注)記事の日付は太陰暦を用いております

2012年03月02日

ことはじめ

如月十日 曇りのち雨

第六候:雨水末候
【草木萌動(そうもくきざしうごく)】
=草木が芽吹き始める頃=
 (新暦2月29日頃〜3月4日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 雪が降り、溶けてよく晴れ、そして今日の雨。湿り気を含んだ土は柔らかく、厳寒期を過ぎた畑は、太陽の暖かさを感じるごとに枯れ色から萌黄色へと染まりはじめる。油断すれば霜柱が立つこの季節の中で単純に春を喜ぶことは愚かではあるが、濡れた土に触れて作業をすれば手が悴み、しかし厚着を重ねて動いていると汗ばんで上着を脱ぎ、その体温の上昇に自然と胸がワクワクし始める。このまぎれもない実感に、経験を土台とした予感と、一握りを備え持つ不安を混ぜ合わせて、春の高揚感は作り出されている。

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 事始めとは、旧暦二月(如月)八日に農作業を始める日とされ、旧暦十二月(師走)八日の事納めと合わせて「事の八日(ことのようか)」として人々に馴染まれてきた。面白いのは農作業の視点で見ると二月八日が事始め、十二月八日が事納めであるのに対し、神事を執り行う視点では二月八日は事納めで十二月八日が事始めとなるところである。「事」が神にとってなのか人にとってなのかによって変わり、それが同じ日付けで反対の意味を同時に含んでいるところが味わいがあってよい。民草である小生にとっての事始めは二日前の如月八日であったが、今年は雪に覆われて、一日遅れの昨日にいよいよ本格的な農作業をスタートさせることになった。
   
 事始めの際、魔除けの風習として目籠(籠の目が六芒星を象ることから)を竹竿につけて掲げたりニンニクを置いたり、根菜を煮た御事汁などを食べたりしたようだが、今年はそこまで手が回らず。目籠は家にも小屋にも置き放ってあるし、ニンニクは霊験あらかたなる一ノ矢神社のニンニクお守りが玄関に吊るしてある。御事汁の代わりには、根菜を煮込んだシチューを食べた。一日遅れの事始めに相応しい、適当な行事でいいかげんに済まし、心の内に訪れる穢れを払いつつ、これから師走の事納めまで続く自然農の日々を思いやった。生きている限り去来するものは本当に様々であるが、変化に心を奪われること無く、しかし自分も変化し続ける存在であることを忘れず、田畑を移して5年目を迎える自然農を、自身を、楽しんでいきたい。


※事の八日などについてはこちらのHPを参考にいたしました。

・「本日2月8日事始め」(にぽぽのお散歩日記 様から)

「事始め」と「事納め」(日刊☆こよみのページ  様から)
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2012年03月09日

願う

如月十七日 雨

第七候:啓蟄初候
【蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)】
=冬籠りの虫が出て来る頃=
 (新暦3月5日頃〜3月9日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 そろそろ虫も動き始めようとするというのに、どっぷりと冬籠りから抜け出せないこの一週間。明日はつくし農園の集合日。寒気と低気圧による冷たい雨が窓の外で降り続けている。さて、明日はどうなるやら。

・ ・ ・ ・ ・ ・


 フジテレビで放送されている『自衛隊だけが撮った0311−そこにある命を救いたい−』にたまたまチャンネルを合わせた。昨年の震災を「311」と記号化する風潮にはどうしても違和感を覚えるのであるが、そのこととは関係なく、自衛隊員の皆様の姿を拝見して胸を打たれた。国を守る。郷土の人たちの命を守る。故郷の、風土と、歴史と、生活を。我々は、本当の意味で、国柄を守る日本の軍隊に対して意識を変える必要がある。自衛隊という誤魔化しの言葉での存在からそろそろ脱皮して、日本軍として。この度の震災での軍人の方々の職務に対して小生が感謝と敬意を向けるにはこの程度の思いしか表せない。

 誤魔化しからの脱却は、日本人が今最も必要な行動の一つである。

・日本の郷土を、生活を、一瞬で奪う原子力発電所を本当に必要とする理由など無い。
・仮想敵国から郷土を守るための軍隊や抑止力を不要とする現実は今の国際社会には存在
 していない。
・外交力、政治力において信頼を寄せることができない今の政治に対して、TPP交渉を任せ
 ることは大変なリスクである。
・人口増加、水資源、気象変動のリスクを抱える世界食料事情の中で農業生産を軽視して
 自由貿易を推進するような方針は日本の国防としてのリスクヘッジになりえない。
・最低限の食糧、最低限のエネルギー資源、最低限の経済活動、そして日本という共通文
 化価値の継続、それらを本来の意味で守りうる青写真はどのようなものなのか。

 ひとつひとつはバラバラで存在している。かつどこかで繋がってもいる。本当にそれは、必要不可欠なのか。本当にそれは、現実的なのか。その判断、その価値観、その将来像は、いったい何をベースにして存在しているのか?今まで先送りにしてきた誤魔化しを一つ一つ脱却していけないものかと願う。これから数十年にどのような社会になっているか、今までの数十年を振り返るだけでも想像はつかない。しかし願う先にその未来があることだけは間違いない。個人としての未来も、日本人としての未来も、惑星地球で暮らす人間としての未来も、願うこと、そして生活することから始まっている。
 自然を敬い、畏れ、かつ技術を妄信することなく、また科学を、経済を、発展を当然の正論とせず、コントロールできないものに頼らず、手の中に残る一つ一つの生活に幸せを見出すような世の中になることを願って。かつそれも度々に疑いながら。

 小生は、右翼でも左翼でも保守でも革新でも中道でもない。もしくはそのどれだっていい。日本の、郷土の、生活、風土、歴史の継続を望む一生活民として、必要だと思う選択を取るだけである。詳論には整合性がなくとも、その上で現実を選択していけばよい。イデオロギーとプライドと思い込みこそが、糞食らえなのだ。個人の上に関して言えば、過度の怠惰の癖も糞食らえであるのだが。

 普段テレビは見ないように努めていても、こうして時折に示唆をくださるテレビ番組製作者の皆様にも、心より感謝いたします。
posted by 学 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本人として | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月14日

ふんがー

如月廿二日 晴れ

第八候:啓蟄時候
【桃始笑(ももはじめてわらう)】
=桃の花が咲き始める=
 (新暦3月10日頃〜3月14日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 文字通り、鼻が垂れている。鼻水が、とめどなく、溢るるごとく、したしたと、鼻腔に詰めたティッシュをつたい、ほとりほとりと、本人の気付かぬような無音で、キーボードをたたく手前の机の上に、片付け忘れた手帳の上に、限りなく透明に、不思議なほどにサラリとした粘度で、したり落ちる。花粉よ、家の裏手に林立する杉よ、無策の林業政策の果てに日本中に生を宿した放置林の杉の花粉よ、また会ったな、2012年の春に。

 防塵マスクの上に簡易マスクをつけ、ゴーグルして、頭に手ぬぐいを巻いて、腐海の胞子を防がんばかりの完全防備で、ジャガイモを植えまくっております。いったいどこが自然農なんだか。

 あー。かふんがふんがー。

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−気分はユパ様で−  


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2012年03月23日

しまいました

弥生二日 雨

第九候:啓蟄末候
【菜虫化蝶(なむしちょうとかす)】
=青虫が羽化して紋白蝶になる=
 (新暦3月15日頃〜3月19日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


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 旬は過ぎてしまいました。23日の今日は既に第九候は過ぎ、節気は啓蟄を越え春分を迎えていました。彼岸も明けてしまっていました。ついでに弥生に入っていました。

 菜虫も蝶と化すというのに、しばしば蛹に閉じこもることの多いインチキ百姓です。時々に大失態を犯してます。農園へ見学に来られる方との約束を一週間完全に勘違いしてご迷惑をお掛けしてしまいました。注文すべき種苗類を取り忘れてしまいました。もぞもぞもぞ。

 ああ、もぞもぞ。はよ旬に追いつけよ。農虫。

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もぞもぞと、移植して何度目かの春を迎えるニラ。


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菜花。写真はすべて19日、春分前の畑にて。

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2012年03月24日

薄だいだい

弥生三日 雨のち曇りのち晴れ

第十候:春分初候
【雀始巣(すずめはじめてすくう)】
=雀が巣を構え始める=
 (新暦3月20日頃〜3月24日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※



 夕が随分と伸びてきた。春爛漫とはいかないが、頃合いをはかるように雨が降り日が射し風が吹く。彼岸は越えたものの寒さは今しばらく残っているようで、今日の雨の冷たさには驚かされた。手足を縮ませる霧雨の中でなんとか臨時集合日の作業を終え、午後には出席されたプレーヤーの皆さんとの持ち寄りランチ会を楽しんだ。散会後の午睡に負けずに山羊を世話しながら縁側に腰掛けると、薄がかりの雲が開けた西空からの陽に、庭の満開の白梅が透明に輝きだした。

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 秋時の赤味の強い緞帳のような西日とは異なる、軽やかな薄だいだいの春の夕日。細く重く冷たい春雨が上がった後の淡色の草木をキラキラと照らすこの陽射しに、どうやら一番春を感じるらしい。霞のかかるぼんやりともたるような春よりも、冷たさと温かみが切り替わる直前の、(例年より少し遅れているはずの)このスッキリとした雨上がりが自分は好きなのだと気づいた。そしてそうした後の朝はグッと冷えこみ、さらにはいよいよ後半戦を迎える花粉爆撃が恐るるほどに大量投下されるのである、のだが。

 
 先日お目にかかった大学の大先輩からお招きいただいた、那須のキャンプ場での今夜の夕餉の誘惑を断念し、明日は、本日残した田畑の作業をおしすすめる。朝の冷え込みにも花粉にも負けず、少々引き篭もり気味だった体をフル稼働させるには今しかないのだよね。

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2012年03月29日

メガネを外して

弥生八日 晴れ

第十一候:春分時候
【桜始開(さくらはじめてひらく)】
=桜の花が咲き始める=
 (新暦3月25日頃〜3月29日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 最近、メガネを外して生活することにした。
 高校生活も終わろうとする頃、そういえば黒板の字が見えにくいことに気付き、受験会場で大切な伝達事項を見落としてはまずいという理由が7割と、都会に出て遭遇するであろう可愛い子ちゃんを近眼のために見損なってはいけないという理由が3割で、両親を説得して(無論7割のみを掲げて)初めての眼鏡を作ったことを覚えている。大学に進学してからしばらくは眼鏡と裸眼を併用していたが、併用では不便を感じるようになりいつの間にかコンタクトレンズを常用するようになっていた。コンタクトレンズの毎日の着脱はその習慣に入ってしまえばなんてことはないのだが、放浪していた数ヶ月を除けば大学5年間ほぼ毎日コンタクトを装着していたことを思い出すと、今ではなんとも奇妙な感じもする。就職してからも同様にコンタクトの生活は続いたが、自由に使える金を手にしたこともあってか小洒落たデザインレンズなどを購入し、仕事のONOFFでコンタクトと眼鏡を時々に使ったりなど、眼鏡で遊ぶことも覚えた頃もあった。自然農を始めてからは、コンタクトレンズとはほとんど無縁の生活に一変した。畑作業、家畜の世話(離職後しばらく山羊牧場の仕事などもしていた)、山仕事、およそほとんどの農作業の場面で、コンタクトレンズは機動性を失う。とにかく、自然と関わる仕事は土埃と草木の粉くずに包まれおり、当然、目の中に入れたレンズとの相性が著しく良くない。数年慣れ親しんだコンタクトレンズは、装飾の面でも活動の面でもとても快適ではあったが、日常を農作業に従事することにした以上、その選択を取ることはできなくなった。それ以来小生は、朝起きて夜寝るまで、枕元の眼鏡を掛けて枕元に眼鏡を外すという、視力を眼鏡レンズによって矯正される日常を何の疑問もなく繰り返してきた。近眼は年を追うごとに少しずつ少しずつ度合いを強め、今では裸眼で0.01あるかないかという症状である。

 眼鏡がないと困る。なぜなら、周りが良く見えないから。良く見えないと、探し物もすぐに見つからないし、誰かの顔も近づくまで分からないし、信号や標識もはっきりと認識できないし、視界がぼんやりして落ち着かない。まだまだ、いくらでも、困る理由は数限りなく上げられる。しかし、さりとて、ふと立ち止まって考えてみる。良く見えないことで本当に困ることなんて、どれほどのことなのだろうかと。小生は最近までついぞ、そんな質問を自分に投げかけてみる機会などなかった。はたして、遠くが見えないことがどれほど困るのか。誰かの顔が近くまで分からないことがどれほど困るのか。視界がぼんやりして落ち着かないことがどれほど困るのか。とはいえ、探し物がすぐに見つからないのは少々不便だな。信号や標識がはっきりと認識できないのは車バイクに乗るときは一大事だな。しかし今は車もバイクもほぼ乗ってはいないな。パソコンで画面を見るときも、視力矯正されていたほうが見やすいだろうな。なるほどなるほど。つれづれに、冷静に検証していくうちに、それ(眼鏡の必要性)は不要とは言えないものの、なくてはならないと思い込む必要もないという結論に落ちついていくのであった。

 視力が良好で、視界がはっきりとくっきりと維持されていることが、当然の、疑うべくもない平均値になったのは、実はいつ頃からだったのだろうか。眼鏡が発明されて庶民の日常生活に進出する以前に、近眼者はどれほどの不自由者だったのだろうか。また、現代社会のような近眼者がもはやマイノリティではない社会はいったいいつ頃からだったのだろうか。

 おそらく、眼鏡の登場以前にもそれなりの近眼者は存在しただろう。近眼だけでなく、遠視や乱視など他の視力困難者も少なからず存在したであろう。そして当然、五体満足者に比べて若干の不自由も備えながら、ではあるものの、しかしながら不便という言葉とはかけ離れた生活を送っていたのではないだろうか。目が悪いなりにそれを当たり前のものとして受け入れ、どうにかできたらよいだろうが回復を望んで渇望することまではせず、ただその低下した能力で過ごすことしか術がなかったはずである。見えない(ここでは見えづらいことを意味し、盲の意味ではない)ことは、見えるよりは少々不具合なことはあるが生きるうえでおおよそ支障がないものであったように思われる。
 では少し視点を変え、これが動物ならどうであるか。視力が低下した動物は、弱肉強食のリアルの中で、あるものは視力に執着してその生存能力を低下させ、サバイバルの生存競争から退いていっただろう。あるいはその視力の低下以上に別の機関(聴力、嗅覚、感覚など)を鋭敏に研ぎ澄ませることに成功したものは、視力以上のサバイバル能力を駆使して生存し続けることも可能だったに違いない。人に視点を戻し、盲や聾や唖の方々が、その生活に我々が想像しえない様々な労苦を背負われていることに異論はない。しかしそうした方々が時に素晴らしい気付きを我々に示してくれるのは、感覚が失われたがゆえにそれ以上の別の感覚を持ちえることがあることを教えてくれるからでもある。

 視力が低下したことで、それまで手にしていた何かを失ったのは現実である。しかし同時に、視力でしか認識しか出来得なかった空間把握を、低下した視力を補ってたとえば聴覚、たとえば感覚、やもすれば嗅覚などで補うことができるかもしれない。できないかもしれない。しかし出来るかもしれないと思い、それを研ぎ澄まし日常的にトレーニングすることで、視力保持者や視力矯正者が観ることができない世界を認識することが可能になる、そんな現実が訪れるかもしれない。つまりそれは小生にとって「何かを失う」と同時に、「新しい何かを手にする」きっかけを与えられたとも言えることができる。

 現代社会で一様に「不便」だとされる物事すべてに、こうした「認識の転換」というプレゼントが隠されている。現代のテクノロジーが便利の追及の上に成り立っているのだとしたら、その恩恵を味わい尽くしていながらそれを語るのも恥ずかしいのだが、それでも不便などというものは別に生活や幸せが崩壊するような大したモノでもないという実感をその体に宿すトレーニングは必須だと思う。誰しもが「幸せ」という形の見えないものを求めるのならば、それは一つの幸福への切符にもなりえるのである。逆に言えば、世の中の「不便」に対して不満を感じることを少なくすれば、「不幸」がそれだけ遠のくのである。


 というわけで、自転車生活、裸眼生活、自然農生活、一日一食(不定期)をイイカゲンに続けながら、バイク購入を考え、ワンデーコンタクトレンズも所有し、インターネットに遊び、ジャンクフードを楽しむ。説得力ゼロのインチキ生活を、邁進中なのです。


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2月半ばに種まきしたポット苗がすくすく育ち、いよいよ畑へ。

posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月31日

ぜってーうめー

弥生十日 曇りのち雨

第十二候:春分末候
【雷乃発声(らいすなわちこえをはっす)】
=遠くで雷の音がし始める=
 (新暦3月30日頃〜4月3日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 晴天の続いたここ数日、ジャガイモの植え残しをまだまだ横目にやりながら蚕豆とえんどう豆の移植を最優先に終わらせた。土埃までは立たないが乾き気味の畝に手早く植え終えて、予報どおりの週末の雨に間に合わせた。今日は朝から風が飛んだ。春の嵐といわんばかりに地面をまき上げ、どうやらおさまってきたと思っていると、負けずにドザ降りの雨がやってきた。ずれにずれて満開を迎えていた筑波の梅が十分に咲き誇ったのを見計らっての、桜ならぬ梅散らしの雨となった。頃合としては3月半ばといったところか、花見も春雷も今年はもう少し後ろになりそうである。

 午後から雨、を予定して、今朝は仕事前に台所で仕込みを入れて畑に出た。痛む寸前のジャガイモを、買いだめしていたニンジンとエリンギとタマネギと豚モモ肉でカレーに煮込んでしまおうと、肉を自然解凍、ジャガとニンジンを下茹でしておく。自然農の米も自家精米して水につけ、余った時間で、思いつきで甘酒も作ることにした。味噌ならぬ手前どぶろくを、醸そう醸そうと企んでいるまま重い腰が上がらなかったこの冬。始めからアルコール化を狙っているが故の腰の重さであるのはわかっていたので、まずは米と麹で甘酒を造ることから切り込むことにしたのだ。米をお粥に炊いて、60度ほどに冷まし、乾燥麹を砕いて混ぜ、55度〜60度あたりで10時間保温。普段使わぬ電子ジャーを活用し、布巾を掛けて、あとは待つばかりとなった。

 雨に濡れる前に家に戻り、再び台所へ。お勝手の軒をバラバラと叩く雨音を聞きながら、嬉々として夕食を仕込む三十路独身男。玉葱を飴色に、豚肉はオリーブオイルでざっと炒め、エリンギに油を絡めてワインでひと煮込み。深鍋で、オリエンタルカレーのチャツネと共に仕込み済みの、ジャガイモニンジンのスープに、ザクザクと追加していく。後は肉が柔らかくなるまで煮込むのみ。
 甘酒は、7時間ほど経ってすっかりと完成に近づく。舐める、すくう、混ぜては味見る。炊飯ジャーの中のお粥と麹の混ぜ物は、すっかり溶け合って天然の甘みが香りたつジュレに変身していた。こりゃあ失敗のしようがないね。空いた時間にネットでさっと下調べして、次回のどぶろくへの意欲がいよいよ高まるのであった。

 日が落ちる頃には、雨も風も拍子抜けするほどすっかりやんでしまっていた。あとは畑で摘んだ菜の花をさっと御浸しにして、お米を炊いて、ルーを溶かして、ザ・ディナータイムを待つばかり。それではこの後は完成後の写真を並べることにして、今日はこの辺で閉じることにいたしやしょうかね。想像するだけでも、ぜってーうめーぞこらー。


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今宵のディナー:カレーライスとおひたしと自ビール(めっちゃ普通!)


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 水煮大豆と自然農ライス
  こってりカレーには菜の花を添えて
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コマツナの花の御浸しには    
甘酒ジュレドレッシングを(2種)



 さて、明日は品薄で出店を断念したつくいちの時間を、ジャガイモ植え付けにフル専念。

posted by 学 at 18:11| Comment(2) | TrackBack(0) | 食の喜び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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