注)記事の日付は太陰暦を用いております

2009年10月04日

キラキラ

葉月十六日 晴れ 【満月】

 しばらく前のことだが、つくし農園のプレーヤーたちに協力を請うて田んぼに鳥対策を講じた。今年は玉取地区に移ってからの二年目である。昨年はどうやら、一部の稲は除きとりたてての対策をすることなく稲刈りまでは持ち堪えた。TX効果覿面と言っていいかはわからぬが、住処と餌場を失って追いやられた(であろう)雀は、気のせいか随分と電線におとまりされているように見える。はてさて何をお狙いなのやら。
 全国各地で展開される鳥と水田の攻防は自然農の田んぼももちろん例外ではない。つくばに来る前には、2004年にはこの攻防、2005年にはこの攻防と、その時その場所に応じて対策をうってきた。つくばに移ってからは、放って置けば全滅というような被害はなかったため、稲刈り前に鳥避けネットを張るような積極策は必要としていない。そして2009。

 自然農、つくし農園の田んぼは、プレーヤーの差異、作付の種類などによって多種の稲が点在している。早生、晩生、長幹種、短幹種、モザイク状に作付されており、ある箇所は10月のこの時点で収穫目前に実り、ある箇所は最晩生の12月の収穫を待つモノありといったところ。

 そんななか9月中ごろ、長幹種の早生、黒米がまずターゲットとなった。背丈が高く、その茎にスズメが止まりやすいのも手伝ってか、特に畦道の雑草と混在するあたりから目に見えて稲穂が食べられていく様が観察されてしまった。

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 続いては早生のうるち米。ご自身で苗を用意されたプレーヤーの方(Tさん)が植えたその区画は他のプレーヤーと一線を画して実りが早い。そのため、早生黒米に吸い寄せられるようにか、スズメはお隣のうるち米をも狙い始めた。

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【スズメの啄ばんだ跡、地面に籾殻が散ばっている。】


 このままではどこまで食べられるかわからない。かくして、被害がこれ以上広がらぬよう、今年の対策を実践することにした。


 農園での作業様子は「つくし農園Blog」に詳しくある。今年はネットはまずは張らずに、鳥避けのキラキラテープと、毎年お世話になる案山子の二重策で静観してみる。なるだけ手を加えず、資源を持ち込まずが理想の自然農。でき得ることなら石油素材のキラキラテープのお世話にはなりたくなかったのだがこれもまた、自然の「摂理」の中の人間の在りようでもある。悶々。この後の様子をみて、ネットの有無を判断する。願わくば、ネットの世話にならないよう。


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 テープを張って一週間、今のところ、効果は抜群の趣き。どうだこのやろう。
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2009年10月07日

秋霖(しゅうりん)

葉月十九日 雨

 雨に気温がぐっと引き下げられて、ぶるぶる、と部屋着を一枚上に重ねたくなる夕方。ちょっと早いかなと思いながら、ウールのカーディガンを箪笥から引っ張り出してPCに向かう。気候に押されて仕方なく箪笥から服を引っ張り出す時というのは、なぜだかいつもちょっと嬉しい。


 午前中、雨も強くならぬ内に田んぼと畑をぐるりと周り、点検、確認、再会、心配、をひと通り済ます。今季さっぱり姿を見かけないまま晩期を迎えた台風に押し上げられた秋雨前線が、つくばをぐっしょりと濡らしていた。田んぼではようやく実りの色と膨らみを蓄えた稲穂が水滴を従えてたっぷりと頭を垂れている。台風の風に倒れてしまいそうな重みもありながら、よほどの風でもなければ持ち堪えるだろうという何かしらの強さを感じさせる立ち姿が、なんとも小気味良い。

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 稲の様子、背丈、株の姿、これらを眺めて大風の予報も耳にして、これくらいなら大丈夫だろう、と予感を張るのも百姓の仕事である。これだとまずいな、と予感して対策を適度に構えるのも仕事であるのと同様に。鳥避けテープは風で切れぬか、案山子は倒れて稲を倒さぬか、畑は、小屋は、と尽きぬ予感をある程度にまとめて、適度に散歩して手を加えて切り上げる。ウォータープルーフのトレパンに雑草からの雨露を染みこませて歩く自然農の田畑は、いつもとは別の景色を見せてくれる。見事なほど、葉先穂先に霧雨の一粒一粒をつかまえるこの雑草達の、無尽の美と偶然性。いつでも、どんなところにも、こうした出会いが潜んでいるのですな。

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 10日前に遅れ気味ながらも頃合い良く播種できた葉野菜の種たちがいよいよ一斉に発芽し始めて、曇天の下の顔がついつい明るくなる。あの畝も、この畝も、死に逝く秋の虫に打ち勝つように、わしわしと芽を勢いづかせている。まずはスタートダッシュは順調。おぼろげな記憶を辿れば、「10月10日に草を抑えれば秋冬野菜は草に負けず」と、いつぞやの農書にあったようななかったような。
 よし、この雨が過ぎたら、間引きと雑草刈りに程よく手を入れてみよう。この雨が過ぎたら、畝の続きに第二陣を播種しよう。まだまだ命の豊かさは心許無い畑の中で、少しだけ期待し、多くは期待せず、自分が出来ることを出来る分だけ、手を入れていこう。今のところは、何年経験しても心が躍る、この発芽のオンパレードに感謝しよう。


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〜秋霖の しずく喜ぶ 葉の芽かな〜
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2009年10月08日

一過にて

葉月廿日【寒露】 台風のち晴れ 

 ビョウビョウギシギシと夜じゅう吹き荒れた豪雨が走りぬけた朝をしばらく待機し、時折の眩しい残夏の陽射しと暴風がミックスジュースのごとく混ざり合った昼。幾ばくかのワクワクと少々の心配を胸に田畑に歩いた。まるで印象派の名画のごとき、黒雲が駆ける空、湿気に映える筑波山、風に撫でられる秋野原に囲まれた中、前夜の緊迫感にも勝るとも劣らぬ台風一過の寂寥感がなんとも心地良い。

 農園には特段の被害はなし。田んぼでは、なみなみに溢れた雨水と千切れたキラキラテープと突っ伏した案山子を確認。畑では、背丈を伸ばしていた緑肥用のネマコロリが、筑波山に向かって最敬礼を尽くしていた。


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 昨晩来の南風を偲びつつ、倒れそうで倒れない、植物の意地を垣間見た気がした。この敬礼を眺め降ろし賜う筑波山の山神様、今年の筑波颪を少し手加減してくれると嬉しいのですが。


【寒露】…陰寒の気に合って、露むすび凝らんとすれば也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 夏:秋=3:7

     寒露とは、晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露のこと。
     五穀の収穫もたけなわで、農家では再び、ことのほか繁忙を極める。
     山野には晩秋の色彩が色濃く、はぜの木の紅葉が美しい。
     朝晩は肌にそぞろ寒気を感じ始めるようになる。
     雁などの冬鳥が渡って来、菊が咲き始め、こおろぎが鳴きやむ。   
     ※読み:カンロ
     <参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ
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2009年10月17日

ちらりほらり

葉月廿九日 晴れのち雨

 枝豆がたわわたわわしてる畑に、石岡からのお客さんがいらした。頃良い株を鎌で刈り取り、葉を落とし、紐で縛ってむずとお渡しする。自然農の立ち話をして、お互いに「ありがとうございました」と交わしてまた作業に腰を落とす。前日はまた、夕方に刈り取った黒豆を家でもぎ、袋に詰め、自転車で待ち合わせて、ずしりと袋をお渡しした。

 どこかでお会いしていたりしていなかったり、Blogつくいちで見たり聞いたりされて、ちらりほらり、自然農の成果たちが少しずつ広がっていく。

 なんでもいい。なんでもいいぞ。どうだっていいんだから、とにかくやればいい。次の「ありがとうございました」を腹に溜めて、土にさわれ。


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2009年10月18日

とある会

長月一日 晴れ
 
 自然農に向き合う日々、とはいえ、自分を包む森羅万象が無限に交差する毎日。小生の目の前に現れるのは草や土や虫だけではなく、人があり、文化があり、つくば駅、スーパーマーケット、コンビニ、インターネット、DVD、漫画、友人、他人、酒、飯、ジャンクフード、ありとあらゆる事象がこの脳に記憶され、あるものは積み重なり、あるものは過ぎ去っていく。その交差が、思考と無思考とによってさらに時間と共に醸成され、いつの間にかそれが我輩自身となり、または世界を眺めるレンズとしての価値観となり、それは老いて死ぬまで尽きることはない。

 言い換えれば、どんな交差を選ぶかによって自身が形作られ、またはどんな醸成を費やすかによって自身の味が深まってゆく。別段珍しくもないことを、改まって言葉にしてみると、人間っちゃまあそういうことでございますな。だから、俺はいったいどうなって行くのかなあ、というのは、まさに今、俺に起こっている事、考えていること、していること、が決めてるってことなのね。ふむ。


 さて、自然農仲間の一人でもある友人のS女史が、とある試みを始動させた。

 『考える青草の会 THINKING Green Grass Group

 S女史の言葉を借りると、(以下『』箇所、会のBlogより引用)『・・・、我々人間はみな考える生き物です。日常のそれぞれの場で各々が考えることを、切り取られた空間ではありますが、多くの人と 語り合う共通の「場」が創り上げられたらというのが願いです。・・・』
そんな「場」を設け、『英語と日本語の両言語で思考を深め、各々の視野を広げる』ことを目的とした会をスタートさせるとのこと。詳細は会のBlogをご参照いただきたい限りであるが、その意気や熱く、ついつい話しに耳を傾けてしまう。
 
 脳みそと感情が、ぐりぐりじりじりと、駆け回るような、焦げ付くような、月に一度の大人の遊び場。そんな期待をしている。あえて、不得意な英語の場に遊びに出かけて、また畑に戻って、毎日の自然農へ何かを持ち帰る。すなわちこれはちょっとした旅なのだろう。なるほどそういえば以前、Dさんとも、「ワークショップは一種の旅のようなものですね」と話したことがあったではないか。人と交わり、異文化や異見を肌で味わい、己の道へ帰るのだ。さてさて、愉快で気軽な小旅行の誘いに感謝し、旅と同様に、前日までの小さな不安と、現地でのハプニングを楽しみにしておりますよ。


 まだ始まってもないのに少し表現が大盛り気味かな。そうね。まあ宣伝だもんで、大目にみてくださいませ。
 
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2009年10月28日

ここんところ

長月十一日 晴れ

 いつのまにやら、稲刈りが始まり、葉もの野菜の播き時は過ぎ、エンドウは発芽し、雑草は枯れ色を深める。気がつくと、暦は霜降をとうに過ぎていた。思い出すようにフィルムを整理してはじめて、日々の経過をまた噛み締めることになる。ある意味記録でもあり、ある意味表現でもあるこのBlogが日記の体をなしていないことは小生の怠惰が故なのだが、思いついた今日にまかせてここんところの営みを振り返る。


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 今年の稲は、登熟が緩やかな気がする。わっと稲穂が膨らんでから一ヶ月。空気がそれほど冷え込むことなく、稲はまだまだ葉を黄ばめず、遅めの台風にも倒れず、凛として刈り時を待っていた。そんな稲が、ようやく、この数日で黄色みを増してきた。それに重なるように、もしくは収穫時を促すように、スズメが香り米に襲来する。食われるくらいなら刈ってしまえとばかりに、農園の臨時集合日にあわせて第一弾の稲刈りをスタートさせた。稲架の具合も良し。刈り方も、結い方も、干し方も、感をゆるりと取り戻しながらも錆ついてはいないはずの手ごたえなのは嬉しい。

 播種は、10月を終えようとして、いよいよ来春を見据えた作付に移りだした。空豆は頃合い良し。エンドウはいよいよこれから。麦も良し。葉物は、今まで上手く育てられたことがないホウレンソウを残して、あらかたの菜花類は播き終えた。毎年のように、いつものように、鍬を握り鎌を振り種を降ろす播種作業でも、年、季節、土、草、千変万化の自然農の畑では一つとして同じ作業はない。それに加えて、あれやこれやの試行錯誤が入り混じり、楽しさと沈思黙考のブレンドでひと畝ひと畝が進んでゆく。自然農で自家採種していた大根の最後の播種は、インターネットで収集したひと工夫を投じてみることにした。同じように種を降ろして土をかけた後、草をかける前に籾殻を被せてみる。発芽後に虫に食べられやすい大根や菜ものの芽が、籾殻を振り撒くことで食害から守られることがあるそうなのだ。ちょうど家の倉庫に残っていた籾殻をやおら畑に連れ出して、面白いと思ったことをそのまま試してみるのもまた、百姓仕事の喜びでもある。

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 雑草どもといえば、セイタカ、アメリカセンダングサ、クズ、ススキ、などなどなど、命の爆弾である無数の種を撒き散らす時期が、いよいよ近づいてまいりましたな。いざ刈れ、いざ倒せ。地下の根っこはやがて土中に還りますよう、地上の育ちきった極太の茎はやがて地上で朽ちますよう、種はなるべく付けませぬよう、明日の野菜が育ちやすくなりますよう、自然農の心意気を全うしながら、選別して、贔屓して、秋の草刈りは進んでゆく。


 五日前から節句は霜降へ。10日も過ぎれば、いよいよ立冬へ。


【霜降】…つゆが陰気に結ばれて、霜となりて降るゆへ也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 夏:秋=1:9

     秋も末で、霜が降りる頃という意味から霜降という。
     この頃になると、秋のもの寂しい風趣がかもされてきて、
     早朝など所によっては霜を見るようになり、冬の到来が感じられてくる。
     小雨がときどき降り、 楓や蔦が紅葉し始める。「しもふり」とも読む。   
     ※読み:ソウコウ
     <参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ

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2009年10月29日

むしくう

長月十二日 曇りのち晴れ

 小豆、大豆が、カラリと乾き始めてきた。大豆はもう少し畑に置いて、葉が落ちるのを待ちたいところ。毎年刈り時を逸してしまいがちであるが、今年は莢がこげ茶を増す直前に、一気に収穫を進めたいものだ。
 小豆はなかなか一度に収穫させてくれずに少々腹立たしい。大規模栽培であれば、一気に刈り取ってしまうのが良いのであろうが、量が少ないから丁寧にしたいと思うと、ひと莢ずつ枯れたものから摘み取っていくのがかえって良い気がしてくる。畑に出るたび、小豆畑を周回して、採り時の小豆をもいで籠に入れていくのもまた、いつのまにかこの時期の日常になっている。

 小豆も、大豆も、植え方を込み合いさせすぎた箇所は特に、程よく、多めに、虫が入っている。小豆も、大豆も、この虫とは仲が良くて困る。先月から枝豆を採っていざ食べようとすると、幾度となく出くわしてきたのがコイツである。今日は小豆からニョロリ。


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 自然農での枝豆、大豆、小豆栽培は当然農薬は使わないわけだが、この虫、草刈りや植え方である程度の対処は可能としても全く虫に食われないことはまずないとされる。有機栽培農家が枝豆を大量には好んで栽培しない話もちらほら聞くのは、無農薬で栽培して、こいつらに食害された枝豆を選別して出荷するのが非常に手間がかかって現実的ではないからという声もある。もちろん篤農家の方は、それぞれに工夫と手間をこらして対応されているのだろうがやはり、虫との付き合いは悩まされるであろうことは想像に難くない。小生はまだ、ごく小規模であり、届け先に直接話ができることで対応できるのが幸いなのである。

 では、日常、ほぼ9割以上の内食、中食、外食でお目に掛ける枝豆の、あの完全無欠のピカピカ綺麗な枝豆は如何にして作られているか。特に、中に虫がいない豆にする方法を挙げるとすれば、代表的な一つは虫除けネットで豆畑を覆うこと、そしてもう一つは、もちろん農薬である。対象の虫は、マメシンクイガ。農薬は、様々(参考を下記にリンク)。仕組みは、直接殺虫するか、もしくは枝豆の葉についた農薬成分を虫が食べることで、食毒効果で虫を防ぐというものである。当然、人が食しても安全な量とされており、収穫前の一定期間以前の散布が規定されているので、基本的には食べることでの人体への悪影響はほとんど無いとされているのだが、しかし。家ではゴキブリに殺虫剤スプレーして、街では排気ガス吸って、添加物たっぷりのスナック頬張ってる小生ではありますが、しかし。もちろん、枝豆だけに限らず、綺麗なツルツルのお野菜は押しなべて農薬のお世話になっているのですがしかし、改めて、考えちゃうのだよね。

 あらためてね。

 
 工夫と、手間と、寛容さをもって、なるべく虫の被害を減らすべく。南無三。
 


==== 農薬についてのリンク =====

マメシンクイガにおける適用農薬
 ・・・「東京都病害虫防除所」のHPより、参考箇所をピックアップ

大豆編 虫害防除
 ・・・「みんなの農業広場」から、大豆栽培時の農薬使用について

化学殺虫剤の話
 ・・・「農薬ギライのためのバラ作りのページ」から。
  農薬についての要約がまとめられています。

==== 枝豆についての補足的リンク ====

枝豆についてのFAQ
 ・・・「日々是枝豆」というHPより。枝豆愛に溢れるこのサイトでも、
  農薬使用の必然性に言及されております。
posted by 学 at 23:00| Comment(5) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月30日

生きとし

長月十三日 晴れ

 耳を澄ますと、虫の音はすっかり止み、ギーギーやらチュンチュンやらの鳥の鳴き声ばかりが辺りを包むようになった。畑に腰を下ろしているとつい、ひとつ藪を挟んだ向こうの田んぼを狙うスズメの大合唱が気になり、足元の虫たちからは意識が遠のく。手元では豆を降ろしながら、時々田んぼを斜めで気にして、こちらの耳でスズメを、あちらの耳では車からのラジオを、混線させて作業している。


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 昨年播いたマリーゴールドが自然に育って花が咲き、晩秋の畑に橙の色味を添えている。その花の先に、名も知れぬ蝶(ツマグロヒョウモン)がとまる。重なる鮮やかな色が鮮烈で、昼の陽射しが一層暖かく感じた。鳴き音は随分減りもしたが、虫たちの生きとし生ける命はまだしばらく、続くのだ。まだ、草の命が先に進もうとする限りは。


 ひとしきり播き終えた豆の作業を切り上げて、隣の畑へ。昨年定植したステビアの株がくたびれかけている事を忘れていて、枯れてしまう前に甘味の葉を集めて乾燥ハーブを作ってみることを思いついた。ステビアの畝に腰を下ろし、まだ青味が残る葉を選んで籠に摘み進めてゆくその足元に、見慣れぬ影が目に留まった。

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 数ヶ月ぶりかに見る、モグラだった。そしていつもと同様に、命を絶った後であった。随分と、暗澹と、畑を悩ます三本指に入る、やっかいものの最後の英姿である。今年もどれだけ小生を苛だたせてきたか知れない原因の、小さな体躯が、畑の土の上に無防備に横たわっていた。モグラ、だよな。だいぶ小さいお姿のようですが、子供さんでしょうか。ひっそりと、かつあるがままに、何かに襲われたようでもなく、餓えて痩せ衰えたようでもなしに、ぽつねんと、土の上に、寝ていた。

 自然農の畑には、不自然なものは何もない。秋には秋の花が咲き、蝶がとまり、スズメが騒ぎ、時々にモグラが死ぬ。草も、野菜も、虫も、小動物も、巡る命の中にただ生きて、死に、太陽のエネルギーと不滅の原子分子を体内に循環させきった後に、次の生きとし生けるもの糧となる。
 それだけ。それだけのことですよ。その先に人間様が野菜をいただいて、んでもって、頭でっかちになにやら屁理屈を捏ねて、循環だの持続可能だの安全だの安心だの価値だの生き方だのくっつけて騒いでるだけ。モグラの様には人間様は見事に死ねない。死ねない。だからせめて、屁理屈捏ねてそれでも少し自然の醍醐味に触れて、そう思い込んで、楽しんで生きるしかない。

 あなたは何の為に生きているのですか。俺は何の故に生きているのですか。

 
 酒かなあ。違うよな。
posted by 学 at 23:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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