注)記事の日付は太陰暦を用いております

2019年04月18日

妄想公開(公私混同編)

弥生十四日 晴れ 於つくば

 まだ産後一カ月しか経ってはいないが、医療介入なしのお産の功もあり産後の回復が穏やかな妻の体調と、出まくりの母乳を惜しげなく飲んですくすくと育つ次男の様子を観て、外出する機会も増えてきた。

 この日はつくばに家族でお出かけし、自然育児の会(妻が2年前に代表を務めた縁もあり今でも参加している)の集まりにでたり、長男がお世話になった大好きな助産師さん(守谷助産院の白井先生)にご挨拶に伺ったりした。おまけに大好きなパン屋(関東で多分イチニに入る名店「ベッカライブロートツァイト」)で昼食を買い、馴染みのコーヒーショップ(これまた日本に名の知れた「コーヒーファクトリー」)で生豆の空袋をいただき、あとはつくばのマル秘スポットで「マテバシイ」の苗木も手に入れて、夜遅く大子に戻った。

 ああ、忘れていた。一人いすみ市に残って平和道場の友達の家で2週間お世話になった国内短期留学中の長女も、帰ってきた(笑)。(Sちゃん本当にありがとう!)


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<白井先生とご一緒に記念撮影♪>



 マイペースでもいいから、持続可能なライフスタイルを気に留めている人たち。人工的、機械的、産業的、大量生産大量消費的、な社会に何かしら違和感を感じて自然な在り方に耳を傾けようとしている人たち。人間の本来の健やかさって何だろうかと、育児や心身に関心を抱く人たち。そんな皆さんと幸いにもつくばやいすみの活動で交わり、ゆるりと繋がってきた時間。もちろん適度にひきこもりながら(我が家は夫婦ともに、適度にひきこもり体質を持っています)。それらは本当に財産なんだなーっと感じた一日だった。

 帰り道の車内、遊び疲れた(長女はきっと色んな疲れもあったよね)子どもたちの寝息を聞きながら、「心の栄養ってこういうことを言うんだよね〜」と夫婦でしみじみ振り返っていた。そして自ずと、これからの暮らしにも話が広がる。きっと大子でも、僕たちは変わらない。



 自然の恵みを損ない過ぎず、奪い過ぎず、頼り過ぎず、軽んじ過ぎず、ありがたく受け取る。そんな暮らしを生き方として続けたい。家族から、集落から、地域から。僕たちがそんな暮らしをしたいなら、そんな仲間が増えてくれたら楽しい。今日お会いしたような、今まで価値観を共有してこられたような皆が、この山と水の豊かな大子に、住んでくれたらいい。

 住んでくれるような魅力ある地域ってどんな場所だろうか。そんな場所に近づくにはどんな試みが考えられるだろうか。

◆例えば、護岸工事と生活排水の流出で川魚も住めないような小川を、また魚も小動物も豊かな川に戻すような試みとか。
 
◆例えば、増えすぎ(あるいは餌や生活環境が足りなさすぎ)て農業被害が深刻な野生動物の環境を、生活にジビエを取り入れたり森を再生して彼らの暮らせる森に戻すような試みとか。

◆例えば、大子のオーガニックや自然食やエコロジーを大事にする人(作る人も楽しむ人も)が集まって過ごして資源(モノ)も通貨(カネ)も循環する、ゆるやかなマーケットを定期開催するとか。

◆例えば、身体の調子を崩したら「医療機関に委ねないと大変なことになる」という不健全な健康常識を、森林などの自然に触れたり心身治癒の習慣を取り入れるだけで医者いらずの日常に変えられる機会を提供する、とか。(あ、これ5月からの職務の一部だ(笑)。)

 もっと小規模で考えれば、

◆5月からの活動で、週5日を妻と子供4人の時間となることへのちょっとの心配や負担を減らす試み。それなら保育園、とかじゃなくて、ギフトエコロジーWWOOFホームスクーリング平和道場を組み合わせた「雑草屋暮らしサポーター」みたいなのを募って、自然農×自然育児×心身治癒etc&一宿一飯が小松家からのギフト、暮らしや農作業や育児のお手伝いがサポーターからのギフト、で解消できないかな、とか。

 
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 <こんな景色を>
thanks for the photo from Dojo



 そんなこんなを、もちろん地域おこし協力隊での活動とも重なりながら(僕自身の生活の多くの時間がそちらになるからね)、我が家の活動としてもできる範囲でやっていくうちに、ご近所も巻き込んだり、あるいはご近所の空き家に友達が、知り合いが、想いを共有できる誰かが少しずつ移り住んで、もっとワクワクするような集落になれたりするんじゃないかな、と妄想する深夜。大げさにあえて風呂敷を広げるなら、大子町の「ブラウンズフィールド」になれたらいいな(みたいな役目を担えたらいいな)、とかね♪


 新しい環境で大地に手足を動かしながら、今までのありがたい交わりを糧にしながら、時々訪れる味わい深い出会いに感謝しながら、やっぱり今の社会価値感のままで良いワケないから歩みはやめない!と、想いを新たにするのです。

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 <こんな景色と>



 みんな、いい場所一緒に作らない(笑)?!







posted by 学 at 23:00| Comment(0) | 大子暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月15日

スタートダッシュ

弥生十日 晴れ 於 大子町
 
 次男が生まれて約一カ月、大子に移って十日が過ぎた。

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 ここ数日、新居(借家)の周囲の藪を刈り倒し、篠竹に覆われていた庭木(梅、梨)を救出したり、放置されていた庭池を解放したりの作業を存分に楽しんでいる。その間にも、ご近所への挨拶、公的手続き、掃除、洗濯、家事育児、山盛りの毎日を送っている。できるだけ古武術的ワークで筋肉疲労を避け、時々起こる花粉症やそれでも溜まる肉体疲労はマインドボディヒーリングで散らし、美味しい無添加自然食で腹を満たし、少々のアルコールと気分転換の動画サイトで寝る(笑)。自分で言うのもなんだが、自然体が結構身についてきたような気がするこのごろ。

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 ここを

 ↓ ↓

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 こんな感じに♪


 そして今日はついに妻と一緒に、畑のレイアウト&今年の作付け会議を開催。夕方にホームセンターで購入した果樹の苗木、野菜類の種とポット苗にホクホクしながら、自然農とパーマカルチャーとの本を見返しながらの、ああでもないこうでもないの至福の時間。グランドデザインとして家と周囲の畑と裏山を図化し、次に畑に絞って土の様子、敷地利用、獣害対策、などを軸にイメージを膨らませて、最後は、面白さとワクワクと行き当たりばったりで。 

 必要そうな資材は、ご近所の材木店からの端材や、竹林をお持ちの方に相談してできる限りマテリアルマイレージを減らし、できる限りギフトエコノミーで入手していきたい。家の周りに捨てられていたゴミ(錆びた物干し台やトラクターのキャタピラ!)も、アイデアを絞って再活用していこうと思う。

 とにかく、5月からは約20年ぶりの週5日勤務が始まる。それまでの4月いっぱい、産後回復中の妻、引越し後もいすみ市に残り国内留学中(ホームステイ)の長女、広い庭で毎日遊びまくりの真ん中二人の子ら、自宅出産して約一カ月後の今日初めて訪れた医療機関(助産院)で健康優良の太鼓判を押された次男とともに、まずはスタートダッシュを満喫する予定。

 令和元年を迎えていったい自然体研究家はどこへ向かうのか。自然農百姓は継続可能なのか。なにがあろうと、大地と草木と命に触れている限り、きっと変わらないんだけど。 


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 あ〜〜〜野良仕事って楽しい!! 
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2019年03月26日

命の門出

如月廿日 雨時々曇り 於いすみ市

 文化的サバイバルバケーションと名付けた我が家の1年間の休暇は、この3月をもって慌ただしく終えようとしている。

 新しい命の門出を2週間前の12日に迎えきり、残り1週間で、外房から奥久慈へ。

 
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 3月12日、第四子の次男を、自宅出産、家族出産で取り上げた。今回は、完全プライベート出産。最も出血が少なく、最も産後回復が順調で、最も居心地の良いお産を、家族のみで迎えることができた。ありきたりの言葉では振り返ることができないが、経験、環境、サポート、縁、巡り合わせ、そして生命の偉大さ、全てに恵まれて、幸運と祝福のもとに、何事もなく産まれ出てくれた。自然農に出会い、身体も、心も、自然体を探求しながら時を重ね、妻と過ごし、家族と過ごし、皆さんと過ごし、そのおかげで、我が子と妻の動物として持っている「本来力」を信じ、あらゆるリスクを待ち構える心構えもできていたことに感謝したい。

 本当に、我が家らしく、我が子らしく、最高のお産を迎えることができた。改めて、みやちゃん、君は素晴らしい!!

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 そして、茨城県、大子町へ。

 完全自宅出産のため、パーマカルチャーと平和道場のみんなのありがたいサポートをいただきつつの、産科医&助産師&家政婦&ベビーシッター&山羊の世話人&父親&夫を兼務しているこの数週間。「マイ育児休暇」と銘打って、我が子と家族の為だけに時間を使っている。あと1週間ほどをいすみ市で過ごし、4月には大子町へ。4月もマイ育児休暇を続けながら新生活を始め、5月から、大子町の地域おこし協力隊として活動することになる。

 次の家は借家ながら、家の前と左右に畑、背後には杉林と雑木林、いずれも自由に使用可、の願ってもない環境。飼いヤギたちに開拓してもらいつつ、育児休暇の合間を縫っての、種蒔きラッシュに笑顔がこぼれそうな予感がする。

 
 つくばでの自然農、自然体暮らし。パーマカルチャーと平和道場での、世界につながる学び。今までの全てがオーガニック(有機的)に醸しあい、また一歩、旅を進めることになる。

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 バケーションから、暮らしへ。とはいえ数年は、嘱託ながら半公半農のような暮らしだけど。相変わらず、雑草屋ファミリーは、マイペースで人生を謳歌し尽くすつもりなのです(笑)。
posted by 学 at 22:52| Comment(0) | 新しき出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月30日

身体はすごいよ てやんでい

師走廿五日 曇り時々晴れ 於いすみ市

 なんかもう、お医者さんとか治療家さんに怒られても良い気がしてきた。だって、「心の声に耳を傾けて症状に話しかける」だけで、実際に症状が変化するんだもの。

 心身治癒法(マインドボディヒーリング)の勉強会・講義を、この1月〜2月に、ご縁もあって積極的に開催している。仕事ではなく、ボランタリーな趣味で。

 最近開催した方々から、こんな声が届いている。


「長年の悩みだった頭痛が受講してから一度も起きていなくなっています。頭痛のない状態ということが、こんなに快適なのだと実感しています。とにかく、からだとこころの両方に、即効性があり、不調が軽減されていることに驚いています。」

「症状がでたときに、前に比べて不安とか不快感とかマイナスな感情を持たなくなった、冷静に受け止めることができるようになったというのがよかったなと思っています。」

「私は長年の悩まされた頭痛から解放されつつあり、娘は洗い物がしんどいほどの手荒れが回復しつつあります。変化を観察するのがたのしいです。」


 

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 自分の最近で言えば、鼻がムズムズしだした時、関節が痛み始めた時、すかさず自分の無意識ストレス(ナマの感情の抑圧)を認識してあげて、もう大丈夫と脳に話しかける。すると面白いくらいに、5分10分かからずに、初期症状が治まっていく。風邪にもならず、鼻炎にもならず、膝痛にもならず、身体は落ち着いていく。


 学べば学ぶほど、実践すればするほど、伝えれば伝えるほど、身体の症状が、無意識下に抑圧されたストレスが原因で起こされていることを実感する。

 文明批評家のイヴァン・イリイチは著作の中でこう記している。

 『医学が治癒や苦痛や死といった重要な現象について語ることができるのは、化学分析が陶器の美術的価値について語ることができるのと同程度に過ぎない』


 局所的に症状を和らげる。激烈な症状を薬で抑える。身体の中でどんな反応が進行し影響を及ぼしあっているかを突き止める。他にも挙げられないくらい、多くの部分については、医学の進歩が貢献し、様々に効果を上げている。と同様に、心をケアして症状が実際に変化していくこの実践も、どんどん広がっていくといいのにね。

 身体って、すごいから(笑)!
 みんなが思ってる以上に、身体って頼もしいから!

 インフルエンザ?ノロ?腰痛?頭痛?花粉症? てやんでばーろーちきしょうめい!
 心が疲れてるって証拠だよこんちくしょう(笑)!


 自然農で実感している「自然の、植物の、微生物のメカニズムの崇高さ」と同様に、今はこの心身治癒で、「身体と心のメカニズムの素晴らしさ」に感動している。

 
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 2月、怒涛の5連続開催。500円からのドネーションで、医療費からおさらばする切符が手に入るかもよ♪ いや、医療費なんていうお金で解決できるちっぽけなことじゃなくて、それ以上に、病(やまい)全般からの安心、という宝物だね。その宝物を、もったいぶって売るつもりもないので、どんどんシェアしていきたいだけ。3月に妻の出産を迎えるため、それ以降は少しペースを下げざるをえないので、2月のうちにどうぞ来てくださいな。

 「腰痛や花粉症など、心を見つめて身体を整える実践ヒーリング」。つくばで3回、東京で1回、千葉(いすみ市)で1回。大盤振る舞いでお届けする予定です。寄ってらっしゃい見てらっしゃい〜♪


・2月2日(土)16:00〜19:00 @東京都稲城市
 出張マインドボディヒーリング講座

・2月4日(月)13:00〜16:30 @千葉県いすみ市
 マインドボディヒーリング(心身治癒法) in 道場

・2月5日(火)13:00〜18:00 @茨城県つくば市
 ひきこもりの為のマインドボディヒーリング(心身治癒法)勉強会

・2月15日(金)18:30〜22:00 @茨城県つくば市
 第32回 マインドボディヒーリング(心身治癒法)講座

・2月16日(土)10:00〜13:00 @茨城県つくば市
 ■女性限定■第33回 マインドボディヒーリング(心身治癒法)講座


 あーリンク貼るだけで疲れた(笑)。ま、楽しいからいいや。42歳にもなって、子どもも4人目出てくるのに、お金稼ぐこと全然考えてないけど、まあいいや〜。 それから、交通費+ドネーションで、全国どこでも行くから、声かけてくださいな。せっかく行くなら、講義+ゆっくり対話する時間も入れて、一日開催とかもできるからね。


posted by 学 at 20:57| Comment(0) | 身体を見つめる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月07日

KHJ(こうみえて・ひきこもり・ジェラシー)

師走二日 晴れ 於いすみ市

 1月14日(月)、成人の日の晴れやかな日に、150人超の人前でパネリストの一人として登壇することになった。


 「自分らしい生き方シンポジウム in 関東」
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 主催団体は、KHJ。「日本で唯一の全国組織の家族会(当事者団体)」で、家族・ひきこもり・ジャパンの頭文字でKHJ。なかなかポップ。
 さて、なぜこんな結構大そうなイベントに、ひきこもり未経験者の私が登壇する羽目になったのか。そもそも経験者でもないのに(しかも私以外の顔触れが、皆さんそうそうたるひきこもりキャリアの方々ばかり)、こんなところで偉そうに語りやがって、という声も聞こえてきそうなので、言い訳代わりに長々と書いてみることにした。(お陰様で当日は満員御礼なので、人集めの肩の荷はないのだ♪)


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 

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(全然関係ないけど、昨日は新月。これは満月。)



 この数年間、茨城県南で、ひきこもり経験者の主催する当事者イベント(ひきこもり大学茨城キャンパス)を微力ながらお手伝いをしてきた(行けないことも多数あり)。その縁で、ひきこもり当事者の方がゆっくり過ごして対話できる居場所「新月カフェ」を開いてみることになり、ほぼ毎月開催し、進行役を務めてきた。

 いわゆる「ひきこもり」という現象が、社会的に何か問題なのか、というのは実は重要ではない。誤解されるのを承知で書くが、いわゆる「ひきこもり」という現象は、例えばLGBT、例えば未婚者、例えば在日外国人の方たち、と同様に、当事者本人が困っているかどうか、という一点に尽きる。本人が困ってない、気にしてない、であれば、それはもう、本当に「問題」ではない。であるから、という理由において、困っている、悩んでいる、のであれば大いに「問題」なのだ。

 あえてややこしく書くのは、理由がある。
 
 それは、数年前の私こそが、「ひきこもりなんて、本人の意思が弱いのが問題だろう」と考えていたからである。その考えが、ひきこもり当事者の生の声を聞いて、180度ひっくり返った。

 「世界中で、一番人生と社会を悩みぬいている人種の一つが、ひきこもりの人たちだ!」

 大学で国際関係という学問に身を寄せ、いわゆる途上国を放浪し、環境問題などに関心を持った流れで、世界の困窮する課題にそれなりに敏感だという自負がある。だからこそ、社会の構造やシステムの狭間で産み出される惨禍で苦しむ世界中の人たちを心苦しく思い、その為に何かできやしないか、この日本で暮らしながら、何か彼らの力になれることはないかと、アリの歩みでありながらも活動してきた。
 
 だからだろう、日本は、裕福で、恵まれた国。何の検討もなしに、そう安易に思い込む自分がいた。戦争や、飢えや、劣悪な環境汚染などによって、命の危険にさらされている人たちに比べて、ひきこもりやニートなんて、ただの甘えじゃないか。多くの周囲に居た人たちと同様に(今でも多くのそうした声を聞く)、大したことじゃない。と切り捨てていた。

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 (勝浦港で見かけた、愛想のない野良猫)

 そんな考えが、一変した。

 日本社会には、基本的な、本当に根本的な、【教育】と【勤労環境】そして【一般常識】という構造(観念?)に、大きな欠陥がある。その事を確信したのは、イベントで聞いたこの言葉だった。

 「自分がひきこもっていたころ、毎日のように考えていたのは、世界の70億人の中で、自分が一番生きている価値がないということでした。」

 いったいぜんたい、私含めて今まで出会った友人知人の中で、自分の価値を『70億分の最下位』と位置づけられる人が一人として居ただろうか。たとえどんなに、悲しい出来事があったとしても。たとえどんなに落ち込むことがあったとしても。世界で最も価値がない人間・・・。私には、そんなことを考える勇気はない。

 でも、目の前で話をされるひきこもり経験者は、平然とそれを告白しているのだ。そしてイベント後の懇親会を機に何名かの経験者と話をすると、皆さん、結構サラリと、「まあそんな感じは普通でしたよね。」と口にする。しかも実は、かなりの深刻さを当時は含んでいたことも付け足しながら。私は思った。「この人ら、悩み方が半端ない。。。で、それ実際あなた悪くないし!んでこのヘビー級の悩みを起こさせてる今の社会(学校とか会社とか行政とか人生観とか)ちょっと変わらんといかんだろ!」。その感覚は、数年たった今でも変わっていない。


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 (冬の野原には、セイタカアワダチソウがよく似合う)

 その後の縁で、「じっくりと数時間、和室に座ってのんびり話す」という企画を話してみたら、皆さんの賛同をいただき、「新月カフェ」が実現する。そこから様々に縁がひろがり、土浦での家族会「スマイルアップ元気会」、「ひきこもり新聞」、「つながる・かんがえる対話交流会(つなかん)」などに顔を出すうちに、今回のKHJさんから声をかけていただくことになった。

 そして今、私は、趣味的な本気のライフワークとして、ひきこもり経験者の友人たちと、月に何度か、楽しく過ごしているのだ。


 ということで結論。
「ひきこもり」という状況は、ひとまずは、本人や周囲が、人生をかけて悩んでいるという点で、問題なんだ、ということ。次に、そのような(辛辣で過酷な)状況を産み出してしまっている日本社会には、まだまだ風穴こじ開ける必要がいっぱいある、ということ。

 だから私は、自分にできる範囲ではあるが、少しでも関わりを持ち続けていきたいなと思っている。

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 (勝浦港の岬にある神社への階段。高いところが好きな我が子ら。)


 余談。

 そういえば誰にも関心を示してもらえないが、ひっそりと、「自然体研究家」を自称している。自然体とは、無理してないのに、バランスが取れている状態のこと。人として、心と体が自然体であること。生命体として、地球と暮らしが自然体であること。それを大切に生きている(つもり)。

 その上で、学校に左右されないようにホームスクールで子育てをし、医者に左右されないように自己治癒で体を整え、経済に左右されないように無職(自由職)で暮らし、食糧事情に左右されないように自然の中で食べ物を育てようとしている。

 今の日本は、「ひきこもり」という状況が生まれている通り、人間も、社会も、不自然体な面がいっぱいある。ひきこもりを経験されている方は、その不自然さを、人生を賭けて訴えているのだ。私が大切にしている自然体を追い求めて生きていたら、縁あって「ひきこもり」の方たちに出会った。私は、社会の不自然さに対し、自分で、夫婦で、楽しみながら自由になろうとしているが、ひきこもりの方たちは、不自然さに捕まって悩まれていた。

 そんな因果で、きっと「新月カフェ」を開催している。新月カフェは、「参加した人が、社会的な不自然さからできる限り自由になって、安心して過ごすことを目指している場」だ。

 自然体は、単に身体と心の状態ではない。常識と思っている社会の仕組みからも自由になる「選択」でもある。金がないと生きていけない。学校に行かないと生きていけない。そう思い込んでいる常識は、不自然体である。私は、それから自由になった喜びを、存分味わいながら、これからも生きていきたいと思う。ひきこもり経験者の人たちとも時々遊びながら。ついでに、人生の悩みの深遠さを教えてもらいながら。


 こんなことを、当日話してきたいと思っている。


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「自分らしい生き方シンポジウムin関東」

 日時:2019年1月14日(月・祝)12:30〜18:00(受付開始12:00)

 場所:IKE・Bizとしま産業振興プラザ 6F 多目的ホール
   (東京都豊島区西池袋2-37-4)

 参加費:一般・家族・支援者2,000円、学生・本人1,000円
 ※参加には事前申し込みが必要です。

詳しくは、こちらのURLから。
https://www.khj-h.com/event/symposium/1953/


posted by 学 at 23:59| Comment(3) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月04日

デトックス寝正月

神無月廿九日 晴れ 於いすみ市

 あけましておめでとうございます。

 
 我が家は最高に素敵な正月を過ごしておりました♪
 元旦。9時半に起き、10時半から恒例のおでん&お節&朝ビールで新年を迎え、12時に甘味を食べ終わり、部屋でゴロゴロ。17時頃におでんを暖めなおし、夜お節&ビール。こどもを寝かしつけ、大晦日に断念した昆布巻きを仕込みながらの晩酌&読書。
 二日。9時半に起き、10時半からのおでん&お節&朝ビール(笑)。12時に食べ終わり、部屋でゴロゴロ。17時頃から夕餉の準備をして、夜お節&ビール。こどもを寝かしつけ、3年前の自家栽培の小豆を取り出し、手作りあんこを仕込みながらの晩酌&夫婦の語らい&読書。
 三日。10時に起き(笑)、11時からのおでん&お節&お汁粉&朝ビール。12時半に食べ終わり、お年玉(絵本と簡易なおもちゃ)を渡し、酔いのまわった妻を残して散歩&外遊び。17時以降、以下省略。

 
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 ”高知の義実家から届いた「ぬた」に合わせた、地物のタコの刺身も旨し♪”



 それにしても、冬惰眠、最高。
 子どもたちは、20時就寝、長女だけ7時半起床(一人だけの絵本とか手遊び天国)、下の二人は9時半起床。
 我々は、0時就寝、9時半起床。

 寝正月とはよく言ったもので、とにかく、布団は最高。ついつい家事の鬼になりがちな妻も、この三日間だけは、と引きずり込んで(つまり酒に酔わせて)寝て食って過ごした。そのための、大晦日からの、お節&おでんの十全な仕込みの数々。子供たちも、ぐうの音も出ないほどに、手作り&添加物ゼロ(!)のご馳走でKOさせて、普段の親業からの解放を勝ち取った三日間だった。

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 ”普段市販のおやつなし(つまり白砂糖フリー)の子らにとって衝撃の甘味!”

 自分が会社勤めやバリバリの自営業から遠ざかり、「やりたいこと」だけと時々の副業で生きてるのは、きっとこうした喜びを100%人生で味わいたいなのだからだと思う。リッチな家?リッチな服?リッチな食?<<<好きに寝て食べて健康な暮らしじゃん!
子どもも大人も、朝寒い時間から幼稚園にも学校にも会社にも行く必要なく、でも心は生産的で(もちろん多分に怠惰で)其々に過ごし、父が時々必要な分だけの金融資産を稼ぎに出る。ああ、これだ。

 今のアパートでも出来てるけど、もっとそんな暮らしを追求しよう。

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 ”これもゼロ円で拵えた、適当門松”



 里山で、自然農で、職住一体で、自然育児で、心身同一で。関心ある人(だけ、否、縁のある人)が遊びに来てくれるような、ひっそりとした暮らし。多少わがままな程度に、外とつながる。


 年末年始の情報デトックス中に出会った、面白かった本。
 「症例A(多島斗志之 角川書店)」
 「飼い食い(内澤旬子 岩波書店)」
 「心身症の子どもたち(田中英高 合同出版)」

 PCから離れ、ネット情報、ニュース情報に左右されるよりもやっぱりいいね、地に足がついた思考は。そして何より、夫婦も仲良くなってるし、子どもへの目線も、なんか落ち着いた気がする。こうしてBlog的にPCに向かうのも、もったいないくらい。

 旅にPCはそんなに必要ない。であるなら、
 人生にもPCはそんなに必要ない。


 それでは、今年も、よろしくお願いします。


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 ”正月晴れの日差しに、長男の産毛がパーフェクトに輝く”

posted by 学 at 14:49| Comment(0) | 地に足つけて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月29日

歳末ひきこもり&雑草屋アピール

神無月廿三日 晴れ 於いすみ市

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 新暦の大晦日、正月を前に、夫婦でデジタルデトックスを試みることにした。インターネット環境から離れ、もとよりテレビもラジオもなく、ついでに自動車も休み、電気とガス以外はオフグリッドに年末年始を過ごすことにする。

 長女は本を読み、次女は折り紙とシール遊び、長男はお絵かき。妻は激しくなりつつある胎動に少々押され気味。自分は日課のヤギの餌やりと、小掃除。掃除のおかげで、キッチンと六畳二間のアパートに空きスペースが増える。本棚には、図書館から借りた本が山積み。パソコンエリアには、このBlogがアップされたらしばらくの間お役御免のモバイルWifiが転がっている。

 2018年は、一風変わった年だった。今日娘と話していたら、昨年の出来事が、3年前くらいに思えるねえ、などと話していた。
 「とかいなか(都会+田舎)」を自称しながら乱開発の嵐が吹く、茨城県つくば市からの移動を考え始めた年明け。募集動画を見て、面白さの一点のみでひとまずの転居を決めた、パーマカルチャーと平和道場での研修生活。千葉県いすみ市で、薪での煮炊き、手洗い洗濯、若者4名との9人(+ヤギ二頭)での共同生活は、毎日がNVC(非暴力コミュニケーション)の実践であり、パーマカルチャー生活への入り口であり、遊びでもあった。

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 研修を終えた夏からは、アパートに移り、自然農からは遠のき、パーマカルチャーもそこそこ遠のき、NVCは時々集いがあり、サークル活動としての稲作は続き、月の三分の一を副業アルバイトに充て、子どもとの時間に翻弄され、次への展望も開かれながらも明確さはなく、年が暮れようとしている。3月に雑草屋の休止宣言をして、文化的サバイバルバケーションを楽しむとした言葉の半分は正しく、半分は、少々足踏みしていた気持ちがないわけではない。

 それでも、夫婦でのつくば時代からの継続でもある、新月カフェ(ひきこもりの方たちとの対話交流会)、マインドボディヒーリング(心身相関にアプローチする治癒法)、ホームスクール、自然育児、自然療法などは、低空飛行で活動を続けてこられた。そして何よりも第四子を授かり、来春に自宅出産をベースに自然分娩でのお産を迎えようとしている。

 この数日前、Facebook上にて、我が家のこれからの拠点を考える上での、「コンセプト」と「優先順位」を考えてみた。

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コンセプトは、

「世の中の価値観にとらわれずに、身体と心と大地が自然体で過ごせる家族の暮らし方を探求し、市井の皆さんにおすそ分けする」

優先順位は、

1.田畑がある
2.山がある
3.人が住める(3月予定の第四子を安心して産める)
4.水源(人が飲める)がある
5.安価である
6.福島の実家に近い
7.今まで活動していたつくば(茨城県南)に近い
8.後で返却するリスクが少ない
9.自治体(住民)が移住に好意的

補足的には
10.自宅出産に理解がある助産師さんがいる

も大事かな。

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上↑が自分たちが望む環境とするならば、提供できる資源も書いてみる。

◎自然農を楽しむ時間(手順、楽しみ方)
◎自然療法を楽しむ視線(本、実践)
◎マインドボディヒーリング(心身治癒法)の講義
◎ベーシックエンカウンター(対等な対話)の時間
◎ホームスクールで過ごす子供との体験
◎自宅出産&母乳育児&家庭保育の楽しさの共有
◎美味しい自然食(味噌づくりや食養)

○古武術的身体操法の初心者的稽古
○ウィパッサナー瞑想会(マインドフルネスでも)
○アメリカインディアン的感覚ワーク
○ひきこもり経験者と遊ぶ会の開催
〇パーマカルチャーを始める際の高揚感
○NVC(非暴力コミュニケーション)を味わう心構え
○持続可能な地球経済を願う意識の共有
○ヤギ2頭による通年草刈り
○シュタイナー思想・教育への少々の思い入れ

 こんなことを、近くで提供できます。どう?結構居たら楽しそうじゃない?


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 あと今年のバケーションで気づいた我々夫婦の大事な個性として、「周囲と仲良くなるのがそんなに上手ではない」、というのがある。外面はまあまあ良いので大丈夫だけど、年がら年中ニコニコで誰に対してもいつでも対応上手なわけでも決してないので、どうぞお見知り置きください。


 さて、来春、どこに行くのやら。

 これから数日間、雑草屋としての小松家は、5日ほどひきこもります。ネット系は閉鎖。携帯電話も家族以外不通。徒歩と、手作業と、対話と、極力アナログなお正月を満喫します。きっと夫婦仲も家族仲も、今まで以上に周波数がそろってくるはず。ワクワク。

 それでは皆様。良いお年を。
 
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2018年10月01日

道場とは

葉月廿二日 台風のち晴れ 

 共生革命家のソーヤー海君が主宰する「パーマカルチャーと平和道場」(以下「道場」での研修生活を6月に終え、もう3か月が過ぎようとしている。この半年、いったい我々家族はどんな時間を過ごしてきたのか。備忘録として振り返ってみたい。

 4月から6月までの3ヵ月。パーマカルチャーと平和道場での研修生生活。さて。

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photo by akane


 いわゆる、企業や団体に勤めて働いて給料をもらうというスタイルではない。自営業として、仕事を作って社会貢献して対価をいただいているわけでもない。授業料を払い、学習し、スキルや知識を身につけているのとも違う。楽しいことを求めて趣味や遊びに時間を費やして過ごしているわけでもない。

 道場の母体でもある「東京アーバンパーマカルチャー(TUP)」のHPから言葉を借りるなら、我々家族を含む研修生9人は、「パーマカルチャー(持続可能な暮らしのデザイン)」、「贈与経済(ギフトエコノミー)」、「共感コミュニケーション(NVC)」、「マインドフルネス」「社会変革」の5つテーマを、学び、実践し、暮らすことを海君に誘われ、それに応じて集まり、道場で共に過ごしてきた。

 今の日本社会の成人男女の人生として、「(ただ)過ごす」ことを目的に生きることってあるだろうか。朝起き、ご飯を支度し、洗濯し、竹を切ったり、畑に種を蒔いたり、メールをしたり、対話したり、コンポストトイレを掃除したり、小屋を建てたり、ドライブしたり、笑ったり、田植えしたり、ご飯を食べたりして、夜寝る。そんな風に「過ごして」きた。
 
 外の社会(商店、インフラなど)とも繋がっているので、貨幣も使用する。それと同時に貨幣を使わずに食糧や物品を手に入れることもナチュラルに希求する。反対に自分たちがお礼の代わりに何かを(物でも作業でも)提供することもある。それらの自由さの中に身を置き、様々に実践しながらの生活。かように、多くが、学びの場であった。

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photo by yoshi



 道場で、一所懸命に何かを身につけようとしてきたのかといえば、それもまた違う気もする。もちろん、上記の5つのテーマを学び、実践しようとしてきた。修行という言葉も使われるように、様々にあえてトライして、楽しもうとしてきた。とはいえそれは、身につけようがつけまいが、どちらでも構わない。今、この瞬間に起きていることに耳を傾け、味わう。結果は、問わない。

 いつからか人間は、何かの為に、誰かの為に、目標を設定して人生を捧げるようになってしまった。お金の為の仕事。自分や家族の為のお金の為の仕事。お金の為の仕事の為の勉強。勉強の為の学校。学校の為のお金の為の仕事。国民の幸せの為の事業の為の仕事。そうして、生きること、ただ過ごすことは遠くに追いやられ、目標の為に行動し、そんな無限のループが、続いていく。

 自然は、動物は、植物は、菌類は、宇宙は、誰かの為に存在しようとしていない。存在そのものに意味があり、ただ、存在している。存在を全うしようとしている。存在そのものがすでに誰かの為であり、また、誰かの存在そのものが自分の為にある。


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 私達は、世界の山積した課題の真っただ中に生きている。その一方で個々人はそれぞれ、平和、豊かさ、親愛さに包まれて生きていきたいと願っている。それなのに、今生きているこの世界の事象のほとんどが、その「願い」に直接的にコミットできていない。
 とはいえ、世界が間違っているのではない。経済活動も、政治も、教育も、間違っているわけではない。だけど、幸せになれるかどうか、という問いには、応えられていない。競争や、比較や、評価が、必ずついて回る今の世の中のシステムは、そもそもその「願い」がシステムに組み込まれていないのだ。

 私達人間は、世の中の仕組みやシステムに組み敷かれて生きる存在ではない。仕組みやシステムは、私達が作り共有している存在にすぎない。私たちは、実はシステムからは自由なのだ。経済も政治も教育も、在り方、が「願い」からずれている。あるいは、「願い」にフォーカスしていない。であるなら、世界は、変えられる。


 パーマカルチャーと平和道場は、「願い」にとことんフォーカスした場所であった。NVC(非暴力コミュニケーション)の中で言われる「ニーズ」は、まさにこの「願い」でもある。そして、関わってきたそれぞれの個性が大事にしたい「願い」が奏でられる場所でもあった。そして、それに挑戦(修行、練習、エンジョイ)できる場所であった。

 ただ、「願い」は宿命的な「業(カルマ)」にもリンクしてくるので、個人的には結構きつい時間もあった。自身のネガティブな要素に目を向ける時間も生まれるし、それを乗り越えたいのか越えたくないのかの自問自答、自己否定、などもちょくちょくあったから。それは今も続くし、これからも。ただそれが、「生きる」ことに根本的に繋がっていることも間違いない。


 
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 道場とは。

 地球上で、我々が、子供たちが、これからも楽しく暮らすことを願って生きようとしたら、種を蒔き、火を起こし、糞を還し、対話し、食事をすることだった。存在を満喫し、過ごす。悩みも、喜びも、存在として、味わう。それが許される、ちょっとリッチな場所。そしてそれが広がっていく場所。

 この日本でも、別に不便で不快な暮らしではなく、楽しみとして過ごすことができる。そんなチャレンジャブルな空間が、パーマカルチャーと平和道場での研修生活だった。



 とはいえ、「過ごす」⇒「暮らし続ける」になると大変な部分もたくさんあったけどね(笑)。家族5人だけ(大人2人)での火起こし&煮炊き生活は無理!とか。蚊対策ができてなくて刺され過ぎ!とか。

 
 研修生活を終えて、7月から9月の3か月ほど、古希を超えた我が両親にガチで心配されるくらい本当にボーーーーーッと過ごしてたけど、やっと言葉にできました。(ただ自分に必要な時間として、ぼんやりしたかっただけ。)
 関わってくれたみんなありがとう。愛してます。ここに来れて、良かったよ。


 さて、そろそろバカンスは終わりかなー。

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2018年05月17日

お金を摘みに出る

卯月三日 曇り

 文化的サバイバルバケーション中である「パーマカルチャーと平和道場」を数日間留守にして、貨幣経済畑(世間で言う労働環境)で収穫(世間で言う給与)を手にした。その収穫物を分けて、電車に乗り、帰宅の移動手段を交換することができた。

 これはいったい何を意味しているのか。


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 マインドフルネスに身体操作を練りつつ電車に揺られながら漠然と考えが進んで行く。そうか、お金を稼ぐっていうのは、魚を釣るとか、乳を搾るとか、薪を割るとかと同様の、何かの目的物を手にする為の一手段に過ぎないんだ。生きる=お金を稼ぐ、ではないんだ。


 道場で実践している、「貨幣経済だけの世界で生きていかない」という試み。今までお金がないと生きていけないと思い込んでいた世界は、ただの貨幣経済のみの視点で見ていた世界に過ぎない。世の中のあらゆる資源(物質的な資源から精神的な資源まで)は、お金を介さないとアクセスできない訳ではない。お金がないと生きていけない、というのは自己暗示、あるいは社会暗示とも言える、思い込みだ。

 お金は、ツールだ。今この瞬間にも、貨幣を外した世界は存在している。命も、安心も、喜びも、愛情も、手伝いも、種蒔きも、炊事洗濯も、そしてなにより大地の恵みも、貨幣経済の枠にとらわれずに常に存在している。

 お金を介さないと交流(交換)できないモノが欲しいなら、お金を使用する必要があるのでときどき収穫に出ればいい。食べたい魚を釣るように。食べたい果物をもぐように。畑で菜花を摘むように。世界には、お金を収穫に出る、という自由が存在する。

 貨幣でしか換算できない経済のなかで暮らす人生から、貨幣に矮小化されない多様な経済の中で暮らす人生へ。それはどこか遠くに存在するものではない。今この瞬間にも存在している。いつか手に入れるかどうか、ではなく、気づけるかどうか。

 肥料や農薬や耕運機がなければ農はできない、という矮小化された農から離れることができるように。近代医療、薬がなければ健康は手に入らないという、制限された医療から自由になれるように。自然農や、自然療法(や心身治癒)などの試みは、机上の空論なのではなく実際に田畑として、治療として続けられているからこそ、力がある。であるなら同様に、貨幣経済に依存しない暮らしも、実践あるのみ。ギフトエコノミー、ギフトエコロジーは、自分がやるか、どうかだ。

 田畑の答えがシンプルで十全な自然の営みの中に存在するように、暮らしも、きっとシンプルで十全だ。試し、戻り、気づき、交わり、続いていく。試さないなんて、もったいない。世界は、ワクワクに満ちている。

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 そう、おもちゃもいらない、赤ん坊のようにね。


参考資料:「独立国家のつくりかた」坂口恭平著
     http://amzn.asia/37xWvjM



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2018年04月24日

ギフトの輪の中に

弥生七日 晴れ

 自分にとって、何年どこに住んだかは、それほど重要ではない。

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 この春につくばを離れることになってから、〇年続けた自然農、とか〇年つくばに暮らしました、と話すことが多かったのだが、今になってもいったい何年だったのか思い出せない。いやもちろんBlogとか辿ればわかるんだけど、調べようという気にもならないし面倒くさいし、それってつまり、興味がないからということである。

 数か月生活&研修させてもらえることになった千葉県いすみ市での滞在がスタートして気づいたのは、種を蒔ける大地、フィールド、土、の有難みだ。どんな小さな面積でも、ジャガイモやニンニクを植え、種まきできる場所を探す自分は、「農」の恵みの中に生きているのだと感じる。雑草の花々が色とりどりに咲き、あちこちが新緑に覆われだすと、自然農の徒として本当にむずむずしてくる。あー種まきたい!と。
 しかし種を蒔くという行為は、生育に手を添えるという行為である。つまり、収穫や種取りの旅路に足を踏み入れるということを意味する。数か月滞在の先が決まっていない自分たちにとって、実は畑作業はジレンマでもある。種は蒔きたいけど、最後まで面倒見られないかも。うーん、やきもき(笑)。

 そのやきもきと同時に、もう一つの想いがわいてくる。ああ、自分に必要なのは、落ち着いて腰を据えることができる田畑に沿った暮らしなのだと。植物は、草は、動けない。植物を、食べ物として、そしてパートナーとして、あるいは癒しとして、寄り添いたいのなら、私に必要なのは、そのサイクルの中に身を落ち着かせること、つまりは定住することなのだ。

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 自然農をするうえでの最も大きな楽しみの一つは、変遷の実感である。一年目、二年目、三年目と過ごし、生えてくる草、育つ作物の移り変わりを眺めていく。少しずつの変化を願い、楽しみ、感じ、喜ぶ。時に落ち込み、離れ、また戻ってくる。そうした暮らしを人生を通して続けられることを、今は望んでいる。自然農の田畑は、続ければ続けるほど、豊かになってくる。取り組む人それぞれの個性・性格も反映されながら(つまり紆余曲折しながら)、結果的には森が豊かになるように経年変化していく。だからこそ、何年もおなじ圃場で続けることがとても大切だと言ってもいい。だから、つくばで10年以上田畑を続けてこれたのは、本当に財産だったのだ。

 大切な大切な、何年も過ごした自然農の田畑という財産を、私は手放した。しかしそこに、実は未練はない。土地を惜しむ心は、執着から生まれる。私が過ごしたおよそ十年は、その瞬間瞬間に楽しんだ。草は、微生物は、大地は、私の所有物では決してない。全ては日本という、地球という、生命の輪の中に存在していて、巡り巡っている。生命の営みはつくばの「つくし農園」にあったのではなく、どこにでもどの瞬間にも存在している。いつでも、どこでも、始めればそこに自然農はある。なぜなら、自然はどこにでもあり、農は種を蒔きさえすれば始まるのだから。

 そうか、であるなら、種を蒔けばいいんだ。手入れや収穫は、誰かがしたいときにすればいいんだ。自然が豊かになる行為に身を置くだけで、それは喜びでもあり、ギフトでもある。次の誰かの為に、もちろん自分の為にでも、土があったら種を蒔いて、鳥にでも、動物にでも、人にでも、微生物にでも、誰かに喜ばれたらそれでいいんだ。



 パーマカルチャーと平和道場での暮らしの中で、研修生(住人)たちは様々なスピリットを学んでいる。その一つがギフトエコロジー。友人の言葉を借りれば、交換関係ではなく見返りを求めない与えあいの関係による生態系。種を蒔く人が、収穫者である必要はない。野草を食べるとき、種を蒔いたのは誰? 木の実を採って食べるとき、種が蒔かれたのはいつ? 私たちは、実はそのサイクルの中に存在する。自分で蒔いて自分で食べる。あるいは誰かが蒔いて誰かが育ててお金を介して自分が食べる。そんな小さな枠組みから少しずつ、離れていこう。

 自然農を始めるなら、ずっと同じ場所で続けられるのが一番いい。確かにその通り。しかしそれは執着を生む。大地はその土地の人のもの、という誤解が生まれる。私はその執着から離れたかった。その執着を離れたうえで、またどこか、落ち着ける場所に導かれたいと願っている。

 その日のためにも、私は種を蒔くことを選ぼうと思う。誰かがずっと続けてきてくれたからこそ今に続く、その循環の輪の中、ギフトの輪の中に。それを確信させてくれるかのように、こちらに移動して間もなく移植したジャガイモは、当たり前のごとく芽を出してくれているのだから。

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 そうだ。今年の旅は、こうした大事なものに気づくためのバケーションなんだ。つくばを離れることはとても大きな決断だったけど、それにふさわしい、沢山の学びにつながっている。種とともに、草とともに、人とともに、今しばらく、この旅を続けてみようと思っている。



posted by 学 at 23:27| Comment(0) | 沿って暮らす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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