昨日、40μSv(マイクロシーベルト)を被曝した。極度の歯医者嫌いであった小生だが、清水の舞台から飛び降りた気持ちで、家から歩いて1分の歯医者さんで治療を受けることを決め、診断でレントゲンを受けた。これから3ヶ月かけて、4本くらいの治療と戦います。ああ、憂鬱。
さて被曝。今日のつくばの屋外放射線量が約0.2μSv/hだったようなので、
先日の記事で、ちょっと前向きすぎるかな、とも思っている自分もいる。心配は心配。怖いは怖い。病気、障害は、全体で何万分の一の確立であろうが、本人自身にとってみればゼロかイチかであるからね。ましてや子供には、親の判断で子供の将来の不安が増すのは悔やんでも悔やみきれないだろうしね。まあそれは、放射線への不安に限らず、生きること、人生の全てにおいて言えることなんだとも気付く。でも自分は、つくばにいることを決めた。家族はいわきに住んでいる。住む者、残る者として、この状況で、針の穴からを抜けてやってくるような恐怖を常備して暮らすという選択をやめることにした。それだけなのです。知り合いのお医者さんや、農学の先生や、友人、つくいち仲間などと話し、ネガティブなシナリオとポジティブなシナリオをミキサーにかけて、そうして、これからもつくばで自然農を営む自分の視点から、自分のシナリオを作る。それだけなのだ。
その視点で、土壌への影響も、植物生育への影響も、考えなくてはならない。本当にやばいシナリオが導き出されたら、その時に、それに従って諦めればいいこと。今は多分、大丈夫、という予感。無知から導き出すのではなく全身で考察して、責任あるポジティブシナリオにたどり着こうという覚悟。
自然を、人間を、生命をなめんな。人生をなめんな。怖くたって不安だっていい。その恐怖をエネルギーに変えて、前向きに楽しむ。日本は、それでしか変わらない。
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原子力エネルギーは、もうやめよう。政治判断で、停止を決めよう。いや、自分達で決める。なら現実的に考えよう。この無駄に不安なリスクだけを考えたら、全部の原子炉を即時停止を言いたくなる。でも電力供給としては無理。ならばまずは計画と予定を全部棄却しよう。そして、継続使用中の原子炉は、停止期限を決めて停止しよう。まずは政治で決めるだけ。決めたら、日本は絶対に対応してしまう。あっという間に原子力発電を補うだけの代替エネルギーを実現化させる。原発の停止期限以内に、間違いなくやり遂げるに決まってる。日本人の能力は、凄いもの。電力を使わなければ生きられないというのなら、それは必ず実現してしまうよ。だって日本だもの。
別のシナリオ。日本での電力消費を、芸術、文化的に減少させる。「薄灯り」。それはほんのりとした柔らかい照明。行灯に照らされた障子の奥のような、ぼんやりとした暖かみのある照明。そんな灯りが、光量が、街の、商店街の、家庭の常識になる。ギラギラしたネオン、蛍光灯の昼のような照明から卒業して、暗すぎず、明るすぎず、無駄な電力消費の少ない、そんな照明を共有する新しいイキな文化。「薄灯り」="Usuakari"が、Tsunami、Sushi、Manga と同じように、新しい日本発信の文化、生活スタイルの世界語として世界に広がっていく。これは夢物語かね。「Usuakari Japan」結構カッコイイと思うんだけどね。
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農的影響についてはまた今度。明日はつくいち。菜の花と、菊芋を持って市場に行きます。それでは。