注)記事の日付は太陰暦を用いております

2012年02月22日

道中より

如月朔日 天気知らず

第四候(新暦2月19日頃〜2月23日頃)
【土脈潤起(どみゃくうるおいおこる)】
=雨が降って土が湿り気を含む=



 先日からしばし、つくばを離れています。もとより、旅は嫌いではない。旅行や、リゾートや、ツアーではなく、半ば入り口がそうであっても、内容を旅(のようなもの)にしたがるような粗野さが、自分にはまだ残っている。もちろん、目指す場所や過ごす内容や、期待する充実感をなぞる事で得られる喜びや楽しみもあるにはあるが、本当の旅の醍醐味とは、目的と予定調和の狭間で起こる、生の自分に起こる反応や感覚であり、どこかでそれを求めてしまう自分がいる。

 旅の位置づけが難しいのは、いつもの日常生活の中には旅ほどのライブ感を持ち込むことができなくなってしまうが故に、休暇で過ごすそうした旅にことさら非日常感を盛り付けてしまい、あくまでも旅と日常を無意識に切り離してしまうことがよくあるからである。そうした時に旅は、単なる気分転換であり、または一つの目的達成ゲームであり、せっかくの生き生きとした感性を手にした先に、まったりとした日常が上書きされるという繰り返しに陥ってしまう。若い時分に鼻息荒く口にした「人生とは旅だ」などというどこにでも溢れているようなセリフを今更持ち出したくもないが、時間をやり繰りして手に入れた余暇としての旅を、非日常のワンシーンに納めてしまわずに折々にその感覚を日常に照らし、自分と世の中を眺める感性を思い出す手段として携帯したいと思っている。 

 時間をかけて距離を移動し、普段では目にしない手にしない環境に触れてその新鮮な感覚を楽しみとするのが旅であるとすれば、実はそれは距離や時間に制限されない、という点も旅の本質であり醍醐味である。20代に時間と距離をかけて這いずり回った異国の放浪も代用のきかない経験ではあるが、自分の感性さえ、探求性と感受性を鈍らせていなければそれはいつでも、どんな場所でも、手にするチャンスはある。それは一つには自然農の田畑であったり、古武術的な体の使い方であったり、動物の行動に思いをはせるトラッキングであったり、それらは身の回りにすでに内在し、いわゆる普通の日常に隠れているインナートリップである。内側の声、すでに在るものへの気づき。その無限の広がりへの好奇心を手にしたとき初めて、人生はもしかしたら旅のようなものかも知れないとようやく言えるようになるのではないだろうか。

 今どこに居るのかって? さあどこでしょ。 留守を預けて、田畑も山羊も置いて、自然農をしばし手放して、どんな旅になっているのか。自分でもわかりませんゆえ。出発前に書いたこの記事がちょっとした置き手紙になっていますが、また戻りましたらどうぞよろしく。

 
2月15日の出発を前に記す




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== 1月の旅 雪の斜面もまた旅なり ==
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2012年02月14日

春準備雑感

睦月廿三日 曇りのち雨

第三候(新暦2月14日頃〜2月18日頃)
【魚上氷(うおこおりにのぼる)】
=割れた氷の間から魚が飛び出る=


 種を播くには早く、種を播く時期をただ待つわけにもいかないこの季節。もぞもぞもぞ、と準備作業、のようなものがあったりなかったり。

 田んぼでは、4月に籾種を降ろす苗代を冬の間に作っておく。播種の時点で作っても良いのだが、この時期にこしらえて、米ぬかを振りまき稲藁を被せるなどして養生しておき、その後にも雑草の芽を摘み、種まき後の苗の生育が芳しくなるように準備しておくことで、より逞しい苗に育ってもらおうという親心のようなエゴのような知恵のような、そんな作業である。 つくし農園のプレーヤーの皆さんによれば、昨年の反省として、苗代の土に隣接の空き地の土を利用したことで雑草がひどかったということがあり、今年は苗代周囲の田んぼの中の土を掘りあげての苗代作りに変更してみる。まだまだ正解が見えないつくし農園の、この辺の揺れ動きがまた面白いところでもある。

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 畑では、本来は晩秋までに済ませておきたかったエンドウ豆とそら豆の播き残しを、怠惰とエゴと反省が混ざり合ったような後始末としてこの時期に種まきすることにした。畑への直まきをするにはまだ、しっかり寒さが残りすぎている。芽を出した後に霜や雪などでたちどころに枯れ消えてしまうリスクが大きく、しかし3月の声を待っているだけでは初夏の収穫にはちと心もとない。ビニルハウスや寒冷紗などの農業施設・資材の類を使わずに、であれば小生が利用できる場所は、縁側である。昨年までに、市販の苗を購入した苗用ポットを捨てずに取っておいたものが、貯めにためて150苗分。再利用の鬼が降臨し、今年初挑戦の、秋播き残し野菜の早春ポット栽培をすることにした。ポット苗用の土を買うのも使用するのも、自然農のスタンスとして違和感を覚え、植え戻す予定の畝から一々、肥えているようないないような自然農5年目の土をポットに取り、リビングに土をこぼしながら、人生初になる夕飯後の播種作業なるものをやってみた。この後は、晴れた日にはガラス越しにぽかぽかの陽射しがさす縁側へ並べ、時々に水をやり、さてどうなることやら。観葉植物を枯らすことにかけては右に出るものなしと自覚するインチキ百姓が、ついぞ手を出すことがなかった(簡易)温室栽培が上手くいくかどうかは、この後しばし留守を任せることになる居候氏に一任されたのは言うまでもない。

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 先日の日曜日、CSフジテレビのバラエティ番組が畑に撮影にみえた。「日本全国を旅して、ご当地の食材を使ってオリジナルカレーを作る」というテーマの、『カレー番長が行く!』という番組。CSはおろか、TVも頻繁には見ない小生ではあるが、ご連絡をくださった方やロケハンにみえた方の雰囲気に柔らかいものを感じたので、楽しみに受けることにした。つくばの食材として、紫峰牛(寡聞にして知りませんでした)と酒蔵の酒粕(詳細を伺えませんでした)、そしてなぜか自然農の菊芋とカブを使用したキーマカレーを作るとのこと。当日は、カレー番長さんと名乗るお二方と、元ボクシング世界チャンピオンの内藤大助氏がゲストでいらっしゃった。緊張もしましたが、なかなか面白い体験となりました。残念ながら出来上がったカレーは実食できないのだが、番組としてレシピが公開されるようなので、放送後には自分でも作ってみることにいたしましょう。

 放送は、3月7日(水)の深夜00:00〜01:00、CS307 フジテレビONEにて。小生は放送は観られませんが、放送後に届けていただくDVDで楽しみたいと思います。

 ※詳しい番組HPはこちら ⇒ 『カレー番長が行く!』 
 ※放送スケジュールなどは ⇒ こちら
 
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  カレー番長のお二方、内藤さんと、ミーハーに記念撮影



 苗代作業を何とか済ませた頃に雨が降り始めた夕方、いわきの母と姉から、生チョコと塩チョコの便りが届いた。海産物ほどにそれほど目立った名物もなかった地元いわき市であるが、ここ数年の塩スイーツブーム(古い?)の前から地道に販売されていた「めひかり塩チョコ」。いわきの市魚、目光をチョコに命名するそのセンスには賛否があるかもしれないが、じわじわと存在感を示す不思議な説得力は、贈り物として手元にするとさらに光を増す。箱に添えられた栞を開くと、詩人の三好達治の一言が寄せられている。

 日本語には海の中に 母があり
 フランス語には母の中に 海がある

 むむむむ。美しい言葉です。
 しかしそれがめひかり塩チョコと何の関係があるのかと、突っ込みどころが満載ながら、美味しく箱を閉じるのである。姉さん母さんナイスセンスです、ありがとう。七十二候【魚上氷(うおこおりにのぼる)】に、本当に微妙に重なったところで、おひらき。
  

 ※こだわりのいわきの名物スイーツはこちらから ⇒ めひかり塩チョコ Chocolat au Sel de Mel
posted by 学 at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月11日

たぬき

睦月廿日 晴れ

第二候(新暦2月9日頃〜2月13日頃)
【黄鶯睍v(こうおうけんかんす)】
=鶯が山里で鳴き始める=


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紀元節にて 一ノ矢八坂神社の隆々たる杉の近影



 朝、山羊の粟子を家裏の笹の茂みに結わえて食事をさせ、集合日の準備を進める。2012年度のつくし農園が今日からスタート、試み新たにする進行への緊張や、今年もご参加くださるプレーヤーの方々への緊張や、昨日の就寝前の少々の残り酒などが混ざっての、霜柱がキンと立つ気持ちよい朝を迎えた。

 年度始め恒例の、プレーヤー皆さんとの9時50分からの一ノ矢八坂神社への参詣の時間が近づき、作業荷物をまとめ、笹薮から山羊を小屋へ連れ戻す。その時、主のいない小屋の裏あたりから、ざざざと木陰に逃げ走る淡い黒の塊が通り過ぎた。猫より大、犬に近く、ずんぐりむくりと茶黒に濁るその後姿は、この地域で始めて目にした野生の狸であった。なんと、狸ですよ。思えば数日前の夜、帰宅した際に車のヘッドライトを横切った野ウサギといい、昨日の昼は家隣りの杉の木を叩く啄木鳥といい、なにやら最近、野生づいている。

 サインでも、兆候でもなんでもないのだろうが、野生の動物は何かしらのそれら自身の感覚でシンパシーのようなものをアンテナの一つとしながら生活圏を広げ、そして狭めて行動しているはずである。それであるのなら、なにかしらの共通感覚が最近の目の前に現れる友人たちとの間に築かれつつあるのだろうか。あるいは、自分の中のアンテナが、少しでも彼らに近づいているような変化があるのだろうか。体の動かし方(大げさに言えば身体の操作方法)、感覚(イメージ)の広げ方、そういったことへの自分なりの傾倒、自然へのシンパシーが、少しでも彼らの感覚へ千尋の一滴ほども近づけているのだとしたら。5年もここに住んでいて、啄木鳥も、野ウサギも、ましてや狸の存在に気付く事無く暮らしてきただけに、ついつい目線が甘くなる。そして、何気なくまだ逞しく存在する野生にもまた心強く、そして嬉しくなる。

 良く動き、良く話した集合日。昨年一年で崩れ始めた田んぼの畦道は、皆さんとの共同作業でまた、堅牢を取り戻した。これが人工の美しさでもあり。だからこそ自然の美しさもまた素晴らしい。

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 所々崩れ、草に覆われた畦
   ↓↓
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 まずは今月、畦道二本の内一つが修復を終えた


 と、美談はそれくらいであり、集合日の実習畑では昨日まで無事であったキャベツの生き残りの株が、野鳥(おそらくキジであろうか)に無残に食い荒らされていたという現実。さらには作業後のこの筋肉痛。体の動かし方などと嘯いていながら、まったく使えていないこの無知さ。
 
 人間と、自然と、共存など手安く実現などしないからこそ得がたく、失いがたく、問い続けなければいけないテーマであり、人生のエッセンスなのであると信じる。
posted by 学 at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 友と共に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月07日

七十二候と共に

睦月十六日 雨のち曇り

第一候(新暦2月4日頃〜2月8日頃)
【東風解凍(はるかぜこおりをとく)】
=東風が厚い氷を解かし始める=

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 全国、あるいは北半球世界の例に洩れず、つくばにも寒波が訪れている。今年の冬は、どうやら寒い。今でこそ、TVやインターネットで世界規模の気候変動を情報として認識し、対応や理解を理性的に講じることが可能、もしくは求められることとなった。しかし一昔前、というよりは人類が誕生して以来ほとんどの文明期間、我々の爺さんの爺さんくらいまでの人間は、天候の変化に対して地球レベルでの認識や対策を考える必要も理由も機会も持ち得なかった。目の前、家の周り、田畑の見渡せる範囲での、今日の明日の、せいぜい今年の、なんとなくの移り変わりを感覚と智慧で感じ、そしてそれに対して緩やかに、時には敏感に応じて過ごしてきた。はずである。
 ニュースを見れば、ヨーロッパの記録的な大寒波に驚き、ほぼ自動的に温暖化や異常気象というキーワードを結び付けては憂いてみる。そしてなんとなくその憂いを曖昧に消化して、しかし日々の業務や日常に結びつくことはなく、また次のニュースを消費していく。それに善悪はなく、ただそれだけでしかないのだけど、それとこのつくばでの季節の移り変わりの機微とは、別世界のように思えてどうも良く分からなってしまう。ここ数日の、いや年をまたいでの今年の寒さの芯の強さは肌を通して実感されていて、感覚としてはどうも今年はいつもと少し違うタフな冬になりそうだなと思っていたのは事実として存在する。それが、つい数日前にネットで飛び込んで来るまで知りもしなかったヨーロッパの大寒波をニュースを見て、自分の中で「ああ」と膝を打って「やっぱりな」と勝手に理解してしまう自動反応に、どうしても納得がいかないのだ。その、目の前に広がる、地場産で息づかいの聞こえる、本来必要な「気づき」と「応じ方」に鈍感になり、手に入れたと勘違いしてお手軽に到達した「理解」と「認識」。前者と後者の間に言葉ではどう表してよいか分からない隔たりが大きく存在しているように思われてならない。

 だから何、と言われればそれまでなんだけど。


 二十四節句は、たびたびこのBlogで時節に合わせて言葉にしてきたが、今年は七十二候(しちじゅうにこう)を採り上げていってみようかと思う。一年を約十五日ごとに節句に振り分けたものが二十四節句であり、立春や春分といった耳馴染みのあるものや、啓蟄や清明など時々に季節の言葉として耳にするものがある。それら節句をさらに三つに分け、五日ごとの細やかな季節の移り変わりを表したものが七十二候である。Blogを始めてから、事あるごとに採り上げようかと思っていたが、五日ごとに記事を書かねばならないこと、一年に七十二回も訪れることを最初から懸念してついぞ手をかけることはなかった。
 脈絡もなく今更でもあるが、今年のテーマは「しんか」に決めた。深化、真価、進化の意を込めて、さらに潜り込んで、絞り込んで、広げきって、楽しみきって、自然農とそれに纏わる事柄物柄にあたっていきたい。そのまずはBlogの試みとして、七十二候ごとにアップしていこうと思う。さて、一体。どうなったとしても、挫折しようとも、むべなるかな、インチキ百姓として応じていくしかないのだけれど。

 つくばの田畑にいまだ東風は訪れず。風の代わりにだろうか、土地を緩めるような雨が降りた。土も、心も、体も、春を告げる東風を待たずとも、氷を解き、芽を準備する時節がきた。遅い遅いと言われていても、梅の蕾は一日一日と膨らみ、庭の落ち葉の下からはフキノトウが顔を覗かせている。

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posted by 学 at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 地に足つけて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月03日

豆と鰯と柊と

睦月十二日 晴れ

 鰯の頭も信心から。「鰯の頭のようなつまらないものでも信心する人には尊く思われ、物事をかたくなに信じる人を揶揄するときなどにもいう」といわれる諺であるが、それでも人は何かにあやかってついつい生活しているものである。占い、おみくじ、から始まって、金融、株式市場、政権、会社、考えてみたら生きている全ての対象が、信心・信仰に近い思い込みの共有から成り立っているとも言えてしまう。自然も、生命も、科学も、絶対の事実であるようについつい思ってしまうけれど、それだってどうか分からんもんだよね、自然農しかり。自分がどのような視点に立ち、どれほどの視野を持ち、どんな指針を立てるかによって見え方、信じ方、生き方が変わってくるのだ。畑で田んぼで起こっていること、起こって欲しいこと、楽しみたいこと、そのあたりに忠実に従いつつ余計なものをそぎ落とし、さらには程よく鰯の頭を信じながら進むべしと言ったところでしょうか。

 という訳で節分。昨日の買い物で鰯の丸干し8尾198円を求め、庭の柊の枝を落とし、切ってあった竹の残りの部分で竹筒を作ってみた。鰯の頭を落とし、身は焼いて丸ごとパクリ、別に香ばしく焼き上げた頭を柊に挿して玄関へ。門松に続いて、自家製の季節飾り第二弾「やいかがし」が完成した。
 
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 今日は朝から、週末のつくいち用の大豆の選別作業を行った。大きくて丸々としたものを最優先して今年の種播き用に、傷物・小物・虫食い物はよけて自分の調理用に、その他大勢の優秀君たちを商品に、より分けてゆく。作業中に出る、この三つの分類にも入らない屑くずを、まとめてあつめて枡に移しておく。胡坐と背中が痛くなった午後の夕日ごろ、玄関に出て、やおらその屑を豆撒きすることにした。張り切るには少々恥ずかしいくらいの声で、日本中のご家族や児童が叫び倒したフレーズを繰り返した。自然農の自家栽培で育てた大事な大事な豆を、投げ撒くほどの器量はありませんので、あしからず。決してパラパラと良い音にはならない屑豆や豆殻を、庭と裏庭に投げて鬼を追い出し、玄関や家壁に当てては福を招きいれた。ついでに山羊小屋も、鬼は外、福は内。山羊は気にもせず、投げ撒いたおこぼれをむしゃむしゃと食う。お前はそれでいいのだ。

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 のんびりと、陽射しのあたる縁側での選別作業にじっと手を動かすのももったいと思い、週末のつくいちでの販売促進の為にと試食を数品作ってみることにもした。木下豆・緑大豆・黒豆3種の大豆は、一晩水で戻してゆっくりと火をかけ、きび砂糖と醤油で甘めの煮豆に。小豆は、友人のご実家(竹内養蜂はちみつ店)で作られた天然蜂蜜を使っての粒餡へ。参考にしたレシピの調味料分量は半分以下に抑え、自然農の豆の味を最大限にいかしてみた。はたして、木下豆、緑大豆、小豆は既に完成、極うまの和スイーツになりましたぜ。黒豆は、火を落として一晩鍋で味を馴染ませるのが肝とのことで、明日にお預けとなっております。気になる方は日曜日のつくいち、雑草屋本舗にてどうぞ味見しておくんなまし。

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 自然農の豆はウマイ。これは信心かしら事実かしら。どうかしらね。



※節分についての参考サイト
 ・【豆まき】節分に豆をまこう!(allaboutより参考)

※大豆、小豆の調理についての参考サイト
 ・大豆レシピ (十勝小豆森田農場HPより)
 ・黒豆レシピ (同上HPより)
 ・粒餡レシピ (同上HPより)
 ・お手軽レシピvol.9[ハチミツで煮豆] (札幌山本養蜂園HPより)
posted by 学 at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 食の喜び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月01日

土用にて

睦月十日 晴れ

 十日前に旧正月を迎え、翌日には大雪が降ったころから、手足が凍えるような冷え込みが続く。庭の雪だるまも日陰のせいもあってか、顔や手を溶かしながらも安穏としてまだまだ鎮座し続けている。いよいよ寒さは極を迎えているが、ちらほらと、庭の土に、木の枝に、新芽や花芽が顔をのぞかせ始め、ようやく春が立とうとしているのも、間違いない。

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<雪だるま@庭 1月24日>



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posted by 学 at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 暦の調べ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月03日

暮れて明ける

師走十日 曇り時々晴れ(いわき)

 新年明けましておめでとうございます。

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 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 旧暦ではまだもう少し師走が続くが、年始のムードに心地よく包まれて、のんびりと実家で雑煮を食べている。こたつに入って箱根駅伝のTV中継を眺め、母親から絶え間なく飛び出す四方山話に邪魔され続けながらPCに向かう。
 
 大晦日は、静かに暮れていった。なんとも不思議な暮れであった。「聴く・話す時間」というのは、やはり振り返って何かの「収穫」を確認するような時間ではないような気がしてくる。昼食は、自然農の田畑からの恵みを用意した。おにぎり、根菜の味噌汁、カブと青菜のおひたし、焼き芋。すべてではないが、もてなしに自分の育てた(いや、田畑で育った)野菜たちを提供できるのはやはり嬉しい。言葉に頼り切らない一風変わった時間、「佇まい」や「自分の中身」や「対話」の意味のようなものを嫌でも考えてしまうような時間を過ごす合間に、無理をかけない自然の営みの中で己れ自身の佇まいを全うして育った野菜の料理を食べる。それを意識して用意したわけではなかったが、そこには何かしら、自然農に浸かっている自分が「聴く・話す時間」にも面白みを感じている理由があるような気がした。こじつけかもしれないけど。

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photo by dan



 用意した時間を終えて、参加者の一人としばらく世間話をし、すっかり夕暮れが迫っていた。2011年の最後の夕焼けと共に参加者の方を見送ると、それまで庭でうるさいほど鳴いていた迷い猫が、その方と共に家の門をくぐり抜けて出て行った。そしてそれきり、彼は帰って来ていない。正月を迎え、つくばを離れ、居候氏に留守を託していても、その夕暮れを最後に彼はまだ、家に戻ってきてはいない。

 なんとなしに全体的につかみどころのない大晦日を過ごし、年が明け、震災を経ても幸いなことに昨年とさして変わらない故郷いわきで正月を過ごし、そしてまたいつもと変わらない毎日の自然農へ、つくばへ戻る。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
posted by 学 at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月28日

門松る

師走四日 晴れ

 昨日からの風が止み、冷える空気の中に晴天から射す冬の陽がほのかに暖かい。すっきりと乾いた空気に洗濯物を干し、庭に残していた黒豆の脱穀にようやくとりかかることができた。山羊は今期数度目の発情期。近くに放してかがみながら作業をしていると、もてあましたフェロモンをこすり付けんばかりに体を、ツノを押し当ててくる。痛いやら、悪い気はしないやら、こちらの気忙しさなどお構い無しに本能に忠実に体を反応させている。もうすぐお婿さんの手配も考えないとね。
 
 黒豆の方は昼過ぎには予定の作業を終わらせ、この秋に収穫した穀類の脱穀は年内に済ませることができた。脱穀が終わった大豆と黒豆はまだまだ選別作業が山積みではあるが、ひとまずは、収穫した状態のものは全て袋の中に保存できる状態まではこぎつけた。セーフ。一つ前の記事で年末年始に振り回されたくないようなそうでもないようなことを書きつつ、やはり区切りは気持ちいいものです。

 早めに終えた作業を片付けながら、ふとした気の迷いで正月飾りを自作してみることにした。インターネットでさくさくと門松の作り方を調べ、隣の竹を切り出し、庭の松を切り落とし、裏手の南天を拝借して、あとは見よう見まねで2時間ほど。少々物寂しいのを補おうと、居候氏のご実家からいただいたタンカンと農園からの稲穂をアレンジして、全て自然素材で、初めての自家製門松をなんとか完成させてみた。できれば対で構えたかったが、家にある適当な有りもので作っているのでその辺りはご愛嬌。不恰好ながら、今日から玄関前に鎮座していただくことになりました。

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正月までに、もう少し形を整えたいところ。



 最近は、いよいよもって虫に食われたセーターを裁縫で穴埋め修復やってみたりと、何かと手作業で済ませてしまうことが増えてきた。セーター修復は、できないと思い込んでいて捨てようと思っていたのだが、どうせ捨てるなら試しにやってみるかと手を動かしたら、存外簡単に(見栄えをそこまで意識しすぎない範囲で)繕うことができた。買えば、金出せば、今ならなんでも自分の手を動かさなくてできちゃうんだけどね。どっちが良いんだろうかね。なんだって自分でできると思い上がって、経済活動を否定するスタンスとるのはありがちで鼻持ちならない。自然農とかやってるとこういう勘違いをしてしまいそうになるので、その辺りは全力で避けなければならない。だからといってこの、手仕事でひとつひとつ、さしてたいしたことでもないことを自力でこなしていく喜びには、代用の効かない価値や充足感が秘められているのは疑いようがないのだ。

 いやいや、同世代の自慢の友人たちの日々の仕事のスケール感に比べてなんと小さいことを話してるんだろうと、本気で自嘲しないわけでもないのだけど。それだけ、門松立てられたのが嬉しかった、という告白でございました。次は甘酒いってみようかのー。
posted by 学 at 23:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月27日

企て

師走三日 晴れ時々強い風 

 脱穀が済んでいない黒豆を作業しようと庭にゴザを広げているうちに、あまりの風の冷たさに性根をへし折られ、掃除と部屋内の作業に踵を返すことにした、そんな一日。


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 旧暦を意識しながらまだまだ師走に入ったばかりだと嘯いていても、世間はとにかく年末である。カレンダーが12月から1月へ、西暦2011年が2012年に変わることで、自然界のなかで何かがぱたりと変わるわけではない。クリスマスも大晦日も、年賀状も大掃除も、土壌微生物や草の根や木の葉や山羊や迷い猫に、自然として認識されるような変化が起こるわけでもない。人間だけが区切りや節目や行事を設け、自然界から乖離した、概念上の共有財としての時間を、暦として意識している。自然界の何かしらの変化を辛うじて暦として位置づけることができるとすれば、それは月の満ち欠けであったり、太陽運行の変化点である冬至や春分などでしかない。だとすれば自然農に両足立って生活しているとする自分は、新暦の年末年始のおおわらわにとらわれる煩悩をできる限り薄めていけないものかと、毎年のように自問自答している。

 とはいえ既に答えは出ている。人間が、暦の概念をある種の共有財として(しかも最重要概念の一つとして)認識している現代日本において、日本人ほぼ全員が年の瀬の慌ただしさを強力に脳内で意識付けしている限り、それを避ける術はない。人間の脳の活動の根本は、電気信号で機能していることがある程度正しいとすれば、ある種の共通概念を強く意識している集団には、あるレベルでの共通の電気信号がそれぞれの脳で発せられていると考えてもおかしくはない。それがどの程度の強度や近似性を持つのかはわからないが、お祭での集落全体が活気付いている様子からイメージしやすいように、何かしらの共通の同調圧を持つ何かが空間に存在することは、ありえないことではないように思える。単なる雰囲気や場の空気といったようなぼんやりとしたモノではなくて、物理的に脳に作用を及ぼす具体的な存在として。

 であるならば、この12月後半から正月にかけての年末年始の日本全体が浮わついたようなどこに行ってもソワソワする感じは、我々自身が生み出し、逆にまた感化され、さらにまた反応することで螺旋状に、大晦日をピークに盛り上がりを避けられない人間現象なのでないのだろうか。とまあ、そんな仮説をぶつほど、世の中の年の瀬ムードの電気信号を、一人で机に向かいながらビリビリに感じているのだ。そしてそのムードは、自分一人でどうにかするのはなかなか難しいのよね。もちろん社会人として、しっかり年末年始もこなすけどね。

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 さて、そんな話を枕にする訳ではないですが、今年の大晦日にちょっとした遊びをやります。大晦日、年の瀬ムード最高潮の、せわしさ満点の一日に、ゆるやかな時間を共有するという遊びです。 Dan's tableのDanさんと不定期で重ねている「聴く・話すワークショップ」の、エクストラ企画。もともと、非構成的エンカウンターグループ等をある程度素材とした、課題のない時間を過ごすことをテーマの一つして(少なくとも小生は)ワークショップを開いてきましたが、今回は、さらにそれを自由にしてみます。なんとなく集まり、ただ、目的も決めずに時間を車座で過ごし、進行役もファシリテーターも特に設けず、実験的な時間をつくってみます。今のところの参加者は、Danさんと、小生のみ。この記事を見て、大晦日のクソ忙しい時に、いやあえてだからこそ、目的も成果も問わない我々の遊びに加わってみたいという方、是非ともお越しください。

 12月31日、午前10時から14時まで。場所はつくば市の我が家にて。冬の庭と、山羊の鳴き声のある、喧騒から少しだけ離れたこの家で、お待ちしてます。ポケットに、軽食代として500円だけご用意ください。参加、質問のメール、前日まで受付いたします。話したい人も、話したくない人も、聴きたい人も、聴きたくない人も、どんなでも、いいよ。

 komatsu@zassouya.com
 (↑@を半角に直してください)


 企て人の一人、Danさんからのメッセージはこちら。

「ワークショップのプログラムはありません。
 ただただ集まった参加者と時間を”共にする”時間です。
 その時間のなかで僕も含めた参加者が、何を思い何を考え何を感じるのか。
 ワークショップは工房という意味です。
 そのいわば”ワークショップ”という言葉の源に位置するようなワークショップです。
 決まった結論や思考の着地点はなく、その時集まった人たちとその時間を作っていく。
 このワークショップは、一緒に参加している参加者との関わり、それと同時に自分自身
 と関わる(向き合う)時間です。
 自分の気持ちや心と対峙する時間になってほしい。
 沈黙や無言の時間を恐れないでください。」


 では、当日。物好きな人、いるといいなー。

 注)今回のこの遊びは、Danさんか小松、いずれかと面識のある方のみの参加とさせていただきます。エクストラ的な試みですのでご理解ください。

 ※昨年開催したワークショップについての記事はこちらから
 ※DanさんのBlogはこちらから
posted by 学 at 17:36| Comment(4) | TrackBack(0) | 新しき出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月22日

ふゆきたり

  
霜月廿八日 【冬至】 曇り

 冬至を迎え、ようやく秋から冬へ、季節の主役が入れ替わりをみせる。庭のモミジも、柿の木も、いつのまにかすっかりと葉を落とし、落葉樹の枝が、高い冬の空にシルエットを描きはじめている。季節のバランスは秋が4.9、冬が5.1といったところか。朝に夜に空気が締まり、昼間でも雲が空けぬと、足元からしみじみと冷えが伝わってくる。今日から春分まで、冬の寒気に支配される四半期が続くのだが、その四半期の中に、立春(来年は2月4日)という春の芽吹きが含まれているという、あたり前のことに改めて驚き、喜びを覚えてしまう。冬来たりなば春遠からじ、ですゆえ。


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 このところ、大豆との日々が続く。カラカラにパリパリに干しきった大豆の枝をむしろと板の上に広げ、叩き、踏み、叩いては、豆をいじめて莢から弾き飛ばす。家の庭で延々と、育てた3種類の大豆を全て終えるまで数日続く。焚き火で手足を揉み解しつつ一日叩き飽きたら、唐箕で莢と豆を選別し、ようやく外作業がひと段落。さらにその後、日暮れた家の中に暖を取りながら、一粒一粒良い子悪い子普通の子とより分けていく。コタツと年末特番を相棒にして。延々と。 
 来年には今年の倍の量を作付けしようと思っていたのだが、はてどうしようとまた考える。この倍の作業をするわけ?まじで? 自分用なら味噌でも煮豆でも豆ご飯でも、良い子も悪い子もカマワネエけど、人様にお届けするならやらんといかん仕事だよねえ。まったく。来年のこと言っても鬼が笑うだけだし、作って採ってから考えるしかねえべな。

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 居候君が米国帰りの知己を我が家に招いており、朝飯どきに会食する。冬至でガツンと冷えた朝となり、珍しくストーブも朝から焚いて、どうやら僅かにまだ残っていたらしいサービス精神を奮い立たせた。会話は実に広大性と深長性に富み、面白く、温まった部屋で武者震いをしてしまった。(小生はドーパミンが出ると、頭に血が回って、寒気を感じてしまうのです。) 真のコミュニケーションは、こういう類いのものでなければならない。安易で即効性の高いネットワーキングばかりに目を向けず、一人でもいいからこうした深みのあるつながりを少しずつ築くことが、疎かにならない社会になりますように。まあ、小生がそれを続けるだけでいいのか。少しずつ、少しずつ、少しずつ。炎をいたずらに燃え広がらせずに、静かに燃やし続けて。いつか来る、火柱が立つその時の為に、目の前の作業に暮れろ。

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 なんのこっちゃ、わかんねえけど。これから忘年会と新年会ですなああ。飲みてええ。
posted by 学 at 18:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする