注)記事の日付は太陰暦を用いております

2005年12月06日

気づけば

霜月五日 晴れ

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 寒さがいよいよ昼の時間まで浸透してきた。気づけば十日以上もBlogから離れてしまった。旧暦では、神無月から霜月に移り、八百万の神様たちは江南にもそこかしこにも戻ってきた訳です。

 秋晴れの続いた先月末には、脱穀、唐箕を進め、一方最後の稲刈りも済ませてほっと一息。

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 −緑米−           −紫黒苑−
 
 稲刈りを終えて稲木に掛け終わると、田んぼに3ヶ月張った紐を外し、2ヶ月働かせ通しの案山子(カカシ)を労った。何もなくなった(隣の稲木は健在であるが)水田がやけに広く感じた。

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 月が変わり、フラフラとのんびり過ごす日々。紅葉もようやく終わりに近づき、山道は落ち葉で敷き詰められる。少しずつ一年が閉じ始める頃。同時に、次の始まりが準備をしだす頃。葉っぱが積もり、その命の重なりが大木の糧になるように、冬は一年の重なりを次の命に繋げる季節となる。
 
 集まって、鍋を囲んで、飲み明かそう、と声が掛かる季節。なんだ、いい季節じゃないか♪
posted by 学 at 18:05| Comment(3) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月11日

ガリリ

霜月十日 晴れ  

 いそいそと脱穀作業を進める。今日の脱穀は「イセヒカリ」。稲刈りから一ヶ月以上過ぎ、干した稲達は稲木に掛けた形のまま固まってしまったようだ。

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 う〜む。見事…。


 米粒を一粒かじると、ガリリと小気味よく音を立てる。軽く足踏み脱穀機にかけると、バラバラバラッと勢いよく脱穀が進む。友人のサポートを受けながら一日、ごっそりと籾の山を袋に詰めたものの、すべての脱穀完了まであと半分。ちょっとのんびりしすぎかも。
 
posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 田の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月15日

レトロなあいつ

霜月十四日  晴れ

 ブルブルブル。雪が降らないのが救いではあるが、埼玉県北部の木枯らしは実に厳しい。暖かい日差しでなんとか持ちこたえられるのも午後3時が山。太陽が足早に傾きだすと、底冷えする寒風が体を刺すように吹き抜ける。冬を本格的に意識する1月2月と違い、まだ秋の暖かさの名残が記憶から抜けないこの時期は、気持ちの中の寒さは実は一番厳しいのかも知れない。

 そうとなれば、農作業をするのは午前中から昼過ぎにかけてというきわめて短時間に集中せざるを得ない。ここ数日は、稲の脱穀がメインの仕事であり、毎日足踏み脱穀機を納屋から田んぼに上げ下ろすのもひと苦労である。昨年入手した「足踏み脱穀機」は、今年の米作りの仕上げを飾る、準主役級の活躍をみせている。所々に古傷がのこり、主要部品が欠けていたりと、ひと手間かけずしては有効利用もままならないが、今年いっぱいの作業はこのまま無事に終えられそう。もうしばらくの酷使に耐えてもらって、後でしっかりメンテナンスをするからがんばっておくれ。

 ボディの8割が木製、主要の駆動部分と脱穀の歯のみが金属製という、レトロなこいつを是非、愛でてやって下さいませ。

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 うっすらと文字が残る、昭和のかほり。

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 猛々しい歯で、稲籾をこそぎ落とす。

posted by 学 at 17:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月16日

満月な一日

霜月十五日  暖か晴れ

 「金曜日に遊びに行くよー」と、表現者である友人T氏が押しかけてきた。冬の閑散とした江南の景色にいまだ頑固にたたずむ稲木干しが目印の我が田んぼになかなか興味ありの様子。同行参加のC女史は某料理雑誌の編集者、米の偉大さについて論じあって来たという二人は今日の脱穀作業を嬉々として手伝ってくれた。

 足踏み脱穀機を粛々とセッティングしながら、脱穀予定の稲穂を稲木から運んでもらう。今日の目標は「イセヒカリ」をほぼ終わらせること。作業量は多い。友人に自然農の概要を伝えながら準備作業をする「感覚」も少しずつ身に突き出し、手を動かしながら偉そうに指示を出すのも慣れてきた。
 足踏み脱穀は一度経験すればコツをつかむのは容易であり、T氏もC女史も小生の手ほどきを聞きながらも、自分のスタイルで小気味良く脱穀作業が進む。小生も足踏み脱穀はこれで3期目であり、回転スピード、効率的な穂の叩き具合、機械のセッティング、少しずつ自分の体に馴染みだしている感覚は素直に嬉しい。

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 3時間、3人で一心不乱に脱穀作業の末、ワイワイやりつつもノルマは達成。30kg用の米袋にパンパンの稲籾が脱穀されました。(もちろんこれから唐箕にかけて精米すれば量はジワジワ減りますよ。)

 よく働く一同に天も気を良くしたのか、いつもの午後からの寒さが姿を見せず日の入り近くまで陽気が続いた。それじゃあ畑もということで、土産代わりに里芋と冬菜を収穫に向かう。言い訳だらけの今期の畑は、ぱっと見たら荒地にしか見えないとの率直な意見も耳に流しつつ案内を続ける。これも慣れのひとつかも。収穫物にはある程度満足させながらも他にも何かないかと畑を見回して、ふと小豆を見つけた。この小豆は、昨年育ててこぼれた種が自然に発芽して成長したモノだが、手入れを全くすることなくも、見事に育って実をつけている。これも自然農の醍醐味だぜいと虚勢を張って、こそりと小生自身も自然の隠れた底力に改めて感動してみたりした。

 夕刻、野菜を渡して見送るつもりが「この野菜使って一緒にご飯食べようよ♪」という団欒に飢えた男へ痛恨の誘惑が放たれ、見事撃沈。友人宅へ上京し、蒸かし芋から水炊き、エビスビールに芋焼酎までのフルコースに満足の夜を過ごすことと相成りました。今宵は満月。冷えが厳しい夜も、ほんのりあったかい満月。


 大学生活以来、お互いに悩みつつも自分の道を選ぶことを潔しとした同士であり、その表現方法↓はともかく(笑)純粋に尊敬できる友。そして新しく出会えた、好奇心が重なる部分が嬉しい友。これからも頑張ろうと握手して、終電に乗り込んだ。

 
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もちろん、ここで採れた大根ではない…(涙)



Crazy Harmony:友人Tの音楽的HP
          …「ジャズからポップまで、幅広いジャンルを熟知しサンドイッチの
            ごとく簡単に料理してしまう」男。(ボストン・グローブ紙評)
posted by 学 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 友と共に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月19日

食べること

霜月十八日  寒い…(天気じゃないか)

 「農」、というのはどうしても「食べる」という行為へと最終的に繋がるため、どうしても食品への関心が日常的になるもの。とはいえ、小生は特にベジタリアンでもなければマクロビオティストでもなければスローフーダーでもなければ野菜ソムリエでもない。オーガニック野菜の範疇に入る農作物を自作してはいるが、スーパーに行けば特売野菜も買うし、添加物たっぷりのスナック菓子も好物である。今後、商売として「自然食」のようなコンセプトを目指したいとは思っているが、日常生活はまた別の話でもある。

 自然農的リンクにもあるyoyoさんのBlogで、オーガニックな鮨屋さんがあるという記事を読み、そのこだわりの潔さに小気味良さをおぼえたと同時に、改めて自分の認識の甘さを痛感することになった。「あああぁ、そうだよね。そりゃあ今の日本の食物産業(特に生産、加工、外食において)でモノホン自然の恵みをいただける筈はないよね。」と。

 すでに世の中が、添加物、科学薬品、工業的食品に依存することなく成り立たなくなりつつある現状にあって、それらを体内に取り込むことを否定することは、「個人的に」不可能である。現代の便利さという果実の背後には、天然自然の恵みだけで生きることは許されないという十字架を背負わされていることを胸に刻むべきだ。世の中のほとんどが「経済性」を最高位の判断軸にして動いていこうとしてる中で、食の安全のみをその軸から外して考えようと言っても無理がある。政治さえも経済性を最重要課題のように捉え、「住」の安全が経済性によって損なわれたのが強度偽装問題だとすれば、米国産牛肉輸入問題や残留農薬野菜問題、食糧自給率や農家離れ、さらにはアトピー、アレルギー問題にいたるまで、「食」の安全は経済性という現代の神話によって蝕まれている。いくら「個人的に」避けようとしても。

 一方、そんな時代にあって「オーガニック」「天然もの」「トレーサビリティ」などの反発軸が表面的に紙面を賑わせているのも事実。「自然農」など、はたから見れば、そんな反発軸の最右翼に位置する概念であろう。小生は、結構、毒は好きです。化学薬品も添加物も農薬も、それを摂取せずには生活し得ない環境でもあるし。ただ、自分で「選ぶ」ことができるなら、そして可能な限り自分で「創る」ことができるなら、体と気持ちに心地よい食べ物を食って生きていきたいと思う今日この頃なんです。皆様も、少しずつ「選んで」みてはいかがでしょうか。

 最後に付け加えるなら、小生には、科学的に添加物etcが人間の体にとって真に害であるかどうかはわからない。ただ、そういう手間を加えないとうまく回らないような世の中は結果的に(鉱物資源や自然環境の点などからも)高コストのように思われ、自分にとって心地よくないだけなのだろう。あーシンプルに生きたい。


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 〜自然農里芋のセイロ蒸し〜  ……シンプル過ぎ!? (写真提供T氏)



※yoyoさんの記事は↓こちらから↓
  ◎オーガニック鮨を囲むセミナー についての記事
  ◎オーガニックな鮨屋さん 大内 についての記事

posted by 学 at 21:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 食の喜び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月20日

脱穀完了

霜月十九日  晴れ

 田んぼの隣を流れる和田川の土手を歩くと、川面の北側の日陰に沿って、ふんわりとした氷が広がっていた。いやはや、寒さがいよいよ目に見えだしてきた。

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 今日の作業は、最後の晩生種の脱穀。予定通りとはいえ、冬至が近づく田んぼに稲木が映える姿は、なんとなく恥ずかしいものでもある。神様が、いい加減に終わらせなさい、と腰の重いインチキ百姓を追い立てているのだろうか、朝起きると稲木が横倒しになっていた。これで気合十分、何が何でも今日中に終わらせてやる、とやる気に火がつく。自然農の諸先輩方に、脱穀は年内に済ませるのが吉と言われていた理由はこれだけではないだろうが、確かにこの冬の風も一因だろうなあとまた自分の糧が増えた。教訓の一句。

 −脱穀は 風が稲木を 倒す前−


 さあ、これで今期の米作り、田んぼでの仕事は完了完了。あとは、唐箕(風で籾と藁屑を選別する道具)にかけて、籾摺りして、新米が口に届けばハッピーエンド。さあ、年内のハッピーに辿り着くまで、、、、あと十日!? 




気まぐれ写真館   …和田川を検索していたら見つけました。
 (byフカダソフト)  関東地方の河川風景を中心に、実際歩いたような
            コメントがなかなか現地人にとっては嬉しいかも。

           …和田川1の(6)は、まさしく我が田んぼのすぐ側!
posted by 学 at 23:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 田の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月24日

負け惜しみ

霜月二十三日 晴れ

 風邪をひきました。今年の風邪は、消化器系にくるみたいです。ご注意を。

 風邪薬をのまず、徹底的に汗をかいて寝れば、2日で治ります。風邪は自分の免疫系が正常に働いているか知る身体測定。2日間の人間ドッグ。皆さんの免疫系は万全かな?

 さ、寝よ寝よ。
 
posted by 学 at 19:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月25日

成果

霜月二十四日 晴れ 

 ひとますに 盛りつつ思う 今年かな

 
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 ついに今年の第一弾。数種類の籾摺りと精米が一段落つきました。なにはともあれ、この白い山の為の一年だもんね。よかよか。
 
posted by 学 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 田の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月29日

遠くまで

霜月二十八日  晴れ

 冬日のさす部屋の中で、来年の種籾用の脱穀作業をする。床に新聞紙を広げて、その上で稲穂を手でしごく。年の瀬のTVを横目で見ながら、ひとり胡座をかく。今夜の友人との飲み会を楽しみにしながら、無言で手を動かす。部屋が枯れ穂の埃でいっぱいになる頃、胡座の右足が痺れだす。痺れが切れて作業が完了すると、西の空に一番星があがっていた。

 
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 関東地方の冬の空は、さえぎるものがなくて良い。遠くまで、遠くまで、想いも夢も届きそうな気がする。冬至から小寒を迎えるこの時期の夕暮れは、いつよりも澄みきり人の気持ちに深く染み込む。空を見て、宇宙を感じ、地球を感じ、自分を感じる。大切なものを想うには、何よりの空。

posted by 学 at 18:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月31日

もう少し

師走一日  晴れ

 2005年の最後の畑に出て、大晦日の食材を収穫。といっても、短い長ネギに極小の大根、可愛い可愛い小カブを数個。かくして、年越しのメイン料理は自然農の「白米」に主役を譲った。細く長くを祈る年越しそばではなく、丸く輝く年越しご飯にして、新米の収穫を喜んで頬張ることにした。

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 こんな大根でも、昨年よりは、倍の長さに育ってくれた。耕さなくても、雑草をかき分けて自分の力で大地に根ざしてくれた。耕せば、肥料をくれれば、現代農業でやれば、スーパーに飾られる大根は育つ。何故自分はそうしないのか。何故近道を選ばないのか。何故わかりやすい答えを選ばないのか。もう少し、その問いは続きそうです。もう少し、考えながら、種を蒔きつづけたいと思います。

 除夜の鐘が聞こえてきました。それでは、よいお年を。
posted by 学 at 23:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする