注)記事の日付は太陰暦を用いております

2009年03月03日

時節よし

如月七日 曇りのち雪

 夕方からの雪の予報を仕入れて、朝から畑に出た。雪の気配はまだ遠いものの、空気がシンと冷えている。日々是野良仕事ではあるのだが、締め切りがある仕事ははかどるもので、雪の降らぬ内にと手足に力が入る。畑を拡げたために今年の春も畝作り作業に追われているのだが季節は待ってくれない。暦を見ればもう啓蟄も間近にせまり、まだ初種播きも済ませておらぬ自分の作付け手帳に焦りを覚えはじめてきた。畝作りと種播きとで振り子が揺れながら、1時間おきにどちらも進めることにした。

 今年の種始めは、2月播きの雄、レタスからスタート。表土の草を除き、土を出し、種を降ろし、土をかけ、鍬の背で押さえ、草を被せる。四ヶ月ほどぶりの、懐かしき手順。なまくらの体の筋肉が、少しずつ作業を思い出してくる。この、うずきの快感はもうしばらく続きそうな気がする。

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播種前に草をどけて種を播き        土をかけて抑えてその後に草を



 途中、種の補充にホームセンターへ出ると、葱の苗を目にしてしまい予定にはなかった葱も植えることにして急遽買うことにした。作付け手帳を書き替えなければならないこの予定変更がまた、何故か楽しくてたまらないのだ。



 この2月は概して暖かかった記憶がある。暖かい2月に種播きの気持ちは誘惑されていたのだが、感覚的に一度寒波が戻る気がしていた。発芽してからの降雪と冷気はできれば避けたかったのもあり、結果としてこの週の寒の予報を聞くことになった。悪くないんじゃないのかね、この今年の漠然の勘の虫は。この寒さは来週までは続くまいから、そろそろジャガイモの準備をはじめるとしよう。厳密なものは何もなく、正解もなく、大失敗もない、そんな栽培が自分には向いているのだと思う。自然農はそのスピードにあっているのだと思う。

 夕方、結局は雪は日暮れまで待ってくれていて、嬉しい誤算で張り切った作業はなかなかの進度を見せた。夜は雪、明日は作業は休みかな。確定申告できますね。農園Blogもまとめられますね。こういうタイミング、今年はうまくこなしていけるだろうか。さて。


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〜松、梅、夜の雪〜       
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2009年03月05日

モゾモゾ

如月九日 【啓蟄】 晴れ


【啓蟄】…陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 冬:春=6:4

     啓蟄とは、土の中で縮こまっていた虫(蟄)が
     穴を開いて(啓いて)動き出す日のことです。
     この時期は、一雨降るごとに気温があがってゆき、
     春に近づいていきます。日差しも徐々に暖かくなってきます。
     ※読み:ケイチツ
     <参考:日本文化いろは事典 & こよみのページ



 雪と曇りが明けて、晴れ日を迎えた。虫がモゾモゾの頃、それが啓蟄。虫と共に、インチキ百姓もモゾモゾと土を這い回る。今日はネギの苗を植え、カブ、ニンジン、小松菜、ラディッシュ、春菊の種を播いた。順々に、作業は慣れだし手際が良くなるようでもあるが、作付する畝ごとに雑草や土の表情が異なるので、やはりその畝に合わせて按配して進めることになる。手間だが、まあなんというか、世話が焼けて可愛いようにも思えてくる。これが農繁期突入するとイイカゲンうんざりさせられるわけであるが。

 さて、お昼もすぎて厚手のインナーを一枚脱いだ頃、雑誌取材のライターさんとカメラマンさんが畑に到着された。「キャリアガイダンス」という、高校の先生(及び高校生)向けの、リクルート社の進路情報誌。いよいよ世の中も高校生にインチキ百姓暮らしを進める日が来たかというわけではなく、「環境を護る仕事」特集の中に取り上げていただくとのこと。なんか説明調だなこの文章。

 といっても高校生に対してナニカ、などと普段考えたこともないので、ライターの、いのうえさんが質問されることにそのまま答えるだけ。こういう場ではよく、自然農を始めたきっかけは、というところから始まるのでいつもは前職や大学時代の話が多くなるのだが、今日は自然と高校時代へも話が遡る。何も考えず、いや何かをモンモンと考えてはいて、その中で目の前の、自分を投影できうることにのみに「はっちゃけて」、それでも、漠然と将来へと漕ぎ進んでいたようには憶えている。その何も形にならない徒手空拳が、大学、就職を経ながら血肉になってきているような気がしないでもない。

 雑草屋での毎日の業いが、環境を護る仕事かどうかは解らない。そもそも「自然環境とは何ぞや?」という問いを小生に叩き付けてくれたのが自然農であるのだから。護るべき自然環境とは何ぞや?人間と自然環境とは何ぞや?それを問いかけながら生きていくのみではあるが、そんな問いを死ぬまで続けられるのだとしたら、それはとてつもない贅沢ではある。

 いのうえさんから取材後にメールをいただいた。

 「小松さんのお話をうかがっていたら、
  自然農と言うのは、大地と人間が二人三脚で、
  互いの力を引き出しあいながら、生きていく姿のような気がしました。
  で、それが、環境と関わるってことの
  本来のような姿のような。 (抜粋)」

 
 そうなのだとしたら、ちょっと、美しすぎますな(笑)。いやはや。こちとらモゾモゾしてるだけですから。はい。

posted by 学 at 21:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 故郷の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月07日

如月十一日 晴れ 時々 強い風

 おとといの晴天、昨日の土砂降り、雨雲明けの今日の春疾風(はるはやて)。ぼうぼうに吹き荒れる午前をさっと耐えて、昼からは凪ぎ、啓蟄の虫のごとく(笑)集まりしプレーヤーの皆さんと畑作業に連なる。

 少しスタートダッシュに出遅れたジャガイモも春分までは植えつけ終えるべく、種芋を切り陽に当てて日光浴。ジャガイモは芽出しとして数日間日光浴させる他、切り口を乾燥させて病虫害を防ぐ知恵ですな。ぽかぽかに並ぶイモはかわいいね。

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 それぞれの畝に挑むプレーヤーさんも試行錯誤が楽しそうで吉、そんな土曜の風景でした。
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2009年03月18日

溺れよう

如月二十二日 晴れ

 休む間もなくドデカイ春の波がつくばを包みこむ。思った以上に大きな波に少々揺さぶられて、春作業が追いつかずに溺れそうになる。呑みこまれて目が回りそうになり、ぶはあと筑波山に逃走した。


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 霞む霞む、息吹で筑波の野が霞む。春霞の下に沈んだ田畑には、迷いようもない命の誕生が訪れている。耕さない、除草剤も使わない、農薬も使わない自然農の野には、冬を越したそのままの命が、眠りからさめて今膨らまんとしている。その渦に、その大演奏に、再び降りて種播きに溺れよう。


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 種を播いて、芽を出して。この喜びの拡大再生産のシーズンがまた始まる。
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2009年03月20日

転換

如月二十四日 【春分】 雨のち晴れ時々曇り

 春分の朝、雨が通り抜けて、畑に出る。

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 節目、というより転換の頃。今日を境に昼の長さが夜よりも長くなる。いよいよ冬の気は縮みゆき、春の陽気が膨らみゆく。耳を澄ませば鳥の鳴き声は変わり、眼下を見れば枯れ色の土が日ごとに草に覆われてゆく。自分の体もその変化に触発されてかなんだかソワソワ、そしてフラフラ。


 自然農の畑にはリセットがない。耕運機をかけないため、育てた野菜たちが畑のあちこちに名残を残しながら次の作付を迎える。残された白菜や大根、無数の菜物野菜がこの暖気を感じて一斉に菜の花を咲かせ始める。隣の畝の菜の花を尻で撫でながら、ジャガイモの植え付けを急ぐのが、彼岸の畑の過ごし方の定番となる。もう、何回目かね、この定番も。

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定番の黄色は白菜の"菜の花"       白さに力のある大根の"菜の花"



 リセットのない自然農は、季節も作物も土も雑草も虫も全てがスライドして、生きながら移り変わる。自然の命は、植物も動物もそうして移り変わりながら命を継続しているのだと思う。それは、全体としての畑でもそうであり、であるなら自然環境もそうなのであり、その漠然とした確信が、自然農には備わっている。
 人間も然り。体内の環境としての健康も、精神の状態である心も、方向性としてリセットではなくスライドしながらの良好状態へ整えていきたいもの。さて我が身は、この冬に悪食(つまりはジャンクフードですな)を過食してか、数日前に心身が重苦しい状態に入った。病気ではなく、感覚的な重さとダルさでして。自分で十分認識しているこの冬の悪習慣から限りなくリセットに近くスライドしたいと思い、半断食に突入してみた。ゆっくり移り変わろう、と言っておきながら自分のこととなるとこれだからね、人間というやつは。

 春分の畑で季節の大きなうねりを楽しみながら、矛盾しつつ自分の小規模な体調変化を楽しむ。節目、というよりも転換を楽しむのだ。意地でも。

 今日した作業はジャガイモの植え付けとビーツの播種、そして畝作り。うーむ、腹減りすぎてなんだか、ナチュラルハイ。明日も畑作業だ、わーい・・・。



【春分】…日天の中を行て昼夜等分の時也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 冬:春=4.9:5.1

     この日、太陽は真東から昇って真西に沈み、昼と夜の時間がほぼ等しくなる
     (しかし実際には、光の屈折現象のため、昼のほうがやや長い)。
     この日以降は昼がだんだん長くなり、反対に夜が短くなる。
     なお、春分点は、天球上で黄道と赤道が交わる二つの交点の内、太陽が
     赤道の南から北へ向かって横切る点のことで、赤経・黄経の原点となる。
     歳差により、毎年わずかずつ西に移動し、現在はうお座にある。
     ※読み:シュンブン
     <参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ
posted by 学 at 19:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月21日

テキトウDay

如月二十五日 晴れ

 結構テキトウに生きている毎日です。今日は何だか半断食の判断時期のような気がしてとりあえずテキトウに八朔を食ったりジャワティーを飲んだりしながら畑作業もモリモリやった。前の晩にあまり寝つきが良くなくてそれは多分色々なことが体に起こっているサインであるのはわかっていて、そんなこんなでまるで徹夜をした時のような茫漠とした体とマインドの遊離を憶えながらの一日だった。食欲はほとんど無いながらも疲労というか混沌というかそんな体の訴えに従って、風呂に入って飯を食うという至福コースを思い描きながら夕日の家路に着いた。

 先日精米したての、『コシヒカリ1:イセヒカリ1:旭竜1:川口さん米1:香り米1:神丹穂2』という神業ブレンド(という評価をいただいた)を土鍋で炊いて、菜の花の素茹でと、ゴボウとネギの味噌汁。


 
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 ホカホカの湯上りでの夕飯。米の甘旨さと味噌汁のゴボウの風味と菜の花の味付け無しの滋味がなんか凄いことになってます。うますぎます。とはいえたくさん食べたい欲求はわくことなく、腹5分目ほどで満腹というか満足というかなんか体がOKサインをだしてきた。することもなく、飯は食えど頭と体のズレはもう少し続きそうで、布団を敷いて寝ることにした20時。なんだこの早い就眠は。

 2時間後、眠りが体の中に入ってきてくれず、とはいえ本を読むわけでもなく、さりとて散歩するのも億劫で、なにやらテキトウにこの違和感を書き連ねることにした。梅干をほぐした白湯(さゆ)をキーボードの前に置いて、眠りが訪れてくれるのを待ちつつ。なんかテキトウだなあ俺。明日は春の嵐だと?ブルーベリーの苗木を取りに行くんだけどなあ。ええと、少し、果樹もトライです。なんでも、やってみる。「やりたいことは、やれ」「コントロールできないことはしない」と、いつだか殴り書きしたA4用紙が机の奥の壁からこちらをにらんでいる。22時なのに、まるで深夜のような深みのある夜の感覚。

 たぶんこれ後で読みたくないなあ。まあよし、今日はテキトウ。

 まだ眠くはならないのだが、この辺で。みんな、酒飲んで喋りましょうよ。


 イエイ。
posted by 学 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月25日

子豚のテント

如月二十九日 雨

 つくばはこのところ寒の戻り。冷たい曇り空と、吹き荒ぶ筑波颪に体が縮む。今日は雨、午前はなんとか焚き火もしながら堪えたが、本降りを迎えてあえなく部屋へと戻った。雨宿りの場所が、今日はなかったからだ。

 昨日の出来事、自転車で畑に向かう途中で、遠景に農園の目印にもなっている白テントがはっきりと歪んでいるのが目に飛び込んできた。嫌な予感。コタツをつけたままにして三泊四日の旅に出てきてしまった時に感じるようなあのどうしようもなさを、数倍ほどにした寂寥感。ああ、こういうことって起きるのだね。

 畑に着くと、昨年の真夏の時期に農園のプレーヤーの力をあわせて立てたテントは、背骨部分に当たる金属パイプがグニャリと曲がって一部の足場も引き抜かれて無残に崩壊していた。分析しても後の祭りなのだが、後学の為に考察してみる。テントは白いビニルシートが固定されていて、通常の暴風では考えられないような金属パイプのゆがみが特徴的である。おそらく、昨年の冬の畑で何度か目にしたつむじ風が、テント内部に入り込んで下から持ち上げ(もしくは横に殴りつけ)ながら通り抜けていったのだろう。基礎などのない半固定のテントであるが故に風が抜けるようにガランドウの構造にしていたのがアダとなった。テントに重しとして立て掛けていた廃材の木戸類も跳ねるように散在し、割れたガラスが散らかっていた。来園して作業していたプレーヤーのmさんにお手伝いいただいて、ビニルシートを外してパイプも解体し、ガラスも拾って木戸も移動して、荷物をまとめなおすことができた。綺麗な跡地には、少々の心地良さすら覚えるのだった。

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在りし日の雄姿

↓ ↓ ↓

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諸行無常



 色々考えることはあるが、次、ではある。梅雨までにはゆっくりと再建したいと思い、少しずつまた考えながら立ていこう。何もない畑地に、テントを組み、物置小屋を設置した昨年。そこに訪れたつむじ風。一瞬でひしゃげた金属物。そしてまた再建の思考。何故かわからないが、喪失感と同時に発生した、安堵感。何もないところに組み立てて、それが自然の力で壊れて、また組み立てようとする不思議な開放感。物は壊れて、そしてまた産まれるという再生のテーゼなのか。はたまた、あるはずのモノが簡単になくなった時に抱かされる無常のテーゼなのか。
 「うわあ、壊れたかあ!」という気持ちで残念がる暇などなく、「いやでもしょうがないか」という諦観が訪れる。その諦観は、出来上がったものを用意されるアメニティに浸るのではなく、無いことを前提に進んで必要なものを少しずつ作っていく好奇心とセットとなり、世の中をなんでも楽しめるスパイスにすらなり得る。それで行くしかないし、それでいいのだと思う。もちろん、「絶望」などという言葉とは程遠いこの「平和」な日本で生活する限りにおいての、お気楽な感性ではあるのだが。自然農の農園を、この日本で、何かしら意味があると思って続けていく、そのためにこのお気楽さを携えていこう。風で飛ばされるような、3匹の子豚のテントを何度も立てながら。


 いや、どうせなら今度は壊れないように。
  
posted by 学 at 21:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月27日

フル

弥生一日 晴れ時々雨

 前職時代の先輩後輩が来園。来園前の午前中にジャガイモ12kgを植え終えて、昼から先輩友人とワインを飲んであーでもこーでも話し、夜は後輩友人と泡盛を飲んであれやこれや無限にアンテナを広げて話す。明日は田んぼ作業だけど、かけがえの無い時間をフルに楽しんで費やす。

 俺は今どこにいて、彼は彼女はどこにいて、フルに生きる。

 感謝して、寝床に着く。



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 庭に咲き乱れるムラサキハナナ。嬉しやこの光景。

posted by 学 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 友と共に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする