注)記事の日付は太陰暦を用いております

2008年12月05日

ぽっくぽく

霜月八日 曇りのち雨

 週末のつくいちで販売予定の「石焼き芋」を先日から少しずつテスト焼きしている。埃を被っていた中古の圧力鍋や煎餅が入っていた一斗缶に、ホームセンターにて数百円の丸石を敷きつめ、ストーブの上で数十分。えも言われぬポクポクの焼き芋が出来上がる。自然農イモは、ネバネバしたしつこい甘さがなく、落ち着きと清涼感がある旨味がある。人の意思で育てた甘さとはどこか違うような、軽くて深い甘さ。


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 冬、ストーブ、石焼き芋。幸せの方程式。

 
 ポイントとしては、掘りあげてから数日ほど置いておいたイモを、中火の火にかけた石の上で30分以上半密閉状態で焼いていく。ああ、それだけ。もう、ポックポクですわ。
posted by 学 at 23:07| Comment(4) | TrackBack(0) | 食の喜び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月08日

では乾杯

霜月十一日 曇り

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 日曜日のつくいちを終えて翌日。つくいちメンバーの、はじめての懇親会。乾杯の挨拶が「では乾杯♪」で、締めの挨拶が「来月も頑張りましょう!」。それだけ。それが今のつくいちの、象徴のように思えて、ちょっとワクワクした。

 イベントではなく、毎月の市場として根づいていきたい、という何となくの共有認識。「いいことやってる」ための確認場所でもなく、「いいことやりたい」ための表現場所でもなく、「いいこと一緒にやりませんか」というつながり場所でもなく、「わたしたちがここにいる」ための自己満足の場所でもなく。出店者のそれぞれの日々の中の、月に一度の出張所としての場所。こんな市場があったらいいよなと思った人がいて、その思いに相乗りする人がいて、各々の「こだわり」の一点は譲らずに、価値観を共有できる場所として生まれた定期市。

 でもそれは雑草屋の小松が一人で思っている「つくいち」でもある。こうして考えを表に出してみて、違和感を感じたりするだろうし、別の考えも出てくるのかもしない。いち出店者として、つくいちに抱いてるイメージを少しだけ書いてみたかった。決して「つくいち」全体がひとつの考えをもっているわけではない。「背景までおいしい」という曖昧にも思えるテーマに対して、誤解を恐れずに言えば本気で真剣に受け答えられるお店や生産者が集まる市場でありたい。そんな人たちが集まっているし、増えていってほしい、と思っている。そんなワクワク感が好きなんだと思う。
 
 選んだ商品の袋詰めの最中に「友達待ってるから早くして」と言ってしまうお客さんに対して、「どうして待てないんだろう?」と違和感をおぼえたりすること。何も買わずに挨拶もそこそこに写真だけ撮影してテントを離れていく来訪者に対して、それは失礼でしょ?と違和感をおぼえたりすること。お店にも客を選ぶ気持ちがあるということを、もしかしたら忘れてる人が多いのではないか、と思わされることを見聞きする今日この頃。「お客様は神様」という半分デタラメな信仰に対して違和感をもって、信念を持って商品とお客さんに向き合う出店者が集まった市場。と、いち参加者として思う「つくいち」。


 参加しているメンバーの、それぞれの思いや気合いは、月に一度の出張所で表されるのではなく、それ以外の29日/一ヶ月にこそある。だから、乾杯の挨拶も、締めの挨拶も、象徴的に思えたのだと感じている。また来月、中央公園で、よろしく。「つくいち」はそんなテイストなような気がした、単なるいち出店者の、懇親会の後の、酩酊しながらのつぶやき。
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2008年12月09日

霜月十二日 曇りのち雨

 底冷えの寒気が、家の中にシンと張りつめてきた。節句は二日前より「大雪」。つくばではまだ雪の声は聞こえてこないが、日暮れから軒を濡らしだした雨音に秋の温もりは残っておらず、冷たく厳しい冬の雨があたりを包む夜を迎えた。

 昼、ストーブに火をつけて芋を焼きながら、来客のDanさんとしばし談笑した。そこから飛翔する、自分と世の中の終わる事のないバランス合戦への思考の旅。自分はどうあり、世の中はどうあるか。なぜ自然農に惚れて「今」のこの32歳の自分をこの場所に置いているのか。

 家庭菜園のフィールドとして野菜作り、米作りなどをしたいわけでは全くない。安定的な食糧自給を目指しての就農だったり、安心・安全・健康な野菜を作りたくて農の世界に片足を踏み入れたわけでも、おそらくない。耕運機で耕して肥料を使って農薬を播いて作物を育てるんだとしたら、間違いなく、自分は今この場にいないはずなのだ。

 ではどうして。そしてこれから何を。それを言葉でつむぐ時期は、今ではない気がしている。心の底に宿っている大切な「勘」、心の隣にそっといる大切な「人」、心の芯から楽しめる大切な「欲」、それらを混ぜ込んで炊き上げてとびきりうまい料理にするレシピとして、自然農を見つけてしまったんだという、今のこの、感触。まずは今、そして次へ。これからもどっぷり、自然農でまいりますので、どうぞ宜しく。

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 だって、面白いんだもの。それ以上の理由、ないもの。

 
 寒さが運んでくれる翌春へのこの皮算用が、冬の隠れた楽しみ方なんだとしみじみ思うようになってきた。これってたぶん正しい。



【大雪】 …雪いよいよ降り重ねる折からなれば也(暦便覧)
      ★雑草屋的季節分布★ 秋:冬=6:4

      もう山の峰は積雪に覆われているので、大雪という。
      平地も北風が吹きすさんで、いよいよ冬将軍の到来が感じられる。
      この時節、時として日本海側では大雪になることもある。
      ぶりやはたはたの漁が盛んになる。
      熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色づく。
      ※読み:タイセツ
      <参考:【室礼】和のこよみ>  
posted by 学 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月12日

つわもの

霜月十五日 晴れ


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 明日はつくし農園の集合日。三日前の降雨からは晴天が続き、干した稲の米粒をかじるとカリリと良い音がする。さあ、脱穀だ。


 天日干しにした稲を食べるまでにする作業は、例年のように足踏み脱穀機、唐箕、籾摺り精米の力を借りて行う。それぞれに、やく一年ぶりの登場となる前の今日、物置から引きずり出して掃除とメンテナンスを行った。埃、壊れ、ゆるみ、汚れ達を、雑巾と金槌と紐と愛情で手直ししていく。もともとが自分よりも遥かに大先輩の農機具たちも多く、だいぶガタがきているモノであるのだが、一方で造りがシンプル且つ巧妙であるので、応急であるなら素人の手直しでも十分に整えられる。まずは明日。そして今年の作業まで持たせられたら、来年は大幅な修理も必要だろうか。

 大正生まれ、昭和初期生まれ、歴戦のつわもの達に、もう少し頑張ってもらいましょう。


※過去記事から、つわもの達の雄姿を少し御紹介。

 ◇足踏み脱穀機◇ (2005年12月の記事)

 ◇唐箕◇ (2006年12月の記事)


posted by 学 at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月14日

景色

霜月十七日 雨のち曇り

 気持ちの好い脱穀日和となった集合日から明けて翌日、つくばはいつもに増して冷たい雨の朝を迎えた。前日に参加できずに日曜日に作業予定していたプレーヤーの方にとっては、新米が遠のく残念な雨になってしまった。

 雨が上がった遅い午後、農具のチェックと米の様子を見に畑に出直した。ふと、昨日とはうってかわって冷えた空気の中に、筑波山がぐっと近くに迫ってくるようにあらわれた。

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 いつもより少し早いような、筑波山の雪。紫峰の別名を持つ筑波山は、文字通り冬の季節を迎えて色を紫に変える。畑に遊びに来たプレーヤーさんたちも、脱穀中止に肩を落としながらも筑波山の淡雪景色を楽しんでいた。
 
 夜、大学の先輩諸氏と夕食。自然農にちなんだわけではもちろんないが、名前に「耕す」の字や「木」や「花」のつく先輩たちと、さっぱりと話した。皆さん、興味だったり必然だったり家族だったり理由はあれど、想いをもって仕事してる話はやっぱり気持ちがよい。愚痴だったり、思い出話だったり、学生の頃のバカやってた糧が、それぞれに血肉になっての今でもある。その頃も、筑波山の頂には雪が被っていたのかもしれないのだが、呆れるほどにそんな情緒ある景色の記憶は残っていなかった。10年以上を経て、山の景色を日ごとに眺める暮らし。やれやれ、今の自分など微塵も想像していなかった自分がいて、さてこの10年後にはどんな景色を眺めているのか。

 いよいよもって、面白く。
posted by 学 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 故郷の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月16日

へそ曲がりつつ

霜月十九日 晴れ

 天邪鬼でへそ曲がりと子供のころから言われていた記憶があり、その性質が顕著に表れるのが、クリスマスシーズンだった気がする。何で日本人でノンクリスチャンなのにキリストの誕生日を祝わなければならんのだ、と。そのくせ、親からの(いやサンタさんからの)プレゼントは甘んじて受け取り、学生時代にクリスマスパーティーを楽しみ、ケーキだって美味しくいただいてきた。
 学生の頃からのサークル活動で、クリスマスにイベントを行うのが習慣にもなっていたせいか、先に述べた個人の偏屈性とは完全に矛盾しながらも、この時期のイベントには体が積極的に反応する。あえて言い訳をするならば、「自分が楽しむ」のではなくて「クリスマスを楽しんでる人たちを盛り上げる」んだという理由付けをして。

 友人のカフェなどで、この時期の集客に力が入るのを見ると純粋に応援している自分がいる。いつもよりなんとなく気分が高揚して、ちょっとリッチに外食したいな、という世間の空気が売り上げにつながってくれれば嬉しいから。


 そんなこんなの今年の年末。大好きなナチュカフェで、クリスマスイベントが開催される。23日と24日は気合のディナー、21日はアカペラミニコンサート付のランチorディナーの開催。


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 21日のアカペライベントには、お手伝いとして小生も参加させていただくことになりました。まずは美味しい食事を、そして付け合せに雰囲気あるアカペラを。


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 ディナーで食べたポークソテー♪  ↑オードブル↑も受付中との事!!  


 いずれも、要予約ですよーーー。
posted by 学 at 17:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 友と共に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月21日

たまらん

霜月二十四日【冬至】 晴れ


 長い長い冬至の一日。友人のカフェで、友人と歌って、友人が聴いてくれる。なんでしょうかこの、小さな飽和的な球状の良関係。たまらん。

 精神を集中させた後に開放する歌の喜び、気合いと経験で運ばれてくる美味い料理の喜び、10年来の交友を酒と駄弁りで浪費する喜び。たまらん。

 夜が一番長い日に、朝陽が昇る前まで馬鹿騒ぎして布団に雑魚寝する楽しさを分かち合えるおバカな仲間がいることは、自分の最も貴重な財産のひとつなんだと思い知る。たまらん。


 充足完了して、冬本番に突入。



【冬至】…日南の限りを行て日の短きの至りなれば也(暦便覧)
      ★雑草屋的季節分布★ 秋:冬=4.9:5.1

      一年中で最も夜の長い日。この日より日が伸び始めることから、
      古くはこの日を年の始点と考えられた。
      冬至南瓜や柚湯の慣習が残る日。
      ※読み:トウジ
      <参考:【室礼】和のこよみ
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2008年12月22日

ギュウ

霜月二十五日 曇りのちみぞれのち雨

 文字通り、明け方まで飲み明かしての遅い昼。昨日から続く生暖かくて横殴りの風が、二日酔いの屋敷に吹き付ける。家の周りの雑務作業で酔いを落としていると、その気味の悪い空気が、急激に温度を下げて引き締まってきた。ギュウと背骨を絞り上げるような圧力のある寒さ。

 部屋の中でもニット帽とマフラーをしながらコタツにもぐりこんでPCをたたいていると、窓に粘り気のある打撃音が響いてきた。雨粒と氷粒が風にあおられて横に広がったような、溶けかかった半端なみぞれが無数に打ち付けられている。わあとカメラを手にとりレンズを向けると、みぞれはすぐに雨にかわってしまっていた。この雪に至る前の、湿り気のある冷たさ。唇と指先が、乾いて痛むような2月の寒さとは違う、秋に落ちた葉を優しく土に戻しながら霜をじっくり落としていくこの季節の、重みのある寒さを経て田畑はいよいよ眠りにつき始める。

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 米の脱穀、畑の冬作業、まだまだ残っているのだよね。毎度毎度、この寒さの前に終わらせようと思ってできた試しがない。冬眠前のひと仕事、さあ今年中に目途をつけられるか。
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2008年12月25日

聖夜はともかく

霜月二十八日 晴れ


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 新暦の12月25日。冬至の3日後(今年は冬至が21日だったために4日後ですが)であり、太陽の高度が最も低くなってから、緩やかに高度の上昇を確認できる頃。クリスマスも、もともとは太陽高度の復活を祝う古代行事と神話と宗教がトロトロに溶けたミックススープのような行事である。

 気温の上昇はもう少し後の立春を待つことにして、キリストが生誕したとされる話はともかく、お日様の時間が少しずつ回復し始めた畑の様子をお届け。



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キャベツ  &  スイスチャード

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エンドウ豆  &  空豆

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ダイコン  &  ハクサイ

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長ネギ  &  ルッコラ

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ニンジン  &  ライ麦



 洋の東西問わず、冬至の周辺にはお日様を祝う慣わしが行われてきた。そんな人々の昔からの知恵と感謝の念を、クリスマスの喧騒の後に思い起こして畑に立つのもまた一興。




クリスマスとは
 …クリスマスと太陽信仰について、大いに参考になる。
  真贋嘘実が錯乱するクリスマスの起源などが比較的冷静かつ丁寧にまとめられている良記事の一つ。 

  記事は「クリスマスと茶の湯」という冒険的試み(笑)がなされているHPの中の一項から。
  こちらの冒険的HPは「茶の湯の楽しみ」というHPのリンク集に掲載されている。
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2008年12月26日

12月31日に

霜月二十九日 晴れ時々強風

 12月31日に何をするか。大掃除、正月の準備、帰省、買い物、レジャー、旅行、皆それぞれ、何かをして過ごす。では何故?と問いかけられて、はたと考えてみる。

 人はそれぞれに各人の物語の中で生きている。クリスマスも大晦日も、正月も旧正月も誕生日も、全てはその人が生きる物語の中になにかしら位置付けされてはじめて意味をもつ。どのように生きたいか、どのように生かされているか、自身のこれまでの歴史とこれからの指針が交差するなかでの無意識と意識の積み重ねが、物語を築いてゆく。それは行事に限ったことではもちろんなく、最終的には「価値観」や「世界観」というその人をかたちづくる個性そのものと同意義なのだろうと思う。「その人をかたちづくる」というのは、反対から見ると「その人が縛られている」とも言い換えられる。もしくは「その人がある価値観をもっている」とも言えるだろう。価値観というとポジティブに聞こえるが、「価値観を持っている」ニアリーイコール「縛られている」ということに、なかなか人は気づかない。価値観や個性だと思い込んでいる「縛り」が、実は無限の思考や行動の可能性を制限しているのだとしたら、それは自分を小さくまとめる鎖でしかなくなってしまう。人が生きる現実社会には、「縛り」でもあり「価値観」でもあり「物語」でもある事象が数多く存在している。仕事であり、お金であり、人間関係であり、家族であり、過去であり現在であり、そして常識。その人を形づくるそれらを無意味に批判したり相対化したいのではなく、それらから一時的に開放される自由を自分は持てているだろうか、という問いである。

 自分の思考はお金に縛られていないか。自分の思考は仕事に縛られていないか。自分の思考は過去に、現在に縛られていないか。
 

 Danさんが企画した大晦日の時間の過ごしかた。「新暦」の「大晦日」というひとつの「行事」を意識しつつもそこからちょっと開放されて、遊び気分で「思考」の旅を過ごす。面白ければGO、なおかつ意義があればGO。さらにちょっとだけ反抗的であればなおさらGO。肩書きも、人間関係も、できる限りどこかに追いやって。そんな時間をともに過ごしたいという人が増えたら、けっこう面白いなあと思うんだよね。


 自然農の畑は、そんな大晦日の夜も正月の朝も、ひたすら意味を持たずに営みを続ける。人間は意味を必要とする。対照的な自然の大きな無意味な流れの中で、小生が紡いでいきたい意味とは何か。色々考えたいこの時期だからこそ、「縛り」を開放する機会を。さて、どんな旅になるかな。
 

 まだもう少し参加受付可能かもしれません!!DAN'S・TABLEへGO!
posted by 学 at 23:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月27日

山積

師走一日 晴れおよび強風

 師走、朝から仕事が山積。

 庭木の剪定と掃除に2時間ばかり奮闘。なれていないなりにザックリと、ギコチナク、ばっさばっさと枝を落としていく。楽しいことは楽しいのだが、庭木たちは大丈夫だろうか。庭木の剪定、始めだすとキリがない、なかなかの魅力作業だと気づく。


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 田んぼに足を運ぶと折からの強風に稲束が揺らされて、稲架がミシリと倒れていた。稲作りも6年目を迎えると、稲架の倒伏ごときでは焦らないようになってきた。フム、修繕箇所を見直し、干し場を移すモノは移し、稲木を組みなおす部分は新たに作り直す。本当は、風で倒れる前に脱穀しとけよ、ということなんだが。いやあ、明日、やりますから。やるってば。


 昼からは、地主さんに挨拶回り。近所の和菓子屋さんでドラ焼きの詰め合わせを箱折にしてもらい、今年のお礼と来期のお願いに回る。店の入り口に昭和59年の全国菓子博覧会の賞状が誇らしげに飾ってあるこの和菓子屋さんは、買い物のたびに一つオマケをくれるのが嬉しい。今日はスアマをひとついただいた。


 午後から夕方にかけて畑に出る。遅すぎるイモや豆の収穫、物置小屋の修繕、今後の農園の利用計画思案。あっという間に日が暮れて、澄み切った風に洗われた筑波山が畑の向こうに色づく。
 

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 そんな師走の月初めの一日でした。
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2008年12月29日

知る

師走三日 晴れ

 二日続いた木枯しがおさまり、えいやと脱穀作業に取りかかる。足踏み脱穀機を朝から夕方まで踏みに踏み倒して全ての稲を脱穀し終えることができた。


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 休憩中、ゴザの上に寝そべって太陽を浴びる。風のない日にあらためて感じる冬の陽射しは、何にもまして柔らかく暖かい。風の強い日があるから風のない日の暖かさを知り、雨が降らない時があるから雨の日のありがたさを知り、米が育たない年があったから稲の重みを知るのだと気づく。

 今年の畑での、作物の育たなかったことは、いつか自然農の豊かさを感動を持って知るための貯金なのだ。
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2008年12月30日

庭掃除

師走四日 晴れ


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 〜 梅枝を ためらい落とす 大掃除 〜
 
posted by 学 at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 暦の調べ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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