
第七十候:大寒初候
【款冬華(かんとうはなさく)】
=蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す=
(新暦1月20日頃〜1月24日頃)
【款冬華(かんとうはなさく)】
=蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す=
(新暦1月20日頃〜1月24日頃)
第七十一候:大寒次候
【水沢腹堅(さわみずこおりつめる)】
=沢に氷が厚く張りつめる=
(新暦1月25日頃〜1月29日頃)
【水沢腹堅(さわみずこおりつめる)】
=沢に氷が厚く張りつめる=
(新暦1月25日頃〜1月29日頃)
第七十二候:大寒末候
【鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)】
=鶏が卵を産み始める=
(新暦1月30日頃〜2月3日頃)
【鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)】
=鶏が卵を産み始める=
(新暦1月30日頃〜2月3日頃)
※七十二候を取り入れています※
ほんのりと、冬が融け始めている。
昼、庭にウグイスを見つけた。ネズミが天井裏を駆け回り、壁のあちらこちらの飾りに稲束や大豆の枝がぶら下がるこの家に、越してから早や5年が過ぎた。初めてこの家に移ったときと同じように、梅のつぼみが膨らみ、柿の冬枝が張り、足元にフキノトウがほころびはじめる頃である。晩に朝に、依然としてキンと冷え締まることこの上ないが、どうやら昼の陽射しには、たしかな暖かみが混じるようになった。

冷えに冷えたこの冬であったが、それでも自然は巡り巡り続けて、春はやってくる。この18ヶ月間、寝食を程よく共にした居候氏は、目出度くこの折に転機を迎え、春風よりも一足早くこの家をあとにすることとなった。息を抜いて間抜け面をしているときに限っていつ帰宅するかわからないという、楽しいスリルが味わえないのがことのほか残念であるが、互いの行く末を共に慶びあえる友人を見送れることが何よりも嬉しい。
この1月、話すことと聴くことにフォーカスしたワークショップを2回開催した。先に開いた会では、テーマを「聴く・話す」として、じっくりと5時間半かけて過ごした。参加した友人から後に届いた言葉は、積み重ねの成果を感じた時間だったという、嬉しい内容だった。つい先日に開いたヨガと気づきのワークショップでは、初めてお会いした参加者の方から、参加できたこの日を宝物のように大事にしたい、という言葉をいただいた。「ヨガ」と「話す・聴く時間」がどれほど親和するのかは、主催する側にとっては確信めいたものであったが、参加された方にとってどういった時間になるかはまるで手探りであるがゆえに、その時間を喜んでいただけたというサインは、力強く我々を勇気づけてくれるものだった。
あと4日で立春。今年の旧正月は11日後。七十二候は、昨年の立春より巡って七十二を数える。春を迎えての、また新しい一巡りへの移りかわり。田畑も森羅万象も、常に萌芽は内在している。土は徐々に暖まり始め、虫が起き、草木の息吹きがあちこちに聞こえている。小松学も、雑草屋も、70億の人類も八百万の神々さまも、巡り巡りて新陳代謝を繰り返していく。変わらないまま変わりつづける。人も、自然も、世の中も。
16日前、とてもとても繋がりの深い親友が、命を全うして旅立った。またその一方でほとんど同時期に、不幸なる政治に巻き込まれた見知らぬ方々が命を落とし、さらには帰趨さえも耳に届かない世界中の方々が、今もどこかで命を落としている。小生は、たまたまの人生をなにごとかの係わり合いの中で生きつづけているに過ぎない。だからこそ、畏友を胸に抱き、自らの生を全うすべく、手元足元にある幸せのかけらを携えながら、今日も大豆を選別しつづける。暖房を節約しつつ、豆の出来不出来に一喜一憂しつつ、週末のつくいちを心待ちにしながら。居候氏の荷物が空いた6畳間に、ぽかりと物寂しさを感じる厳冬のなかで。

亡き親友に、そして今命ある全ての縁(えにし)に、祈りを捧げます。
安らかに。そしてまた会おう。