注)記事の日付は太陰暦を用いております

2006年12月03日

栗と稲株

神無月十三日 晴れ

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 嬉しい晴天が続く。寒空にいよいよ枯れ色を強め始めた稲株を、駆け込み乗車で刈り急ぐ。晩生の緑米や黒紫苑が青空に映えるさまは、美しきこと限りなしである。



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陽射しが差し込み、稲刈りモードにスイッチオン。



 小生もメンバーに負けずに駆け込み稲刈りを慣行していると、かじかむ刈る手に鋭い痛みが走った。稲株を握って離した手の先を覗き込んで驚いた。分蘗した株のちょうど真ん中に、イガに身を包んだ山栗がすぽりと納まっているではないか。まるで剽軽であり、そしていったいどこから飛んできたのやら。来歴の可笑しさと姿の美しさに思わず脱帽し、指先の痛みも手伝ってその株を刈るのをためらったほど。

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↑クリックして上からみた様子も是非。↑


 手伝いの力も借りながらぞばぞばと猛烈な勢いでひと区画を刈り終え、陽が傾く前にと稲架掛けを急ぐ。稲株を纏め縛り、干し並べる途中で一株分の太さが足りない稲束がどうにも気になり、刈り残していたあの栗入りの株を迷いながらも刈ることにした。栗は山へ、稲穂は稲架へ。あるべく場所へ、あるべくように。

 人も、草木も、そうシンプルに生きられればよいがそれもまた難しく。時折舞い込み心を揺さぶり揺さぶられてまたあるべき場所へ。そこがいるべき場所なのか移るべき場所なのかは自分が決めるしかない。少なくとも、人間は選ばなくてはならない。神無月の十三夜、ひと月遅れた栗名月に何を想う。
posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 田の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする