
ジャガイモの種芋を包丁でカットし、一日から二日ほど陽に当て切り口を乾かす。頃合い良く切り口が乾けば、もういつでも植え時である。カットしてすぐ植えたい場合は、火鉢で燃やした草木灰を、消毒のために切り口につけて植えればよい。
自然農を始めてから、幾つめかの啓蟄(今年は3月6日から)の春。虫に負けじとムズムズしだすのは、やはりこのジャガイモの植え付けをスタートしてからであろう。前年までに幾度も経験していても、種芋は何グラムに切るのだったかを忘れ、植え付けは何センチ間隔だったかを忘れ、植える前日の直前の直前まで畑の作付場所を思案し、ようやく、切り口が乾いて萎みかけた種芋の最初の一個を土に埋める。一個植え、二個植え、十個植えたあたりで、埋め方はこれで良かっただろうかと悩み、十一個めから少し植え方を変えたりもし、二十個あたりからは土との相性もようやく合いだし、スピードは増し、迷いが減り、イモは着実に自然農の畑へ忍び込む。
ジャガイモは無機質な物質ではなく、どこかで(そのほとんどが道産子たちであるが)たしかに育てられた、その結果の継承である。昨年のその命の成果が、冬を越えて今こうしてついに次のスタートラインに立つ。たまたまの縁で我が家に届き、何の因果か、微生物あふるる、雑草あふるる、自然農の畑に植えられたのだ。また、種芋の外側も決して無機質な土ではない。ジャガイモはただの土の中で養分を吸って成長するというのではなく、土に埋めいれた瞬間にその先住者(微生物、雑草、虫)たちが雑多に棲みかう長屋へ新参者として招かれ、ともに生き、育ち、ジャガイモとして全うしようと共同生活(競争生活かもね)を始めるのだ。今日の昼に植えた百個のイモは、それぞれにその植え箇所の住民たちと顔をあわせ、順応し、この夜を迎えているのだ。・・・と半ばメルヘン、半ば本気にそう思っている。
ジャガイモの植え付けが始まれば、休むひまなく、春野菜夏野菜の種播きが一斉に時期を迎え始める。文字通り、今年の農作業の、狼煙が上がる。ここ数日、新しき夜を迎えているのはジャガイモ達だけではない。否が応にも新しきシーズンを迎え、気持ちも、体も、脳内も、全てセットアップして、ジャガイモに負けずに新しい環境、季節へ順応していく。我も。