注)記事の日付は太陰暦を用いております

2008年11月05日

背景

神無月八日 晴れ


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photo by yamaさん



 先週末、四回目のつくいちが開催された。落葉樹が彩りを見せ始めるこの季節、肌寒い朝の時間にもかかわらず、馴染みの来場者や初めての方がいらしてくれていた。天候にも恵まれ、10時も過ぎる頃には秋の陽射しが公園を暖めだして、前日からの心配もよそに芝生やシートの上で早めのランチや休日の午前を楽しむ姿がテントの向こうに見ることができた。

 大学後輩で友人でもあるI君と、同い歳でパン職人のS君から、「つくばにもヨーロッパのマルシェのようなファーマーズマーケットがあったらいいよね。」と話があったのが昨年のこの頃だったろうか。(はっきりとは憶えていないが。)最初からキーワードがエコなわけでも、安心・安全でも、あったわけではない。漠然としながらも、「信念を持って、味や素材にこだわり、お客さんに対して届けたいメッセージがあるような」そんなお店や生産者が集まったマーケットで買い物が楽しめる、そうした市場が定期的に開くことができたらつくばはもっと楽しい町になる。そんな共有のワクワク感とちょっとしたプライドが、つくいちの出発点のような気がしている。

 「背景までおいしい」とは、つくいちのメインテーマである。背景とは、素材の生まれた場所でもあり、育った環境でもあり、加工の手段でもあり、作り手の顔でもあり、さらには届いた先のお客さんの顔でもある、のではないだろうか。それは、言葉だけの安全・安心・環境などよりもはるかに大事な、「来し方」と「行く末」を伝えてくれる、生産者と商品の「物語」でもある。 小手先のエコや、お手軽な安心・安全よりも、もっと大事な、人間の真剣勝負から生み出される本気の「背景」こそが「おいしさ」なのではないかと、そう思うのだ。そうした真剣勝負や想いが詰まった商品が、結果として持続可能な社会への配慮を築いていく。そんな市場がつくばに根付いていったとしたら、そりゃあ楽しい町になると思うんだよね。イーアスなんかではなくてさ。

 定義のしにくい「背景」ではあるが、友人のNさんがシェフを務めるナチュカフェBlogの記事を読んで、まさしくこれこそ「背景」だと痺れてしまった。言葉百遍の想いよりも雄弁に伝えるナチュカフェのソーセージのパワフルな美味さは、まさしく背景までおいしいメニューだったように思えた。

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photo by yamaさん



これからどのようなマーケットへと進んでいくかは楽しみでもあり若干の不安もありながらも、出店者たちの日常に確かな背景がある限り、おいしさは続いていくのだと思う今日この頃。



 そして振り返る、我が田んぼの稲刈り。いよいよスタート。自然農の田畑にも、背景がそこはかとなく詰まっています。

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※この記事の中の「つくいち」へのこだわりは、小生個人の私感であり、つくいち全体の考えを表すものではありません。
posted by 学 at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 友と共に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月06日

冬立つ前の

神無月九日 晴れ

 引越1年目で苦労した畑に、もうすぐ冬が生まれようとしている。立冬を明日に控えた、自然農の畑の点景を六点ほど。



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 <大豆>

 枝豆として栽培しながら、収穫もれした株をそのまま残して大豆への実りを待つ。霜が降りるか降りないかのこの季節、緑の莢が一斉に枯れ茶色へ変化し、柔らかい豆は日に日に固く締まっていく。莢が弾けて豆が落ちてしまわない内に刈り取り、干して大豆として、そして翌年の種として、冬を共に過ごす。冬作業のひとつ、味噌作りには、この大豆が主役へと踊り出る。


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 <タマネギ>

 初秋に球根植えしたタマネギが、枯れ草をかき分けて葉を伸ばしてきた。自然農の野菜の成長は、実にゆるやか。肥料を前提にした慣行農や有機農を想定した説明書には、早ければ晩秋から初春にかけて収穫できるとあったが、概ね自然農の畑では春から夏にかけて育って、ようやく丸まるとした姿がお目にかかれる。これから生命豊かな畑に育っていけば、もう少し早く育つのかもしれないが、今はその速度が、この畑での自然なスピード。
 

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 <ルッコラ>

 スーパーで買い求める野菜と自然農で育った野菜の違いが如実に現われる点に、その野菜の「香り」を挙げられるのだとしたら、香味野菜のルッコラはまさしくその代表格。今年の畑と比較的相性がよく(もしくは単に生命力が強いのかもしれないが)、折々に鮮烈なる香りを楽しませてくれた。友人のパン屋さんやカフェでもしばしば使っていただく度に、その存在感の評価が高く、なんとなく嬉しくなるので季節を問わずこれからも育てていきたい野菜のひとつ。よろしく。


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 <空豆>

 10日ほど前に播種した空豆が、今日の暖かさに反応してようやく土から顔をのぞかせた。冬越し野菜の代表格である空豆。秋に発芽して冬が本番を迎える前までに少しずつ成長しながら根を伸ばし、寒さに一度歩みを止めて雌伏して、春の息吹にあわせてまた活動を始める。雪に埋もれる空豆の苗を眺めて、初夏の空豆を思い浮かべるのことも、いつの間にか冬の作業の風物詩となってきた。


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 <チンゲン菜>

 夏に収穫してそのままにしていたチンゲン菜の畝を歩くと、枯れた雑草の中にひっそりと生き残るチンゲン菜の株を見つけた。栽培して収穫した後は耕運機で土を混ぜ耕す従来の農ではまずお目にかかることはないが、耕さない自然農の畑ではしばしばこうした野菜達の「その後」の姿に出会うことも少なくない。外の葉を落としながら成長していくために、タワーのように株下に茎をそびえ立たせるチンゲン菜の立ち様は、何か神々しくも見えてくる。


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 <マリーゴールド>

 線虫抑制のコンパニオンプランツとして、畑にばら蒔きしていたマリーゴールド。畑の営み自体が不十分であったために本命野菜の成育が思わしくなく、抑制効果の判断は翌年移行に持ち越しとなった。種も強く迷惑雑草として根付くことも多いとの話も聞くが、雑草と共存する自然農でどこまで上手に利用できるか。一斉開花の花畑が広がって、また来年の種に繋がっていく。畑を歩いて体が触れるたびに満ちるその芳香は独特かつ強烈であり、彼らの力強さを物語っているかのよう。



 それではおやすみなさい。
posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 畑の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月07日

深まり

神無月十日 【立冬】 雨のち晴れ 


 柿干して 西に連なる 夕日かな
 
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 明け方から午前にかけて冷たい雨が通り過ぎた。集合日の前日に予定していた副業が休みになり、二日前に剥いた柿を軒先に干すことにした。立冬とは、秋の極まる頃。冬立ってようやく、秋が深まる。さて、初めての干し柿はうまくいってくれるか。




【立冬】…冬の気立ち初めていよいよ冷ゆれば也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 秋:冬=9.9:0.1

     これから冬に入る初めの節で、この頃は陽の光もいちだんと弱く、
     日足も目立って短くなり、北国からは山の初冠雪の便りも届くなど、
     冬の気配がうかがえるようになる。
     冬の季節風第一号が吹き始めるのもこの頃である。
     時雨の季節でもあり、山茶花が可憐に咲き始める。
     ※読み:リットウ
     <参考:【室礼】和のこよみ>  
posted by 学 at 23:00| Comment(7) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月14日

なにぶん

神無月十七日 晴れ

 副業のため、つくばを少し離れている。

 農園の集合日を終えてから、様子をBlogに載せる暇もなく、駆け足でバタバタと生き急ぐ数日間をすごす。その間、つくし農園のプレーヤーが稲刈りに来られて、携帯電話で話しながら稲刈りについて少しお伝えしたり、つくいちで雑草屋本舗の野菜を買っていただいた方から、自然農野菜の感想や農園を見てみたいとのメールをいただいたり。

 なにぶん道の半ばにて、いろいろな方に不便をおかけしながらの自然農生活。「もう霜は降りたか」「来期の田畑はどうしようか」「サツマイモもどんどん収穫か」と、遠く空を見上げる。


 "我"がまま。"我"がままに畑に向き合うとはどのようなことなのか。自然農で育つ作物に、自身も育てられながら、なるようになるべく。


 さて、戻りは日曜。田んぼが恋しい。



posted by 学 at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月15日

小旅行

神無月十八日 雨上がりの夜

 秋葉原を21時48分に発つつくばエクスプレスで帰ると終着駅には22時40分に到着する。事前に確認しておいた、最寄のバス停までの最終バスに間に合う時間であった。その終バスに間に合うからと、横浜での今日の催しに参加してきたその帰り道の話。

 駅の出口をでて左に折れると、バスまでまだ5分ある停留所の灯りが気のせいか薄暗くなっていた。つくばは夜が早い。駅ビルの代わりをつとめるショッピングモールは20時に店を閉じ、飲食店も22時には閉店を迎えて駅の周りはすっかりと静まってくる。そうした普段のつくば駅を知っているだけにその薄暗さに別段違和感を憶えず、バス停に立った僕を待っていたのは、最終バス22時40分の表示であった。

 背中に軽い海外旅行並みのバックパックを背負い、無いと判っていながらも隣の筑波山行きのシャトルバスの停留所も確認してみた。が、やはり、あるはずもない。歩くか?いや、歩きたくない。タクシー?う…む…、なんと言う無駄遣い。思わず尻ポケットの財布に手を当てたその時、同様に無意味なバス停の時刻表をのぞきこむ青年の姿が目に留まった。おお我が同士。お前もか。そうそう、もうバスは無いんだよ。お前も歩くんだよ。そんな連帯感が生まれ始めたその時、僕はすでにその青年に話しかけていた。「筑波大学方面でしたら、タクシー乗り合いしますか?」

 青年の合意は躊躇無く気持ちよいもので、行き先方向を確認して二人で踵を返してタクシー乗り場へ向かうことへ。その途中、またも無意味に停留所に立ち尽くす女性が一人。「せっかくですから。」と青年に確認する間もなく、声はすでにもう一人の同士に届いていたのだった。
 
 そして、それだけの話。途中で順番に帰路に降ろし、割り勘を払い、それぞれの家へ。ただ、それだけの話。

 なんだかそのそれだけの、乗り合いタクシーと背中のバックパックが懐かしくて、少し嬉しかった。最後の乗客となり、家まで残り500mほど手前の交差点で、「ここでいいです。」とタクシーを降り、街灯の無い田んぼ道を歩いて帰ることにしてみた。雨上がりの農道を歩いたその数百円のオマケで缶ビールを買って帰り、なんともうまい一缶に辿り着くことができたのだった。


 乗り合いタクシーとバックパックと缶ビール。日本でもできる小旅行。終バスを逃したちょっとした出費と引き換えに手にした、とても緩やかな楽しさ。人間は、どこまでも楽しいのだ。
 
posted by 学 at 23:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月21日

宣伝

神無月二十四日 晴れ

茨城放送 1458kHz
サンシャイン・カフェ Siesta の番組内にて
「つくいち」についての放送が予定されています。
11月25日 15:20〜15:30 の放送です。

とりいそぎー。


追伸:取材の様子はこんな様子でベッカライブロートツァイトの店内で行われました。声で届けるというのはやはり難しいものです。

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放送当日は結局聴けず。つくいち当日にもアナウンサーの方が遊びに来ていただけるようです。次回の放送もあるかもしれませんね。
posted by 学 at 19:41| Comment(2) | TrackBack(0) | 地に足つけて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月30日

逆らわず

霜月三日 晴れ

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 稲を刈り終え、安堵す。里山と林に囲まれていた吉瀬から移り、筑波颪(つくばおろし)を正面に受け止めるここ玉取の田畑は、初冬の枯れ進み方が幾分速いように思われる。寒さを正面に受け止めた夏の命は、ためらわず逆らわず見事に枯れ果て、残された米や豆や芋は次の命としていよいよ習熟を迎える。枯れた命はそこで潰えるのではなく屍として田畑に重なり、また残る命は食物として種として次に繋がれやがては田畑へと戻ってゆく。

 自然農の巡りは決して絶えず、絶やさず、命の連鎖の中で次の命がまた育まれていく。作物も、雑草も、虫も風も雨も陽も、想いをもその巡りの中に包んで豊かさを増していくような気がする。

 身を切る北風を受けて臆面なく翌春へ身を預ける草々のごとく、己への困難と機会を正面に受け止めたい。どんな停滞も悩みも自己嫌悪も、自然農の田畑のように全てが繋がれて巡るごとく。ためらわず、逆らわず、枯れてみる。それこそが次の命の源であるから。
posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする