注)記事の日付は太陰暦を用いております

2004年08月11日

残暑の色

水無月二十六日 晴れ
 四日前の立秋からは、残暑見舞いが行き交う頃となる。土に馴染む生活をするまでは、僕はこの「残暑」というウソ臭い言葉に不信感さえ抱いていた。いったいぜんたいこのクソ暑い時期を「残りの暑さ」と言うのはどういうことだ、と。それが今日、立秋を過ぎて畑に立った時に、素直に「残暑」を感じることができた。いったいなぜだ?
 田畑での作業は、良くも悪くも常にひと月先ふた月先を頭に描いて行われる。それは単純に30日後、60日後にするべき作業というイメージではなく、暑さ、雨、陽の長さ、草の種類、つまりは季節の感覚をダイレクトに伴うイメージとなる。常に、である。今日感じたことはまさにそれであった。
 来月はもう9月であり、それは秋が匂い立つ頃じゃないか。ああ、そうか。今はもう、秋への序章に居るんだ。この暑さの行き先は、すぐそこに見えてるんだ。これが「残暑」の感覚なのか。なるほど、7月の頃の先の見えない暑さではなく、先の見える暑さ、これを先人は親しみと憎たらしさを交えて「残暑」と名づけたのではないかという気がしてくる。
 
 畑仕事の後、大家さんとの雑談の中で素敵な言葉に出会った。「立秋も過ぎるとね、なにかこう、おひさまの色が黄色になりだすわね。」僕が畑で感じた秋の匂いはまさしくその黄色の光だったのかもしれない。
 アスファルトの上には、この色、届いてるだろうか。
posted by 学 at 23:13| Comment(5) | TrackBack(1) | 暦の調べ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

親は無くとも…

水無月二十六日 晴れ
 小名浜から戻ってようやく畑に出れた。心配、はしてないが自分がいなくてあいつらは無事か、といらぬ世話心を焼いてみる。がしかし、自然農は変わらず大きくインチキ親を出迎えた。あるものは雑草に覆われ、あるものは虫に喰われ、あるものはズイズイと生い茂り、あるものは静かに変わらない。ちっとも可愛くないよ、おまえらは。そして大きいよ。
 かくして、当たり前だが何の感慨も無くインチキ百姓生活再開である。また、雑草と野菜達のバランスを整えていく答えの無い毎日(いや隔日)に戻る。陸稲は既に穂をつけ、カボチャの蔓は無限に伸び、ナス・ピーマンは見る影も無く、里芋はここにきてグイグイ葉を広げてきた。駄目なものは圧倒的に駄目で、いくつかの命が辛うじて生命力を奮わせている。なんとなく、仕切り直しの気分で、後半戦スタート。

 040811hatake

 里芋、葉を連ねて空に向かう
posted by 学 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 畑の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする