師走二十六日 【立春】 晴れ
【立春】…
春の気たつを以て也(暦便覧)
この日から立夏の前日までが春。
まだ寒さの厳しい時期ではあるが日脚は徐々に伸び、
九州や太平洋側の暖かい地方では梅が咲き始める頃である。
※読み:リッシュン
<参考:
こよみのページ>
「今日は立春です。暦の上では春となりますが、まだまだ冬本番、寒さは続きます。皆様、今日も十分に暖かい格好で・・・・・」
朝のTVに始まって、FMラジオ、お昼のニュース、ひいては夜の天気予報まで、よく飽きもせずに同じようなセリフを並べるものだと思う。毎年毎年、お天気キャスターの2月4日とは、原稿を考える必要のない一日であるのかもしれない。
もう少し、この日に「立春」を用いたご先祖様たちの感性に思いを寄せてみてはどうだろう。その「言葉」に少し耳を傾ければ、そこに流れる歴史や季節とともに生きる人たちの声が聞こえてくるのではないだろうか。
立春にはじまり、立夏、立秋、立冬と、四季にはそれぞれ「季」の「立つ」節句(二十四節句)が用意されている。これらの節句の時期は、それぞれの、「前の季節」のピークに訪れる。つまり、本日の立春は、寒さが極まる2月4日。立夏は、花と緑が萌え盛る5月5日。立秋は、暑さも茹だる真夏の8月7日(小生の誕生日)。そして立冬は、枯葉に山が燃え尽きる11月7日となる。
ある季節のピークがその次の「季」が「立つ」日、と感じた理由(つまり気候にずれのある支那の暦を素直に受け入れた感性)を勝手に想像すれば、まさにその季節の盛りに、次の「季」が「産声を上げている」と考えたからではなかろうか。言うなれば、季節は文字通り重なっているのだ。昔の人は「昨日までは冬で、今日から春」などという二元論で生きていなかった。冬の盛りに春は産声を上げ、そして春が育つとともに冬は静かに衰え、冬が死に春が満開を謳歌する5月、新たに次の夏が産声をあげるのである。
そうしてついつい頭に浮かんでしまうのだ。次の季節への移り変わりを時には控えめに、時には待ち焦がれて望む先人の暮らし。寒さの中に春を偲ぶ心、夏の盛りに秋に寄せる気持ち。そうすることで、時には辛い季節を乗り切っていたのではないだろうか、と。
実は当たり前のことなのかもしれないのだけど。こだわっても意味のないことかもしれないけど。
立春も過ぎた明日、明後日の週末、生まれたての春が街に産声をあげているはず。自然は、迷わずに生きている。