注)記事の日付は太陰暦を用いております

2004年08月04日

帰郷

水無月十九日 晴れ
 明日から数日、故郷の小名浜へ。週末にはいわき踊りと花火大会。高校卒業後10年ぶりの地元の夏祭り。ノスタルジックな期待がほどよく心に高まってくる。サラリーマンを辞めて、故郷への自然な好意みたいなものを自分の中に素直に確認できるようになった。ただの歳のせいかも知れぬが。
 しばらく畑を留守にするのが少し寂しいのもまた、いとをかし。
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2004年08月06日

磯に遊ぶ

水無月二十一日 晴れ @小名浜
 小名浜は、その昔は砂浜の伸びる漁民の郷であったが、明治維新からの工業化を経て日本を代表する工業港を抱える町へと変わってきた。今では小名浜の海岸線はほぼ全て護岸工事によってコンクリートの要塞と化し、砂浜の面影はない。
 自分の子供の頃から小名浜の海は砂浜ではなく、工業港と、僅かに残った岬の磯である。今日は子供の頃の夏を思い出して、磯へ降りてきた。もちろん磯は夏休みの家族連れで賑わい、クロンボ小僧はカニを追いかけ、熟練老師は波に浮かんで貝を獲る。

 
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 三崎公園の潮見台より海を臨む

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 海草にむせぶ小名浜の磯
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見る阿呆

水無月二十一日 夜 晴れ @小名浜
 ドンドドン♪ドドドドン、ワッセ♪ 
 ハァ〜♪アァ〜アアァ〜♪いわき七浜〜♪

 生演奏のいわき音頭のお囃しにのせて目抜き通りを練り踊る。ここしばらく人通りが寂しい小名浜の街中も、今日ばかりは汗と酒と息でむせ返る。

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※いわき踊りは1981年に産まれた。地元を詠う粋な音頭と誰でも踊れる容易な振り付けでいわき市民に浸透し、広大ないわき市の夏を盛り上げる。年々盛況のようで、まずは好ましい。
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2004年08月07日

美杯に美酒

水無月二十二日 晴れのち曇り @小名浜
 昨日のいわき祭も今日の花火大会も満足の日であったが、それより何より、日本代表アジアカップ優勝の美酒が美味い。
 自然農な毎日と直接は関係無いが、生きてることに快感を覚えるのに理屈はいらない。patriotism、愛郷心、愛国心。同郷の者にシンパシーを感じ、応援する、勝利を喜ぶ、同調する。人間の持つ原罪か生存欲か。対する者が厄介で困難であればある程、その先の勝利がもたらす陶酔感は大きい。ここを誤魔化して、平和も、戦争も、人生も、語れない。そしてさらにその先にある理解を心から求めなくてはいけない。自戒を込めて。 
 決勝戦終了後に残っていた中国人サポーターは表彰式でブーイングはしていなかったのをみても、今大会の反日的好意はサッカーファンのマナーというより、政治的な欲求に基づく一部の大衆の行動によるものだとも考えられるし、その一方で反日教育のもたらす影響力と中国人の民度の程度の再認識に繋がればいいと思う。
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港に咲く花

水無月二十二日【立秋】 晴れのち曇り @小名浜
 夏の海辺の夜風は冷たい。涼しい、というより冷たい、というほうが好きだ。暑さもひとしおの夜はその冷たさが最高のデザートになるが、少し曇った日の夜などは冷えが厳しく文字通り冷たい。
 第43回いわき小名浜ミュウ花火、港の夜風と海鮮屋台が溢れる、美味くて心地よい故郷の花火大会に行ってきた。目の前は海、頭の上には花火、右手にはビール、左手にはウニの貝焼き、それがココの醍醐味。浴衣着て、下駄履いて、家路を帰る自己満足度は最高潮。『夏は夜、花火の頃はさらなり』とは枕草子は言わなかったか。


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 花火の写真は難しい
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2004年08月08日

飾りに窒息

水無月二十三日 晴れ @小名浜
 いわき市の中心都市、平(たいら)の七夕祭は、毎年8月6、7、8日と自分の誕生日に必ず重なるので、昔から親近感を感じている。商店街の店が軒を連ねて七夕飾りを通りに立て、屋台と飾りの歩行者天国となる。

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 本家仙台には遠く及ばないにしても、身の丈にあった規模、小一時間も歩けば周り終える手頃さがよい。これもまた、学生の頃から変わらぬ風景。ちらほら目に入る短冊のひとつに、『セーラームーンになりたい』とあった。俺は何になりたかったのかな。
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2004年08月10日

株を増やす

水無月二十四日 晴れ
 株を増やすといっても、証券取引ではない。友人に金融関係者も多いが、勘違いされても困る。株を増やすのは稲です。愛しい愛しいお米ちゃんです。

 故郷を後にして、久しぶりに大宮の水田に足を運んだ。苗床から最初の苗を植えてから50日、その姿やいかに。
 小生は農に携わるまで全く知らなかったのだが、稲は「分蘖(ぶんけつ)」し株を増やしていく。一本で植えた苗が、まずは横に二本三本株を分け、少しずつ扇型に増え広がっていく。そしていよいよ丸く輪状に株数を増やすと、たちまち見事な苗束である。その数、数えてみると30〜40本。一本の苗が、である。育て方によってもっともっと増える。この単純かつ驚きの事実に、最初はやはり感動を覚えた。いやそれは稲作り体験二年目の今だって衰えはしない。これからも、だろう。

 ↓輪を結んだ見事な分蘖。生命力のかたまり。
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 分蘖がひと段落したらもう、稲穂が産まれてくる頃である。この田んぼにも既に「出穂(しゅっすい)」した苗もみられる。いよいよ、終盤に近づいてきた。出穂直後の苗はデリケートな時期に入るとの先達のアドバイスを頂いて、ほぼ最後の草管理(稲が負けそうな雑草を少し刈る)を終える。よだれを出すにはまだ早いのだが、どうしても炊き上がりが瞼の裏に浮かんで仕方がなくて困る。
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2004年08月11日

親は無くとも…

水無月二十六日 晴れ
 小名浜から戻ってようやく畑に出れた。心配、はしてないが自分がいなくてあいつらは無事か、といらぬ世話心を焼いてみる。がしかし、自然農は変わらず大きくインチキ親を出迎えた。あるものは雑草に覆われ、あるものは虫に喰われ、あるものはズイズイと生い茂り、あるものは静かに変わらない。ちっとも可愛くないよ、おまえらは。そして大きいよ。
 かくして、当たり前だが何の感慨も無くインチキ百姓生活再開である。また、雑草と野菜達のバランスを整えていく答えの無い毎日(いや隔日)に戻る。陸稲は既に穂をつけ、カボチャの蔓は無限に伸び、ナス・ピーマンは見る影も無く、里芋はここにきてグイグイ葉を広げてきた。駄目なものは圧倒的に駄目で、いくつかの命が辛うじて生命力を奮わせている。なんとなく、仕切り直しの気分で、後半戦スタート。

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 里芋、葉を連ねて空に向かう
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残暑の色

水無月二十六日 晴れ
 四日前の立秋からは、残暑見舞いが行き交う頃となる。土に馴染む生活をするまでは、僕はこの「残暑」というウソ臭い言葉に不信感さえ抱いていた。いったいぜんたいこのクソ暑い時期を「残りの暑さ」と言うのはどういうことだ、と。それが今日、立秋を過ぎて畑に立った時に、素直に「残暑」を感じることができた。いったいなぜだ?
 田畑での作業は、良くも悪くも常にひと月先ふた月先を頭に描いて行われる。それは単純に30日後、60日後にするべき作業というイメージではなく、暑さ、雨、陽の長さ、草の種類、つまりは季節の感覚をダイレクトに伴うイメージとなる。常に、である。今日感じたことはまさにそれであった。
 来月はもう9月であり、それは秋が匂い立つ頃じゃないか。ああ、そうか。今はもう、秋への序章に居るんだ。この暑さの行き先は、すぐそこに見えてるんだ。これが「残暑」の感覚なのか。なるほど、7月の頃の先の見えない暑さではなく、先の見える暑さ、これを先人は親しみと憎たらしさを交えて「残暑」と名づけたのではないかという気がしてくる。
 
 畑仕事の後、大家さんとの雑談の中で素敵な言葉に出会った。「立秋も過ぎるとね、なにかこう、おひさまの色が黄色になりだすわね。」僕が畑で感じた秋の匂いはまさしくその黄色の光だったのかもしれない。
 アスファルトの上には、この色、届いてるだろうか。
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2004年08月16日

アテネの虜?

文月一日 晴れ
 Blogを書く時は暇がある時だ。言い代えれば余裕がある時だ。最近この余裕が無い。余裕が無い時は、概して畑にも出れていない。畑に出ているときは、忙しくても余裕がある。ゆとりがある。私が幸いなのは、自分のゆとり度を畑が教えてくれることかもしれない。

 ちなみに、携帯テレビを手に入れたことでアテネの虜になっていることと、余裕が無いことは関係ありません。ガンバレ日本!

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 1.6型!?の頼もしい存在。サッカーだとボールが見えない…。
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2004年08月19日

宵を待つ花

文月四日 晴れ
 三日月の夜が過ぎて、久しぶりに朝一番に畑に出て驚いた。畑一面、淡い薄黄色の花が群れをなして咲いている。花の名は「待宵草(マツヨイクサ)」、その性格は慎ましく美しい。名前の通り、花を咲かすのは日が落ちた夕暮れの後。夜の間だけ花を咲かせて朝にはしぼみ、一夜限りの命を落とす。
 むろんこれまでも昼に夕にその姿を見かけてはいたが、ぽつりぽつりと見かけた程度で大して気にもならなかった。それはやはり本来の姿ではなかったのだね。まるで美しさの勢いが違う。今まで見過ごしてきてごめんなさい。

 明治の画人、竹久夢二はこう詠んだ

 まてどくらせど 来ぬ人を
      宵待草の やるせなさ
           こよひは月も 出ぬさうな

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※マツヨイクサには大待宵草、待宵草、雌待宵草など数種類ありますが、この畑で咲いてる花がどれかわかる方がいたら教えて下さい。
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2004年08月23日

空気の移ろい

文月八日【処暑】 雨時々曇り 
 明け方、どこかで感じたことのある空気に触れた。雨がぱらついているのに湿り気がなく、鼻の奥へ通り過ぎるような冷ややかな空気。昨年、京都の山村で過ごした中で出会った、夏から秋へ移り変わる頃の朝の匂い。肌が、鼻が、きちんと覚えていた。夏の雨、夏の朝とはまるで違う空気に、また会ったねとつぶやいた。

 本日の畑作業、道路周辺の草を刈り、セイタカアワダチソウを抜き倒した畑に放り込んだ。土を覆い、やがて朽ち、次の命へ繋ぐ「亡骸の層」を作る。


※処暑…陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也(暦便覧)
処暑は暑さが止むと言う意味。萩の花が咲き、朝夕は心地よい涼風が吹く頃だが、台風のシーズンでもある。

参考:こよみのページ
 
 

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2004年08月26日

在り難き心遣い

文月十日 晴れのち曇り
 江南の地に畑を借りて半年、今日ほど落胆したこともなかった。同時に、自然農の難しさを身をもって知ることになった。
 畑の、道路に接する2m程のエリアをご近所のご好意の方が草刈機で刈り払ってくださったのである。まさにアリガタイ御心遣いだが、そこにはしっかり生姜の無残な姿が残っていた。ついでにサツマイモも少々刈り払ってくださっていた。いやあ在り難いです、自分にとっては。

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 刈り払われた周囲(左)と無残な生姜(右)


 毎日少しずつ進めるべき畑周囲(つまり道路に接した部分)の草刈り作業は、ついつい畑の中ばかりに手が伸びてしまっておろそかになりがちなのが人の性。特に自然農の場合、畑自体が草だらけであるが故に周囲の草刈りは重要である。なぜなら普通の人にとって雑草などは、刈っても刈っても生えてくる厄介物であり、是非とも生えて欲しくないもの。それが畑には生い茂る、道路近くにも伸びつつあるでは、多分に日々気になっていたのであろう。私がここを借りる以前、おそらく今日の方がいつもご好意で道路付近の雑草を刈り払ってくださっていたことは想像に難くない。現に今年も数回(一回かな?)刈ってくださっていたのだから。

 全ては自分の落ち度である。一つはその方にお会いする機会があったにも関わらず都合が合わず一度も顔を合わせていなかったこと。つまりコミュニケーション不足。二つは常に気をつけるべき畑周囲の雑草管理を怠ったこと。つまり管理不足。三つは自然農畑(草生栽培)で育てている作物の表示や立て札などを立てたり工夫をしなかったこと。つまりアピール不足。人の土地にどうして?等というお子様常識は非常識だとも言える。地域には地域の慣例は付きものである。
 身に沁みて自分の甘さに思い至る。救いなのは、途中で気づいてくださったのか生き残りの生姜も数本あることだ。毎日が自然農、甘く見てはいけない。
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2004年08月27日

マイブーム予感

文月十一日
 『和モダン』という言葉にインスピレーションを感じる。助手K氏のBlogで「sui」という日本茶カフェが登場したという記事の中で見つけた。最近の自分の中での、自然農以外のキーワード、江戸・和服・心地よさ、等など。
 「sui」、渋谷に出たら行ってみよう。しかし『和モダン』と『自然農』って結びつくだろうか…。
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2004年08月28日

秋雨の中

文月十四日 雨
 昨日から降り続く小雨は、朝になってもなおやむ気配が無い。第5回アワダチ倶楽部「赤蕎麦に恋をして」は、参加者二名という寂しさの中開催された。今回の作業は、秋の鑑賞と収穫を狙った秋蕎麦の播種。蕎麦の種類は、信州の幻、ルビーの花を咲かせると言う「高嶺ルビー」。
 
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 前日入りしたメンバー達は、二日酔い&早起きの頭を抱えて何とか種まきを敢行。前回の大豆や芋の成長も確かめ、わずかな収穫物の味見も済ませ、足早に畑を後にした。あくまでも、雨の中ですので。それでも畑作業はヤメラレナイのは、皮算用という人間のサガと、自然のなかで体を動かすことのヨロコビに他ならない。
 一ヶ月も過ぎれば、畑がホンノリルビー色に染まるだろうか。ちなみに、蕎麦自体は赤くはありませんのであしからず。

 ↓大豆達は花をつけて準備万端
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 ↓ホッペタ落ちるぜスイートコーン
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※赤蕎麦の種を仕入れた「留美庵」はこちら
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2004年08月31日

魂の友から

文月十六日 晴れ

 「魂の友へ 二○○四・八・三一 龍村仁」

 上映の後に姿を見せた監督は、パンフレットにそう書いて握手をしてくれた。私は、大きな勇気と力をいただきました、と答えて少しだけ握り返した。
 8月31日、大切な親友の誕生日に映画「地球交響曲第五番」を観に行った。言葉で表しきれない、深い知恵と願いに包まれた2時間半の上映であった。

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>>続きはこちら
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