注)記事の日付は太陰暦を用いております

2006年12月02日

お披露目

神無月十二日 晴れ

 ぽかぽかの休日に、昔ながらの農機具での農作業。おにぎり。お漬物。あと他に、なにかいるだろうか。

 ピーカンに晴れた空があまりにも心地よくて、隣の芝生畑に唐箕を運んで撮影会まで催す始末。この秋にネットオークションで手に入れた、栃木県出身のこやつ。フォルムと佇まいは古(いにしえ)の重みを感じさせながらも、軽やかな木の素材感がどことなくモダンデザインを醸し出す。ひとこと、カッチョイイではないか!

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この存在感♪


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そして反対側♪



 グルグルとハンドルを回すと、緻密かつシンプルなからくりで風が起こり、上部から投入される脱穀後の稲籾を選び分けてゆくこの機能美。重みのある籾は下に受け、屑米や藁、ゴミなどは風圧で吐き出されてゆく。自然農で育てたからといって昔の手法で精米する必要はないのだろうが、できるかぎり自分の手で、足で、目や耳で作業することで、米を食べる面白みや深みをさらに知ることができると言ったら言い過ぎだろうか。自分の手で起こした風で、自分の育てた米を選別していくという行為は、なんだかとても意義のあることのような気もするのだ。




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 家の裏の芝生で、minaさんのおにぎりとインチキ百姓の漬物のランチ。極美味なのですわ。
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2006年12月03日

栗と稲株

神無月十三日 晴れ

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 嬉しい晴天が続く。寒空にいよいよ枯れ色を強め始めた稲株を、駆け込み乗車で刈り急ぐ。晩生の緑米や黒紫苑が青空に映えるさまは、美しきこと限りなしである。



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陽射しが差し込み、稲刈りモードにスイッチオン。



 小生もメンバーに負けずに駆け込み稲刈りを慣行していると、かじかむ刈る手に鋭い痛みが走った。稲株を握って離した手の先を覗き込んで驚いた。分蘗した株のちょうど真ん中に、イガに身を包んだ山栗がすぽりと納まっているではないか。まるで剽軽であり、そしていったいどこから飛んできたのやら。来歴の可笑しさと姿の美しさに思わず脱帽し、指先の痛みも手伝ってその株を刈るのをためらったほど。

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↑クリックして上からみた様子も是非。↑


 手伝いの力も借りながらぞばぞばと猛烈な勢いでひと区画を刈り終え、陽が傾く前にと稲架掛けを急ぐ。稲株を纏め縛り、干し並べる途中で一株分の太さが足りない稲束がどうにも気になり、刈り残していたあの栗入りの株を迷いながらも刈ることにした。栗は山へ、稲穂は稲架へ。あるべく場所へ、あるべくように。

 人も、草木も、そうシンプルに生きられればよいがそれもまた難しく。時折舞い込み心を揺さぶり揺さぶられてまたあるべき場所へ。そこがいるべき場所なのか移るべき場所なのかは自分が決めるしかない。少なくとも、人間は選ばなくてはならない。神無月の十三夜、ひと月遅れた栗名月に何を想う。
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2006年12月19日

ドシリもち

神無月二十九日 曇り

 家の中にいても体の芯まで冷えてくる。週末の土日、楽しく賑やかに今年最後の農園の集合日を迎えた。大勢が集まって脱穀作業にトライ。日曜日には近所の農園カフェ「ピクニック」さんの「餅つき大会」との合同企画。もちつきの隣で昔ながらの脱穀作業を行い、ちょっとしたイベントとなってお客さんにも喜んでもらえた様子。

 昨年のモチ米を籾のまま保存しておき、先日籾すりをしたものを「餅つき大会」へ。自然農の玄米モチ(さらに黒米、緑米入り)ということで耳目を集めることもさながら、実に奥深い美味しさにつきあがり、好評のうちに完売となった。小生も、自分の育てたモチ米を餅として食べたのは初めて。本当に、旨いんだよこれ。


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 1年保存していても旨さが衰えぬ籾保存の強さ、玄米モチの歯ごたえと風味、黒米の彩り、ドシリとした存在感。
 

 脱穀、籾すりが半分ほど終わった喜びもさることながら、この味覚の喜びは他に例えようがない。
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2006年12月21日

しつらえ

霜月二日 曇り時々晴れ

 テレビやラジオからは、本日は寒くなりますとの声が聞こえてきたが、つくばではのんびり脱穀作業できるような温もりのある昼であった。

 今年の反省のひとつに、昨年の稲藁を屋外に置いてしまった為に腐らせてしまったことがある。稲を育てて脱穀した後に残る藁は、八割は田んぼに戻し、あとの二割ほどを翌年の農作業に使用するようにしている。冬野菜の霜よけや苗床の敷き草、えんどう豆の蔓渡し等の畑作業はもちろんのこと、次の実りの時期に稲束の縛り紐(縄?)としても重宝するのだ。稲藁は乾燥させていれば保存が利いて利用しやすいのだが、今年のように土の上に直に置いてしまうと見事なほどに土に分解されるのが早い。とはいえ屋根つきで風通しが良くて稲藁ごっそりと置いておけるような場所もそう簡単にはみつからない。が、近所の爺様に知恵をもらうことができて、家の隣の建物の柵に上手いこと縛り付けて(しかも風情ある感じで)並べることができた。

 自然農での農作業は、使う資材が自然にあるものを上手に利用することが多いためちょっとしたことでも趣きある風景になるのが良いところだが、そういう気持ちを忘れてくるとどこかしら景色が格好悪く見えたりすっきりしなかったりし、不思議なことにその歪みは回りまわって作物の不具合につながってくるような気がする。
 しつらえが良い、とでも言えばいいだろうか。いつも思うことだが、自然農の大先輩方の畑を見学すると、その佇まい、在りようの美しさに驚く。どこが、とは言い表しにくくとも、雑草たちと野菜たちと、そしてその周りの人工物も、一緒になってそこにあるように見えるのだ。なかなか「美しさ」には辿りつけないインチキ百姓の暮らしではあるが、自然に倣って暮らしながら少しずつ整えてゆきたい。



 本日も、間引き野菜を美味しくいただきました。


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 〜二十日大根、水菜、ふだん草、赤大根〜
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2006年12月26日

深酔い

霜月七日 雨

 12月とは思えない大雨が降りしきる。これが暖冬ではない年だとしたら大雪だったのだろうかと思うとまた、怖くもありワクワクするこころもあり。とはいえ通例の気候だとしたら気圧配置や雲の移動もこうしたものにはならぬであろうから、この大雨もなかったのかもしれない。とにかく、珍しい雨である。

 夜、今年親しくさせていただいた方たちと忘年会として飲む。もっぱら、来期どうしましょうか、との話題に花が咲く。人を呼ぶ立場、サービスを提供する立場、組織を運営する立場などを背景に、かつ自身のバックグラウンドと夢と方向性を乗せて、酒にまかせてわいわいがやがやと。いままで一人だけで年の瀬を越えて来年を思い描いて悶々としていたことが、少しずつではあるが「想い」を共有する人達とこうして話し合えていること。それがどれだけ自分にとってありがたいことか。

 冬至、天皇誕生日、クリスマスと、イベント的な年末の週末が過ぎ、季節外れの大雨に襲われ、酔った勢いで来年の話に花を咲かせる。一見にぎやかで、しかし中身はとても静かな年末。噛み締めて歩いていかなければならない。ふーむ、どうも深酔いしたかな。
posted by 学 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月31日

さて

霜月十二日 晴れ
  

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〜 つとめてに 降る霜冷えて 年を越ゆ 〜




 ここ数日の暖冬ぼけ気味のインチキ百姓を張り倒すような、厳寒の大気がつくばの地を包みこむ。これではいかんとさっと掃除をして、正月飾りを部屋に供えた。

 旧暦をキーで叩いているとなんだか年の瀬ムードが一気に失われていくが、さりとて今年もいよいよ終わりである。水回りの拭き掃除を終えて、ひと休みのお茶を入れる間に今年の正月に綴った日記を読み返してみた。
 五年前から、毎年正月にその年の「言葉」を決めているが、今年は「播種」としていたことに久しぶりに気がついた。種はうまく撒けたのだろうか、いや違うか、撒けたかどうかは問うべきではない。今年を播種の年と位置づけ、来年をどのような年にするかが肝要なのだ。


さて。

posted by 学 at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする