ練り直し、発酵を待つ>


 いわゆる、「持続可能性」とは何なのだろうか?それは、『今の状態がずっと続くこと』ではない、ということを明確に理解したほうがよい。自然界は持続可能性を結果的に内部に包み込んでいるのであるが、実はその持続可能性とは、福岡伸一氏の言葉を借りれば「動的平衡」な持続可能性である。動的平衡とは、常に壊しながら生み続けていることで「状態」が継続していく様であり、言い換えれば、「壊れる」プロセスが無ければ「持続性」が維持できないことも意味している。

 コンクリートは、硬化すると、元(セメントと水と砂利)の姿には戻らない。不可逆的であり、壊れたコンクリートは、再びコンクリートとして利用することができない。その意味で、コンクリートは決して持続可能な物質ではない。土壁は、とにかく何度でも壊れ、固まり、壊れ、固まる。人と技術が寄り添う限り、何度でも、何度でも、繰り返し繰り返し、壁になり、人と育み、そして壊れ、また壁に戻る。

 ああ、なんという可塑性であろう。僕はこの可塑的であり、持続可能的であり、破壊と再生を繰り返す動的平衡な営みを愛して止まないのだ。世の中に、真に持続可能なものがあるとすれば、それはこの「土壁性」なのではないかとすら思う。

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<練り直して8か月後、壁土も頃合い>

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<土壁内部の構造体、竹小舞を編み直す>

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<あとは塗り、塗り、塗る。>


 この2週間、土壁を友人たちと塗りながら、ある時は作業中の瞑想性に感心し、ある時はその可塑性から「結婚観」や「資本主義の限界」に話が及び、夢中になって壁塗りを楽しんでいる。

 大自然の恵みにほんの少し手間暇を加えるだけで、住まいが調い、哲学を楽しみ、世界の来し方行く末に想いを馳せる時間が訪れる。なんという喜び、なんという幸福。

 この壁が塗り終わったら、友人の粘土質の畑から土を分けてもらい、今年育った自然農の稲藁を混ぜ込み、発酵させ、来年の壁土を仕込むことに決めた。塗る場所は決まってないが、どこでもいいから、塗りたくなっている。さて、次はどんな持続可能を楽しもうか(笑)。


※土壁塗りに関して、こちらのサイトに大変お世話になりました。
 『【図解】土壁のつくりかた!+メリット・デメリット』
http://landschaft.jp/2017/05/10/%e3%80%90%e5%9b%b3%e8%a7%a3%e3%80%91%e5%9c%9f%e5%a3%81%e3%81%ae%e3%81%a4%e3%81%8f%e3%82%8a%e3%81%8b%e3%81%9f%ef%bc%81%ef%bc%8b%e3%83%a1%e3%83%aa%e3%83%83%e3%83%88%e3%83%bb%e3%83%87%e3%83%a1%e3%83%aa/




posted by 学 at 23:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 家を調える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月20日

7月20日

水無月廿二日 晴れ

 「いま起こっていることに目を閉じれば、そのものの内なる歴史は腐敗し始め、過去に関する探索をやめれば、そのものの『今日』そして『明日』を見つめる目は、その輝きを失うのである。」(秋野豊『STUDENTS』 第244号、1989年)

 (※学部の先輩のSNSの投稿よりお借りいたしました。Iさんありがとうございます。) 


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 昨日、草刈り途中にノコギリ鎌で親指の爪の先と指先を1mmほど削ぎ落とし負傷し、迎えた7月20日。秋野豊先生の命日。

 毎年、直前までなんとなく覚えていて、いつも当日は忘れてしまいます、先生。

 今日は、指の負傷を言い訳に、午前中は3歳の次男を連れて軽自動車を往復120q程走らせて、古民家リフォームに使う照明器具類を祖母が暮らしていた空き家から取ってきました。大地を感じて移動する。それを背中で教えてくれたのは先生だったような気がしています。夏の風を窓を全開にして取り込み、山あいを急カーブに身体を預けて抜けていくドライブで次男はいつしか寝てしまいましたが、一人、先生のバイクを思い出しながら運転していました。

 古びた祖父母の照明器具を掃除して、家の壊れた配線をペンチで切ったりテープで繋いだりしながら、なんとか子どもたちの目の前で灯りの取り付けを澄まし、父の尊厳を保つことはできました。この、自分で直して取り付ける、みたいな喜びも、大地的というか肉体的な学問のような気がしています。ペンチを握りしめながら、タジキスタンの地で豆をペンチで潰して淹れたコーヒーを飲んでいる先生の姿も、想いうかべていました。

 夕方、傷も少し癒えてきて、妻や手伝いに来てくれた20代の友人(筑波大の後輩です!)と一緒に畑で大豆を蒔く準備を進め、日が暮れるころに子どもたちと一緒にヤギとニワトリの世話をして、薪調理で適当にパスタ山盛りの夕飯を作りました。信念に基づいて身体を動かしたあと、存分に飯を食う。その喜びを、寿司屋やお好み焼き屋に連れて行ってくれて教えてくれたのも先生です。

 子どもを寝かしつけた後、先生の命日も知らせずにいた妻が偶然、野菜の梱包や薪ストーブ用にもらってきている新聞の記事を拾い読みしながら、憲法改正や地域紛争や国際政治の話題を僕に投げてくれました。母として、女性としての命の根源的な平和を希求する妻の素朴な投げかけに対して、僕は、学生当時のままのつたない国際感覚で、最低限度の軍備の必要悪や軍需産業の存在、地政学的紛争の背景などを、絞り出すように話してみました。こうして夫婦で、何気なく、国際政治や平和、紛争、持続可能社会について会話ができることの喜び、平和の尊さを、缶ビールを片手に噛みしめています。

 明日は、朝5時に起きて、ジャガイモ掘りです。ジャガイモが掘り終わったら、ひたすら大豆を蒔くのでしょう。こうした日々が、原始的な平和活動なのだと自分に言い聞かせて、そろそろ布団にもぐることにします。

 先生、おやすみなさい。僕ももうすぐ、あと2年で48歳。先生に追いついてしまうんですね。2年後も変わらず、胸張って、種蒔く日々を過ごしていると思います。乱筆乱文、失礼しました。

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★秋野先生についての参考URL
 https://www.htb.co.jp/vision/tsubame/story.html

☆秋野先生についての過去記事
【七回忌】(2004年07月21日)
【7月1日に生まれた男】(2008年07月01日)
【お手紙します】(2008年07月20日)
ラベル:秋野豊
posted by 学 at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 故郷の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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