睦月三日 曇り時々雨
春節、旧正月を迎えて三日。とりたてて目出度い様子もなく冷たい雲の日が続く。旧暦の季節感を知るようになって十年程が立つが、どうしても、旧正月の越し方が身につかない。自分にとって正月とは、空気が乾きだして身を切るような風に体がようやく対応しだした、あの12月末の軽薄な空気こそであり、あの元朝参りの明け方の軽やかさにこそ正月の厳粛さを覚えてしまう体になっている。
対してこの時期とは、寒さはほとほと身にしみた頃であり、時折の春の息吹に心身がくすぐられて良くも悪くも次の季節を待ち焦がれ、ただ時折の重いかたまりのような底冷えや突風には甚だ嫌気がさすといった、なんとなく重量感のある空気である。しかし江戸時代までの日本人にとって正月とは、まさにこの季節を迎えての正月でしかなかった。12月のあの軽薄乾燥な空気はまだまだ収穫物や農作業も最終盤を迎える忙しさであり正月などでは決してなく、立春前の寒さの極みに師走を過ごし、春を目の前に迎えた今のこの空気こそが正月であり、迎春であった。
迎春。本来であればなんと季節感のある言葉であろうか。しんしんと降る雨に手指が動かぬほど震えても、数日前の暖かさを思えば春の近さを信じることができる。そんなこよみの頃。だからこそ、歳を改めて祝いをもうけ、次のひと回りを始める心構えとしたのではないだろうか。
もちろん、それが新暦であっても旧暦であっても、新年を迎えるという人間特有の文化習慣であることには変わりなく、それはいつでもいいのかもしれないと言える。しかし、季節と気候が文化風土にいかほどの影響を与えてきたのかを思うと、日本の文化とはやはり旧暦での暮らしに礎を築いており、その残り香を知ろうとするのは決して無駄なことではないように思えるのだ。
で、さて。
本当は、旧暦の大晦日(今年は2月17日)までにお節料理を用意して、旧正月を雑煮やおせちで楽しむつもりだったのだが。年越し太巻き寿司は楽しく堪能したものの、絵に描いていた餅は屏風から出ることなく、副業に多忙を費やしていつもの2月を過ごしているのでありまして。まったく正月なぞの趣はなく。せめて小正月には、ホンモノの旬の「七草」粥でも食べたく思うのでありますが、はて。
注)記事の日付は太陰暦を用いております