注)記事の日付は太陰暦を用いております

2009年11月03日

降りる

長月十七日 晴れ時々曇り

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 つくいちの早朝。ぎしりと軋むような朝、間引き菜を収穫するのに畑に出ると、初霜が畑に降りていた。菜っ葉はカシカシと甘く凍っており、摘まむ軍手越しに、霜の冷たさが染みこむ。待ってはいなかったけど、ついに来たなあという思いに浸るのを後回しにして、畑を回り終えた。

 霜が降りれば、サツマイモ、里芋、大豆、生姜、次から次と待ったなしで収穫を余儀なくされる。稲もより一層刈れ色を早めて、稲刈りを待つばかり。ぽかりとした陽気は束の間となり、北の筑波山からの風をついつい恨めしくおぼえるようになるのだ。

 ネットで調べられた限りでは、霜(シモ)の語源は、草木が萎む(シボム)、あるいは凍む(シム)に通じるなどからとのこと。草木が萎み、土が凍み、採るものは採り、育つものは守りながら。押し入れからストーブを出しつつ、また明日の霜を憂う。



霜の語源について
 ・・・『日英ことばの十字路』より参考
   〜電子辞書片手に綴る≪英語と日本語の語源≫雑記帳〜とありますが
   和語、漢語、英語に及ぶ、なかなかどうして広範深長な語源解説サイトです。

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2009年11月05日

かんなめる

長月十九日 晴れ

 前々日の旧暦長月の十七日は、新穀を天照大神に奉る神嘗祭(かんなめさい)であった。伊勢神宮では、新暦の10月17日に行われているので、神のおはしますのはもはや新暦の日取りなのかもしれないが、季節と、月の暦と、昔ながらの数えでいえば本来はこの日に祝われていた。その年に採れた新米を我々が食す前に新穂を天照大神と豊受大神(とようけのおおかみ)に捧げ嘗めていただくというもの。

 とはいえカレンダーを見忘れていると、この感覚もすっかりなくしてしまい、つくいちの大忙しに果てて夜も過ぎる頃に思い出したので大したことを言えた義理ではない。神嘗祭へは心で奉納して、新嘗祭(旧暦では霜月第ニの卯の日、新暦では今年は12月29日)を待って新米を楽しみたいと思う。


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 稲刈りを、スズメに背中を押されて、一種類、一種類と色づく穂先に応じて進めていく。刈るたびに、一株一株、重みを確かめながら。初春から、均して、播いて、選んで、植えて、育てて、待って、刈って、ようやく。まだまだ、干して、扱(こ)いて、摺って、炊いて、食べるまで。もうひと暦、秋を深めて新米を待つ。



神嘗祭について
 ・・・『和のこころ』 日本の年中行事 より
   季節、テーマごとに和の営みがまとめられているBlog。
   トラックバック、コメントできないのが残念。

新嘗祭について
 ・・・おこよみ焼き より
   従来から、旧暦や宮中行事などについての調べる際によく利用させていただいている。
   なんだかものすごく、旧来の事柄についての引き込まれるような情報の宝庫。
posted by 学 at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 田の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月14日

晩秋

長月廿六日

 晩秋の長時雨。すっかり雨天の週となった合間を縫って田畑に繰り出す。収穫に比重が傾くので、稲や豆など乾燥させるための刈り取りのタイミングを計るのが難しい。夕方のぽかりとしたちょっと青空に寄せる、波打つような雲に夜からの雨天をまた警告させられているような気がした。

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 5日前から立冬。夏と冬をつなぐこの季はいよいよ深みを増す。晴れ間の陽射しに夏の名残は消え、寒さの芯が冬のものへ移行し始める。その分、火の暖かさが実に旨味を増す気がするのだがね。


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 〜 イモイモを 火鉢に埋めて 待つ笑みや 〜


【立冬】…冬の気立ち初めていよいよ冷ゆれば也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 秋:冬=9:1

     これから冬に入る初めの節で、この頃は陽の光もいちだんと弱く、
     日足も目立って短くなり、北国からは山の初冠雪の便りも届くなど、
     冬の気配がうかがえるようになる。
     冬の季節風第一号が吹き始めるのもこの頃である。
     時雨の季節でもあり、山茶花が可憐に咲き始める。
     また続いて南国では椿・水仙なども咲き始める。寒冷地では大地が凍り始める。
     「冬立つ」「冬来る」などとともに、冬の代表的な季語になっている。
     ※読み:リットウ
     <参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ
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2009年11月26日

ゆさぶられ

神無月十日 晴れ

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 自然農の本質ってなんだっけ。作物はどうして育つんだっけ。虫って草ってなんだっけ。それなりにわかったつもりで実は会得できていない。「耕さない」「虫や草を敵にしない」「農薬・肥料を使わない」は、ただの目安であって、本質でもなければ、ルールでもない。ただの、目安。わかっていたつもりでいたことが、このところ出会ったちょっとした「きっかけ」に、見事に揺さぶられている。

 揺さぶりのような、振り戻しのような、もしくは追い風のような、向かい風のような、漠然とした、しかし確かな霧に包まれている今日この頃。見たい、知りたい、先に行きたい、という気持ちは常に持っているつもりだが、手にする地図に何かしら漠然とした曖昧さを感じて、四方八方に目線を奪われている。これは、変節なのか、変化なのか、転進なのか、迷走なのか。

 いや、重要なのは、自然農とは、自然とは、栽培とは何であるかということを自分が見失わないこと。会得していないと確信する自分がここにいて、この先にその手がかりがあるという予感できるのなら、何を留まることがあろうか。例えそれが今まで信じていた「ルール」から離れた、別視点の解釈や手法だったとしても、本質に近づけるのなら、じわりと受け入れて問答、試行錯誤をすればよい。

 尊皇攘夷に燃えていた坂本竜馬が、勝海舟の話を聞いて、ぐわんと考えが一変したように。ともすれば安きに流れて凝り固まろうとする頭を、いかに柔らかく保ち続けられるか。それは死ぬまで持ち続けたいスタイルである。いえ自然農はもちろん続けますよ。今はまだ何も言えませんが、自然農においての、面白い解釈に出会いつつあるもんで。そんなこんななのです。


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 干している米へのスズメの襲来があまりにもひどくなって来たので、稲架全体に鳥避けネットを掛けることにした。化学製品の農業資材に、まだまだ助けられていて甘えて自然農をしているのだな。つくばエクスプレスの開発で雑木林を追い出されたスズメや鳥たちではありませんようにと願う。もしそうだったら、電車に乗るたびに新興住民に呪いをかけそうで困ります。南無南無。


 四日前から暦は小雪へ。いつの間にか、てくてくと節句は過ぎてゆきますね。我も我も。


【小雪】…冷ゆるが故に雨も雪となりてくだるがゆへ也(暦便覧)
     ★雑草屋的季節分布★ 秋:冬=7:3

     小雪とは、寒さもまだ厳しくなく、雪まだ大ならずの意味である。
     市街には、まだ本格的な降雪はないものの、遠い山嶺の頂きには
     白銀の雪が眺められ、冬の到来を目前に感じさせる。
     北風が木の葉を吹き飛ばし、みかんが黄ばみ始める。
     ※読み:ショウセツ
     <参考:【室礼】和のこよみ & こよみのページ>  
posted by 学 at 23:08| Comment(3) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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