注)記事の日付は太陰暦を用いております

2011年04月02日

シナリオ

如月廿九日 晴れ

 昨日、40μSv(マイクロシーベルト)を被曝した。極度の歯医者嫌いであった小生だが、清水の舞台から飛び降りた気持ちで、家から歩いて1分の歯医者さんで治療を受けることを決め、診断でレントゲンを受けた。これから3ヶ月かけて、4本くらいの治療と戦います。ああ、憂鬱。
 さて被曝。今日のつくばの屋外放射線量が約0.2μSv/hだったようなので、約200日分(コメントにてご指摘をいただきました⇒)約4週間分の外部被曝を受けたことになる。もしくは規制値いっぱいの、ヨウ素131が2000Bqのホウレンソウ1kg、狂ったようにポパイ並みに食べた感じ。うん。大丈夫だ。

 先日の記事で、ちょっと前向きすぎるかな、とも思っている自分もいる。心配は心配。怖いは怖い。病気、障害は、全体で何万分の一の確立であろうが、本人自身にとってみればゼロかイチかであるからね。ましてや子供には、親の判断で子供の将来の不安が増すのは悔やんでも悔やみきれないだろうしね。まあそれは、放射線への不安に限らず、生きること、人生の全てにおいて言えることなんだとも気付く。でも自分は、つくばにいることを決めた。家族はいわきに住んでいる。住む者、残る者として、この状況で、針の穴からを抜けてやってくるような恐怖を常備して暮らすという選択をやめることにした。それだけなのです。知り合いのお医者さんや、農学の先生や、友人、つくいち仲間などと話し、ネガティブなシナリオとポジティブなシナリオをミキサーにかけて、そうして、これからもつくばで自然農を営む自分の視点から、自分のシナリオを作る。それだけなのだ。

 その視点で、土壌への影響も、植物生育への影響も、考えなくてはならない。本当にやばいシナリオが導き出されたら、その時に、それに従って諦めればいいこと。今は多分、大丈夫、という予感。無知から導き出すのではなく全身で考察して、責任あるポジティブシナリオにたどり着こうという覚悟。

 自然を、人間を、生命をなめんな。人生をなめんな。怖くたって不安だっていい。その恐怖をエネルギーに変えて、前向きに楽しむ。日本は、それでしか変わらない。



 原子力エネルギーは、もうやめよう。政治判断で、停止を決めよう。いや、自分達で決める。なら現実的に考えよう。この無駄に不安なリスクだけを考えたら、全部の原子炉を即時停止を言いたくなる。でも電力供給としては無理。ならばまずは計画と予定を全部棄却しよう。そして、継続使用中の原子炉は、停止期限を決めて停止しよう。まずは政治で決めるだけ。決めたら、日本は絶対に対応してしまう。あっという間に原子力発電を補うだけの代替エネルギーを実現化させる。原発の停止期限以内に、間違いなくやり遂げるに決まってる。日本人の能力は、凄いもの。電力を使わなければ生きられないというのなら、それは必ず実現してしまうよ。だって日本だもの。

 別のシナリオ。日本での電力消費を、芸術、文化的に減少させる。「薄灯り」。それはほんのりとした柔らかい照明。行灯に照らされた障子の奥のような、ぼんやりとした暖かみのある照明。そんな灯りが、光量が、街の、商店街の、家庭の常識になる。ギラギラしたネオン、蛍光灯の昼のような照明から卒業して、暗すぎず、明るすぎず、無駄な電力消費の少ない、そんな照明を共有する新しいイキな文化。「薄灯り」="Usuakari"が、Tsunami、Sushi、Manga と同じように、新しい日本発信の文化、生活スタイルの世界語として世界に広がっていく。これは夢物語かね。「Usuakari Japan」結構カッコイイと思うんだけどね。



 農的影響についてはまた今度。明日はつくいち。菜の花と、菊芋を持って市場に行きます。それでは。 
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2011年04月05日

chaos

弥生三日 【清明】 晴れ

 何度も何度もテキストを書いては手が止まり、進めては止まる。これは何を参考にしたのだったかとネットを彷徨ったが最後、善意と悪意の渦に飲み込まれて、次々に新着情報が飛び交うカオスに巻き込まれて、さらに自分を見失う。

 カオス。今飲み込まれんとしている、最大の敵。放射能でも、政府でもマスコミでもネットでもなく、それを全て飲み込んで揺さぶっている、本当に自分が向き合うべき敵は、カオスだ。

 ナウシカが飲み込まれそうになったのは虚無であった。腐海という、動かしようがなく向き合うしかない宿命を前にして、それでも前に進もうとしたナウシカを襲った虚無。
 今、日本人には、動かしようがない事実が確定せず錯綜し、向き合うしかない宿命自体が無限大の振れ幅でさまよってしまっている。そんなカオスが、ナウシカを飲み込もうとした虚無のように、日本全体を飲み込もうとしている。

 しかしナウシカはその虚無を克服し、腐海と共に歩むことを選んだ。希望と共に前に進んだ。
 我も、必ずやカオスを克服し、前に進む道を見つけなければならない。それは、前に進むことを決めた者が背負う、権利であり責任である。

 いや、ただ俺一人だけが、カオスに溺れているだけなのかもしれないのだけど。我ながら小さいなあ、肝が。


 …今日はこれしか書けません。なんという駄文。あれー意外にまいってんのかしら。やだやだ。たまには、溺れてもいいかもね。あー恥ずかし。 I'm still in the chaos,but...
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2011年04月12日

ぼやく

弥生十日 晴れ

 つくばでは桜が満開を迎えた。震災から一ヶ月経ち、今もあの日の14時46分、停電に暮れた夜、翌日の緊張した街の様子、実家との連絡を取り合った数日間を思い出す。先日の日曜日、大学時代の友人と、つくば中央公園の桜の木の下で花見を開いた。卒業して10年以上が過ぎ、伴侶や子供を家族に増やした友人たちと、持ち寄った手料理、お土産のデザート、ビールにウイスキーをあけて笑顔を共にした。

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−ジャガイモの発芽−


 週が明けて畑に向かうと、ためにためこんんだ作付け予定が、待ったなしで覆いかぶさってくる。振り返る暇はなく、今日はジャガイモ、明日もジャガイモ、明後日はジャガイモ、その後もジャガイモ、合間に他の種播きと、どうにかこうにか日常に追い回されることになっている。時々に畑は大きく揺れ、そのたびにラジオを聞き、放射能よりも花粉を厳重にガードし、毎日を取り戻そうとしている。震災後の毎日を過ごすということは、その現実と自分の実情を重ね合わせて前向きに生きるしかないのだ。心配しすぎても楽観しすぎてもいいけど、生きるのは自分だ、と覚悟を決めて。


 ここ数年、自然農に関わらず、エコロジー関係やスローライフ、ナチュラル志向のインターネットやメールなどのツールからの情報を普段から取り入れてきたが、震災や原発事故の後のそれらの空間で語られる言葉に対して、なんともいえない感覚が頭の片隅にざらついている。なんだろねこれ。
 原発事故を受けて、いざ行かむと東北関東を離れ、西日本に移住(一時避難ではなく移住)を声高に宣言する人々。もしくは、あなおそろしやと東北関東の大地を忌み、放射能による悪影響を決めて疑わずに唱える人々。みなそれぞれ、ご自身の行動、宣言に、信じて恥じぬ確信と熱血に満ちて周囲に説いている。その声を聞くたびに、よくわからないチクチクしたものが小生の心の中にめばえはじめる。なぜだろうこれ。
 小生が茨城に住んでいるからなのか、家族がいわきに居るからなのかはわからない。不幸中の幸いにたまたまの幸運で住処を離れずに済んだ自分や、親類友人に想いを寄せるにつけ、どうしても、声高な危険の吹聴や移住の宣言に対して、何かが違うという思いが色濃くなっていく。
 危険か安全か、危険を恐れればどこまでも恐れることはできる。今までのような無意識の安全宣言は、できるはずはない。肯定的な話を断片で聞いたり、悲観的な噂を早馬に手に入れたりして、結局は素人集団である市井の庶民が自分自身で判断するしかない。しかしだ。絶対に確定的なレベルの事実以外に関しては、福島や茨城の各地それぞれの、大気中の、土壌中の、生活環境としての放射線による人体への影響についてなど、誰がどんな立場であれ、結局は将来に至らなければ分からない。だから恐ろしいんじゃないか、というのもわかる。わかるんだけど、なんだかなあ。

 都内に住むいわきの友人は、「いわき産も、買いますよ!(中略)今はいわきを近くに感じたいです」と話していた。おぼろげではあったが、心の片隅で、私はいわきを愛している。同時に、数えて10年近く腰をおろしているつくばを、いとおしく思っている。その説明しがたい感情に身を寄せていると、どうしても、遠巻きに被災地を眺めながらの「恐怖の宣伝」に違和感を覚えずにはいられない。
 
 何故だろう。原発事故による様々な影響を憂えての、政策としての原子力発電への反対ならわかる。うんやりましょう。私も反対していこう。現地に住むものとして、あるいは自身や家族を思う気持ちとして、放射線による健康への悪影響を心配しての、移動や食料安全への声かけなら共感できなくもない。女房子供に万が一のことはさせられない。確かにその通り。しかし本当に身近な「生活」としてこの問題を考えた時、遠めで観察している人たちからの、「危ないよー」「癌になるよー」「もう福島には住めないよー」という言葉が、申し訳ないが大きなお世話に聞こえてしまうんだよなあ。各種の専門家からの様々な発信なら、ネガティブでもポジティブでも、その方達のプロとしての発言であるから耳に入れられる。危険を説いてくださってもいいし、安全性を訴えてくださってもいい。しかし、その言葉を聞いただけの素人の方たちが、自分の好みの情報を選択して自己判断しただけの「確信」を、周りや当事者達に必要以上に浴びせるのはもう止めてくれないだろうか。被災地に対しての「善意」の流言、アドバイスが、実はご自身の安心の為、行動の正当化の為に使われているのだとしたら、どううかお控えくださいませんか。もちろん私とは逆に、そうした善意を大歓迎されている方もたくさんいらっしゃることも、知ってはいるつもりなんだけど、なんだかね。こうしたこと書くと、おそらく「善意」の方たちからはお叱りを受けるのだろうけど。

 原発反対の意志を、反政府、Love&Peace、etc、様々な左右のイデオロギーに結びつけて語るのもやめて欲しい。経済推進派だろうが軍事独立派だろうが科学万能派だろうが、一方でスローライフ派だろうが核兵器全廃派だろうが地球市民派だろうが、立場を問わずに日本の原発行政についての視点のみで意見を闘わせ、賛否両論の議論を経ての原発脱却でなければならない(たとえ継続の結果が出ようとも、それはまた別の話である)。説得、共通理解、創造というのは、批判して相手を叩きのめしてというアプローチとは、彼岸にあるように思えてならない。これまで燻らせていた社会に対する不平不満をここぞとばかりに原発や災害行政に重ねてぶつけるのではなく、こうして将来への真剣議論のきっかけが否応なく訪れてしまったのだからこそ、ネガティブワードはできるだけ自分の懐に隠し持って、共通のゴールに歩み寄ろうという自制心が必要なのではないかと思う。お互いに、ただ日本の将来を、今よりも良いものにしたいという想いなのだから。


 つくばでの花見では、東京からの友人がわざわざ電車に乗って来てくれた。誰も強いてはいないし、皆自分の判断でつくばに来て、桜の下で宴を開いた。不必要には怖れることなく、懐かしい思い出を共有するつくばに戻って来てくれて、笑顔で酒を酌み交わした。その、なんでもないいつもの来訪に、つくば住民として涙が出るほど嬉しかった。そんな漠然とした感情はどうも説明することはできないのだが、彼ら友人たちのバランス感覚に、好意を抱かずにはいられなかった。

 また明日も、遠くから心配してくださる方たちの「善意」に背を向けて、毎日の自然農を続けていきます。どうぞよろしくね。・・・ということで、ぼやき終了。もうしばらくは、ぼやかんぞ。だってあたくし、元気ですから。
  
posted by 学 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月18日

垣根をこえ

弥生十六日 (望月) 晴れ 

20110418tampopo.jpg

 「茨城県」の「民主党議員」が、「福島県」の「自民党議員」に優しいパスを送り、安全が確認されたものの正規価格で取引されずにいる茨城産、福島産の野菜を救うためのプロジェクトが動き始めている。五十嵐つくば市議を中心とした方たちによって、震災後の茨城県の野菜農家の原発による被害を受けている現状を乗り越えようと、「イバベジ」の愛称の下に茨城県産野菜の野菜ボックスの販売が今月初めにまずスタートした。曰く、「安全認定を満たした農産物に限った野菜の詰め合せ『野菜ボックス』 を販売することでこの危機をみなさまと一緒に乗り越えるべく活動をしています」のビジネス支援プロジェクト。第二の故郷つくばでスタートしたこの素晴らしい取り組みを、第一の故郷いわきでもどうにかつなげて欲しいと、とるもとりあえず実家の母と近しい斉藤福島県議に電話をしてみた。電話をしてから、五十嵐氏の政党と斉藤氏の政党を思い出し、これはまずかったかと思案したが、五十嵐氏は「イバベジをフクベジ、ミヤベジ、どんどん広がってもらえたらいい」と歯牙にもかけず、一方斉藤氏も、「いわきの農家を助けるプロジェクトに是非とも」とあっという間に連携が進み、明日19日にはフクベジの、第一弾が動き始める運びとなったそうだ。

 不思議なものだが、「自然農」の百姓が、「慣行農」の農家の野菜の流通を心から応援してしまっている。体の健康、自然の摂理などを大きな指針においた自然農に身を寄せるイチつくば民が、低量とはいっても健康への影響の評価はまだまだ不明瞭であり、自然の摂理に大きく反してしまった、放射線被曝の可能性がゼロではない野菜、また普通の化学肥料や農薬も使用されているであろう慣行農法の農家さんたちの生活を、どうしてか支援できることはないかと考えている。もちろん自分の自然農を日々続けることは変わらずに。
 
 自民党も民主党も、原発推進派も反対派も、やりたいならとことんやればいい。ただし、今このどうしようもなく先行きが見えにくい世の中で必要なのは、決して従来から引きずりきって腐りかけている対立型の思考回路ではなく、反対も賛成も飲み込んで推し進めていく解決型の思考回路でしかない。 喫緊の課題から最優先して選択して手をつけながら既存の垣根をぶっこわして四方八方に視野を飛ばして進んでいくことが、政府、非政府組織問わずに求められている。対立軸に寄ってしか発想できない人は、どうぞ眠っていてください。
 
 震災前も震災後も変わらない、個人的な、あるいは周辺的な悩み、不安はいくらでもある。現在進行形で真っ最中でもあるし、見通しだってよくわからん。それでも、前に進むしか、というか生きるしか道はない。「内閣外ですが責任ある立場を用意しますので協力してください」と何かを出し惜しんで政局に注視する民主党国会議員。ここぞとばかりにニヤついて、「そんな都合よく民主党さんに協力できませんよ」とTVで話す自民党国会議員。もうどっちでもええわ。我々は国政を追い抜いて、垣根をこえて、自分達でできる復興支援を、路傍の石からでも始められる。被災地は、今日も生きて生活してるもんね。

『茨城・福島農産物サポートプロジェクト』
どうか皆さん、応援してください!
全国に散ばるいわきの皆さん、一箱からでも注文できますよ!
posted by 学 at 07:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 友と共に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

できること

弥生十七日 雨時々曇り

 東日本大震災による様々な被害が、各地で爪あとを残しています。今なお、そしてこれからも復興にむけてありとあらゆるサポートが必要とされています。

 幣Blog「毎日が自然農」では、スタンスとして基本的には「自然農に関わる生活」を綴ることを目的としております。しかし一方で、震災後に自分ができることを考えた時に、少ないながらも200名近い方が毎日アクセスしてくださっているこのBlogを通して、一人でも多くの方に震災復興に関する情報を自分なりに発信していけないかと感じていました。

 そこで「自然農」に関わるこのBlogの中では震災や原発に関わる内容を記載することはなるべく控え、別のBlogを開設して、少しずつでも情報を集めて公開していくことにしました。皆さんも自分発信の情報や応援したい活動などがありましたら、ご連絡お待ちしております。なんでもかんでもという情報ではなく、個人的に繋がりのある地方や取り組みなど、ある程度の取捨選択をしながら取り組んでいければと思います。
 
 個人的復興支援情報Blog
 『青い空 碧い海 蒼い大地』


Blogの左側に、新着情報が載るようにしました。どこまで続けられるかは分かりませんが、何事もできることからやればいいだけですので、気楽に続けていきたいと思います。
posted by 学 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本人として | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月27日

つくばの放射線について

弥生廿五日 晴れ時々曇り (強風)

 先日一通のメールを、A様(仮名)からいただいた。 雑草屋として、とても大切なご質問をいただけたので、回答と共にBlogに掲載させていただくことにした。


> HPを拝見させていただき、メールさしあげました。
> (中略)
> それと、放射性物質について教えてください。
> つくばは、原発事故から0.4μSv/hから0.1μSv/hの間で放射能物質が飛んできました。
> 今までの積算が140μSvくらいなので、大地にも降り注いでいると
> 思います。野菜に降り注いだヨウソはあまり気になりませんが、大地に降り注いだ
> セシウムが気になります。つくばはそれほど、多くないのでたくさんは降り注いで
> いませんが、そちらでは、大地の除染等はなさっていらっしゃいますか?
> はじめての放射能のこと、あまりよくわからないのですが、よかったら、
> 放射能が大地および野菜に与える影響について(つくばで)教えてください。
> (後略)


以下、回答した内容をQ&Aとして掲載する。

---転用----------------

質問1: 放射能が大地および野菜に与える影響について(つくばで)教えてください。

回答1:つくば市では、おっしゃるように大気中放射線の観測積算値が140μSv程度になっているかもしれませんが、この値は外部被曝としての積算値になりますので、地上に(=土壌に)積算値の放射性物質があるわけではありません。先日知人のカウンターで筑波大学敷地内の芝生地の表面(地上数cm)の放射線量を測りましたら、0.2μSv/h程度でした。これは地上に降下したセシウムなどの放射線によるものと思われます。(ヨウ素は半減期を過ぎてだいぶ低減しているはずです。)よって、現在つくば市の農地で観測できる放射線量は同様に0.2μSv/h程度と考えてよいかと思います。つまり140μSv程度と言われるような放射性物質は存在しておりません。

ここからは私見ですが、現在土壌に沈降して放射線を出しているのは、上にも述べたようにおそらくセシウム137でしょうが、現在の0.2μSv/hから自然放射線としての約0.09μSv/hを差し引いた、約0.1μSv/hが今回の原発事故による放射線と考えられます。この値は野菜などの摂取基準で考えますと、仮に全量が野菜に付着していたとしても僅かに10Bq(ベクレル)/kgを観測される程度の量であり、セシウム137の野菜摂取基準500Bq/kgの50分の1という数値です。また現在は福島原発からの降下性のある放射性物質の大気への放出は確認されておりませんので、このところの風雨によって野菜類に直接付着している放射性物質は地面に洗い落とされているはずです。一方土壌から野菜が吸収する可能性もありますが、植物がセシウム137を吸収する仕組みは、カリウムと間違えて吸収してしまうものであり、植物がカリウムを必要とする量以上には吸収されません。例えばホウレンソウが体内に含むカリウムは約0.7%ですが、仮にホウレンソウの全てのカリウムがセシウム137に置き換わっていたとしても(実際には絶対に起こりえませんが)、葉物野菜などの体内に入るセシウム137は=僅か0.1Bq/kgにも至りません。この値がどの程度の影響があるかと考えてみますと、自然に存在する放射性物質で人間の体内に常に存在する放射性物質カリウム40は、体内で毎秒およそ4000Bqの放射線を放出しています。このことからも、つくばでの現在の土壌から育つ野菜に対する放射線への心配をする必要はほとんどないと考えております。

質問2: そちらでは、大地の除染等はなさっていらっしゃいますか?

回答2:以上の理由から、つくばでの土壌の除染の必要性はまったく考えておりません。自然農でもっとも重要なことは田畑の生物多様性であり、今まで積み重ねてきた微生物の営みを侵してまで放射能をおそれるほどの放射性物質の降下は発生していないと判断しております。

---転用ここまで----------------

以上、文系の小生が不勉強ながらもたどり着いている今の理解です。間違いがありましたらご指摘ください。


参考URL:茨城県内農産物・畜産物への影響について


★上記、一部内容についてコメント欄でご指摘をいただきましたので、下記の「コメントへのご返答」の中で訂正、返答させていただきました。ご参照ください。

20110413endou.jpg


コメントへのご返答
posted by 学 at 23:48| Comment(8) | TrackBack(0) | 筑波を想う | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月28日

あらら

弥生廿六日 晴れ時々雨

 朝、自宅のパソコンのモニター(ディスプレイ)が故障。急に何も映らなくなってしまった。親友に借りているノートパソコンでなんとか急場をしのいでいる。先日から車を廃車して自転車中心の生活になり、少しずつ慣れてきたかなと思っていたら、今度はパソコン。マイカーの無い生活は、可能性としてありえるかもしれないが、パソコンの無い生活は、今のところ想定していなかった。連絡も、事務関係も、趣味も、仕事も、ほとんど毎日何かしらの形で関わり、内容としてもかなり依存している。名簿もパソコン、記録もパソコン、予定もパソコン、あらあらら。

 マイカーを少し手放して、あらためて必要性と不必要性に気づきつつあるように、パソコンもそういうことは可能なのだろうか。知人の自然農法家には、インターネットも携帯電話も手放している猛者もいる。小生はそこは目指してはいないが、どこかしら淡い憧れを抱くような軽やかさを感じることもある。震災後、あらためて身の周りの用不要を問いかけられてきている。諸事情で通常よりも高く支払っていた電気代の基本料金をあらためて見直したら、月額2500円もカットできることになった。車の代わりに購入を検討している単車も、時を経るごとに買わなくてもいいか?と思うようになってきた。便利さを手に入れて失うことがあることを、今までの日本人は見なおす機会を失い、見ることも忘れていたが、そこを改めて問い直してみる好機を手にしている。思考を止めず、あるレベルの不自由さと不便さを身に着けることで、逆に驚くほどの自由と快適を手に入れることができることもある。慣れと思考停止が、全ての停滞を生む。体内細胞は常に傷つきながらも、しかしそれを永続的に修復と新陳代謝を繰り返しているからこそ生命は維持されている。低量の放射線などで人体は犯されすぎはしない。怯えて目を凝らしているつもりでいたら袋小路に追い詰められるだけかもしれず、無防備に楽観ばかりしていたら自分の足元をすくわれるかもしれず、どちらか一方サイドの判断、価値に身を預けることは一時の楽を手に入れて結局は自身を追い込んでいく。放射線こそが、人類を滅ぼすのではない。電力会社こそが、日本人を滅ぼすのではない。慣れと思考停止こそが、その人自身を滅ぼしていく。いったりきたりでも、間違いに気づいて戻っても、試行錯誤してもなんでもいいから、前向きに生きていきましょう。

 あー、中古のディスプレイ、どこかに落ちてやしねえかなあ。今のところこればかりは、必要リストに入れるしか仕方ないのよね。車も持ってると便利よね。自転車に乗って電気店にモニター背負っていったのは、さすがに嫌になったわ。こんなことパソコン使って書いてないで、はよ畑に出んかい、俺。


 不便さを着こなし、科学を見つめ続ける。それくらいのスタンスでいきたいものだ。


★追記(5/1):思いもよらず、ディスプレイを譲ってくださるというご連絡をたくさんの皆様からいただきました! 1番にお声かけくださった方からお譲りいただき、早速使わせてもらっています。皆様からのご好意に本当に感謝いたします。 なにごとも言っているもんですな。
posted by 学 at 23:13| Comment(3) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする