睦月三日 曇りのち雨
今年のひとめぐりが、寒さと笑顔の中でスタートした。立春も過ぎた週末の土曜日、見学者や新規のプレーヤーも含めて20名ほどの参加者とともに、15時過ぎの雨の訪れまで開墾作業に汗を流した。(※
農園Blogにて詳述)
昨年までの2年間、暖かさがじんわり広がる3月に行っていた開始していた農園のスタートを、今年から一ヶ月早めたのは理由がいくつかある。草が生い茂る耕作放棄地にゼロから取り組む今年の田畑では、2月のうちにある程度まで畝作りを済ませていないと3月からの種播き作業に遅れが出かねないという点が一つ。
またそうした開墾的な作業だけではなく今後も毎年行う作業ということで言えば、寒さの厳しいうちに前年までの崩れた畝を整えたり米糠などの補いをこの時期にしておいて、いざきたる種播きシーズンへの準備作業から1年のスタートを迎えるのが、小生にとってなんとなくしっくりくるというのがもう一点。
そして、暦の中でもそうした始まりを自然と意識させられるのが残りの一点である。庭の梅の木の蕾のふくらみを立春に見つけて、やっぱり春が生まれてるんだなあ、と暦の妙味はいつも小生を感心させてくれるのだ。
しかし立春は、季節が春に「移った」日ではないと思う。二十四節句の立春の頃は冬の真っ只中であり、例えれば冬の勢いが10の中でようやく0の春の命が誕生する頃だと言える。生まれた春は、夏の盛りの立夏(例年8月7日頃)までの半年の命を全うするのだと考えてみる。季節は3ヶ月ごとに4つの季節に分かれるのではなく、半年の命を、重なる2つの季節の衰勢の中で移り行くようなものなのではないだろうか。立春、立夏、立秋、立冬は、まさしくその季節が産声をあげる頃、すなわち季節の量は0であり、つまり前の季節の勢いが頂点である頃である。これに対応して春分、夏至、秋分、冬至はこれもまた文字通りはじめてその季節にバトンが渡される時期、季節の勢いが入れ替わる頃だとしたら随分と季節感がぴったりくる。
例えば、春分(3月21日頃)は冬の勢いが5を下回り、立春に生まれていた春が、冬に勝りようやく5を上回る時期だと言えよう。そして立夏の頃に春が10を迎え新緑の勢いが極みを見せ、命を閉じた冬に代わって夏の息吹が聞こえ始める。春と夏のバランスは次第に移りゆき、夏至(6月22日頃)にいたって春が5を下回って、夏に主役の座を明け渡す。そして夏の暑さが極まる立秋の頃、生まれくる秋を待って、春は静かに幕を下ろす。
とはいえそんな頭の中の妄想はそれはそれの話。実際のところ、例年よりひと月早く、2月のこの時期に農園の農始めを行うことにしたのは、冷たい風の中で春の芽吹きを探しながら土木作業をする、その厳しさと待ち遠しさのワクワク感がなんとも言えず始まりを予感させてくれるから、なのかもしれないのだよね。

ワクワク感は満喫したけど集合日の畝作り、草刈りは、楽しさに比例して、やっぱり体に応えたな〜(笑)。とはいえ、一人だったら40時間の作業、20人なら2時間で終わるのだから、人数の力とはいやはや偉大である。麦焼酎の麦茶割りが、疲労に沁みてまことに美味い、今年の農園はじまりの夜。