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2011年06月07日

守り神様

皐月六日 曇り

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 昨日、茹だるような夏日が訪れたつくば。一転して今日は静かな曇り空が広がる。二十四節気は「芒種」を過ぎ、田畑では雑草がモワンとした熱気を帯びて広がり始め、田植えを間近に控えた稲の苗は俄然、葉に力を感じられるようになった。 今朝起きると、なにやら天井裏で明らかに生き物の活動音が聞こえる。前々から、ネズミか、虫か、鳥か、と折に触れ何かがいるような気配を感じてはいたが、聞こえてはそのうち止み、いつのまにかそのことを忘れて日常の暮らしへ戻っていった。それが、今日は少し様子が違う。 ずずずずずうっっ、と這いつくばるような、引きずるような、小動物とは思えぬ物音。心地良くはないもので、板張りの天井裏を傘の柄などでつつくと、気にしたように、もしくは気にもかけないように動いては留まり、またしばらくすると動き始める。 はてさて、と借家の管理会社と電話相談すると、なるほど鳥と蛇かもしれませんねと、薄々予想していた答えが返ってきた。雨を避ける鳥が巣を天井裏の軒下近くに作り、卵や孵った雛を狙って、蛇が入り込むことが時々あるという。常駐するわけではなく死体が残って異臭が発生することなどなければ問題もなく、程なくいなくなると思いますよ、という担当者の話に合点し、ふと訪れた奇妙な共同生活を楽しむことにした。 田舎では、蛇は家の守り神と言われている話も耳にしたこともあるし、我が家の近くにも毎年抜け殻を見かけてはいた。これだけ明らかな足音(移動音)が聞こえたことはなかったが、地震で屋根が一部落ちたり、風呂のタイルが破損した今年の家の様子を振り返れば、守り神様が我が家に訪れたことは吉兆でもあり幸運の記しと思えば良いのだ。


 自身の吉兆はさておき、そろそろ震災から3ヶ月。春の訪れを待っていたまだまだ肌寒いあの時期から、季節は休まず足を進め、夏の訪れを待つ梅雨の季節を迎えている。6月11日はもうすぐだ。東日本各地でまだまだ遅れる震災からの復興がすすめられている現状であり、原発事故を受けての原子力行政への関心の高まりはもはや日本人の常識になりつつある。浜岡原発の一時停止の動きもあり、財界政界あげて日本の原子力発電はいったいどこに向かうのか、行く先は、もしくは落としどころはどこなのか、関係者すべての保身と献身、バイアス(先入観)とイマジネーション(創造力)、希望と諦観などの双方の価値観が入り交じり、それらがにさら各人の日常生活に覆い被さって今なお方向性が決まらぬままに議論と駆け引きが続けられている。

 震災以後の自分のBlogをざっと読み返してみて、何か変化したことがあっただろうかと思っていたが、実際はほとんど認識や感覚に変化は訪れていない。小生は、ごく一部地域を除いて、幸いにも今回放出されている放射線量における生物に与える悪影響については、ほとんど不安な思いを持っていない。原子力発電に対しては、事故発生後に人間のコントロール下で被害を急激に抑えることが物理性質上できないのならば(発電停止後も数ヶ月〜数十年単位での低温管理が必要になるなど)、そうしたテクノロジーを利用する発電技術は手にするべきではない。もしくは生物に対する放射線による影響について科学的な判断として断言できるような論証が現在確定できていないために人々に対して許容しがたい不安や恐怖を与える恐れのある発電手段は、採用すべきではない。つまり原発脱却を希望する。原発停止による経済界に与える少なくない規模の影響はあるのは当然だろうが、それは今までも常に存在していた他の様々な社会制約(バブル崩壊、省エネ、円高、自由貿易化などなど)と同様に受け止め、対応するかもしくは別の道を探すかして進めばよい。現在の放射能汚染の影響は個人的に全然心配してはないが、原発はもう止めましょう、という立場。あくまでも、恐怖によるものだけではなく、反対運動だけでなく、対立姿勢だけではなく、変えていくこと変わっていくことを最優先において、垣根を越えて目的に近づけていければいいなと願って。

 6月11日には、全国規模で脱原発を呼びかけるデモが行なわれる。つくば市でも、デモイベントが開催されるといい、知人も参加される。デモはデモであって即効性はないかもしれないが、その先に署名での反対であったり、選挙を通しての政治意思表示に繋がったり、一人一人の行動に火種を起こすきっかけになる可能性がある。 願ってやまないのは、「放射能の恐怖」を煽ることに使命感を帯びた、一種のイデオロギー色の強いものにならないで欲しいという思い。現在の放射線の影響を強く懸念して脱原発への行動をとることは間違っていない。しかし小生のような脱原発のスタンスも、多く存在するはず。「怖いから反対」でなくてもいい。「今は怖くなくても今後が心配だから反対」でもいい。「なんだかわからないけど反対」でもいい。「怖い」側に加勢したくないけど、でも原発はないほうがいいなあという声だってある。そうした声をも無駄にしない、そんな動きが日本に根付き、結果として原発行政からの脱却が図られればという個人的な望みが叶うならばと願う。

 もちろん、目にも見えず影響も確定できておらず因果もはっきりされていない為、予防原則的に最大限の心配をすることがそれぞれの判断のもとでされるべきことに異論はない。その一方で、
「こーんな奇形の植物が育ちました!」「やっぱり原発は怖いねー!」
「最近ちょっと体調悪くてさー」「ああそれ放射能だねー!」
そんな会話を耳にする。本人達にはとても真剣な話である一方で、目の前で大きな声でされてしまうと違和感を感じてしまう人もここにいるんだという想像力も持ってもらえたらなあ。そしてそれは逆に、自分のような安心側にいる者たちが、不安側にいる人たちにも同様の違和感を与えているという事実も自認しながら。ともあれ、不安や不満、対立、軽蔑、確信、などが突き動かす情熱や行動力はとても豊かで、パワーに溢れている。そのうねりに、より多くの人の関心を引けるように、緩やかで静かな中間層にも共感しやすい冷静な感覚もこれからの運動には是非あって欲しい。最終的には結果が全てなのだから。 街中でシュプレヒコールをしながらプラカード持って音楽かけて行進して、ってなんか恥ずかしくて行けねえや、という感覚は、個人的にはとても素朴で信頼できる感覚だと思うんだよね。デモなんか行かなくたって、「署名なら賛成する」、そうした人が少しでも増えるんだったらどんな人だって活動だって自分は応援していきたい。


悩んで 息抜き 生き抜く 


 あくまでもポジティブに。感性は素直に、発想は先入観の反対側も視野に。常に客観性を持った主観で。そうやって、大自然の懐のもとで、日本人として文明社会を生きていきたい。

 天井裏の守り神様、そして日本の八百万の神様、日本人に、我に、どうか勇気を。

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2011年06月10日

欠けているもの

皐月九日 曇り

 いつだったか学友の家に遊びに行き、庭の片隅のちょっとした畑の中で、これでもか、と生い茂る小松菜と、ぐいぐい背丈を伸ばすエンドウ豆の苗株を見つけて、友人には気付かれないように心の中ですげえなとつぶやいたことがあった。その辺の雑誌にあった通りに肥料やって種まいて良くわからんうちにこんなに育っちゃってさ、と何気なくその小松菜を摘んで、夕飯の味噌汁にぶち込んで食べさせてくれた。

 あれから数ヶ月ほどして、今の家に移って4年目を迎えてようやく、庭の一部を改良して猫の額ほどの畑をこしらえてみた。雑草と土の様子を考えて、草を刈り出してから鍬を入れ、10cmほどの深さで耕起して、適当に余っていた菜花類の種を播き散らかした。かくして、慣行農ではないものの耕起して種を播いては野菜屑を放り込む、半分自然農半分有機農のような適当マイガーデンに今、ミックスベジタブルが繁茂している。 自然農の畑であれほど苦戦しながら、育った育たないと数年も頭を掻き毟っている横で、隠れて羨ましいと嫉妬した友人の適当ベランダ農園を習った庭の畑に、モリモリと葉っぱが育つのだ。

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 原発事故以来、世の中では「安全(と思いたい)派」と「心配(をしておきたい)派」との間で、本来あるべきでない分裂がみられはじめている。そうじゃない例が多数だと信じたいが、互いに互いを白眼視しつつ、それぞれの見識の足りなさを嘆き、悲しみ、挙句の果てには罵倒してしまう。 放射能の健康被害に気を配る方たちには、不安な要素を固める情報が集まり、よりその不安な要因を拡大し強固なものにしていく。健康への影響を控えめにみる方たちは、その根拠を求めて手に入れた情報に安堵し、不安要素の声に耳を貸さなくなっていく。 「こんなに心配しているのに、どうしてあの人たちはあんなにノホホンとして無関心でいるのだろう」と、「これくらいじゃ全然心配ないのに、どうしてあの人たちはあんなにビクビクして煽り立てるのだろう」との間には、埋まらない溝が開いてしまっているかのようにみえてしまう。

 しかし一度立ち止まって考えてみる。そこに架かる橋はないか。もしくは本当に溝があるのか。否、そこには両者を繋ぐ、共通の基盤が存在しているはずだ。全く違う価値観を持ってしまって互いを不快にさせるアピールしかできないないのではない。本当はその奥に共通の想いが隠されているはずなのだ。それはシンプルであり、本質でもある。どちらも、心の芯から放射能の恐ろしさにまいってしまっているということで、一致しているのだ。原発事故以降に福島原発から不幸にも放出されてしまった放射性物質に対する影響の受け止め方にこそ差はあれ、結局のところは、放射能の量がとてつもないものであったなら全員一致で「放射能コワイ」になるはずだからである。いざと言うレベルになったら全員まとめて放射能には適わないという認識の元、「今は安全」と「今でも心配」という振れ幅の中にいるのだ。その大前提の恐怖があるからこそ、その不安が妖気のごとく漂う中でどうにかして日常の安心を手にしようと、一方では「安全派」に身を寄せ、一方では「心配派」に足場を固め、少しでも自分の不安を取り払おうと必死になってしまっている。その結果、自分の反対側の人たちの言動や行為はそれぞれの安心を脅かすものとして無意識に認識され、自分の安定を守りたいが故にネガティブな感情を抱いてしまうのではないだろうか。

 どっちが科学的か、どっちが現実的か、どっちが優しいか、なんてなんの意味もない。

 電磁波だってこわい人はこわいし、こわくない人はこわくない。農薬だってこわい人はこわいし、こわくない人はこわくない。ダイオキシンだって、化学調味料だって、温暖化だって、デフレだって、少子化だって、不景気だって、貿易自由化だって、こわい人はこわいし、こわくない人はこわくない。全てが、ある振れ幅の中で意見がぶつかり合っているのだ。科学的に絶対の真実などなく、選択としてどっちが現実的かなんて立場でしかなく、倫理的にどっちが優しいかなんて価値観によるだけなのだ。そんな大前提の社会の中で、しかしながら人は選択をして生きなければならないからこそ、難しさを抱えて右往左往してしまう。

 とはいってもこんな「なんだってどっちだってある」みたいな価値相対主義みたいなこと言ってたって仕方がない。どんなものにも相違はある、その違いによっては時折不愉快にもなる、だけども必要なのは、その相違や不愉快の原因が解決しうるものなんだとしたら、それを突破することを創造しなくてはならない。立場や価値観でただ分裂してるんじゃなくて、もっと根本的なところで生きていくほうがいい。その先や現実を、想像し、そして柔軟に変化もしながら。

 大切なのは人であって、イデオロギーではない。大切なのは魂(たましい)であって、価値観ではない。全てが同じ方向性で価値観を共有している方が、むしろ気持ちが悪い。原発反対と有機農業と憲法9条と遺伝子組み換え反対が、なんとなくセットで同じような人が主張しているのは気持ちが悪いでしょ。それよりも、「これはあいつとは意見が合わないけど、一緒にいると話してて面白いなあ」の方が大事じゃないだろうかね。

 自然農をやってる人にも、気持ちいい人もいて、気持ち悪い人もいる。
 有機農やってる人にも、気持ちいい人もいて、気持ち悪い人もいる。
 原発推進派にだって、気持ちいい人もいて、気持ち悪い人もいる。
 安全派にだって心配派にだって、気持ちいい人もいて、気持ち悪い人もいる。
 
 それなのだから、立場とか運動とかイデオロギーで頭を固めずに、どんなことにも一つ一つを別個に考えて、問題解決型の思考で対処していけばいい。放射能についても、思う存分に不安になればいいし、思う存分に安心してもいい。感情と理性を自分自身の根拠としてフル稼働させて辿り着いた姿勢なら、それに自信を持って、その上で互いに優しくなればいい。答えがわからなくても生きるしか術はないのだから、自分が満足できるように選択してさえいれば、他人がどんな価値観を選択しようが犯されることはない。そこを見失うことなく、小さな対立をうまく乗りこなしてサーフィンしていきたいと思う。



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 自然農にとらわれずに適当に育つ、庭の野菜たちのように。ついつい凝り固まる自分の脳と体を、酒と友人たちで解きほぐしていけることを願っている。

 一番大事なのは、想像力なんだ。原発の将来だって、放射能汚染での対立だって、教育だって、農業だって、環境だって、つまりは愛ですよ。想像力ですよ。そこなのよ、つまりは。自分にまだまだ欠けているのは、そこなのよね。 
  
posted by 学 at 23:24| Comment(3) | TrackBack(0) | 友と共に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月11日

来し方と行く末

皐月十日 雨のち曇り

 恐れていたこと、というよりも起こるべくして起こってしまったことが、ここ数日の報道で明らかになってきた。地震と津波と原発事故が発生した直後からどうしても気になっていた、震災後の廃棄物の行方である。 津波の被害にあった東北地方の太平洋沿岸地域で進められている瓦礫の撤去作業であるが、その想像を超えるほどの津波の後始末は、懸命の作業で除去された後に地域ごと特定の場所に運ばれ、現在一時的に山のように積み上げられている。その集積所の作業員や周囲の住民にこの瓦礫からと思われる健康被害が報告されはじめた。また別の報道では、東京都内や各自治体の下水道処理施設での汚泥の焼却灰から周辺地域の観測値よりも高い数値の放射線量が測定されたのだという。

 現在の自然農生活の前職、小生が勤めていたのは産業廃棄物のリサイクルを主に取り扱う企業であった。今でこそエコやロハスといった言葉のように幾分オシャレ側に寄り気味の環境配慮の姿勢であるが、そもそも現代社会において環境問題に足を突っ込むということはそれほど生易しいことではない。その最も象徴的な分野が、社会の全ての事象の最終的な到着地である「廃棄物」、つまり「ゴミ」である。一般的に生活していてゴミと聞いて思い描くのは、当然家庭から出る「燃やせるゴミ」や「空き缶」などの生活ゴミだろう。しかし現代日本でゴミとして発生するもののほとんどは、企業から発生する「産業廃棄物」である。いわゆる産廃といっても、一般的にイメージしやすい工場などから発生する副産物だけではなく、建築現場からの土砂や木屑、解体現場からの建築廃材、ごみ処理施設からの焼却灰など、ありとあらゆる経済活動の際に発生していることは実態としてあまり認識されていない。そしてその産業廃棄物の多くは、現代のオシャレで快適で便利な生活とはあまりにもかけはなれた、キタナイ、クサイ、アブナイものとして存在している。産廃の現状は語り始めるとキリがないが、つまりは現代生活を送るということは、自分の見えないところで自分の思っているよりも遥かに多くのゴミを産み出しながら生活しているということでもある。

 この度の津波は、映像で見てもわかるようにありとあらゆるものを差別することなく壊し、押し流していった。そこには、家があり、工場があり、畑があり、つまり人間生活があった。家や建物には、建築資材としてアスベストや防腐処理材などが使われていただろう。工場には、危険物としての石油製品、化学薬品、塗料、金属粉、など通常時に厳重保管が必要な資材がたくさんあっただろう。田畑を営む農家や農協の倉庫には、取り扱いに注意を要する農薬や化成肥料が山積みされていただろう。それらがほとんど何の躊躇もなく津波に襲われ、流出し散乱して地域一帯に広がり、もしくはどこかに溜まっていったことは想像に難くない。そしてそれら全ての混合物は、一部は海や川へ流され、しかし多くの残骸は地面に残され、現在急ピッチで進めれられている瓦礫撤去の先の集積場所に、小山のように積み上げられている。その山には目に見えるゴミとしての木屑やプラスチックや金属が散乱しているだけではなく、危険な化学物質などが付着したり混在しているかもしれないことは、あり得る事態として想像できる。小生が関わってきた限りにおいて、化学物質を扱う製造業が保有する原材料や発生する産廃(液体や固体関わらず)の、人間に対しての危険度はとても高い。だからこそ、厳重な取り扱い方法や適切な産廃処理が執り行われるための管理体制がとられ、コントロールされてきた。それが今、非常に残念なことにどうしようもなく拡散してしまった上に、急ぎで進められている瓦礫の撤去という作業を経て、また新しい問題が生じてしまっている。

 
 原発事故後に放出された放射性物質は、量の多少に関わらず福島周辺に広がり、風や雨によって地面に降りた。その為に起こっている飲料水や農水産物への放射能汚染に対する人それぞれの対応の現状は、日々のニュースによって報じられている通りだ。健康を侵さぬようにと願っての、放射性物質の除去は関東東北在住民の関心ごとの一つでもある。マスクをして、雨合羽を着て、野菜や食品からの除去方法の情報を求め、少しでも放射性物質を自分から遠ざけることを考える。その結果、マスクや雨合羽はゴミ箱へ、野菜屑もゴミ箱へ、野菜を茹でた煮汁は下水道へ、また食品として取り込んだものもやがてはトイレに流され下水道へ、自分の目の前から消えていく。しかし、物質はゴミ集積所に持っていけば消え去るものでもなく、排水口から流れてしまったらどこかに消滅してしまうものではない。全てのものは地球上のどこかに存在し、必ず残り続ける。ゴミは、処理場へ集められて焼却処理され、灰となる。今までは、その灰は一部はセメント原料などに使用され、一部はどこかの埋立地に埋め立て処理されている。下水は、下水処理場に運ばれ、濾過と沈殿と化学処理などが施された後に、水は川や海へ流され、水以外の物質は汚泥として乾燥処理され、通常であれば一部は再利用されたり、また埋め立て処理などされている。このように、ゴミも下水も、365日フル稼働で地域の処理施設へ集積され、濃縮され、処分されている。その灰や汚泥には、日常生活のほとんど全ての原子分子が集められていることになる。(厳密には異なる点もあるが。) 拡散されて地上に降りた放射性物質が、人間による洗浄や選別を経た後に、結局また集められるというのは、皮肉以外の何物でもない。さてどうしたらいいんでしょ、と思ってみても、現在のその先の処理対応について、プロではない我々にできることはほとんどない。適切に、もしくは超法規的にでも、解決策にたどり着いてくれることをまずは応援するしかない。

 
 しかし、ついつい注目しがちな現在の不安とは別の次元として、今までの我々の快適な生活スタイルが、背後にいかに大量の化学物質、廃棄物のリスクを背負いながら成り立っているかを、今まさに気付かなければならない。地震が起きなければ問題は無かった、津波が来なければ今までどおりでよかった、それで思考停止して果たして良いのだろうか。自分だっていつもこんなこと考えているわけではない。だったら文明生活捨てるのか、なんて思わない。廃棄物や資源の浪費がないから自然農が答えだ、みんなやれ、なんて思わない。ただ、今の生活の環境、身の回りにある便利なモノすべてがどんなプロセスで作られ、途中でどんな廃棄物を産み、どんな原料が用いられ、使用後にどんな経路をたどって捨てられていくのか、少しずつでも気に留めながら過ごしてみることに、意味がないとは思わない。自分の洋服を必要以上にきれいにするために使用する合成洗剤が、目の前の排水口から流れた後に消えて無くならずにどこに向かうのか。カラフルな入浴剤の化学物質がお風呂を捨てた後にどうなってしまうのか。100円ショップで手にした余りにも安くて便利な抗菌グッズは、途上国の工場で塗料や薬品がどんな管理をされながら生産され、手に入れることができるのか。それが商品であれエネルギーであれ食べ物であれ、その「来し方と行く末を思う」という認識と想像が世の中の常識になることができれば、今よりもちょっとだけ世界が変わり、社会が変わり、人生が変わるきっかけになるのではないかと信じている。 自然農が魅力的なのは、ついつい忘れかけてしまうその大切なエッセンスを作業の合間合間にふと思い出させてくれる小宇宙が、田畑の中に展開されているからに他ならないのだ。

 化学物質汚染の恐れがある災害瓦礫、原発事故の末の放射能を帯びた下水汚泥、そのいずれにも「ゴミ」としていかに処分するかという人間の業が濃縮されてしまっている。それをできるだけ上手に解決することは容易ではない。うまくいけば一部は何かの原料としてリサイクルこともできるかもしれないし、しかし恐らく現実として多くは、結局は人間生活から少し離れた地球のどこかに「捨てる」以外に今のところ方法はないのかもしれない。厄介なものをこうして目の前からただ遠ざけることを基盤とした今の生活が、本当に理知的で文明的な社会なのか、考え直すべき時期に差し掛かっている。震災後に発生したこの廃棄物問題は、津波が、東電が、政府が引き起こしたのではない。このライフスタイル自体が本来内在していた問題であるのに、見えないように目を閉ざしていただけに過ぎない。答えはない。しかし、答えを探すことは許されている。変わることは許されている。

 一人では、一瞬だけでは、変われないからまた自然農の田畑に出て、出会いができた方々と、農作業の時間を過ごす。そんな奇麗ごとだけじゃねえんだけどもさ。
posted by 学 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月30日

紫陽花日和

皐月廿九日 晴時々雨

 梅雨の明けぬままに気温が30度を越す晴天がこのところ続き、田植え途中の田んぼが、庭の紫陽花が、何より自分が、雨を欲していた。日本各地での局所的な豪雨の報が届くこともあったが、幸か不幸かつくばには、梅雨前線や不穏な雨雲は訪れてくれなかった。日の出から田畑に出て、小学生の登校を眺めて汗を拭き、日が頭上に昇る前に家に引き上げ、昼寝をして、午後遅くに重い腰を上げてまた田畑に戻る。そんなサイクルはもう半月ほど先に延ばしたいと思っていた今日の昼過ぎ、ようやく雨雲から、恵みの雫が降りそそいでくれた。

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 田植えして、大豆播いて、草刈りして、紫陽花が咲いて、明日からは水無月の一日(旧暦です。たまたま今年は新暦の7月1日と重なりました)。気まぐれの梅雨が明けぬうちに、早く苗を植えきらなければ。梅雨明けの報が聞こえないうちに作業を進めようと、しばらくはビクビクしながらの日々が続く。

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 あ、雨やんだ。 畑へGO!
posted by 学 at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 暦の調べ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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