注)記事の日付は太陰暦を用いております

2017年03月21日

自然体研究所 始動!

如月廿四日 雨

 冷たい雨。春分の日の翌日。雨の中、身体を動かさずに、頭の中を練る。

 この春、尊敬する友人たちが研究員メンバーに加わり、「身体と心の自然体研究所」は、いよいよ本格的に始動する。

 身体と心の自然体研究所 HP / Facebook

  
 人が現代社会の中で幸せに生きるためのヒントを、文系理系、肉食草食、東洋西洋、右派左派、過去現在未来、あらゆる分野を遍く照らし、縦横無尽に思考と実践を拡げながら模索していく。一言で言えば、森羅万象の自然体を探求する研究所である。

「自然体」=「自ずからの内発的な作用が、調和的に存在すること」
(Naturally Balanced Existence)

 とは、少々聞きなれない定義かもしれない。
 もう少し詳しく説明すると、人が本来有している自然に発露するべく力(=本来力)が、内的にも外的にもバランスを取りながら、継続可能な状態で発揮されている在りよう、と表現できる。
 もっと噛み砕くと、自分も相手もバランス取れてるのに全然無理してない状態、とも言える。

 「自然体」は、巷でよく流通している「ありのままの状態」とは、そろそろ一線を画すべきなのではないだろうか。自分勝手な、もしくはただの自己肯定としての「ありのまま」ではない。動物として、そして人間として備わる「本来力」に耳を傾け、気づき、それを実践していくことで、自分も、他人も、無理なく共存していけるような「ありのまま」の状態。それこそが「自然体」なのだ。

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 所長として、研究員に求める姿勢はこの7つ。

 ・現代を否定しすぎない。現実の中身本体に目を背けない。
 ・自分を肯定しすぎない。批判、反論を受け入れる。
 ・敵味方で考えない。同調に与せず、矛盾を恐れず。
 ・理性と感性の両方に耳を澄ます。
 ・テクノロジーを過信しない。
 ・スピリチュアルを妄信しない。精神性を他者やアイテムに依存しない。
 ・自然と半自然の間に人間は存在している。


 さあ、毎日が自然農の、もうひとつの毎日が、ゆっくりと帆風を受けて進み始めた。



↓↓ 妻が鋭意製作中の研究所HP ↓↓
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2017年03月20日

布団と草花の間で

如月廿三日 晴れ

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 花粉症に気を病むことがなくなった春。残される自分の中の最大の障害は、暖かさと優しさと癒しのカリスマ、布団である。

 暁を覚えない季節とは、早春なのか晩春はわからないが、とにかく布団が恋しい。恋しいどころか、この季節は住みたいとさえ思う(笑)。妻には、日本布団党の党首にでもなったら?と笑われるが、当然その時は、副党首は妻であることを告白しておく。

 さて、布団からやっとの思いで抜け出せるのは、それは田畑が待っているから。そして、季節は待ってくれないから(笑)。気がつけば、ツクシ、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、ムラサキハナナ、野の草たちがつくばの春を彩っている。布団に包まって満足していたら、あっという間に春盛り。旬の作付けは桜のように過ぎ去ってしまう。幾重もの未練を立ち切って、なんとか畑にたどり着くのだ。たどり着く先は、土だらけの、ビニルで覆われた、虫も草もいない田畑ではない。そうなのだ。私が自然農でなければならない理由は、せっかくの布団を抜け出たその先に、待ってくれている生命が、溢れているからなのだ。

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 ジャガイモの種芋を切り、草木灰をつけて、畝に降ろしていく。秋の雑草たちの種が降り積もる表土を少しだけ削り、湿り気の残る土の上にカブの種を蒔いていく。4月以降の稲作のために、種籾を並べる苗代を準備していく。どの作業も、この季節、淡い彩りの草花に囲まれた中での、特別の時間。

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 三寒四温の彼岸周りを過ぎ、大量に残るジャガイモの種芋を見て焦り、野花を見て喜ぶ。
 いよいよ今年もまた、生命の巡る自然農が動き始めた。
 
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2017年03月01日

火を囲むように

如月五日 曇り

 先日、友人が我が家に訪れた。
 子供たちが寝静まった後、話をしませんか?と誘い誘われ、静かな語らいの場が設けられた。

 夜食を手元に、時に沈黙し、時に耳を傾け、時に口を開く。

 ぽつり、ぽつり、と、その時、そのタイミングで想いをめぐらせて出てきた言葉。頷きもせず、返答もせず、その言葉に想いをめぐらせて、また誰かが言葉をつむいでいく。

 焚き火を囲むように。月を眺めるように。海辺に座るように。山を歩くように。

 時間にしたら数時間ほどの団欒であったが、なんだか数日間を共にしたような、不思議な連帯感がそこに残った。いや、連帯感というよりは、自分の中にその人がしっかりと位置づけられたような、そんな感覚。 いつもそんなコミュニケーションができるとは限らないけど、ベーシックエンカウンター的な時間は、いつもそんな感覚を連れてきてくれる。

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 今週末の日中、久しぶりの「話す・聴く・気づきのワークショップ」。さて、どんな4時間になることやら。

第33回 話す・聴く・気づきのワークショップ
=2017年3月4日(土) 開催=

 今回のテーマは【自然な生き方・暮らし方】です。
 参加者募集しております。





posted by 学 at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 新しき出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月27日

ヴィパッサナー 10days

師走丗日(旧暦大晦日) 晴れ

 とても暖かな、冬の休息日。今日は旧暦の大晦日、明日は新月、睦月の始まり。

 月の暦に合わせての新年を迎える前のこの十日間、ごく個人的に、ヴィパッサナー瞑想実践の日々を過ごした。朝5時半過ぎに起き、6時から1時間強の瞑想を行い、それ以降は通常通り生活し、就寝前にも瞑想する。食事は昼以降は取らない。数年前に瞑想センターで体験した十日間のプログラムを、勝手に、ではあるが友人と共にサテライトで実践し(メールで同時進行で瞑想するなど)、その他にも八つの戒律も守って過ごした。そして今日、大晦日を迎える。

 ヴィパッサナー瞑想についての詳細はここではしないが(※後述)、この十日間を過ごしての感想は、瞑想実践の充実度と共に、禁酒の十日間と毎朝の夜明け前起床が、何よりも新鮮であった。

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 夏の作業時の早朝起床は、日中作業ができない故の必然的かつ半ば強制的な選択である。しかし真冬。勤め人でもなければ子供の通学時間に追われることも無い、自営業兼ホームスクーラーにとって、冬の明け方に布団を這い出す理由などどこにも無い。現に我が家は、この一ヶ月以上、8時以降起床、朝ごはんは9〜10時という素晴らしい生活スタイル。冬に早起きする理由など、どこにも無いのだ。だって畑さ行ったって土凍ってから(笑)!

 そして毎日、安酒を晩酌。

 自堕落にも程がある、といった声も聞こえてきそうだが、自然農、自然体、自然食、自然育児、を突き詰めていった結果が、この暮らしなのだから仕方がない。家族5人、しばらくはこのスタイルで突き進んでいく。

 
 矛盾するようだが、この暮らし、この方向性に、ヴィパッサナー瞑想が加わるとどうなるか、という化学反応をこれから楽しんでいきたいのだ。いつしか書いたが、心の自然体を探求していくと、ヴィパッサナー瞑想にたどり着く。ブッダが紐解いた、心と身体の究極の真理。自然体研究家としての自分が取り組む課題として、どうしても避けては通れない人生の大目標の一つなのだ。

 自然農は、田畑との取り組みの継続の上にしか成り立たない。全く同様に、ヴィパッサナー瞑想は、瞑想の実践の継続の上にしか成り立たない。自然体とは、生まれながらの自由でラクチンなワタシ、ではなく、本来流れ進む澱みなきところを目指しながら黙々と歩き続ける、「バランス感覚」である。

 今後も、酒も飲むだろう。布団も大好きだろう。その一方で、ブッダの爪の垢ほどでも真理に近づきたいという思いを携えて、自然農と、家族と、自分の運命とともに、瞑想も続けていきたい。


 瞑想して、それでどうなるの?とか
 それって世界平和に、社会貢献につながってるの?とか
 お前大丈夫?とか

 色々な声もまとめて、これからも「毎日が自然農」を続けてまいります。

 とりあえず、十日間は終了! 一日一食も続けたせいか、腰周りの肉がだいぶスリムになってしまった。もうちょっと脂肪蓄えてこの冬乗り切らないとな。酒も夜食もしばらくは解禁して、自堕落と瞑想の狭間にしばらくは埋没します。そしてまた、誰に言うでもなく歩き始めます。

 まずは、(太陰暦ですが)新年あけましておめでとうございます。そして十日間付き合ってくれた家族、妻に大感謝。そして、生きとし生けるものが幸せでありますように。



★ちょうど同じ時期、妻はこんな日々を過ごしていたようです。
「なにもしなくてもいいんだよ」

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 ※ヴィパッサナー瞑想については、こちらのHPをご参照下さい。
  【ヴィパッサナー瞑想:ダンマーディッチャ

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2017年01月11日

月の声

師走十四日 晴れ

 
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 月の満ち欠けにあわせて農を営む。という今年度の試みは、三割成功、七割未達、といったところだろうか。

 一ヶ月の半分の、新月から満月へ月が満ちていく時期、もう半分の欠けていく時期、大まかに言えばその区分で、植物の生育へ異なる影響がある。そのことを耳にしてからおよそ十年、ようやく自然農の営みの中にそのサイクルを取り入れていこうと決め、無理やりながらつくし農園のプレーヤーさんにもお付き合いいただく形で、今年度の集合日を月2回に増やしてみた。

 結果としては、まだ「わからない」。その理由を自分なりに清算してみるならば、月の満ち欠けが成育に影響を及ぼす割合が、今の自然農の畑の成熟度や成長曲線に比べて、低いからではないだろうか。現段階の農園の様子を大雑把に表現すると、区画や畝一つ一つによって、成育の様子ががらりと異なる。整い始めてきた区画では、彩り豊かに収穫が見込まれてきた一方で、まだまだ雑草の勢いに負けていたり微生物の活動が活発でなかったりなど野菜を上手に育てられない場所も多い。その、母なる土壌の成熟度による育ち具合の変化率は大変顕著であり、育つ育たないは、やはりその度合いに大きく頼らざるを得ないようなのだ。月の満ち欠けに手をかけ始めたばかりで明言はできないが、月の及ぼす影響は、土壌の成熟の上にたって初めて、差を感じられるのではないだろうか。

 であるなら、「わからない」というのは、正確ではない。自分の耳に、まだ「聴こえてこない」という方が正しそうだ。月の引力による、生命への影響はきっとある。動物としての自分のバイオリズムなども含めて、もちろん植物にも影響している。しかし、その繊細かつ巧妙な仕掛けに応じられる自分の準備が、まだ整っていないのだ。

 身体術やヨガ、瞑想を深めていくと、始めた頃には気づかない、微細な身体の差異や変調に気付くことが増えてくる。自分の中には最初から存在していた「身体の声」に、最初は気付くことができなくても、時間をかけて耳を澄ましていくなかで、少しずつ聴こえる感覚が育ってくる。

 自分には、自然農の畑に絶えず降り注いでいる「月の声」を聞き分ける耳が、まだ育っていないのだ。しかしそれは、耳を澄まし、心を傾け続けることで、きっと聴こえ始める時が来るのだと思う。差異が「わからない」のではなく、まだ「聴こえてこない」だけなのだから。


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頬の膨らみとカブ、どちらも美味そう(笑)。




 というわけで、今年度、月二回開催していたつくし農園の集合日を、来期(2月スタート)からまた月一回に戻すことにする。月との語らいをやめるわけではない。聴こえていないことを聴こえているように振舞うのが何よりイヤだし、その楽しみは、もう少し後にとっておきたいと思うのだ。自分だけ、家族だけで、ああでもないこうでもないと楽しんだ先に陰陽と自然農の上手な付き合いが見つかるならば、その時まで待つことにしよう。

 そういえば明日は満月。満月から新月にかけては、土中の芋類などの収穫、保存にふさわしい時期とされている。明日以降、アピオスや菊芋の収穫を再開しよう。新年ぼけして田畑からついつい足を遠ざけ気味な毎日に、満ち欠けを理由に背中を押してもらおう。そう、今年度の三割成功とは、月の動きを意識することで、サボりがちの季節ごとの農作業に発破をかけてもらえたことなのだから。


 そんなこんなで、2017年度。つくし農園のプレーヤー募集がスタートしました。

 耕さず、農薬肥料を持ち込まず、虫や草を敵とせず、月の声に耳を澄まし、自然の営みに応じた農のあり方。小松学流の、自然農。今年もそろそろ芽吹き始めます。

 
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 元旦に浮かぶ四日月。これからたった十日ほどで、月は満ちる。



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2016年12月21日

楽しくなってきました♪

霜月廿三日 晴れ

 先日の月曜日、つくし農園、こぐま塾アグリコースの合同作業日。朝からの、米の脱穀、唐箕選別、大豆の脱穀、精米を、皆さんと一緒に過ごし、たっぷりと藁屑やら土埃にまみれて夕日を浴びる。

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 日が暮れるまでに予定していたすべての作業を終えるところまではいかなかったが、なんとか、皆さんひと段落つくところまで進め、米袋、大豆袋それぞれに今年の収穫を詰めることができた。まずは、よかったよかった。

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 子どもとすごす自然農体験、という意味では、その日は作業がいっぱいいっぱい過ぎたかもしれない。子どもたちは自由に遊びながら適度に甘えにきたり、という感じで、親子共にでの自然農体験は1〜3割程度ではあったんだけど、親が真剣に取り組む場所(しかも食うことに直接つながっている場所)で子どもがその背中を眺めて育っていくというのは、やっぱりそれなりに意味があるんだと思う。まあ我が子らは、飽き飽きしているのかもしれないけどね(笑)。


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 さて本題。その日暮れまでどっぷりの農作業のあと、「マインドボディヒーリング(心身治癒法)」の勉強会を開いた。

 2時間の勉強会を終えて、参加者のおひとりから、「参加前まで痛みがあった腰痛がなんだか消えていて、代わりに肩に痛みが移ってきたので、ああこれか、と思いながら対応してみました♪」という感想があがった。

 改めてになるが、この勉強会は対症療法的な医療行為ではない。痛みの原因、症状の原因は「心に発生するストレス(イヤ!)の蓄積」だと解釈して、その仕組みを理解し、認識し、対応して、症状の発生を少しずつ変化させていく、体質改善的なプログラムである。痛みや症状を「抑えよう」として対応するのではなく、痛みや諸症状を引き起こす要因としての「ストレスの蓄積」を日常生活の中で変質させていく。というのが、マインドボディヒーリングであり、参考書籍を著した”ジョン・E・サーノ氏”が解説するTMS理論であり認識療法なのだろう。

 とはいえ初めての勉強会の中で、理論の講義と合わせて、参加者ご自身が諸症状とストレス群とリストアップするというワークプログラムを過ごした結果、少しでも改善の兆しが訪れたのは、いい意味で「予期せぬ」喜びであった。


 「自分が体感して、本当にいい!」と思ったから少しずつ伝えていきたい。それがマインドボディヒーリングの勉強会の出発点だ。自然農に心を奪われて、自分が始めてしまっているついでに体験農園の場を開くことにしたという経緯と、とても似ている。とはいえ、自然農がもちろんすべての人にとって「心地よい」アクティビティではないように、マインドボディヒーリングは、身体の症状に悩む人にすべてにとってマッチするプログラムではない。だから自然農と同様、「心にピンときて、それがホントにフィットするなら、やってみればいい」のだと思う。肥料も農薬も耕運機も使わずに野菜が育つ。治療も薬も用いずに症状が変化していく。それを体感してきた人間が、こっちは結構面白いよ、とついつい誘ってしまっているのだ。

 さて、好評いただいた第1回を終え、しばらく継続してマインドボディヒーリングの勉強会は続けることになりそうだ。腰痛、頭痛、肩こり、花粉症、歯痛、眩暈、胃痛、鼻炎、あげればきりがないけど、自分で改善させていくことことにワクワクしたい方、きっとストレス溜まってるんだろーなーって方。一度触れてみてはいかがでしょうか。

 色々調べられたい方は
「サーノ博士のヒーリングバックペイン」
「心はなぜ腰痛を選ぶのか」
「腰痛は心の叫びである」
などの書籍の他、「TMS理論」「認識療法」「心身相関」などで検索してみてください。


 「なんだか楽しくなってきました♪」

 勉強会の中での実践ワークのひとつ「イヤ!チェックリスト」の作成後に、参加者がもらした一言。そうなのだ、そこまで来たら、次は症状が楽しみになってくる。身体の症状は、心のサインなのだから。それに気づいてあげることは、苦しさよりも、むしろ楽しさに近い感覚なのだ。

 だからこそ人生は面白いし、ワクワクする。身体と心の自然体は、楽しさと共にある。

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2016年12月09日

マインドボディヒーリング 【花粉症編@】

霜月十一日 晴れ

 花粉症を、自身のストレスを意識することで変化させていくことができる。
と言ったら、花粉症のあなたは怒るでしょうか。

 医療従事者ではない私が、治るとか、治せる、とかいう言葉は、たぶん薬事法のようなものに抵触するので書けませんが、自分としては胸を張ってオススメできる方法があります。しかも、薬とか、食品とか、ヨガとか、健康法とかではなく、ただ話を聞くか、本を読んで、自分で実践する、ただそれだけ。

 少なくとも、花粉症の症状を、以前よりも変化させることは、可能です。

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 それは1冊の本との出会いから始まりました。2年前の夏、急性のぎっくり腰に襲われた私が、治癒の為に手にした「サーノ博士のヒーリングバックペイン」。腰痛に始まる、ある類いの身体症状は、深層心理的なストレス負荷によって引き起こされる、という極めてシンプルなメッセージで一貫されたその本は、私の腰痛を10日前後で解消させ、それ以降の大まかな身体症状を、サーノ博士の理論に基づいて克服してきました。
 腰痛、寝違え、ヘルペス、花粉症、胃痛、偏頭痛、などなど。私の効果に魅入られた妻も、自身の歯痛、眩暈、腰痛、肩こり、などに応用させて、症状の変化を楽しんでます。

 本当は、本丸の「腰痛」からスタートさせたいところですが、腰の症状はいろいろと厄介な分野でもあるので、いわゆる「生活習慣」的な要素も多分に関連している、花粉症をテーマに勉強会をスタートさせることにしました。


【花粉症対策としてのマインドボディヒーリング講座】


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と き  :12月19日(月)18時30分〜20時30分
※以降、毎月2回ほどの開催を予定※

と こ ろ :竹園交流センター 小会議室2
(茨城県つくば市竹園3−19−2)

参 加 費 :500円(会場代・資料代として)
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12月下旬から春までの、月2回ほどの公開講座です。
簡単なストレスチェックから始まり、日常生活における自分の心の負担が、
花粉症を発症させるに至るプロセスを紐解いていきます。
座談会方式で、テキストとなる書籍を参考に、対話と自己観察をベースに時間を過ごし、
来る花粉症の季節に備えて、自分の身体と心の変化を楽しんでいきましょう。

副作用として、花粉症に限らず、腰痛、頭痛などの持病的な症状にも、
変化が起こることがありますのでそれも楽しみに。

詳しくは、Facebook の公開イベントページをご覧下さい。
ご参加承っております。




 自然農のフィールドの中で、自然のメカニズムには必ず自発的に癒しのプログラムが内在されているはずと体感してきた私が、自分の腰痛体験を経て気付かされた身体と心の相関関係。アメリカの医師、ジョン・E・サーノ博士はじめ、多くの人たちが心身相関の身体症状について研究を進められています。それらをゆるやかにマインドボディヒーリングと呼び、今後も、自然農の暮らしの中で探求していこうと思います。

 いよいよ、身体と心の自然体研究所「ワンダーフルネス(仮)」の対外的な最初の試みがいよいよスタートです。わくわくわくわく。さてさてさて。


※「研究所」への所信表明はこちらから(笑)。

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2016年10月12日

正解を求めない

長月十二日 晴れ

 今の畑に自然農の手入れを始めてもうすぐ10年が経つ。ようやくサツマイモが、唐辛子が、ナスが、ピーマンが、実感をもって育ってくれるようになってきた。トマトも、キュウリも、オクラも、種を蒔いて、育てて食べるという喜びが、自然農の作業の中についてきてくれるようになった。

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 耕さず、虫や草を敵とせず、農薬肥料を必要としないで、人の力と自然の営みの中で育まれる農のあり方。自然農に、明確な定義はない。もしくはそうした農のあり方に、「自然農」という決まった言葉がなくても良い。千差万別、十人十色の自然感、エコロジー感と、持続可能性を前提とした大自然の采配が合い混ざって、一人一人の「自然農」的な栽培方法、農スタイルが存在してくる。
 古武術的な身体の使い方には「正解」という画一的な方法があるのではなく、個性に応じた「最適解」を探求する姿勢こそが求められる。自然と共生する農のあり方も、これと同様に「正解」はない。

  
 畑に実りが訪れてくれるようになって、それまでの積み重ねを振り返り、いったいどうして育ってくれるようになったのかを考えることがある。もしそれがわかるなら、その手法を確立したい、みんなに伝えたい、教えたい、のような気持ちがむくむくと沸き上がる。そして気がつくと、妻に、友人に、ああだこうだと、「今」の推論をわかったつもりで話してしまっている。
 しかし自分は実は何もわかっていない。川口由一さんが、福岡正信さんが、木村秋則さんが、ビル・モリソンさんが、そしてもちろん多くの余人が積み重ねてこられた、自然と共生可能な農のあり方のそれぞれの「最適解」をヒントに、それを現在進行形で探求しながら楽しんでいるだけでしかない。誤解を恐れず言えば、「わかりたい」とは思っていない。今の畑に立ち、季節を感じ、種を降ろし、草を刈り、育つと育たないの合間に過ごす。自分の個性として続けてきた、今日までの自然農的な応じ方の結果として、作物が育ってくれるようになってきたのは嬉しい。やっぱりね、嬉しいよ。「肥料入れなきゃ育つわけない」「耕さなくて育てるなんてありえない」「育たないのになんで続けるの」なんて声が気にならなかったと言えば嘘になるから。だからこそ、育つぞこのやろう、肥料も農薬も耕運機もなくて育てられるぞこんちくしょう、とも思っている(笑)。
 とはいえその一方で、肩を落としたくなるくらいに壊滅的に下手くそな、ニンジン、タマネギ、白菜、キャベツ。まだまだ、悲しいくらいに手応えが反ってこない。

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 自然農的な栽培を実践する方々の声に耳を傾けると、本当に多くの知恵と気づきが溢れている。そこには、真に迫ってくる「正解」のような技術、手法が存在する。そしてそれは今の世の中、簡単にWebを通じて目にすることができるし、実際に訪問して覗くこともできる。それらに触れると、ワクワクし、興奮し、想像力と好奇心が沸き上がってくる。試してみたい、なるほどそういうことか、自然の懐は深いなあ、皆さん視野が広いなあ、と心が動き、自分なりに咀嚼した上でおいしいとこ取りしていく。

 そういう意味では、苦手としている上記の野菜たちにも、すぐに結果があらわれるような正解が存在するかもしれない。しかしそれはきっと自分自身の最適解とは、少しだけ離れて存在する。そしてその最適解は、きっと「わかる」ではなく、「訪れる」という姿であらわれる。今年の畑に訪れてくれた、ナスやピーマンや、唐辛子たちのように。まずは肌感覚として、それに加えて若干の、自分なりの系統的な理解もブレンドされて。
 もちろん、この最適解はいまこの瞬間のものであり、畑が変遷していくなかで自分と共に常に進行していく。だからそれは変わりもするだろうし、あまり変わらないかもしれないし、どっちでもいい。重要なのはただ、嬉しい畑、心地よい畑に立てる自分でいられるように向き合うこと。今までもそうしてきたように。これからも。

 自然農での上手な育て方を知りたい、わかりたいという思いはそっと横に置いて、「こうかも、ああかも、良い感じ、つかめた気がする」的なアプローチ。こうした試行錯誤の積み重ねを、大自然の摂理の足元で甘えながら続けていきたい。うまく育ってくれた時も、うまくいかなかった時もまるごと含めて。その道のりこそが、自分にしか楽しめない自然農だから。

 これが自分なりの自然農の「最適解」であったからこそ、地位も名誉も収入もない中で、笑って生きていけるんだと思っている。

 さあ、エンドウ、空豆、カブに麦、秋後半の種まきが、また始まる。


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2016年09月14日

自然農体

葉月十五日 曇り

 息子が産まれて一ヶ月。
 炎天の8月は過ぎ、さめざめとした秋雨が続いている。


 人生で何度あるかないかの「自宅出産」のため、この7月と8月は、ほぼ完全に「休業」していた。貨幣を稼ぐという生産活動には全く取り組まずに、生命を次に繋ぐという生産活動にのみ心身を費やした。夫婦ともに。内実をさらせば、貯金を切り崩しての生活。田畑にもひどい時は2週間出られず、産後も妻と子供らと過ごし、野良仕事は数日おきに数時間という状態だった。一生のうちの、特別ボーナス期間だと理解してはいたものの、なんとなく、心も体も、そわそわしていた。

 つい先日まで、そのそわそわの正体は「稼いでいない」からではなく、「ほったらかしにしていた」からだ、と考えていた。田畑に育つ、稲や野菜たちに手が掛けられず、申し訳ない。そんな気持ちが、そわそわの原因なのではないかと。

 そしてこのところ、ようやく田畑に戻る時間が増えてきた。そのなかで、少しずつ、気持ちが落ち着いてくる感覚を覚えるようになってきた。

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 人には、自分のベストコンディションを整える、習慣的な行動のようなものが感覚的に染み付いていることがある。意識したことはなかったが、自分にとってのそれは、適度に自然農の田畑に没頭することなのかもしれない。娘、息子たちとの時間、妻との時間も同様に大切ではあるのだが、自然農の大地に降り、自然農パワーをチャージする。自分は勘違いしていた。畑にでて、雑草を手入れし、種を降ろし、自分が農園を管理しているかのような上から目線の日々は、実は違っていた。そうではない。自分自身こそが、エネルギーをもらい、癒され、畑から恵みを分けてもらう日々だったのではないか。
 
 だとしたら、そわそわの正体とは、「稼いでいない」からでも「ほったらかしにしていた」からでもない。それは、自然農の田畑から遠ざかる日々で「生命力を十分にチャージできずにいた」からだ。

 つまり自分の体はもう、自然農なしには、生きていけない体になっていたのね。今や俺は、自然農の田畑から生命エネルギーを吸収して生きる、自然農体となったのだ(笑)。


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 いやー、自然農に出会ってからもう十数年。おもえば遠くに来たもんだ。父さんは自然農体を手に入れたよ。妻よ子どもよ、こんな父さんについてきなさい。さすれば君らももれなく自然農体になれるでしょう♪


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2016年08月09日

リオとつくばの間で

水無月七日 晴れ(猛暑)

 テレビも新聞もスマホもなく、かろうじてタブレット端末と自宅PCが外部との接触手段という我が家。リオオリンピックも、東京都知事選も(あと何か喧騒的な時事はある?)ほとんど風のように通り過ぎていく。我が家に出入りする親類や友人、FBでの友達の近況、すれ違うご近所の爺さん婆さんおじさんおばさんの声かけ、ニューストピックで流れてくる天皇陛下のお言葉など、断片的な社会との交流がありながらも、基本的には自分、妻、長女に次女、そして先月末に自分の手の中に産まれてくれた長男の、5人家族で、つつがなく、おしみなく、せちがらく、一日一日を過ごしていく。

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 予定通り、準備通り、願い通り、運のはこびよく、「自宅出産」という、現代では奇異扱いされがちではある、悠久の人類史が弛まなく編んできた人間誕生の基本中の基本を、家族という最少単位で執り行うことができた。出産後の大変大切な時期を過ごす妻からの「出産顛末について」はまた後日に譲るとして、とにかく、今我が家は、産まれて十一日目の新生児と大仕事を果たした(かつ母体回復というタスクに取り掛かり中の)妻を中心に、家事育児担当の自分、イヤイヤ期と可愛さ担当の次女、祖母との長期旅行(曾祖母の家への帰省)から帰って間もないプチ反抗期担当の長女、そしてウンコとゲップ絶好調の長男が、オリンピックさながらの一大スペクタクルを日夜演じている。

 飽きる暇など、ない。


 日本はこれからどうなるのか。民主主義とは。政治とは。行政とは。原発は。経済は。サッカー日本代表は。いったい自分の人生で、手に負える外部環境とは、どこからどこまでなのか。


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 40歳となった一昨日の誕生日。自分としては息子が産まれて九日目の日であり、長女が祖母と旅行から帰ってくるただの一日として過ごした。朝飯を作り、布オムツを洗濯し、次女をプールに連れて行き、ちょっと昼寝し、長男のオムツを替え、妻をねぎらい、祖母たちを駅に迎えに行き、夕食を作り、皆で食べ、寝かしつけ、妻と読書して過ごし、晩酌し、寝る。そんな一日だった。

 明けて40歳と二日目。朝。義理の母の滞在に甘えて、久しぶりに田んぼと畑に数時間ほど出かけられた。田んぼの気になるところだけを草刈りし、大豆畑を草刈りし、今年実りの良いナスとピーマンを収穫し、ちょいちょいちょいと雑草猛々しくも嬉しい自然農ランドで充足し、汗まみれで、家族の待つ家へ舞い戻った。

 そして今日。草刈り、餌やり、飯炊き、洗濯、わやわやわや。気がつけば晩酌のビールを流し込んでいた(笑)。

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 この今の自分に、6日のヒロシマや9日のナガサキを祈り情報発信する余裕もないし、誕生日を舌舐めずりする時間もないし、オリンピックも、大好きなサッカー観戦も、国政も、片足つっこむ暇がない。

 畑のトマトは彩り初め、ナスやピーマンが(農園開始9年目で)ようやく実りを見せるようになり、一方で雨の少ない田んぼでは稲の生育にヤキモキし、そして何よりも今、産まれた赤子が生命力をたぎらせて、この世界に出会い始めている。この世界を代表する我々両親は、全肯定的な世界を彼に見せていきたい。たとえ目の前の長女や次女を叱り飛ばすことがあっても、それでも我が家はハッピーなのだろう。そしてそこから広がる世界もハッピーなんだろう。と人生をかけて伝えていきたい。

 
 自然農の田畑は、媚びない。世論にも、流行にも、経団連にも、自公政権にも、ロハスにも、スピリチュアルにも、決して媚びない。微生物が、草が、虫が、作物が、そしてそれに寄り添う人間が、「調和」と「永続性」という使命感を共有して、千変万化しながら続いていく。価値の上下とか、政権の是非とか、主張の正否とか関係なく、自然界の命の営みの都合と人間のエゴの都合の最良解の狭間を、行ったり来たりしながらバランスをとって存在していこうとする。ただ、自然界の「自ずから然からしむる」だけでなく、今現在関わる当人、本人の外部と内部をひっくるめての「在りよう」が見事に展開されるフィールド、それが「自然農」なのである。

 不惑。40歳がそうであるなら、自分は何に惑わずなのか。それは、「世界は自分の外側にあるのではなく、自分の内側にある」という確信かもしれない。今もこの、自分以外の家族全員が寝静まった家の片隅でキーボードをたたきながらの日常、そして田畑にはぐくまれる作物とその他大勢の動植物の営み、それこそがリアルな自分の内側である。それ以外のWEBやマスコミを賑やかせる様々な情報群は、それにオマケとして付随する外側なのだ。

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 自分を、家族を、身の回りを、大切にしすぎない。
 自分の遠くを、反対意見を、苦手な存在を、心に留めすぎない。
 
 自分から、そして少し周りにある家族から、そしてまた少し身の回りの誰かから、という、自然体の幸福の連鎖をつなげていくこと。一足飛びに、日本国の、世界の理想的な平和ではなく、伴侶の、家族の、生きる道のりを共に歩む。と全くの同時に、世界の調和が進行していく。それは決して矛盾しない。

 ありがとう畑。ありがとう田んぼ。そしてありがとう友、ありがとう家族。



posted by 学 at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 地に足つけて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする