注)記事の日付は太陰暦を用いております

2013年05月25日

毎日

卯月十六日【満月】 晴れ時々曇り

 気がつけば一ヶ月。毎日が自然農のくせに、毎日を記録せずに過ごしてしまっている。

 さて畑。ジャガイモを結局全ては植え終わらずに、作業のピークはサツマイモ、里芋、生姜へ。むむむ、なかなか追いつかない。雑草は百花繚乱。虫も跳梁跋扈。彩りの賑わいに、野菜たちも少々押され気味(笑)。草刈りと、種蒔きと、収穫準備と、農園整備と、どれから先に手をつけていいものやら、作業予定を手に畑に向かうものの、実際の様子を目の前にしてついつい優先順位がころころと入れ替わる毎日。

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 田んぼ。苗代は前半に播き終えた種は少雨にも負けずにすくすくと発芽、成育し、例年に勝るとも劣らぬ苗代が育ってきた。先日、恥ずかしながらの最後の種籾を播き終え、ようやく胸をなでおろす。毎年のことだが、少々播き時が遅れた為に行う発芽作業によって籾からちょんまげをのばした種が可愛くてしかたがない。


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 この芽を折らぬように、通常よりも播種後に被せる土を鎮圧せず、優しく苗代を仕上げなければならない。作業を遅らせた自分のせいではあるのだが、夏が近づく頃のこの季節に汗をかきながら手間をかけて作る最後の苗代作りは、手間の掛かる子を慈しむように情が湧いてきてしまう。


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 さあ、待ったなしじゃーーー!! 



第二十二候: 小満 初候
【蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)】
=蚕が桑を盛んに食べ始める=
 (新暦5月21日頃〜5月25日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※
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2013年05月26日

知らない

卯月十七日 曇り時々晴れ
第二十三候: 小満 次候
【紅花栄(べにばなさかう)
=紅花が盛んに咲く=
 (新暦5月26日頃〜5月31日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


 一ヶ月ほど前のつぶやきの記事をなぜか今頃。

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 知らないことを知っていると振舞うとき、いったいどれほど多くの気づきを失ってしまっているのかということに、鈍感になってはいけない。

 普段から、自然農や興味をかけている物事に限らず、「知る」もしくは「体験する」ことに触れる機会は少なくない。それはネイティブアメリカン(インディアン)の教えに触れるワークショップであったり、古武術の体の使い方を習う稽古会であったり、自然農を実践される方との雑談であったり、はたまた子育てについての四方山話であったり。

 例えば昨年の、インディアンの教えに触れるプログラムへの参加では、3日間を山の中で、火をおこし、寝場所を確保し、野草を食べるという体験に触れた。そこで小生は、主催者であるKさんや一緒に参加された方達との話の折のついついしてしまう行為として、「ああそれは知っている」という態度や反応を、条件反射的にしてしまったことがある。
 プログラム内では、キャンプ地付近の山林で食べられる野草を探すという時間があった。ついつい、「Kさんの次に知っているのは自分である」と言わんばかりに、外側は普段どおりに落ち着いたようなそぶりを見せながらも、内心は嬉々として「あれも食べられるこれも食べられる」と行動している自分がそこにいた。また、火をおこすという時間でも、「一度体験したことがあるから大体は知っている」とどこかで周囲に表現したかったらしく、Kさんのエッセンスを受け取ろうとするスタンスになりきることが出来なかったことを思い出す。そこで小生が「まだ知らないことはたくさんある」という姿勢を保つことができていたならば、おそらくもっと多くの事象に触れ、新しい気づきへと繋げることができたかもしれない。しかしその時は確かに、どこかの誰かに(もしかしたら自分自身に)、その時点での自分を一所懸命に表明しようとして、気づきを増やす貴重な機会を失ってしまっていた。

 自分が興味を持ちその真髄に触れたいと思い、先人の智慧に習おうとするときに、このような小さな自我の表明ほど、その真髄から自ら遠ざかってしまうような行為はないように思う。「まだ知らない。まだまだ知らない。」だからこそ、その智慧や自分自身の気づきに対して今現在の瞬間で全力に向き合いたい、という動機が生じる。知っている、聞いたことがある、考えたことがある、それなら解っている、と思った瞬間に、教えは教えでなくなり、最も重要な、エッセンスも香りも空気感も立ち消えてしまう。結果、本で読んだような知識とそれほど大差のない、「それを知っている自分」という肩書きをただ上塗りすることになっているのに気がつかず、絶えず似たような経験を繰り返すことになる。ついつい。それどころか、むしろ「気持ち良い」行為として。

 小生は、自然農や、話すこと聴くことにフォーカスするワークショップや、古武術的体の動かし方や、シュタイナー的な教育や、ウィパッサナー瞑想のような心の整え方や、パーマカルチャー的な自然環境への接し方などに、興味を覚え、自分の時間を費やし、職業として取り組んでいこうとしている。その中で、おそらくは「自分は知っている」と表明しなければ商売として成立しにくい機会は数多くあるだろう。金銭のやり取りが発生する際に、客サイドから「知らない人物に教えてもらいたくない」、「知っている人だからお金を払える」と思われることなど山ほどあろう。であるならばこうした場で「知らない」と書くことはただのアホらしい表明なのかもしれない。しかしだからこそ、そうした場面であっても、できうるかぎり「まだ知らないことまでも知っているように振舞ってしまう」欲求から解放される自由を持ちえていたい。と思うのは、やはりアホなのだろうか。


 インディアンの教え。まだまだ感覚したいことが多すぎる。
 コミュニケーションとしてのワークショップ。常に新鮮なことばかり。
 古武術的な体の操作。未熟にも経験不足にもほどがある。
 シュタイナーのアプローチ。深遠すぎてたどり着けない。
 ヴィパッサー瞑想の導き。実践できずにいいとこどりばかり。
 環境問題への関心の寄せ方。日常にはまだまだ程遠い。
 そして自然農。
 まだまだ肉体化できず、実践として会得できていないこともままある。だからこそ、上記を含むあらゆることに対して、現在進行形で触れ続けていくのみなのだ。


 実際には、既に知っている(と自覚してしてはいる)ことは多々あり、それを経験や糧として次なる事象にあたっていくことは、当然の行為であり、そこに疑問の余地はない。しかしその「既知の事実」のような物事の中であっても、必ず新たな気づきは潜んでいる。もしくは同じように見える物事が起こった時でさえも、過去の状況と完全に一致する場面など本来は存在しない以上、知っているような気がしているだけで実は「知っていない状況」になっているかもしれない。その時に、いかに「知っている病」から自由になり、感覚と智慧をめぐらせてその状況に臨むことができるか、というのが自分に課す問いかけであり、と同時に、それに取り組む姿勢は、人生を終えるまで尽きることが無い最高の趣味・スパイスになりうるのだ。

 人も、自然も、科学技術も、社会も、全てが移ろい、変化し、一つ一つ積み上げながら一つ一つ変わり続けている。私達が知ることができる唯一の確かな経験は、「現時点では知っている」ということにすぎない。自分が惹かれて片足両足突っ込みかけている事について、まだまだ「知らない」からこそ、より多くの人(そして自分に相応しい程度の人数)を巻き込んで場を提供していきたいと思う。自分も知り続けながら、その知る途上にある喜びを分かち合っていきたい。


 科学をもって、経験をもって、テクノロジーをもって、世の中を「知っている」としてしまいがちな、自分を含めた現代社会へのアンチテーゼを心の灯火として生きていこう。WEBでの情報、TVでの知識、活字での経験、で知ったつもりになる監獄から脱出しよう。面白きこともなき世の中で、確かに存在する面白きこととは、その人自身の内なる魂にすでに宿っている。幸せの種を、常に自分の内に抱いていこう。蔓延する、「知っている」症候群から半歩でも一歩でも自由になり続けよう。


 稲の苗代に、畑の作物の成育にわくわくし、同時に自分の作業の遅れぶりには辟易もする。そんな、毎日が自然農。傍らには、妻と、娘。そして自分。

 上の写真(4月撮影)のタンポポは、すでに綿毛を飛ばし、その姿はない。そして元あったその場所には、違う草花が花を咲かせている。

 日々の発見を日常に。日常を発見の日々に。朝起きるたびに、毎日が始まる。


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朝焼けと粟子となつ(3月から借りている雄山羊)
posted by 学 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月31日

自然側

卯月廿二日 晴れ

 自分ができるだけ自然と共にあれるか。それは自然農に取り組む中で、自ずから寄り添ってくるテーマでもある。


 今日、農園として使用している一部の畑を知人にお貸ししていた区画を、2年を経た後に返していただいた。知人の取り組みに共感しその区画は有機農での栽培をすることになり、トラクターで耕し、有機肥料を入れ、ビニルマルチを張り、寒冷紗をかけて、とある作物を栽培した。そして2年が経ち、返却していただく段となった。

 戻した後には、自然農での作付けを予定しており、現状復帰の作業を手伝った。寒冷紗の撤去はなんとかスムーズに終了したのだが、手を焼いたのが、ビニルマルチの回収であった。農作業においてのマルチとは、地熱を高めたり雑草を生えにくくしたりさせる目的で作物以外の土を覆う資材全般を指す。ビニルマルチとは、種類も様々にあるようだが、おおまかに言えば石油資源のビニル素材でつくられ、薄くて軽く、畑一面に広げるのに効率的でありかつ作物の生育促進にも一役買うため、慣行農法や有機農法の畑では、しごく一般的に使われる資材の一つでもある。

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 それが、2年の使用を経て撤去するとなると、はてさて。雑草の根がビニルに張りめぐり、土はビニルを腐食させ、固定の為に打ち込んだプラスチックのアンカーも食い込み、簡単に外せるものではない。無理して剥がせば表面は綺麗にはがれるが、土の下に埋まったビニルやアンカーは残り、人工物として、分解されて土に還ることがほとんど無い(非常に長い年月においては分解されうるかもしれません)。自然農栽培を選んだ小生にとって、こうした時にこそ、天然素材を選ぶ理由が明確に体感される。ビニル素材は、明らかに土とは親しくなく、見た者に不自然さを覚えさせる。いつかぼろぼろに小さくなったとしても、天然素材の草木や動物とは明らかに異なり、違和感を感じさせるに違いない。一方で、麻布を利用した鳥避けネットや布マルチなどの自然素材は耐久性は比較して弱いが、使用後に畑に放置していたとしても、いつか必ず土に還る。その差異は、どこまで行っても混じることなく、小生の中に大きな隔たりとなって存在する。

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 決して使用しないというわけではない。有用に使えるものは当然利用している。天然素材では工夫に限界にある製品などは、便利な資材として、手元において使っている。ただ、田畑の中に、土の中に残されてしまうような使い方をするものについては、土のためなのか自分のためなのかは分からないが、どうしても使いたくない、と判断する自分がいる。果たしてそれが、自然なのか、不自然なのか、欺瞞なのか当然なのかはわからないのであるが。

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 その作業中、昼休み明けの上半身(わき腹と右腕)に、突然痛さと痒みが走った。最初は草負けや蟻にでも咬まれたかと、軽く擦って済ませようとしていたのだが、何度か擦っているうちにヒリヒリもしくはズキズキするような猛烈な痒さが襲い掛かり、切ったばかりの爪の伸びていない指先で、いてもたってもいられずに掻き毟っていた。しかし何度掻いても十数秒後には元の木阿弥。むしろ痒み、というより痛みが広がってくるような気がしてくる。これは毛虫か、と気がついた頃には、これ以上作業を続ける気力すら失われてしまうほどの不快感だった。
 とりあえず帰宅してなにかしらの薬をつけるべきかと一考したが、ふと、頭の片隅を探し当てる。記憶の断片に、書物か、インディアンの教えか、定かではなかったが足元の雑草についての智慧が思い出された。それは、セイタカアワダチソウを咬んだ汁を虫刺されの皮膚につけると良い、という記憶だった。その時点では確かではない智慧の記憶ではあったが、文字通り藁にもすがる思いで、原因の一つであろう長袖シャツを脱ぎ捨て上半身裸になり、セイタカの葉を口に含み、咬み、唾液の混ざった草の汁を、がむしゃらに患部に塗りつけた。何度も、何度も。作業の汗で渇いた口では唾液が足りなくなると、麦茶を口に含み、その水分で草の汁を伸ばし、腹に腕にこすりつけた。痒みはすぐに治まったわけではなかったが、このままでも仕方ないと、持ってきていたジャージを裸の上に直接着て、作業に戻ることにした。

 すると1分、3分、5分。痒みも痛みも、激しい再発はそれ以降おこることはなかった。飲み薬でも塗り薬でもなく、そこらじゅうに生えている雑草の、咬んだ汁を塗っただけ。それだけで、あの、気が変になりそうなほどのとげとげしい痒みが、一陣の風と共に和らいでくれたのだった。その現実はすこぶる力強く、目が覚めるように明らかで、まずは先人の智慧に、そして植物の薬効の力に、畏敬の念を覚えずにはいられなかった。


 そんな、自然と不自然を感覚として身に深く体感したような今日の出来事。どんなスタンスをとっても自由なんではありますが、小生の個人の趣向としては、自然側に立ったスタンスは、やっぱり魅力的なんだよなあ。と、しみじみの一日。


第二十五候: 小満 末候
【麦秋至(むぎのときいたる)】
=麦が熟し畑が黄金色になる=
 (新暦5月31日頃〜6月4日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※

posted by 学 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 学びを知る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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