注)記事の日付は太陰暦を用いております

2012年05月07日

刮目して

閏弥生十七日 晴れ

※5月6日につくば市北部で竜巻が発生し、北条地域に大きな爪あとを残しました。
幸いながら栗原地区(小生在住)近隣は数時間程度の停電で済みました。
ご心配をいただいた皆様、ご連絡ありがとうございました。
今後の北条地域の一日でも早い復旧がのぞまれます。※


第十八候:穀雨末候
【牡丹華(ぼたんはなさく)】
=牡丹の花が咲く=
 (新暦4月30日頃〜5月4日頃)


第十九候:立夏初候
【蛙始鳴(かえるはじめてなく)】
=蛙が鳴き始める=
 (新暦5月5日頃〜5月9日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※



 あれあれという間に迎えた八十八夜(5月1日)、ちまたのゴールデンウィークに乗りかかり筑波を少し留守にして気持ちを充填させた。戻れば立夏(5月5日)、夏の気がいよいよ立ち、時折雷雨がざぶざぶ降り、昼間の太陽に日よけを差したくなり、家の縁側には網戸が掛かるようになった。

 連休のつれづれには来客も訪れ、やれ苗代作りに蓮根植え、お玉じゃくし掬いにタンポポ摘み、自然農談義から酔っ払い雑談まで、賑やかに過ぎていった。日曜日のつくいちには急な諸事情にて参加できずにとても残念であったが、こうしたトラブルも含めて日々を前向きに、建設的に、自然農の田畑に草木の亡骸が積み重なるように、全てを糧にして生きていきたい。

 足元の雑草は一日一日と緑の量を増やし、毎日田畑を往復するたびにいずれか野菜達が草に囲まれていく。三国志の諺に「男子三日会わざれば刮目して見よ」とあるが、まさしく「草に三日会わざれば刮目して見よ」といった気分である。呉の呂蒙に会いに来て刮目させられたのは魯粛であったが、こちとら毎日、草に埋もれつつある作物を刮目しながら鎌をふるって救出しております。

 
 20120430garlic.jpg
 貴殿、ここにニンニクを刮目して見よ! 

posted by 学 at 19:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 畑の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月08日

ろのふ

閏弥生十八日

 LONOF(=Local Opportunities on Natural Organic Farm)、はじめます。

 これは、まるでWWOOF(ウーフ)のようでありながら、似て非なる、いや、非にて似ているものであります。仮に、ロノフと言ってみます。ありていに言えば、インチキです。詳しくは、こちら(雑草屋本舗)のHPにてご確認ください。

 WWOOFの基本方針をなぞり、自然農に限った範囲において、「お金のやりとりなしで、【食事・宿泊場所】と【力】そして【知識・経験】を交換するしくみ」です(WWOOF JAPANのHPから引用)。自然農の農作業を体験してみたい、つくばの微妙な田舎風景の中で宿泊してみたい、雑草屋と夕餉を囲みたい、そんな想いを抱く奇特な方々への小生なりのトライアル。要は、自然農の農作業を手伝ってくれる代わりに、ご飯と寝床を提供するよってことです。

 そんなわけで。お待ちしてます。どきどきどきどき。サイは投げなきゃね。


 ★ WWOOFのようなものはじめます:雑草屋本舗の記事より ★

posted by 学 at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 地に足つけて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月14日

焦る暇なし

閏弥生二十四日 晴れ時々曇り

第二十候:立夏次候
【蚯蚓出(きゅういんいずる)】
=蚯蚓(みみず)が地上に這出る=
 (新暦5月10日頃〜5月14日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 20120514upsidedown.jpg

 この季節は必然的に焦る要因に溢れている。毎年。
 先週末にようやく田んぼの苗代の種まきが完了しひと段落。と思いきやまだまだ播き残しが残る夏野菜の種まき。そしてようやく本番を迎える枝豆大豆の播種期到来。その間にも、エンドウの支柱紐張り、ジャガイモの草刈り、サツマイモの苗定植、忘れていた(!)里芋と生姜の植え付け。 あと何?? Blog? ワークショップ開催!? ぬおおおおおお。

 やってやるーー。
 しかし、朝から畑に出て、昼は暑くて日陰か家に逃れて7月開催予定のワークショップの準備にあて、夕方また畑に向き合って、暮れて夕飯用意してまた机に向かって、ってBlogなぞやっとる暇がない。  

 モチベーションだけはある。畑の土はもう少しもうひと声、積み重なりと命の営みが満つるのを待ちたいところだが、自身の積み重なりと営みは滋養がついてきた感あり。雑草が伸びやかに伸びるように。ぬおおおおお。

 そんなこんなで焦っているように書いてしまいましたが、時間がないだけで焦りはないのです。焦ったって仕方ないこと。田畑も、自分も、限りある中でうごめくのみ。

 
 吹き抜ける一陣の風は、まだまだ肌を冷やす春の気に包まれている。

posted by 学 at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

どぶろっきんぐ

閏弥生二十五日 雨

第二十一候:立夏末候
【竹笋生(たけのこしょうず)】
=筍が生えて来る=
 (新暦5月15日頃〜5月20日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※



 暇はない、と昨日書きなぐったその手も乾かぬうちに暇をみつけて、ついに念願だった「どぶろく」を仕込んでしまった。先日の甘酒での予行演習も済ませての、いよいよ本番である。

 材料は、自然農で育てた米を三合、筑波の井上麹店の米麹200g、
 我が家の井戸水900ml、イースト5g。

 1.まずは米を7分搗き程に精米し、2合炊きの水分量で普通に土釜で炊く。

 2.その間に米麹をほぐしておく。20120515kouji.jpg





 3.米が炊けたら、どぶろくを仕込む甕に移し、水と混ぜる。
 4.温度が40度以下になったら、麹も入れてまたまぜまぜ。20120515rice&water.jpg





 5.最後にイーストもふりかけ、またゆっくりと丁寧に混ぜる。20120515almostfinish.jpg





 6.雑菌が入らないようにラップをかけ、あとは三日ほど待つばかり。
 7.20度以上の保温が望ましいので、冬に使う小生の腹巻で包む。 20120515warming.jpg



 今後は、 
 ・一日一度、しゃもじで混ぜてあげる。
 ・醗酵が収まり、もろみを絞れば完成。
 ・瓶詰めしたものは発泡の濁り酒、絞りかすは酒粕。
 
 ・・・マジですか?? すごいんですけどーーー。
 
 ありがとう雨!! 種、苗に恵みをもたらし、百姓にも暇をもたらし、どぶろく仕込みの機会までくださったのね。明日からの天気予報では、今日の雨が過ぎれば気温25度を超える日が続く模様。農作業が目白押しで疲労した体に自家製どぶろくの発泡が身に沁みる、そんな幸福によだれを垂らそう。このワクワク感、代えがたい楽しみであります。



※どぶろく作りではこちらのHPを参考にいたしました。勝手ながらリンクを紹介いたします。
 >ドブロクの造り方
 >自家製どぶろくの作り方
 >イースト(酵母)について



★この記事は、著者の妄想を書き留めたフィクションであり、実際の分量、製造工程、写真など全て架空の出来事です。酒税法という日本国家が誇る素晴らしい法律に異を唱えるつもりは全くございません。はーメンドクサ。★

 

posted by 学 at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 食の喜び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月24日

交差点

卯月四日 晴れ

第二十二候:小満初候
【蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)】
=蚕が桑を盛んに食べ始める=
 (新暦5月21日頃〜5月25日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 土曜日、日曜日、そして月曜も、火曜も、普段ひとりで畑にたたずむ小生としては久しぶりに乱雑にかつ濃密に人と交わった数日となった。新しく飛び込んでみたフットサルサークル。大学の卒業学部(国際総合学類)の同窓会イベント。友人とのワークショップの打ち合わせ。新しい友人とその友人が来園されての自然農トーク。久しぶりの大工手伝い。そして都内方面に出てのミーティング。

 フットサルサークルでは、全くの新規の見学者としてお邪魔して2時間たっぷり練習とゲームで汗を流し、輪に入れていただき、笑顔でまた次回!とウェルカムされて楽しんできた。
 同窓会イベントでは、もちろん現役生の瑞々しい生命感にも感化されたし、同期の友人との十数年を振り返りながらの近況報告も楽しみ、自分と同様に偶然と縁でつくばの地にまた住み仕事をすることになった後輩とも再会し、在学時の専攻から遠からず近からずの「環境問題」をテーマとした繋がりに喜びも感じた。
 ワークショップの打ち合わせでつくばに来てくれた友人とは、「自然農」を絆にここ数年親交を暖めてきている間柄であるが、いつもの畑と違ってのつくばの中央公園横のオープンカフェで緑を眺めながらのミーティングはとても楽しかった。
 農園に遊びにきてくださった新しい友人たちは、もちろん「自然農」が縁で来園されたわけだが、そこから飛躍しての様々な社会観やコミュニケーション論や雑談に花が咲き、夕方の肌寒さも忘れるほど時間が過ぎていった。
 月曜日は大工バイトに久しぶりに出かけた。朝方の金環日食はおさわり程度に済ませ、移動の車内や現場の中で、また様々に近況や今後の話に花を咲かせた。木工仕事なのに、普段は別の仕事をしたり今後に居酒屋を始めようとする方もいたりするところがまた、このバイトの面白さでもある。
 都内への行脚は雨の中のバイク移動となった。一日で3名とお会いして、今後の取り組みへのご協力やプライベートに色々と相談できた。いずれもあまりに深く話し込んで、この数日ではなかなか消化しきれない内容にまで及んだものもあるが、これまでの繋がりがまた新しく別の視界を持って広がる可能性があることに、面白さと高揚感を覚えずにいられなかった。

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〜 草を食む 山羊を眺めつ 我を知る 己も青き 縁を食むかも 〜

 

 ここ最近、自然農からの気づきから沁み広がるように、他人に対しての接し方が自分の中で変化しつつある。それはもしかしたら独りよがりで自分勝手な気づきかも知れず、様々に人を傷つけながらの変化なのかもしれないが、過去は変えられず今を生き将来に変えうるしかない人生ならば、自分はその変化をありのままに受け入れて肯定していこうと決断している。それは開き直りなのではなく、自己責任としての決断なのだと、考えている。

 過去に同じような乱雑な出会いがあった時、振り返ってみると自分は今よりも濃度を薄めて対処してきたのではないかと思う。目の前の出会いに対して先入観をもって様々に決め付けて、カテゴライズしたり、その一方で自分の表現を枠内で抑えて当たり障りなく、もしくは過度に装飾して対面してきたことも少なくなかったはずだ。もちろんそんなことばかりではなく、大事な大切な出会いに対しては今と同様のもしくはもっと濃度の高いコミュニケーションを重ねてきてきたことは言うまでもないが、しかしそれ以外の乱発する出会いについては、自分はゆっくりと他人と接しようとする選択を取り入れることを十分にはできずにいたように感じている。
 だからといって今、何がどう変わった、という特別な何かがあるわけではないのだけれどね。普段お付き合いのある皆さんにとっては、別段いつもの小松学と何にも変わってねえだろ、というのが実際でのところであると思うけど。

 これまでも、これからも、日々目の前に人々との交差点は訪れるし、その折々にまた変化と醸成が積み重なっていくものなのだろう。そして、その交差点でお会いする人たちとのその瞬間の出会いはそこでしかなく、過去でも未来でもないのだとしたら、自分にとってけっしておざなりにしたり希薄にすることが無いようにしたいし、それが可能なライススタイルを持ち続けて生きたいと思う。時にはメンドクサイ輩を目の前にして、怠惰な自分に揺り戻されることがあっても。時には自分の接した結果で他人を不幸に導くことになってしまったとしても。最終的には我々は、その人生の幸も不幸もその本人自身が決めることしかできないのだから。であるなら、経緯や結果にとらわれすぎることなく、今の今、その交差点でどんな時間を生きるかを自分の責任として受け止めていきたい。それを喜びの一つとして。ただひたすらに、今を生きる。

 新しい出会いに執着することなく、これまでの出会いにも固執することなく、変化を恐れず、同時に変わらないことも受け入れ、今の、ただいまの、最良の道を丁寧に探していきたい。

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醸造されて、瓶詰めされた、どぶろっくん

posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 友と共に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月28日

ワンダー

卯月八日 晴れ時々通り雨

第二十三候:小満次候
【紅花栄(べにばなさかう)】
=紅花が盛んに咲く=
 (新暦5月26日頃〜5月30日頃)
※今年から七十二候を取り入れてみました※


 「特別な存在だから特別なのではなく、どこにでもあるありふれた存在だからこそ特別なんだ」、などというありふれた記事を書いていて、これはいい記事になったと鼻の下を伸ばしきってご満悦にひたっていたら、足元のコード類が悪そうな笑みを浮かべながら右足にからまってパソコンの電源が落ち、1時間かけたテキストデータが消し飛んだ。

 「過去に起こった大事に見えることに執着なんかしないで、今起こっているそのままの足元の出来事にこそワンダーが詰まっている」などと、奇麗ごと言ってんじゃねえよというような記事を書いていたら、画面がプツリと消え、うおおおと叫び、やっちまったーと、その1時間を嘆いてみたりしそうになった。

 しかし自分がキーボードを叩いていた1時間ちょっとの考察は、電気信号としては消え、形にはならなかったけど、そして稚拙すぎるその文章は幸運なことに他人の目に触れることなく済んだのだし、また二度と同じ文章や構成や語彙は訪れないのだけど、それは確かに存在したし、消えたようにみえてもおそらく自分のどこかに沈んでいったはずである。体内でもあり、脳内でもあり、過去でもあり、もしかしたら未来に。


 このところの大豆の豆蒔きゴールデン月間のさなかに、気休めの楽しみで仕込んできたどぶろっくん。その折、瓶詰めをした濁り酒の副産物として酒粕が手元に残った。その生きた酒粕を一部活用し、全粒粉を混ぜてパン用の種麹(酵母)を作ってみていた。昨晩思い立ち、その酵母とキッチンに残っていた小麦粉、ふすま粉、食塩を混ぜて、生まれて初めてのパン生地作りをやってみた。酵母を冷蔵庫に入れていたせいか醗酵がなかなか進まず、台所に放置しておいての今日の午後、ムチっとしまっていたパン生地は見事に粘りのある生地に変わり、とりもとりあえず聞きかじりのまま陶器とオーブンレンジに放り込み、生まれて初めてのパン焼きを体験した。峠の釜飯の空いた陶器に、そば粉をまぶしたパン生地を丸めて投入し、オーブンレンジも使い方分からずに「ケーキ」のボタンをとりあえず押して40分。適当に、思いつきで、片手間に、なんとなしに始めたパンの調理。そうしてできた自家製パンの味と体験の末にでた答えは、世界はワンダーに満ち溢れている、ワンダフルであるということだった。

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陶器の土鍋が良いとのこと。鍋がオーブンに入らないので峠の釜飯にて。

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膨らんだ!焼けた!そしてなにより、むっちゃ美味い!!


・ ・ ・

 金環日食や、筑波実験植物園で開花した「ショクダイオオコンニャク」がこのところ話題を集めている。数年に一度、数十年に一度の自然現象は無条件に人の耳目を集め、その頻度が少なければ少ないほど、その間隔が長ければ長いほど、人は興味関心を寄せ、好奇心と注意を向け、心を動かす。

 ところで、金環食のあった日が、月の動きで言えば新月(月齢0〜1)であったことに日ごろから気がついている人がどれほどいただろうか。当然のことであるが、月と太陽が重なると日とは、地球から見た時にその二つの天文体が同時に空に上がっているということである。毎月(正確に言えば約29日周期)繰り返されている月の満ち欠けのうちの、新月にあたる日であり、かつ太陽光線を月が遮るコースに入るというまれに起こる日に、日食として観測されるのである。今更であるけど。一方満月とは、太陽と月が地球を挟んで正対し、太陽光を月の球体全体で反射しているために見られる、約29日に一度の天体現象である。つまり満月の日は太陽が沈む頃に東から月が昇り、朝日が昇ると月が西に沈むことを意味している。言うまでもないことだが、満月の日に金環食が起こることは絶対にない。そのことは、当然過ぎて誰も触れないのだが、その「当たり前」のことに普段から気にとめていて日食を観察した人はどれだけいたのだろうか。

 数年に一度しか開花せず、悪臭でも世界有数と言われる植物と、毎日毎日の朝に咲く無数の花や、庭先で触れるたびに独特の臭気をもたらすありふれたドクダミ草との間に、いったいどれほどの存在の差があると言えるだろうか。

 日常のセンスオブワンダーを働かせる時間がなく毎日を過ごす人にとって、稀少な自然現象に関心を寄せたり興味を向けたりすることは、自然や環境への好奇心の入り口になりえるし、日常を彩る特別な出来事となりうる。しかし世界では、一瞬一瞬の何気ない光景や足元の自然に、日食や珍しい植物の奇跡に一歩も引けをとらないような「ありふれた奇跡」の毎日が隠れている。全ての現象は、その植物、動物、天体、無機物らにとって奇跡の一瞬であり、二度と同じことが起こることはない。物理学的に言ってもあるいは哲学的に言っても、今ここにある森羅万象は全て常に移り変わりと変化を繰り返しながら、同じ状態は一度としてなく実体として保ち続けて存在している。細胞レベルでも、粒子レベルでも。

 大げさに言えば、自然農とは、その一瞬の奇跡と、それでいながら重なり続ける複雑系の生態系の営みの狭間に生き続ける、人間と自然現象の関係のことである。もちろん自然農だけに当てはまる話ではない。世の中に普通のこととして存在する日常の、全ての事柄にセンスを発動させ、そこから発見や感動や安らぎを得ることができるのならば、世界はまるでワンダーランドである。言い切ってしまえば、それに気づきさえすれば、人は幸せへの切符を手にしたも同然なのだ。特別な出来事としてのワンダーを求めた結果、例えば日食レンズを買い忘れて後悔したり、あるいは植物園に渋滞してイライラしたりすることもある。もちろん、そうした特別な奇跡も楽しみつつ、同時に、いつもと同じように見える「ありふれた奇跡」があることに目を向けてみよう。そうすれば世界は常に生まれ、消え、更新され、しかも存続し続ける、そんな驚きのワンダーランドに包まれているのだから。

 特別なことだからオンリーワンで素晴らしいのではなく、ありふれた日常が実は一瞬一瞬のごく普通の奇跡の積み重ねであり、だからこそ特別なのではないか。パソコンのデータが消し飛んでしまって全然違う構成の記事になってしまったとしても、結果として残るこの気持ちはほとんど同じであり、と言うことは心配していたようにこの恐ろしく冗長になった文章が不幸にも他人の目に触れてしまうことを意味する。
 しかし、こうしたありふれた内容の文章だからこそ特別なのだと、自分に対して言い訳が見つかったところで、足元の電源コードに気をつけながらキーボードを打ち終えるのである。たかだか麹種を作って自分でパンを焼いたからって、何をほざいてるんだと。そうかもしれないし、そうであってもいい。その小さな日常のワンダーこそが、一人一人の幸せの種になりうるのだと信じて。

posted by 学 at 23:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする