注)記事の日付は太陰暦を用いております

2018年03月08日

動くよ

睦月廿日 晴れ(寒の戻り)

 4月から、千葉県いすみ市へ。移住ではなく、移動。

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 私たち一家は、東京アーバンパーマカルチャー(TUP)が取り組む「パーマカルチャーと平和道場」のトレーニングプログラムへ参加することを決めた。研修でもあり、冒険でもあり、創造でもあり、バケーションでもあり、続きでもある。国際関係を学び、環境問題を憂い、自然農から広がってきたこの十何年間を経ての、人生を賭けた遊びの一環として、また味わっていこうとワクワクしている。

 つくばでの10年以上の「自然農」暮らしを糧に、これまでの取り組みも心に宿し、しばらくの間、パーマカルチャー、非暴力コミュニケーション、ソーシャルチェンジ(社会変革)などの実践の徒として身をゆだねてみる。3カ月?6カ月?区切りはあってないようなものだとも。そもそも区切り、分析、色分け、線引き、などといった概念はそろそろ緩やかに後退していく。人生は常にフロー(流れ)でもあり、未完成でありながら十全であり、時間も空間も人間も自然もグラデーション的な存在だ。

 何をするのか?何ができるのか?先になにがあるのか?それはわからない。4月からの日々は、パーマカルチャー(永続可能な暮らしのデザイン)をゆるやかな輪の中心に置き、住処を建て、家族と暮らし、種を蒔き、樹を選び、熱を創り、世界を想う。プログラムを準備してくれているTUPの先人の方々、4月からともにプログラムに参加する研修生の方々とともに、試行錯誤錯誤していく旅のようなもの。旅の先は、今は考えない。

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 勤め人だったら。資産に重きを置いていたら。学校教育を受け入れていたら。この選択はできなかった気がする。家族5人(とヤギ2頭)で、住居が用意されていない研修プログラムにワクワクして参加する夫婦であることが嬉しい。TUP主宰のソーヤー海君のメッセージを見て、呼ばれている気がして、応募してみた。3人枠の募集に、5人家族で申し込んだら(笑)、ヤギも含めて、受け入れていただけることになった。

 つくばで毎年毎年種が蒔かれ、育ち、根を張り、花を咲かせ、実をつけて、種を落とす。そうして繰り返してきた営みが、今年はいすみ市に蒔かれることになった。そうか、ただそれだけのことか。関係各者には、本当にご迷惑やご面倒をおかけすることになる。我が家も、大変動の胎動が始まっている。ホームスクーリングしてるくせに(だからこそ?)、長女とは毎日のように一度は対立する。昨日は妻を泣かせてしまった。両親にはあきれられ(というより理解の範疇を超え)、お世話になった方にも不義理ばかり。

 でも、それでいい。金はない(本当に)。でも世界は十全で素晴らしい。これまでの友人も、これからの友人も、みな素晴らしい。憎らしい人も時にいるように映る。それは自分の鏡だ。本当だ。世界は、本当は調和的で永続的だ。その種は何千年も何万年も前から蒔かれ続けている。それを少しでも広げることが、今の自分に課す喜びだ。妻からは、「自然体とか自然農とかやってるくせに、本当に自分勝手でなんにも日常に活かされてない」とよく言われる。そうなんだ、世界と自分は一緒だ。未熟で、まるでずっとこのままダメなように一見思えて、それでいて同時に、すべての可能性に満ちている。

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 「文化的サバイバルバケーション」

 この春からの、期限のない我が家の旅を、そう名付けてみた。この、内実は排他的で利己的で退廃的な夫婦が、平和的冒険的なコミュニティでまなびあそぶ。「育てる」「食べる」「交わる」「建てる」などのダイレクトな「生きる」プログラムと共に。自然農の延長上にピッタリの、特別休暇的挑戦。

 
 雑草屋として、自然体研究所としては、一旦休憩。だってバケーションだから。だって研修生だから。春から、従来の活動内容的には、少し付き合いが悪くなるかもしれませんが、お許しください。数カ月後にどうなるかは全然読めないけど、継続できるもの、再開できるもの、変化するもの、色々あると思う。それも含めて、どうぞお楽しみに。

 さあ、引っ越しじゃーーーーーー!



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東京アーバンパーマカルチャー
 も是非ご覧ください



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2017年11月10日

醸し交わす

神無月廿二日 晴れ

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 午前中の稲刈りのあと、親友が活動する団体に呼ばれ、出張版「話す・聴く・気づきのワークショップ」を行った。ワークショップという名を使うのも段々違和感を感じてきていたので、「醸し交わす場」として、4時間弱の対話の(厳密にはベーシックエンカウンター的な)時間をコーディネートした。動くと汗ばむほどの晩秋の晴天の昼から時間を紡ぎ、つるべ落としの日暮れまで。


 車座に囲み、互いに存在を許しあい、認め合い、否定せず、そして何よりも自分自身の言葉に耳を傾けていく時間。時に沈黙が10分続くこともある。誰かの問いかけに誰も答えないこともある。しかしその時間を経たあとに手にする、参加者同士の心の繋がりは、いつ開催しても不思議な安心感を覚える。

 今日の場でも、とにかく時間を贅沢に使い、導きもせず、時折の投げかけもしつつも、言葉を待った。用意された答えでもなく、想定していた満足感でもなく、今、ここの気持ちと、互い互いの相互反応によるコミュニケーション。本音も、建前も、気持ちよく折交じり、参加者同士の距離がまたひとつ縮まった。そんな気がした。


 世間での、ファシリテーターという肩書や、エンカウンターカフェという名称もピンと来ない。常識的な「会話」や「交流」の枠を外して過ごす場は、人間という活動体が共鳴しあう「醸造」だ。我々は、誰かしらと出会い、交わり、反応し、変化し、存続する。互いに醸しあい、共鳴していく。そこに仮に進行役のような者がいたとしても、ファシリテーションをする、という考えは自分にはなじまない。自分は、その場に、醸造菌の一人として存在しているのに過ぎない。だとしたらそれはやはり、「醸し交わす」という言葉が一番しっくりくるのだ。

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 効率的な時間や、効果的なコミュニケーションという目的意識を取っ払って、仲間との「醸し交わす時間」に興味関心のある方がいましたら、お気軽にお問合せ下さい。職場でも、サークルでも、家族でも、最低4時間からの開催で、どんな場でも赴きたいと思います。

 
posted by 学 at 21:06| Comment(0) | 学びを知る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

病フリーという生き方

水無月廿七日 曇り

 新しい試みをスタートして8ヶ月が過ぎた。

 さあ、また同じ道をたどるのか。いちから自然農を始めたように、何もないところから始めるのか。既定路線を進むことの心地よさと安心。生じ始めている心の根っこへの気づきと不安。人生のバランス、舵をどう切りたいのか。だから人生は面白い。

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 この8月。あれから三年が過ぎた。2014年の夏、人生二度目のぎっくり腰に倒れ、初めて心身治癒のメカニズムに触れたあの日。あの日から、私自身の、「病気」という言葉への概念が、180度回転した。病い、症状、痛み、苦しみは、ほとんど全てが「心」が原因で発生しており、心にアプローチするだけで、身体現象としての病状は消える。その日からの三年間、薬、病院、医者、外的治療、これらに全くと言っていいほど頼ることのない人生へ生まれ変わることになってしまった。

 病院的治療はもちろんのこと、食事も、運動も、呼吸も、姿勢も、気をかける必要はない。従来の医学的常識はほぼ必要としない。症状の原因は身体ではない。心が原因なのだ。健康という概念が、根本からひっくりかえってしまった。関節の痛み、部位の痛み、痒み、不快感、苦しみ、全て、身体に現れる症状は、心が原因で発症している。現代人は暮らしの中で、自分で気づくことができない無意識的な心の中にストレスをためてしまっている。心の奥底に溜まってしまったストレスが行き場を失い身体へ向かう結果、症状が生まれる。ゆえに、心に今どれだけ負担がかかっているか認識するだけで、症状は消える。

 スピリチュアルでも、民間療法でも、奇跡でもなんでもない。誰かに頼る必要もない。先生もいらない。心身相関のメカニズムを正しく理解し、自分の心との対話を(すっごいシンプルに)日常的にしていくだけ。実際自分は、サーノ博士(John E. sarno,M.D)の本を一冊、図書館から借りてきただけでぎっくり腰が治った。もっと理解を進めたくて、サーノ博士の本をもう一冊、関連している別の方の本を二冊買い、数千円の出費をしただけ。以降この三年、夫婦の医療費はほとんどゼロである。

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(これは1年前だね)


 ・ ・ ・ ・ ・

 2002年8月に、生まれて初めて自然農の畑に出会い、実践者に話を聞いたことを思い出す。それまで環境問題の鬼のように地球環境を意識して会社勤めしていた自分が、自然農の畑で草の中に育つカボチャやトマトを見た瞬間、今までの環境問題意識が180度変わった。人間は、自然環境を管理することはできない。自然の営みの中に、人間が居場所を分けてもらっているのに過ぎないのだと。それからの私は、自然農の田畑に腰を降ろして暮らすこと以外を選ぶことはできなかった。「草の中でこそ持続可能的に野菜は育てられる。」という事実に触れた私は、興奮と喜びで、10年以上を走り抜けてきた。

 そして今。
 「身体に現れるほとんど全ての症状は、心へのアプローチで治癒される。」
 私はもう一つの、コペルニクス的転回を迎えている。概念180度ヘアピンコーナーを抜け、もう後戻りはできない。

 昨年の12月に、心身相関のメカニズムを伝える勉強会「マインドボディヒーリング」を初めてから八ヵ月。医療従事者の友人知人が多くいるのでこっそり続けているが、ぶっちゃけて言ってしまえば、救急治療の処置以外、医療行為は必要ない。現代社会の症状は全て心へのアプローチで対処できる。

 毎日、あるいは不定期に何かしらに悩まされているあなた。
 腰痛?頭痛?肩こり?胃痛?皮膚炎?持病?
 その症状から、ホントに自由になれるよ。

 心身治癒を実践し続けて発見したことがある。我々は、病気、痛み、症状そのものに苦しんでいるのではない。もちろん苦しいのだけど、実はそれよりも不幸な状態に陥ってしまうことがある。それは、病気、痛み、症状を恐れて、自由に行動することができなくなってしまうことなのだ。医学的治療(東洋医学、西洋医学問わず)は、身体にアプローチし続ける以上、その根本的治癒に至ることはない。治療しても、必ず再発する。軽減、遅延、縮小、はできるが、消すことはできない。

 このことは、医学関係者からお叱りを受けるかもしれない。現在闘病されている方にも、怒られるかもしれない。自然農でも同じことが起こる。現代農法、有機農法の方たち、農家さん、農業関係者、様々な方から、否定される。でも実際に、畑は、田んぼは、幸せに育つ。上手くいかないこともたくさんあるけど、でも自然農が育む幸福感は、事実でしかない。だから怒られようと否定されようと、関係なしにやるし、薦める。
 心身治癒もそうだ。実際に、身体への諸症状に対して、心へアプローチするだけで状況が変化していく。スムーズにいくいかないはある。人によって、そりゃあある。でもそこに、真実も存在している。

 農学界は、作物を育てることだけは研究、発展させることはできたが、「持続可能な農のありかた」という問題に、ほとんど応えてこれなかった。同様に医学界も、病状に対処することの研究、発展は十分に進めてきたが、「病状がなぜ発生するのか」という問題には、やはり応えられていない。決して否定ではない。現代医学の否定でなく、現代農法の否定でなく。新たな発見であり、すゝめであり、実践であるだけなのだ。

 小難しいことはいい。例えば自然農の田畑で過ごしているとなんか幸せな気持ちになる。それに理由はいらない。例えばヨガを実践すると、身体の調子が良くなる。それだけでいい。心身治癒法を身につけると、症状への恐怖から解放される。「病(やまい)フリーという生き方」。それがどんなに価値があることか。みんな想像してみて。

 メカニズムを理解して、あとは自分で実践するだけ。セミナー費、受講料、テキスト代も、怪しいグッズも、難しいエクササイズも、お高い健康食品も、いっさいいらない。私自身は、あくまでも研究のために本を購入した。心身治癒法とかなんとかは、勝手に命名した。横文字のほうが広がりやすいかもと思って、マインドボディヒーリングとも名付けてみた。サーノ博士の理論を自分なりに解釈して伝えられる機会として、勉強会を始めてみた。
 自然体研究所として、今はドネーションスタイル、500円(からの寄付金方式)の参加費で、こじんまりと続けている。それをビジネスにする気はない。生きていければいいし、自然農できればさらに嬉しい。

 誰でも、今すぐに、苦しんでいる症状からの自由の切符を手にすることができる。この事を、誰かに伝えたくて仕方がない。大げさでもなく、毎日でも話せる。現に、会う人会う人に、こっそり伝えてきた。
 実はそのせいで自然農の畑がおろそかになってる。草ぼうぼうで、農園プレーヤーさんから怒られてる。何なら休んでもいい。一年くらい休んでもいいくらい、自然農は楽しんできた。やばい、もっと怒られる!

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 きっとみんな、自分のこだわりの治し方がある。自分が関わってきた治し方がある。だから、こんなの全然興味ないかもしれない。医者でも治療者でもないクセに適当言っちゃだめよと諭されるかもしれない。あーあ小松学とうとうあっち側に行っちゃったかと、笑われてるのかもしれない(笑)。

 でもさ、もう40代。会う人みんな、何かしら身体に困ってる。それ、すぐに良くなるのよ。目の前に何かしらの症状を抱えた人がいて、その治り方がここにある。みんながそれに気づけば、世の中が少し変わる。霞がすっと晴れていく。きっとそれは、自然農と同じ道。

 だから思い切ってこうやって書いちゃって、今よりももう少しマインドボディヒーリング、心身治癒法に、力を注ごうかなと思う。そんなに喜ばれなかったら、自分ら家族や伝えられた人たちだけで、そうっと医学的呪縛から自由になって暮らすだけでもいいしね。そんでまた畑に帰ればいい。

 いや、そんなことはないよね。すでに、心身相関のメカニズムへの理解は実はすでに広がり始めている。世界のこの産声は止めることはできない。

 さあ乗り出そう。心身治癒の船へ。誰でも乗れて、定員もなくて、身体と心のダイナミズムにワクワクしっぱなしの世界へ。もちろん、自然農の小舟も並走してるけど(笑)。

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 ※心身治癒(マインドボディヒーリング)についての詳細は、
 「心と体の自然体研究所」をご覧ください。

 ★第一回 MBH(心身治癒)アドバンストコース 開催決定! ★

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2017年07月06日

上手くいってもいかなくても

閏皐月十二日 晴れのち雨

 台風一過。昨日まで、とにかく乾いて、渇いて、仕方のない田んぼだった。

 雨降れど溜まらず。苗を植えても、あるものは根付く前に枯れ、あるものはモグラに掘り起こされ、雨量の少なさを恨めしく思った。水田にモグラ、という半分冗談みたいな事情も、天水田の雨水だよりのこの田んぼならではの出来事。乾く田んぼを憂い、毎年工夫してきた刈草の敷き方も変えた。大地が乾かぬように、植えた苗が乾燥しないように。

 明けて今日。降った雨を蓄えた田んぼは、満ちていた。今季初の冠水。畦道を越えて水が張っている。蛙が鳴いている。雲が水面に写っている。そして苗は、この冠水で浮かび上がった刈草に埋もれて、水面下に溺れていた(笑)。

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 降ってほしい!と願い、降ったら降ったでまた一苦労。

 雨降らなくとも悩み、雨降っても悩む。思い通りであってほしいと願うのは、人のサガ。しかし思い通りなどになった試しはない。上手くいっても上手くいかなくても、結局は大自然と自分(そして繋がりある全ての人)との狭間にある。

 こんな気分のときに必ずと言っていいほど思い出すフレーズがある。
映画「地球交響曲第三番」に出演している、自然保護活動家シリア・ハンターの言葉が私は大好きだ。

 「人生とは何かを計画しているときに起こってしまう別の出来事」
 "Life is what happens to you while you are making other plans. "

 たいそうなことが起きたわけじゃない。思っていた通りには事が進んでいない。田植えは予定の半分どまり。大豆は例年の十分の一も蒔いてない。里芋も生姜も草刈りしてないし、苗づくりしたナスは移植が終わってない。家は片付かない。ビールはやめられない。妻とデートなんてまるで無理。毎日、七転八倒して終わっていく。なんだか書いてるうちに段々楽しくなってきたな(笑)。

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 それでも、明日もまた田んぼに出て、子供らとのスケジューリングに悩み、笑ってご飯を食べて、ちょっとだけ本も読み、寝るんだね。まあそれでいいんだね。


 脈絡はないけど、ここ数日、急に俳句に目覚めた長女の句を紹介。

 〜 うめ(梅)のみが ぽろっとおちたら いいかおり 〜

 〜 は(葉)のしたに かくれているよ かえるくん 〜

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 そんな長女との、夕方の田んぼからの帰り道に、自分も久しぶりに詠んでみた。

 〜 水たまり 空から降りて 来たんだね 〜

 〜 乾田に 忍びて溺れる モグラかな 〜


 ・・・季語もない。長女の初々しい感性が欲しい(笑)。


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2017年05月01日

全滅信号

卯月六日  晴れのち雨

 揚々と4月に種を降ろした、お米の種籾。どういうわけか、待てど暮らせど芽を出さない。同時期に蒔いたつくし農園のプレーヤーさんの苗代では、ツンツンとした、太めの針先のような、特徴的な発芽が、あちらこちらで確認できている。今季は少々足が遠のき気味の田んぼではあるが、さすがにこんなはずはないと、遅すぎではあるが、苗代の鳥除けネットを外してみた。

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 ふか、すか、ぺたん。え・・・。
 播種時に、鎮圧器で丁寧に覆土した表土が悲しいほどに持ち上げられている。スカスカの土を探ると、一粒ずつ指先で整えた種籾が、どこかしらに消えている。発芽しているはずの籾はほぼ見当たらない。これは・・・。

 オケラだ。ここ数年、プレーヤーさんの苗代で猛威を奮っていたオケラの害。自分には無縁だと、なぜかどこかで安心しきっていた。昨年まで少しの被害は出たことがあったが、こんなにも、見事に荒らされるとは。

 稲の苗が、ほとんど発芽させられていない、という事態は、ちょっとした恐怖である。稲作は、年に一度しか作付けできない。その苗が、育っていないというのは、世が世なら、そのまま飢餓を意味する。種まき後に気をかけなさすぎた、あまりにもの自身の太平楽さに、大袈裟ではなく気が遠くなりそうになった。今年の稲の全滅信号が、発令されている。

 いや、はや。

 とはいえ、できることをするしかない。この数日での、巻き返しを。
 米に関しては、蒔き直す種籾を水に漬けて発芽処理を施し、新たな苗代を急ピッチで作り直す。GW中に、必ず蒔き終える。
 穀物の栽培という点に関しては、救荒作物として、黍、高黍を作付する。日本の農事歴はうまくできたもので、稲の苗がこの時期にうまく育たなかった場合に、雑穀類の蒔き時がちょうど5月上旬に訪れるのだ。

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 ※本来なら、こんな具合に発芽がちらほらと確認できる頃・・・。


 自然農の大らかさに包まれ過ぎて、併せ持つ厳しさに感性を鈍らせ過ぎていた。よし、どうせなら、このトラブルを楽しもう。あわてての蒔き直しも、雑穀の種まきプランも、今年に天から与えられた使命として。やるしかねえもの。


 明日から、今回ばかりはサボれないね(笑)。



posted by 学 at 21:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 田の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月11日

種バンク

弥生日十五日 雨

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 〜 半纏を もどして着込む 四月雨 〜


 うららかさが続いたつくばに、冷たい雨がぶり返した。野山を見れば、秋から続いた枯れ色から萌黄色へ。春の主役が桜から山桜へと移行しだす頃、ようやく雑草たちも、畑の表面を賑やかし始める。さあ、種蒔き時は待ったなしだ。

 この4月、今年は田畑以外の時間をすこし増やしてみようと、妻との経営戦略会議にて決められた。そうはいっても田畑で種を待つ声はどうしたって聞こえてくる。カレンダーに用事が入っていない日には、いそいそ足を運びたいのに、このところあいにくの雨模様がつづく。

 畑への未練を残しながら、本日は、この春からの作付け予定にようやく着手した。鬼が笑うどころか飽きれるほどのスロースタートではあるが、昨年畑で育てた自家採取の種を拡げてながめるのも、なかなか贅沢な時間ではないか。

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 トマト、ナス、ピーマン。キュウリ、ゴーヤ、ズッキーニ。大豆、小豆、そして稲。秋に命を宿した種が、春に田畑に還っていく。何も持ち込まず、持ち出さず、耕さず、虫や草と共に育ち、実りの多くは私たちへ、そして幾ばくかの遺伝子は次の季節へ。

 にんまりと、自宅種バンクに保管される種残高を横目に、今年はどのエリアにどの種を降ろそうか、ついつい頬が緩む。肌寒さで、ついつい布団に戻りたくなる気持ちに打ち勝つのは、なによりもこの皮算用の喜びなのかもしれない。


 まあその内情は、雨で室内の籠もりっぱなしの3人の攻勢に圧倒されて、心折られまくりだったんですけど(涙)。

posted by 学 at 17:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

失うものがないのだから

如月廿八日 晴れ

 ぎっくり腰、偏頭痛、ヘルペス、花粉症、肩こり、腹痛。

 これらを一つの治療法で治癒できると言ったら驚くだろうか。
 あるいは、これらの症状は、全て一つの原因から発生する症状だと言っても、驚かれるだろうか。

 しかし現実に、私は一人の医師、一冊の本との出会いをきっかけに、この革命的かつ科学的な治療法で、上記の自分の疾病を克服しつつある。

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 ジョン・E・サーノ博士。日本人の多くにはおそらく耳なじみのない、そのアメリカ人医師はこう語る。心が、身体に起こる諸症状の多くを引き起こしている。その原因はストレスであり、諸症状は、ストレスがその解消を求めて、自分自身に気づかせるために現れる、様々な発現にすぎない、と。


 ぎっくり腰は、背骨の、腰椎の、ずれやゆがみや外傷で起こるのではない。抑圧された心の叫びが、限界を訴えるために起こる、心因性の症状なのだ。

 花粉症は、免疫系の異常反応によって引き起こされる様々な疾患ではなく、抑圧された心の叫びが、解消を求めて引き起こす、心因性の症状なのだ。

 偏頭痛も、肩こりも、胃痛も、ヘルペスも、以下に、同じ文章が並ぶことになる。そしてそれを治すのは、一冊の本を読むだけ。さらに本でなくとも、話を聞くだけでも治癒が可能となる。書籍を読み、もしくは体験して克服した人にその方法を聞き、受けとめ、決意をもって、自分の心と話し合うだけ。たったそれだけで、驚くほどの効果が、訪れるのだ。

 サーノ博士は、「失うものがないのだからすぐに始めれば、必ず良い結果が訪れる」という。一冊の本代、千数百円。私は二冊購入したので数千円。それを、繰り返し読み、納得し、実践するだけ。病院や、クリニックの門を叩いて一回で新渡戸稲造、数回通えば福沢諭吉が飛んでいく経験は、私には恐らく二度と訪れない。

 地道な症例と治療の問答と研究の末に、明快な言葉をもって近代医療の根底を覆そうとしているサーノ博士。ただ残念ながら、いまだにその言葉が世に(特に日本に)広がってはいない。少しずつ、市井の治療者たちの中で、こうしたアプローチが実践され、折々にマスメディアに乗り、浸透は進みつつある。しかしもう、待ってもいられない。

 良いものなのに、世の中にあまり伝わらないのだったら、やってしまえばいい。だから、言葉も自分なりに分かりやすい、伝わりやすい言葉を考えた。心で身体をなおしていくのだから、心身治癒ならどうだろう。ならいっそ、マインドボディヒーリングとでも名づけてみよう。

 そんな想いから昨秋、マインドボディヒーリング講座をスタートさせることにした。
 とはいえ、まだまだ皆さんからは、「マインドボディヒーリングって何?」「心で治すって言われても・・・。」「分かりやすく言うとどういうこと?」と疑問の声を多くいただく。そして先日ようやく、要旨を簡易にまとめた記事を「身体と心の自然体研究所」のHPにアップすることができた。これさえ読めば書籍も、講座も、必要なし(笑)! もの足りなかったら勉強会に遊びにきてくだされ。毎月2〜3回のペースで活動してます。

 より分かりやすく、馴染みやすく、すぐにでも変化が訪れるような、時間になればいいと願っている。


 ↓↓↓ マインドボディヒーリングについては こちらから! ↓↓↓

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  「マインドボディヒーリングとは」 /身体と心の自然体研究所HPより

 
 
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2017年03月21日

自然体研究所 始動!

如月廿四日 雨

 冷たい雨。春分の日の翌日。雨の中、身体を動かさずに、頭の中を練る。

 この春、尊敬する友人たちが研究員メンバーに加わり、「身体と心の自然体研究所」は、いよいよ本格的に始動する。

 身体と心の自然体研究所 HP / Facebook

  
 人が現代社会の中で幸せに生きるためのヒントを、文系理系、肉食草食、東洋西洋、右派左派、過去現在未来、あらゆる分野を遍く照らし、縦横無尽に思考と実践を拡げながら模索していく。一言で言えば、森羅万象の自然体を探求する研究所である。

「自然体」=「自ずからの内発的な作用が、調和的に存在すること」
(Naturally Balanced Existence)

 とは、少々聞きなれない定義かもしれない。
 もう少し詳しく説明すると、人が本来有している自然に発露するべく力(=本来力)が、内的にも外的にもバランスを取りながら、継続可能な状態で発揮されている在りよう、と表現できる。
 もっと噛み砕くと、自分も相手もバランス取れてるのに全然無理してない状態、とも言える。

 「自然体」は、巷でよく流通している「ありのままの状態」とは、そろそろ一線を画すべきなのではないだろうか。自分勝手な、もしくはただの自己肯定としての「ありのまま」ではない。動物として、そして人間として備わる「本来力」に耳を傾け、気づき、それを実践していくことで、自分も、他人も、無理なく共存していけるような「ありのまま」の状態。それこそが「自然体」なのだ。

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 所長として、研究員に求める姿勢はこの7つ。

 ・現代を否定しすぎない。現実の中身本体に目を背けない。
 ・自分を肯定しすぎない。批判、反論を受け入れる。
 ・敵味方で考えない。同調に与せず、矛盾を恐れず。
 ・理性と感性の両方に耳を澄ます。
 ・テクノロジーを過信しない。
 ・スピリチュアルを妄信しない。精神性を他者やアイテムに依存しない。
 ・自然と半自然の間に人間は存在している。


 さあ、毎日が自然農の、もうひとつの毎日が、ゆっくりと帆風を受けて進み始めた。



↓↓ 妻が鋭意製作中の研究所HP ↓↓
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posted by 学 at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然体を練る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月20日

布団と草花の間で

如月廿三日 晴れ

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 花粉症に気を病むことがなくなった春。残される自分の中の最大の障害は、暖かさと優しさと癒しのカリスマ、布団である。

 暁を覚えない季節とは、早春なのか晩春はわからないが、とにかく布団が恋しい。恋しいどころか、この季節は住みたいとさえ思う(笑)。妻には、日本布団党の党首にでもなったら?と笑われるが、当然その時は、副党首は妻であることを告白しておく。

 さて、布団からやっとの思いで抜け出せるのは、それは田畑が待っているから。そして、季節は待ってくれないから(笑)。気がつけば、ツクシ、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、ムラサキハナナ、野の草たちがつくばの春を彩っている。布団に包まって満足していたら、あっという間に春盛り。旬の作付けは桜のように過ぎ去ってしまう。幾重もの未練を立ち切って、なんとか畑にたどり着くのだ。たどり着く先は、土だらけの、ビニルで覆われた、虫も草もいない田畑ではない。そうなのだ。私が自然農でなければならない理由は、せっかくの布団を抜け出たその先に、待ってくれている生命が、溢れているからなのだ。

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 ジャガイモの種芋を切り、草木灰をつけて、畝に降ろしていく。秋の雑草たちの種が降り積もる表土を少しだけ削り、湿り気の残る土の上にカブの種を蒔いていく。4月以降の稲作のために、種籾を並べる苗代を準備していく。どの作業も、この季節、淡い彩りの草花に囲まれた中での、特別の時間。

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 三寒四温の彼岸周りを過ぎ、大量に残るジャガイモの種芋を見て焦り、野花を見て喜ぶ。
 いよいよ今年もまた、生命の巡る自然農が動き始めた。
 
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2017年03月01日

火を囲むように

如月五日 曇り

 先日、友人が我が家に訪れた。
 子供たちが寝静まった後、話をしませんか?と誘い誘われ、静かな語らいの場が設けられた。

 夜食を手元に、時に沈黙し、時に耳を傾け、時に口を開く。

 ぽつり、ぽつり、と、その時、そのタイミングで想いをめぐらせて出てきた言葉。頷きもせず、返答もせず、その言葉に想いをめぐらせて、また誰かが言葉をつむいでいく。

 焚き火を囲むように。月を眺めるように。海辺に座るように。山を歩くように。

 時間にしたら数時間ほどの団欒であったが、なんだか数日間を共にしたような、不思議な連帯感がそこに残った。いや、連帯感というよりは、自分の中にその人がしっかりと位置づけられたような、そんな感覚。 いつもそんなコミュニケーションができるとは限らないけど、ベーシックエンカウンター的な時間は、いつもそんな感覚を連れてきてくれる。

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 今週末の日中、久しぶりの「話す・聴く・気づきのワークショップ」。さて、どんな4時間になることやら。

第33回 話す・聴く・気づきのワークショップ
=2017年3月4日(土) 開催=

 今回のテーマは【自然な生き方・暮らし方】です。
 参加者募集しております。





posted by 学 at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 新しき出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする