注)記事の日付は太陰暦を用いております

2011年03月16日

震災の先

如月十二日 晴れ(強い風)

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 2011年3月11日の大地震、大津波による大惨事は、日本人、とりわけ東日本に住む我々に心身ともに大きな爪あとを残している。今なお被災の只中にいる多くの方たちと、つくばでパソコンの前に座っている私にはとてつもない大きな隔たりがあることは間違いない。それでも、いやだからこそ、私にできることは何だろうかと考え、こうしてBlogを綴ることにした。


 「車に荷物は準備したけど、肝心のガソリンがもう半分も残ってない。どうにもわからないけど、もう少しこっちで頑張ってみる」
 福島県いわき市に住む私の両親と姉は、15日18時現在、断水とガソリン不足の中で、TVやラジオから流される災害報道、原発報道のみを頼りに、明日をも知れない不安を抱えている。全くの素人の小生が頭を真っ白にしてネットでの情報収集を重ね、13日には家族に「何が起きてもおかしくない、可能なら入院中の祖母ちゃんもつれて俺んちに来い」と提案した。上の言葉は、それを受けて、15日に2号機での格納容器破損のニュースが報道された後の家族からの電話だった。今現在、家族は自主的な屋内退避をしながら、事態の収束を待ち続けている。

 大地震、大津波は、天災である。政府批判をしたい人は、それでもなお、災害対策への不備、初動や対応の問題など、人災でもあったと批判するだろう。しかし完璧な人知はありえない限り、完全なる対応などもありえず、つまりどこまで行っても天災の前には人間は無力だということが、少なくとも小生には確信させられた。そして、言うまでもなく「天災」とは、「自然」と全く同じ意味でもある。つまり、人間にとって自然は、結局いまだにコントロールすることができない存在なのだ。地震、津波による都市村落の破壊は、あまりにも強大で、目にした私はただただ恐怖をおぼえることしかできなかった。「あきらめる」という人間に与えられた能力のひとつを、これほど感じさせられたことはなかった。天災、自然の前では、人は全く無力であったのは間違いないのだが、その一方で、そこから立ち直るという意志だけは、天災も自然も人間から奪うことはできない。被災からの復興へ、まだまだその一歩までも遠いような惨状かもしれないが、どんなことをしても、我々人間は立ち直ってみせる。どうか、まずは心身ともに安息が訪れますことを、そして少しでも良好に生活環境が整うことを願い、共に復興させていきたい。自衛隊の方々、警察や消防の方々、救援に携わる全ての人たちの懸命の活動に、ただただ願いを託すしかない。


 原子力発電所について、論じることは私にはできない。今回の地震に発生した、たかだか一昼夜の停電で自身の電力社会への依存を痛感させられた。日本の発電量のおよそ3分の1を供給している原子力発電は、言うまでもなく日本人の生活を支えている。今現在の現状として。それでも環境分野に足を置いてきた小さなプライドとして、心情と認識では原発には反対していたが、しかし現実には、無言で承認していた。自惚れた自我が、「俺が反対したって、他の多くの日本人は電力消費社会の維持を希望している」と偉そうに考え、だったら原発を受け入れるのが現実路線でしかない、と。聞きかじり程度に原発や電力供給の事情を調べてみても、原発に代わるほどの代替発電はまだ現実的ではない、と考えさせられ、さらに巨大な政治も伴う原子力開発の波に、逆らう気力はいつも消し流されていた。

 しかし事態は、一変した。 原子力発電を推進する、崇高な使命感と優秀な科学技術力は、私は心から尊敬している。より良い社会へ、より便利な社会へ、という人間の真摯な探究心が、宇宙開発、インターネット社会、ボーダーレス社会の素地となっていることは言うまでもない。しかし、この大震災で私たちが気付かねばならないことがある。超えられないもの、コントロールできないものが、厳然と、確実に、そしてあまりにも強大に存在することを。

 福島第一原子力発電所では、今までの最大規模の災害を想定して5m(資料によっては7m)の堤防を建設していたという。しかして、この地震で発生した津波は10m以上に達してしまった。地震と津波による連鎖的な事故によって、戦後最大とも言える原発パニックが福島の現地のみならず東京を中心に日本全国を襲っている。では避けることはできたのだろうか。堤防は20mだったら良かったのか、自家発電所を分散していたら良かったのか、海水投入を早めていたら良かったのか、対策は無数に考えうる。しかし全ては想定よりも大きな災害が訪れれば全てのシナリオは無に帰する、それだけは確かなのである。これまでの対策、これからの対策を百万遍考えるよりも、今この危険な現場に文字通り決死の覚悟で作業にあたっている方たちの無事と成功を、どんなに祈っても祈りすぎることはない。研究者、技術者、実行者、全ての知力体力を総動員して、どうか、我々日本人を、日本国土をお守りください。どんな言葉も屑に聞こえるほどの、命を懸けた闘いが行われていることを、感謝し応援するしかない。それ以外の地域にいる我々は、その現実をふまえて、日常を鑑みるしかない。


 我が家の上水は井戸水、電気ポンプで汲み上げている。通電すれば、断水地域よりも優先して水が使えるはずであったが、地震で配管が折れ、16日現在生活配水が使えずに友人知人に頼っている。便意に関しては幸い、庭先、裏庭に余裕があるため、大小に関わらず大地に排泄している。言葉を選べば、自然へ循環させている。南米旅行以来のサバイバルだが、節度を持って穴を掘り、枯葉やチップ屑を被せて、尻を拭いた紙のみゴミ箱に持ち帰っている。まさかの事態ではあったが、蚊のいない季節でよかったと思う程度でそれほど抵抗感はなかった。意地を張って言ってみれば、正体不明の開放感と充足感がみなぎってきた。便利ではないし、解決策ではないのだが、何かが損なわれるわけではなく、考えてみれば、現に飼いヤギの粟子は常に大便小便を大地に垂れ流しているのだ。
 震災当日の停電中の夜、公衆電話を求めてつくば市内を自転車で疾走した。全ての人工光が視界から消え、七日月の淡い月光と、星座の明かりが頭上を照らしていた。わずか150年程前の日本各地には、そんな夜が実際に存在していた。夜は、月明かりと星の光と、わずかな行灯程度で照らされ、無音と虫の声だけが支配していたはずだった。
 都内で地震にあった友人は、麻痺した交通機関に足止めされ、一晩を過ごした後30kmを歩いて帰宅していた。運悪く数日前にマイカーを廃車して、車を失っていた小生は、地震以降どこに行くのにも自転車である。ガソリンスタンドへの行列、車に商品を詰めるだけ買っている人たちを横目で見ながら、自転車で運べる程度の食料を買うしかなく、飲料水は車を持つ知人に分けて頂いた。
 震災から一晩明けたつくば市内では、恐らく停電でテレビもゲームもできない子供達が、芝生畑でサッカーやキャッチボール、凧揚げをして遊んでいた。普段はなかなか見られない、外で遊んでいる光景だった。震災報道を離れ畑でジャガイモを植えてみると、時折の余震を足裏で感じる以外は、おそらく何千年も変わらない農地と百姓のただの日常が広がっていた。


 今の文明があって、今の経済水準があって、はじめて存在意義を見出されている自然農。ただ昔に戻ることではない、「自然」と「人間」のバランスを問い直される時代にあってこその、思想であるはず。現代医学は、生物科学は、無機物から生命を作り出すことを今だ到達できないし、今後も、複製はあっても、改良はあっても、創出はできないだろう。原子物理学、機械工学は、宇宙の研究と膨大なる実験の末、人類に比すれば無限ともいえるエネルギーである原子力を手に入れた。しかし、自然の気まぐれは、その原子力の操縦を、人類から容易く取り上げることとなった。自然は、コントロールできないのだ。人類の知性は、そのコントロールの完成へ99%まで近づくことはできるのだろう。自然を理解し、操縦し、人間の思うように利用することは、文明の積み重ねによってほとんど完了しつつあるように思えていた。しかし、そのバベルの塔は、不幸なことに今この日本で崩落してしまった。我々はきっと、またバベルの塔を再建できるのであろう。以前よりもさらに高く、以前よりもさらに装飾しながら。そしてその塔は、おそらく今回の震災よりもはるかに大規模な被害をもって、我々の上に倒壊してくるに違いないのだ。
 
 自然は、コントロールできない。資源エネルギーは、無限ではない。地球は、人間の存在よりもはるかに大きい次元で存在している。その限度のある器の中で、人類がどうにかして生活していくには、その有限性をどうにか理解し、ある程度の利便性でリミッターをかけ、その中で満足を再生産していくしかない。 インターネットは、Twitterは、YOUTUBEは、人類の空間的自由を広大に広げてくれている。様々な科学技術が、今我々が享受するあらゆる便利さを支えている。それらを過度に失うことなく、それらを無限に追い求めることなく、どこまでが自然とバランスが取れるリミットなのか思考していくこと、それが今からできる最大の災害対策なのではないだろうか。 自然災害は、どんな堅牢な堤防もいずれ必ず突き崩す。 我々にできることは、コントロールできないものに手を出さない、たったそれだけのことなのだ。遺伝子組み換え作物の、人類に対する生物的作用の害の有無は判断はできない。しかし、組み換え作物の自然界への拡散によって起こるかもしれない生物多様性への悪影響(良影響かもしれないが)は、コントロールする術がない。原子力発電が担う電力は、確かに今の日本の産業と社会を支えている。しかし、今回の地震でかろうじて最悪の事故に至らなかったとしても、それを上回る震災が起きる可能性がある以上、原発事故による放射能汚染を防ぐというコントロールは、人類には不可能である。
 原子力で生み出された電気による、LED光とポンプ水循環で栽培された野菜を食べて、エコ野菜っていったいなんなのか。それが太陽光発電ならいいのか。風力ならいいのか。是非は、それぞれ個人が選択するだけである。その自由と責任が我々にはある。どんな社会を求め、どんな未来を求めるかを考えるのならば、そこには必ず、どんな自然環境のもとで人類は存在を許されるのかということを想像しなければならない。

 田舎暮らしなんかしなくていい。自然農なんかしなくていい。電気使う生活から、途中下車なんてできるはずはない。ただ、後始末できないものにまで手を出すべきではないことを、今まさに、それぞれが考える時が来たのではないかと思う。 原子力を即否定することで満足してもしかたがない。今、原発に少なからず支えられている現状を認識した上で、いかに自分達が納得できる文化、社会、経済を志向していけるか。化学肥料と農薬、除草剤、長距離輸送に支えられた食料生産に頼る、大量消費と大量廃棄を続けるのが豊かな社会なのか。金融商品で外貨を稼ぐのもいいし、インターネットで情報配信してもいいし、どんな商売でも優劣はないのだが、自然環境を疎かにし大地から足を離して、動物植物を食べずに生きることはできないのだ。ぼんやりのイメージでも、あいまいな選択でも、今はまだいいのかもしれないが、だがしかし、この震災をきっかけに日本人がどんな未来を描いていくか、それは我々一人一人に明確に課せられようとしているのは間違いない。

 核爆発が起こって死の灰が関東地方に降り掛かるようなことは、落ち着いて情報を精査していけば起こらないはずだと、今の私は導くことにした。最悪の事態による爆発で、たとえ放射性物質が関東地方の上空を漂っていたとしても、それが、死への階段、日本の崩壊とは考えられない。しいて言えるとすれば、それは我々が制御不能の技術を過信し、または判断を放棄したまま電力行政を受け入れ、利便性を追い求めた末の受け入れるざるを得ないリスクのはずだ。被曝の不安は確かに不安でしかなく、健康被害や後遺症などへの心配は減らせるものではないが、66年前、はるかに強力な放射線が注がれた原爆被害を、我々は既に乗り越えている。核の汚染の恐怖は、恐怖には違いないが、その恐怖は永遠ではなく、かならず過去のものとして進むことができる。

 地震と津波は天災だが、原発事故は、天災と人災のミックスである。そのような天災と人災のミックスを引き起こす種は、今の世の中の裏に表に本当に様々な分野に存在しており、原発事故のように個別にわかりやすい例はむしろまれである。だとしたらそれを見抜いて選択していくには、その技術は、その商品は、その便利さは、いったいどのようにして作られ、どのような対価と代償をもって届けられているかを知らなければならない。そして我々はそれを知った上で選択し、生産し、また消費していくしかない。その小さな繰り返しこそが、破滅的な人災のリスクを避ける、唯一の手段なのではないだろうかと思う。

 
 愛しい人、家族、友人と共に、笑顔で暮らし、知的にも身体的にも欲求を追及でき、暴力事件が最低限に抑えられるような社会が営めれば、それでいいと思っている。その欲求のパンドラの箱の管理を、他人に任せるのはやめにしませんか。そりゃ楽して、気持ちよくて、好き勝手して楽しんでられたらいいんだけど、それを続けていたら、被曝の恐怖などに右往左往する今のこの状態がいつかまたやってくる。果たしてガソリンに頼り過ぎない社会、電気に頼り過ぎない社会へと、少しずつ離陸することは可能なのだろうか。政治も、経済も、科学も、娯楽も、ここいらで一度、皆立ち止まって考えてみてはいかがだろうか。

 生活物資、燃料、給水、衣食住にわたり、被災地域の生存者はこんな将来の話では済まされない、明日をも知れない状態にある。まずは国内の総力を挙げて生命の、生活の維持を確保していただきたい。刻々と事態が暗転する原発も、信じられないほどの使命感を背にした現場作業員の努力で、どうにか最悪の中の最善の事態へ導いていただきたい。プロフェッショナルの方たちに身をゆだねるだけの自分をどうか許していただきたい。この苦境を乗り越えた先に、実際の日常をどのように選択していくかが、我々被害を免れた一般市民の、できうる限りの行動なのだと信じて。

 原発の日本での現状を、自分ごととして。
 エネルギーの選択を、自分ごととして。
 将来の選択を、自分ごととして。
 運動とかデモとかそういうものよりも、生活の中で自分ごととして考えていくことが本当の変化に繋がると信じる。


 つくば市の放射線量が安定している今日のうちに、ひとまずチャリンコ飛ばして献血行ってきます。

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posted by 学 at 15:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

玉音

天皇陛下からのお言葉がありました。

外出の為にたまたま携帯ラジオのイヤホンを耳につけた直後、天皇陛下のお言葉が放送されました。ラジオだったので椅子に座ったままで目を閉じて聞いていたのですが、途中から涙がとまりませんでした。


     なにごとの おはしますかはしらねども かたじけなさに なみだこぼるる
西行法師





小松学
posted by 学 at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本人として | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月18日

日常、そして希望

如月十四日 晴れ

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 気温が低くなると予報されていたが、風はさほど吹かず、射す光は暖かく、多目に着た上着を一枚また一枚と脱いでの野良仕事となった。地震から7日が経ち、農作業の予定が驚くほど後ずさりしていることにようやく気がつき、一週間の遅れを取り戻そうと、あわてて種播き仕事にとりかかった。寒い空、冬の風がぶり返したこの頃であったが、一週間で、畑はじんじんと次の季節へと進んでいた。冬菜は菜花への準備をはじめ、麦はそろそろと立ちだし、少しずつ畝の上に黄緑色が覆い始めている。

 枯れ草や根付き始めた春草に埋もれた人参の葉を救出し、復活しだした小松菜をなで、やおら種播きに取り掛かる。セイタカアワダチソウの根はまだまだはびこり、鍬で少し耕しての種播きになったが、上に掛ける草として、冬の間の枯葉ではなく近くの青草をようやく刈って置けることに、なんとなしに心が躍った。どんなに心は乱され、花粉は頭上に降りそそぎ、井戸ポンプが復旧せずに風呂なしで体が臭くなろうとも、春はすぐそこに迫っている。

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 つくばの研究機関が調査する放射線量を信じれば、ほんのわずかの放射性物質は、ここ数日、大気を漂ってつくばの地にも届いている。(通常の何もない状態での測定値を0.06マイクロシーベルトだとして、本日18日の測定値は0.10〜0.16マイクロシーベルトを観測している。参考:産総研「つくばセンター放射線測定結果」) 確かに、福島原発の震災後の事故によって、放射性物質が運ばれているようである。だとして、私は、畑を置いてつくばを後にすべきなのだろうか。今、つくばに届いている、ほんのわずかな、ごくごく少量とも言える放射性物質は、研究所によれば最も多いヨウ素(I-131)で、半減期が8日、テルル(Te-132)は3.2日でヨウ素(I-132)に変わり、その後数時間で減少するという(詳細は、産総研HPを参照)。 福島で、現場周辺で、同様のことが言えるなどとは微塵も思わないが、小生は、まだこの時点でこのつくばの地を離れる気は起こらない。それでも臆病な自分は、ゴーグルと防塵マスクで顔面を覆って、花粉対策と共に万全を期して畑に向かう。

 大学の友人は、女房子供を西に向かわせ一人残って仕事をすると言っている。別の友人はご主人を茨城に残し、自分と子供は関東から離れた。その彼女は、少しでも現地の資源の消費が減り、主人は自分達に安心して仕事に打ち込めるはず、と話す。また別の友人は、私は仕事しかないから東京に残って続けるわ、と笑った。彼ら彼女らの言葉から感じられるのは、自分の立ち位置で何をすべきかという真剣な姿勢であり、その奥には自分の存在を超えた公への意識が湧き出ている。関東から離れようが離れまいがどちらでもかまわず、どちらであっても、自身の存在と日本の現状を見据えて、冷静に、己の選択を導き出している。

 私の家族からは昨日、幸運なことに知人からガソリンを分けてもらってつくばまでの燃料は手に入れたとの連絡を受けた。また姉は、苦慮の末に知人とともに知り合いのある長野へ、数日の避難を決めた。姉の知人のご両親の言葉を聞くと、70近いから放射線浴びても浴びなくても変わらないよ、と話したという。父は無言だが、母と共にいわきにまだ残ることを決めた。また、東京に暮らす中学時代の後輩は、祖父母への避難の呼びかけに対して応じてくれないことなどを総じて、「いわきにいるいわき人はどっしりとしてるのですよね」と話していた。

 この震災は、どこにいてどんな被災にあろうとも、その人それぞれが当事者である。そのため、どんな反応も、どんな行動も、どんな意見も、それぞれに正しいはずだ。限られた情報を神経磨り減るほどに目を通して判断するのもよし、TVの言うままに信じて行動するのもよし、ネットでの大量のつぶやきを手にするのもよし、である。ただひとつ、小生が寡聞なりにもこの数日を過ごしてラジオにテレビに(これはネットで視聴しているのだが)インターネットに漂ってみて手にした直感は、「批判」する人の言葉は信用できない、である。総理が悪い、東電が悪い、マスコミが悪い、買占めが悪い、逃げるやつは悪い、いたるところに「批判」の山。そこからはギリギリに魂をすり減らしたような叫びはなく、初めから普段のバイアス(偏見)や政治的スタンスをただスライドさせた否定的な文句にしか聞こえてこない。もし被災地のような現場で実際に困っている方たちからの否定的な言葉があったとしても、それは「批判」ではなく「必死の声」である。それは、「批判」する暇などない切迫した事態を切実に訴える叫びである。しかして押しなべて、自身は大した被災も負ってない者こそが、「批判」を撒き散らしているように思えてならないのだ。当人たちが、まるで真剣であればあるほど、その語調は強くなって、ネガティブな心象を世の中に広げているかもしれないのに。もちろん一部のマスコミの姿勢がそういう傾向であるのであり、全体を流れる声は、もっと希望に傾いていることには、心は救われるのだが。マスコミを信じる信じないとか、そんなこと言っているのではなく、この瞬間の小生の、思いなのです。

 今のこの事態に、特に責任ある立場にある方たちが、本当に保身だけで行動する人間がいるだろうか?残念ながらそれは、おそらくいるかもしれないし、しかしもし幸運であれば、いないかもしれない。人間、そんなに捨てたモンでないかもしれない。民主党だろうが自民党だろうが、駄目なヤツは駄目で、人物は人物であるはず。だとしたら、せめてこの喫緊の間だけでも、まずは応援し、駄目だとしても、いや負けるな、頑張れと鞭打ち、俺たちも頑張る、となんとか最善の手をうってくれるように声を出すべきではないのか。放射能被害を案じて、東北関東から離れた方たちは、せめて遠くから安全と収束を静かに願い、残ったものは自分の選択と日常を信じて手足を動かす、それが日本人の有してきた「わきまえ」のようなものではないだろうか。だから政治家の皆さん、本気で人生掛けてリーダーシップを発揮してください。公務員の皆さん、役職を超えて走り回ってください。ボランティアの皆さん、誠意を発揮してください。私たち庶民は、それぞれの立場で、日本を元気にするために日常を全うします。どうか、被災地の皆さん、最後の最後には人を信じて救援を待っていてください。原発周辺の皆さん、恐怖に負けず自分の信念によって行動されてください。


 最後に、つくし農園に遊びに来られたことのある方(TAKUさん)のBlogを紹介したいと思います。感じることはそれぞれかと思いますが、希望に目を向け、そして自分にも希望を灯す。それが今自分がつくばに残って出来ることだと信じる。

 戦士
 戦士2
 ※両記事とも、TAKUさんのBlog「秘密の場所で一考」より。


 普段は文句ばかり言ってたとしても、このときばかりは、希望を言うことを私は選ぶ。

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posted by 学 at 23:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月31日

原発事故をうけて@

如月廿七日 晴れ

 前回から二週間明けて訪れた献血センターは、春休みにもかかわらず、いややはり、というべきか少し閑散としたいつもの献血センターの風景に戻っていた。日常は、こうしてまたひとつずつ戻り始めていく。採血中に、いつも読む手塚治虫の単行本をめくっていたが、流れてくるTV番組を横目で見ながらどうしても無視できない風景が報道されてきた。茨城県のピーマン農家、ハウス栽培で今が収穫時期の、通常1箱2000円の品が、400円で買い取られているという。ハウス栽培であるから、露地栽培よりも比較的放射性物質の影響が少ないとされるものですら、こうした捨て値とも思われるような悲惨な状況。露地モノの買い取り価格は果たしていったい。

 この一週間、震災の直接の被害からはほぼ回復した感のあるつくば。小生を含めて周囲の関心は、原子力発電所からの放射能による生活への影響へ移り始めている。農作物を育てるという立場に少なからず足を置いている自分にとって、「食」と「農」が放射性物質の放出という事態に対してどうあるべきかが突き詰められているのは、間違いない。いわゆる「放射能」の恐れからある程度離れた場所で、万が一、百万が一の健康被害をはやし立てるのは自由だ。その「きれいな」土地で、水で、空気の下で、怖い怖いという自由は誰にでもある。しかし、福島県民、茨城県民は、その土地で生き、住み、可能な限りこれからも生活するしかない。その厳然たる事実を僅かでも想像していただき、いたずらに感情的になって放射線の影響を恐れることなく、受け入れるべき共有遺産として認識することができるか。それが今私が膨らませることができる、唯一の希望である。

 今回の原発事故による環境への影響は、普段からの思想や職業など立場の違いによって、楽観悲観それぞれ様々に判断され、だからこそ猥褻なほどに情報が飛び乱れ、一体なにが正しくて何が間違っているかがおよそ冷静に見分けにくい、一種の混乱が生じている。だとしたら小生は、少なからず農産物を提供しているという立場として、できうる限りポジティブに、できうる限り予断を廃し、できうる限り科学的に、現状を解釈して提供することが自分の仕事であると理解して、平成23年3月31日時点での私見をまとめてみることにした。

 詳細、論拠は後ほど述べることにして、現時点での見解を以下にまとめる。


0.福島原発関係各者の渾身懸命の修復作業により、今後1ヶ月程度の期間で危険状況が収束してほしいという希望的予測を前提に考察しており、事態によっては後に判断が変わることも当然もある点をご了承いただきたい。

1.つくばで観測されている放射線量はごく少量であり、分析されている放射線核種の種類の放射能の強さから判断して、人体への影響はほとんどないと考える。

2.観測されている放射線量は、現在の強さが仮に一年続き、24時間365日外に出続けたとして、世界平均の人が受ける年間天然放射線量の同程度(3mSv)であり、足して倍(6mSv)。その量は、CTスキャンを一回受ける被曝量よりも少ない。

3.よって外部被爆の程度は、マスクや、部屋への持ち込み予防などに気をつければ通常被爆の上限範囲として人間生活にほとんど問題ない。一方屋内での放射線量は、外気の観測値の4分の1〜10分の1とされる。

4.飲食物による内部被爆は、厚生労働省の指標で制限されている放射能を超えない限り、過度に健康への影響を考える必要は無い。

5.なぜなら、仮に制限値いっぱいの最高値の水1.65L、牛乳0.2L、野菜0.4kgを毎日食べ続けたとしても、30日でようやく遺伝子が一つ傷がつく程度の放射線量(1mSv)であり、その放射線量による遺伝子の傷は一日経てば生命の修復活動で修復される。

6.体内摂取された放射性物質(ヨウ素、セシウム)は、半減期、体内排泄、代謝などで20日から数ヶ月で無影響化、もしくは体外に排出される。上の30日間の例は、これらの半減期なども計算された数値である。

7、甲状腺にたまる怖れのあるヨウ素131は2ヶ月でおよそ250分の1に減少、4ヶ月では約3万分の1に減少し、一部筋肉に入る怖れのあるセシウム137は70日後に2分の1になるが、そもそもチェルノブイリでの症例に筋腫瘍などの事例は一例も報告されていない。

8.チェルノブイリでは、比較にならないほどの放射性物質の大量、大規模拡散が起こり、また汚染地域での適切な生産物管理や検査が迅速に行われなかったために被害が拡大したとされる。

9.チェルノブイリでの調査報告では、ヨウ素対策などが不十分で、かつ大量被爆したとされる、当時15歳未満の若年層における甲状腺ガンがほとんど全ての症例で、他の白血病、他部位のがん患者の発症は、原発事故との直接の因果関係は証明されていない。

10.日本の現時点での放射線量の調査や生産物への摂取制限の規制はある程度機能しており、チェルノブイリのように管理の目が届かないような飲食物の摂取による体内への悪影響は起こりにくいものと予想できる。

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posted by 学 at 23:51| Comment(3) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする