注)記事の日付は太陰暦を用いております

2009年01月25日

The Sense of Wonder

師走三十日 晴れ


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 新月の前、晦日の夕暮れを歩く。旧暦師走の大晦日にこうして歩いたのはいつ以来のことだろうか。近くのコンビニへ歩いて寄る間に陽は落ち、一ノ矢神社の横を抜けて家へ帰る。月のない夜の、この闇の深さといったら、なんというかもう、笑ってしまうほどに深い。街灯の無い野良道を歩く足元の頼りなさは、何かしら自分の生命力の弱さを突きつけられているようで、何故か逆に勇気がわいてくる。なんとなく、生きるしかないな、と。

 夕暮れに見た、大通りの枯れ木の並列。自然の造形はなぜにこんなにも人を惹きつけるのだろうか。誰に教育されたわけでもなく、目に沁みて湧き上がるセンスオブワンダー。霊的でもスピリチュアルでも超常的でもなく、自然はそんな陳腐ではなく、実態として人間を畏怖させる。全ては科学的であり、だからこそ驚きに満ち溢れている。神に祈ることと、科学的であることは対立しない。いたずらに科学を超えて神や精神世界に心を寄せることは、おそらく、自身のセンスオブワンダーを濁らせてしまうに違いない。枯れ木の影はそれが自然に創られたフラクタルであるが故に驚くべく美しさを届けるのである。そしてその驚きを楽しむ精神性を人間は持ちえたからこそ、神も仏も信じえるのだ。

 時折、自然農の在りようを伝えようとして言葉が詩的(寓話的?)に傾くことがあることがあってもどうか容赦いただきたい。科学的に正しい(scientifically correct)からこそ、詩的に言い得ることなのだから。自然農は極めて、科学的だからこそ、小生をここまで惹きつけているのだ。この、大晦日の夕暮れの、枯れ木の情景のように。 
 

 
 前日につくし農園のワークショップを終えて、どうにか今期も一区切りをつけた感が沁みてきた一日。参加していただいたプレーヤーの方々からの珠玉のインスピレーションをもらって、暗闇を抜けて睦月を迎える。人からも、自然からも、あまねし関係性から自身を照らして。
 


posted by 学 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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