注)記事の日付は太陰暦を用いております

2004年09月05日

嗜好の変化

文月二十一日 長雨
 雨足が途絶えて窓を開けると、網戸の目の隙間から忍び込むように秋の音と風が届いてくる。セミ時雨はいつの間にかコオロギにとって代わり、夕暮れの空気はTシャツ一枚には涼しすぎるようになった。不意打ち気味に襲う猛暑パンチには少々辟易するが、秋は確かにすぐ傍に来ている。

 友人の紹介で、「あなたがつぶやく最後の言葉」を占うというサイトで遊んでみた。小生は、走りすぎて過呼吸をこじらせ、『つぼは花瓶にも骨壷にもなるよ…』と最後につぶやいて死ぬらしい。それはまあそれで良しとして、その占いのアンケートに「自分に最も相応しいと思う季節」を選ぶという設問があった。私はなんとなく、秋を選んでいた。少なくとも数年前までは確実に夏を選んでいた筈だった。夏生まれの夏男、そんなつもりの自己意識は、どうやら秋の魅力になびいているらしい。この変化に少なからず驚いている。先にあるのは収穫の秋かはたまた落葉の秋か。黄金の秋ってのも悪くない。


本日の農作業:秋蕎麦(赤蕎麦)の残りを播種
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2004年09月06日

変色する恋人

文月二十二日
 
 ガラス壺 顔色蒼く 酢ニンニク

 040907ninniku

 TV番組で夏バテ防止の雄として取り上げられた、「ニンニクの酢漬け」。ゲスト出演者の興奮した表情に生唾を飲み込み、すぐ実施してみた。驚くべきことに、酢の中に浸したニンニクは、つけて三日〜十日程でまず青色に変色するというのだが。。。お見事。(写真ではよく解らんね。残念!)
 この変色を経て後、色と共に味もまろやかに熟成に向かい、全体が黄金色になったら食べ頃。カレーに良しパスタに良しチャーハンに良し、漬かったニンニクを食べても良し、万能保存食の出来上がりである。書いてるそばからヨダレが溢れてくる。早く金色に染まれ。

 ちなみにまたしてもですが、このニンニクもスーパーで買いました…。 

にんにく酢の作り方…他にもにんにくの工夫料理がたくさん♪
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2004年09月07日

自然農と私

文月二十三日【白露】 晴れ時々強風

【白露】…陰気ようやく重なりて露にごりて白色となれば也(暦便覧)
     野には薄の穂が顔を出し、秋の趣がひとしお感じられる頃。
     朝夕の心地よい涼風に、幾分の肌寒さを感じさせる冷風が
     混じり始める。<参考:こよみのページ)>


 今日の晩、旧友の催し物にてフリーで頑張る仲間の集いが行われるという。「もし可能なら、何か自分のしている仕事(農業)の内容が分かるようなものを持ってきて」と言われて、ハテ困った。履歴書でもなく、名刺などなく、かといって収穫物もなく、いったい何を持っていけばよいのやら。
 かくしてほどなく当Blogを画面印刷して持っていくことにして、講演会みたいなタイトルで筆を走らせる。

 只今ワタクシが取り組んでおります毎日は、『自然農』なるやっかいな哲学に心を半分奪われ、それと共に人生を過ごすにはどう生きるのが良いかと頭を曇らせる日々でアリマス。禍福にも都心からアクセス1時間半の田舎を仮宿としながら、日夜アルバイトと「自然農」作業と将来の構想に明け暮れてオリマス。
 実践されている先達の言葉をお借りすれば、
「耕さず、肥料・農薬を用いず、草や虫を敵とせず…」川口由一氏
「自然の営みに沿い農作物を育てる農のありよう…」沖津一陽氏
あまりにも『「自然」と「食」の営みと繋がり』を忘れ過ぎた我々に、禅問答のように問いと答えを投げかけ、人生のスパイスとして感動と知恵をほのめかしてくれる、それが『自然農』かな。草と共に、虫と一緒に、控えめに、且つたくましく育つ野菜達。そんなことってあるんです。マジで?と驚き、うゎ♪と喜び、何で?と考え、いいなぁ♪と浸る、そんな農、そんな畑。
 世界の食糧事情の解決には貢献せずとも、石油が枯渇した後に自分の周りだけは食い延びられるように心得をつかむことが、控えめなワタクシの目標でゴザイマス。自然農と、その側にある暮らしの中で自分に訪れるキーワードとを紡いでいこうと虎視眈々と含み笑い中。
 最近のキーワード、「人の集まる場所」「江戸時代」「シュタイナー教育」「和モダン」「海辺」「採算」。
 
 この夏で、齢二十八。而立まであと2年、不惑まであと12年。
posted by 学 at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月12日

田んぼに蚊帳?

文月二十八日 晴れ
 大宮での自然農の田んぼが実りの頃に近づいてきた。コシヒカリ、イセヒカリ、黒米、赤米、香り米、陸稲の六種類が、それぞれカラフルに穂を揺らせている。

 040912tetugaku 
???いったい何が???(答えは最後)

>>続きはこちら
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2004年09月14日

苦いビール

葉月一日 晴れ(真夏日を記録)
 葉月、八月の一日は八朔と呼ぶことは先日述べた(一日と月とはっさく)。この旧暦の八朔に、各地で祭や行事が伝わっている。八朔は、「たのみの節」ともされ、たのみ、つまり田の実を頼む(願う)豊作祈願の行事や、その年の新穀の贈答の慣習が生まれた。徳川家康の江戸入府の日でもあることから江戸時代には祝日と定められ、八朔行事が広く庶民に根付いていったとされる。
 祭に付きものといえば餅の類であるが、その餅と八朔について面白い話がある。この日にお祝いとしてだされる餅を食べるのは嬉しいが、祭を過ぎれば暑さもようやく和らぎ日の落ちるのも早くなる頃だ。そのため八朔を境に昼寝も無くなり、夜なべ作業も始まることを憂えて「八朔の苦餅」と呼ぶそうな。「八朔の泣き饅頭」「八朔の涙飯」など、呼び名は数知れず。当時の下男下女の苦々しい表情が浮かぶようで微笑ましい。
 そういうわけで本日は農作業はお休み♪ とりわけ餅で祝うこともないが、地ビールでも飲んで「たのみ」を頼む事にする。ああ、明日からは昼寝できないよなあ。これこそ「八朔の苦ビール」である。

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 今日の窓から:隣の田ではコンバインでの稲刈りが始まっている


※八朔行事について詳しく知りたい方はこちらを参照
posted by 学 at 18:33| Comment(7) | TrackBack(0) | 暦の調べ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月20日

変わり目に

葉月七日 晴れ
 風邪、ひいてるみたいです。朝夜はもうだいぶ冷えますので、皆様もご自愛ください。くれぐれも、網戸開けて裸同然で寝る、なんてことしてはいけません。いつもどおり、オレンジジュース2L飲んで治します。


私信>健太は初めての秋〜冬を迎えますな。少しずつ慣れさせて、冬山連れて行こうぞ。
posted by 学 at 21:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月22日

稲の名脇役

葉月九日 晴れのち雷雨
 上で雷について書いたが、補足して少し。

 昔より日本では雷のことを「稲妻」や「稲光り」と言う。これは夏の時期の快晴の後の雷雨が多い年は豊作が期待されることから、「稲」の妻、稲妻と呼ばれる所以である。稲光も同様の理由であろう。カミナリは読んで字の如く「神鳴り」。神様の音といったところであろう。
 稲妻の季語は秋。この時期の稲妻は豊作への影響という点ではもう遅いが、すこしだけ雷が身近に感じる話である。

040922kaminari
(フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より参照)

稲妻を題とした家紋…稲妻が日本文化に親しかったのはココからも見て取れる

 ⇒家紋にはまってる助手K氏の記事はこちら 
 
posted by 学 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 暦の調べ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大驟雨で思う

葉月九日 晴れのち雷雨

 命からがら、である。

>>続きはこちら
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2004年09月23日

日が沈む先に

葉月十日【秋分】 曇り

【秋分】…陰陽の中分となれば也(暦便覧)
     暑い日は減り代わりに冷気を感ずる日が増える。
     昼と夜の長さがほぼ同じになることで、この日は
     秋彼岸の中日でもある。秋の七草が咲き揃う頃である。
     <参考:こよみのページ

 今日はお彼岸。大家さんのお墓参りを終えた後に畑に出た。真東から出た太陽が、極楽浄土(彼岸)があるとされる真西に沈む日であることから始まった、日本独自の行事が春と秋の彼岸である。煩悩多き人間が、せめて春と秋のお彼岸の時くらいには仏の教えを実践したいものだという素晴らしい古人の知恵か。ビルの向こうの夕陽に向かってご先祖様に拝んでみれば、心がなぜかほっこりする。彼岸の明けは26日、東京でも、アメリカでも、彼岸の彼方は同じ筈。皆の心が穏やかになりますように。
 

 040923higanbana
 
 年に一度、この秋の彼岸の時期に合わせて見事に咲いてみせる彼岸花に、煩悩を笑われてるように見えるのは気のせいではあるまい。


 ところで秋の七草、みんな知ってるか?

 『萩 尾花 葛 撫子 女郎花 藤袴 桔梗』
 『はぎおばな、くずなでしこおみなえし、ふじばかまききょう』

 とは、数年前の友人達との山登りで教えてもらった覚え順である。春は知ってて秋は知らないというのを無性に情けなく思えて、意地になって上の呪文を登山中繰り返していた記憶がある。ちなみに秋の七草はいわゆる雑草の類がほとんどで食べられません。しかし尾花(ススキ)を除いて咲かせる花は皆、どこか儚げで質素であり、これを七草に読んだ山上憶良の感性はどこまでも日本人であるなあと思い巡らす。わが畑には尾花と葛と萩(のようなもの)が千年の時を越えて根を降ろしている。それもまた自然農の喜び。


葬儀情報局(お彼岸のページ)…お彼岸の基礎知識はここでゲット!

秋の七草…情報量、デザインの個性、抜群のサイト。山上憶良の歌は萩のページに掲載。
(↑は『天明元年大宝天社絵馬』というサイトのワンコーナー。三重県鈴鹿市の神社のサイト。濃い!)
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2004年09月25日

困惑のエロス

葉月十二日 晴れ時々曇り のち雨
 セイタカは今、可憐だ。伸びた茎の先に丸みをおびた小さい蕾たちをつけ、ほのかに黄緑から黄色に移りかけている。もう後十日もしない内に一斉に花を咲かせる前の、ほんのひと時である。
 常に我が畑を占領し、来る日も来る日も、縦横にはびこらせた根、そこから猛然と生える茎、と闘ってきた。春先は土から勢揃いした若芽を抜き取り、サクラの後には野菜の苗にダメージを受け、梅雨前の熱さの中でぐんぐん伸びる茎を抜き去り、真夏には自分の背丈をゆうに越える勢いに圧倒された。思えば今年はセイタカアワダチソウと共に過ごした一年だと言える。いつもこいつを憎んでいた。そんなセイタカが、今、なぜか可愛いらしく見えるのである。騙されてはいけない。こいつはその花を咲かせたら最後、無数の超強力な種爆弾を周囲に完全に撒き散らすのだ。刈るのは、この時を逃して他にない。

 ところで、快感、といってよいのだろうか。可憐をひたすら抜き倒すこの快感、これはいったいなんであろうか。これは今までのセイタカ抜きと、どこか違う。いつもは、憎い相手でしかなく感情など芽生えずにただひたすらに作業を繰り返してきた。しかし、ここ数日の相手は、なんとも可憐さを漂わせている。だが抜く。抜くほかない。心の深い奥の方で、コントロールできない欲情が困惑している。紛れもなく、エロスだ。可憐な物をなぶり倒すという、エロス。これって男友達なら解ってくれるだろうか、いやさこれぞ文学ではないか。
 普段憎らしいからこそ可憐なのか。そしていつもは見せぬ可憐さに戸惑い、しかしそれを抜き去り、刈り倒すことで、何かが止揚されるのだろうか。アホか。もうあと数日で、畑のセイタカを刈り終えることになる。それはそれで、どこか寂しい。


 ↓この可憐さを見よ!
   040925seitaka-small ⇒拡大して大画面でどうだ!!

 
 ★ちなみに、これを放っておくとこのようになる(汗)!!

 040925seitaka-abe
 <この素敵な写真は、下記HPより転用させていただきました>

森羅万象…セイタカの写真を探してたら偶然見つけたHP。
      タイトルどおり、自然と人々の生活を独自の視点
      で切り取った、素敵なサイト。ちょくちょく遊びに
      行ってしまいそうです。

 ◆特にセイタカアワダチソウのコラムは、大和心や歴史など
  の観点を絡めた意見が珠玉。なんとも心に新しい。

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2004年09月28日

残念芋名月

葉月十五日 曇り
 旧暦にでは秋を受けもつのは七月八月九月、うち八月、葉月は中秋となる。今宵は葉月の十五日、十五夜。つまりは中秋の名月であります。が、今夜はちょっと見えそうにないね。
 中秋の名月は、この時期獲れる収穫物になぞらえて「芋名月」の別名がつく。芋でも蒸かしてお供えしたいが、こちらの出来はもう少し後のようだ。来月は、「後の月見」と言って九月(長月)十三夜が慣わし。十三夜のころには、お供えものも獲れてるはず。それまでは月見も、お預けにします。
posted by 学 at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 暦の調べ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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