注)記事の日付は太陰暦を用いております

2006年09月07日

訪れ

閏七月十五日 曇り

 暑い暑い残暑が続いたと思ったら、翌日は鳥肌の立つような寒空に覆われ、今日はまた曇天とともに蒸し暑さがぶり返している。恐れていた大型台風11号は遠く東の空に去り、代わりに秋雨前線が日本列島に横たわっているらしい。

 バイクで駆けると、ちらほらと稲刈りの風景が見られるようになった。いよいよ、収穫の秋である。

 明日からは白露、農作業に優しい気候が待ち遠しい。


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【白露】…陰気ようやく重なりて露にごりて白色となれば也(暦便覧)  
     白露は「しらつゆ」の意で、この頃、秋気も本格的に加わり、
     野草に宿るしらつゆが、秋の趣をひとしお感じさせる。
     せきれいが鳴き始め、つばめが去っていく。
     ※読み:ハクロ 
     <参考:【室礼】和のこよみ
posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 暦の調べ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月10日

一難さって

閏七月十八日 晴れ

 夕方6時。ここ数日、日が沈んで畑から帰って時計を見ると決まってぴたりとその時刻となる。いつの間にか夏至から3ヶ月も過ぎて、気がつけば秋分は目の前に来ている。秋分の前、暦は白露を迎えてはいるが、なかなかどうして、まだまだ暑さに勝てぬ昼間が続いている。

 昨日の土曜日、隣の田んぼでいよいよ稲刈りが行なわれた。遠巻きにコンバインの入る姿をみて、内心はヒヤヒヤものの光景。隣接する箇所がぬかるんでしまって走行に支障がでないかとの懸念も杞憂に終わり、ひとまず迷惑はかけずにすんだという最低限のノルマがクリアされ、心の底から安堵のため息が漏れた一日となった。

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左:つくし水田/右:収穫を終えた慣行田



 さて、その悩みの種であった水周り問題であるが、数日以内に稲刈りが行なわれるという話を前から聞いていたこともあり数日前からじつは田んぼの水を落としていた。出穂を次々に迎えるこの時期の自然農の田んぼにとって水田の水を落とすことは避けたいところではあるのだが、継続的な自然農活動のために涙を呑んでの対応であった。ごめんね、稲ちゃん、許しておくれ、と何度心で泣いたことか。

 そうした今週末。ようやく隣の稲刈りも終わり、いよいよ水を自由に入れられると喜んだのも束の間、今度は水路に水がない。水がないのだ。慣行農の水田では収穫は9月がほとんど、もはや水路に水をたたえる必要はないというのか、田んぼに水を取り込みたくとも水路に水が流れていないのだ。

 とはいえ、残念、と天を仰いでいる暇はない。こんな時の為にと今夏、こそりと買い叩いていた揚水ポンプを物置から運び出し、てんやわんやの準備作業の末、勢いよく水路の残り水を吸い上げるエンジンが自然農園の水田脇にこだますることとなった。(なにやらサラリと書いてしまったがとにかくなんとか対応できたという感じでありました。)

060910pump1  060910pump2

古めかしいポンプよ…             水を田んぼへ!!!



 理想で「鉱物資源に頼ることなく」と言いながら、こうしていざというときに泣きつく葛藤を乗り越えて。

 ふう・・・。
posted by 学 at 21:37| Comment(5) | TrackBack(0) | 田の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月18日

オクラのごとく

閏七月二十六日 雨のち晴れ

 古代米が色づき始めると、今年もなんとか頑張った甲斐があったなあ、と嘆息する頃になる。収穫はまだまだ先のことながら、暑さのピークを思い返して自分を褒めてあげたくなるのである。

 そんななか、畑では8月末に蒔いた種が、うまくいったりいかなかったりしながらも着実に根を下ろし始めた。強い、と評判の蕎麦はずらりと芽を出したと思っていたらあっという間に花盛り。小さくて白い可憐な姿は、その力強さと反比例してはかなく目に映る。もっさりと茂る夏草の上からばらばらと撒き散らし、その後に草を刈り倒しただけなのに、かように見事に花を咲かせる姿は、自然農ならではの光景である。
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 一方で同時期に同様に蒔いた他の菜っ葉ものの種はなかなかうまく芽吹きが見られない。播種後に暑さと降雨が増し、雑草の発芽も十分に促されてしまったのだろうか、消えてしまったり埋もれてしまったりと散々の様子。秋の深まるタイミングを計らないと自然の営みに覆い尽くされてしまう失敗もまた、自然農の取り組みから学べる体感なのだろう。


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 ついつい採り忘れてしまったオクラが、存在を誇示するように天を向く。毎年のことながらこの生命力の漲るさまには圧倒されるとともに、ついつい抱きつきたくなるような頼もしさを覚えてしまう。

 農園は秋を迎えて訪問者の声が多くなり、本日も、また一人参加者が増えることになった。少しずつ、少しずつ。蕎麦の花のようにしたたかに、オクラのようにしっかりと天を向いて、日々を過ごせるように。
posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 畑の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月20日

ニヤリ

閏七月二十八日 晴れ

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 最晩生の古代米、黒紫苑が出穂し、花をつけだした。

 これでようやく、すべてのお米たちが秋の収穫までカウントダウンを迎えることになった。可愛い奴らめ、と写真に収めようといそいそと田んぼに出ると、東側に隣接する田んぼのご老父が手刈りでの稲刈りを行なっていた。ずらりと並べられた稲木が見事でついつい邪魔して話しかけると、腰に結わえた稲わらを手に取りながらこちらに気づいてくれた。

 「稲が倒れてしまってねえ、これでないと刈れねえからね。追肥がだめだったんだな、雨と、暑いのと、うまくタイミング合わないと倒れやすくなっちまうみたいだねえ。ま、知らないことばっかりだから(ニヤリ)。」
 専業なのか兼業なのかは聞いてはいないが、その手つき腰つきをひと目見るだけでどれだけその体に染み付いてきた所作なのかがわかる。そのじいさまの口から「知らないことばかり」と出るんだからまいってしまう。

 こちらが迷惑かけてないかとたずねても、それどころか頑張ってくれと答えて、何の関心もないように振舞ってくれる。それがなんともありがたく、少しのあいだ話に耳を傾けていた。一ヶ月後に控えたこちらの稲刈りに向けて竹竿や農具を借りれないものかと相談すると、これまた快いお返事。干しが終わって空いていたら勝手に使っていいから、と別にたいした事でもないようにつぶやき、また稲刈り作業を始められていた。週末には老人会で出かけるから刈っておかないといけないんだそうな。

 
 優しさと、匠ぶり、老人の偉大さ。


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出穂したばかりの黒紫苑(左)と、頭を垂れだしたイセヒカリ(右)と、奥に並んだ稲木干し
posted by 学 at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 田の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月21日

うるうづき

閏七月二十九日 晴れ

 明日から葉月。今日は閏七月の晦日である。

 太陽暦で生活する今の日本人には全くといっていいほど縁のないこの「閏月」であるが、旧暦をカレンダーにして暮らしていると、3年に1度ほど、この名前に遭遇することになる。

 ここからはネットで調べたことですので、正確を記すようにしておりますが話半分でご覧あれ。


続きはこちらから
posted by 学 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 暦の調べ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月23日

狼煙

葉月二日 【秋分】 晴れ

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 突き抜ける青空が高く、風が乾いた涼しさを運んでくる。 晴れ間の日差しは力強いのに、ふと雲間に入るとその温もりがとたんに肌から逃げていく。 ふりそそぐ金木犀が鼻を刺すほどに芳香を放ち、キクイモが山吹色の花弁を天に広げている。

 秋の入り。



 「暑さ寒さも、とはよく言ったもんですよね。」一週間前との明らかな違いを五感で思い知り、一日いっしょに作業したyamaさんと話した。

 これから一ヶ月後に始まる稲刈りの前に、秋蒔き野菜をどしどし植えなければ。味覚、スポーツ、芸術、全ての「秋」を包み込む、「自然農の秋」の始まりだ。この、夏の終わりを体感する頃の「丸一日思い切り農作業した時の爽快感」こそ、秋のワクワク感の「のろし」なのだ。



【秋分】…陰陽の中分となれば也(暦便覧)
     この日は秋の彼岸の中日。
     先祖を敬い、亡くなった人の御霊を偲ぶ日として親しまれている。
     また、この日は春分と同じく、昼と夜の長さがほぼ等しい。しかし、
     秋分の日と春分の日の気温を比較してみると、平均気温で秋分の方が
     10度以上も高くなっている。夏の暑さの名残があるからである。
     雷が鳴らなくなり、虫は地中に隠れ、水が涸れ始める。
     ※読み:シュウブン 
     <参考:【室礼】和のこよみ
posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月27日

よどむ

葉月六日 雨のち曇り

 メンドクサイ。

 小生を構成する要素はいったいどれほどこの言葉で占められているのだろうか。

 雨も曇りも関係なく、やる気も怠ける気も中途半端で、時間が過ぎる。

 数日前の「ワクワク感」とやらはいったいなんだったのか。


 答えはいつも、自分の中に。
posted by 学 at 23:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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