神無月が今日で閉じ、明日からは、出雲から八百万の神がつくばにお戻りになる。寒い寒い、霜月。
新暦では12月も半ばを過ぎ、TVや喧騒から遠のいた生活では年の瀬のムードも賑わいもなく、田んぼに掛けられた残りのプレーヤーの稲束が木枯しに揺れる様子がどうにか年末の頃を思い出させてくれる。大豆、米の収穫は終えた。まだ畑に残していたサツマイモの一部は、なんとか寒波の前に救出できた。畑にうずくまるのは、春に備える空豆、エンドウ、麦たちと、秋からさっぱり機嫌を損ねている冬の葉物たち。
玉取での自然農がニ年過ぎ、ようやく、土の微生物の元気のなさであったり、少々なら加えたほうが良いであろう手助けなどを解釈できてきたようにも思え、これからの冬本番に少しずつ手を入れようと決めて畑を歩く。しゃがむ。すると、しばらく離れていたエリアの土が語りかけてくる。
・・・二年でここまできたよ いろいろと変わってきたよな 来年はどうなるかねえ・・・
・・・草も少しずつ、土の中も少しずつ、久しぶりに来るとまた違って見えるだろう・・・
・・・いろいろ方法を試してみるの? どっちでもいいよ 上手くやってくれよ・・・
メルヘンではないのだが、そしてその声はもちろん自分の中とのやりとりなのではあるのだが、しゃがんで、触って、あれこれ考えていながら、そうやって土と話していた。確かにそう、会話した。その感触が、とても心地良かった。作物を育てられない農民は、農民ではないのだろうが、俺は俺だ。育てられなかったこの年は、何も残らなかったのではなく、また一つ重なりが増えただけだ。何も求めてないし、期待もしていない。今年手にした不安が、面白いように確信と好奇心に醸造されているかのような気分。なるようになるし、なれるようにやってもみる。多分半分失敗して、半分成功するのだろう。ならよし、だろ。
裏の竹林から菌床を取って、糠と枯れ草と土と、畑の上で遊んでもらおう。枯れ草をそのまま重ねる畑も残そう。隣の芝畑から農薬が来ないように、竹垣と麻布なんかを張ってみよう。チガヤのジャングルは、一度、耕起しよう。田んぼは、もう少し広げてみよう。
何にもとらわれない。俺はいつも自由だ。
