注)記事の日付は太陰暦を用いております

2014年01月16日

リアル

師走十五日 曇り 

 
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 畑を離れて街を行き来している。
 新年すぐに風邪を患い、床にずっぷり臥して数日、そして復活。
 師走(旧暦)さながらに、月末の映画上映会に向けて奔走の毎日を送る。


 司令塔は妻。百姓は身体を動かすのがむいている。
 つくば市のお店、公共施設、教育施設、メディアへと、上映会の宣伝のために足を動かす。

 雑草屋とは別で、妻と立ちあげた市民団体。
 「つくばで持続可能な社会を考えるプロジェクト」=「つくサス」
 活動の第一弾はドキュメンタリー映画「地球交響曲」の第一番の上映会を開催することに。

 何のためか、何を動いているのか。  
 地球の上に、自然界の上に、人間界の上に、自分は生きているわけで。
 その上に立って生きていることに耳を澄ませよう、という映画だと思っている。

 第一番が製作されて20年以上、全国各地の自主上映会などによって人々の目に
 触れられてきた作品を、つくばの地で。

 自分も、20年以上人々の評価に耐えうる仕事を成しえるか。
 そういう覚悟も与えてもらえる機会になっている。

 自然農に出会って、10年以上の月日が過ぎようとしている。
 つくばに戻り、今の畑に立って7年目。
 新しい家族を得て2年目。

 その覚悟も新たに、今年を。
 いつまでも、百姓で。十に百に千に万に、できることならなんでもやれるような
 情熱と怠惰を兼ね備えて、リアルな百姓として、適当に生きていきたい。


 脱、インチキ百姓。
 これからは、堂々たる、リアル百姓ライフへ。

 つまりは、なんでもかんでも、さらに、持続可能な自然農スタイルの実践へ。
 今までどおり、さらに、今までどおり。
 家族も交えて、家族も背負って。

 さあ走れ! 畑も田んぼも、アスファルトも!

 
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2014年01月21日

炎と雪と

師走廿一日 晴れ

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 日曜日、雨戸の隙間が眩しいと妻に起こされ、外をのぞくとつくばに初雪が降りていた。うっすらと、ほわりと、おそらく雨から降り始めた深夜に、徐々に凍らせて重なっていったのだろう、白く、軽やかに積っていた。 前日に小田城址でのどんど焼き。自給自足で飾った正月飾りを持ちこみ、まさしく天まで突きそうな火柱の中に燃え上がり、体を照らし、餅を焼き、正月気分を落としてきた。

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 どんど焼きで火照らせた体もすっかり冷えた翌朝、娘と小生は、半分やけになりながら雪だるまをつくりに庭に出た。綿雪は手に残らず、なかなかまとまらない。案の定、娘はすぐに諦めてしまい、誘い水しながらなんとか雪玉を転がすが、遅々としてダルマは膨らまない。半ば喧嘩になり、根を上げた娘は部屋に戻り、小生が一人で手のひらサイズの大小2つをやっつけて、雪遊びは終了した。娘はまだまだ、花より団子、雪より味噌汁。それはそれで頼もしいのである。 夕方、すっかり晴れて雪の消えた頃に、これまた娘と庭に躍り出て、やおら秘密基地制作に乗り出した。秘密基地とはいうものの、庭の丘のど真ん中に、櫓のように鎮座しているので決して秘密ではないのだが、なにしろ子供は秘密基地の語感が良いそうなのである。これまた娘をなだめすかして、時折サッカーをし、時折探検ごっこをし、1時間ほどを費やした。至ってシンプルに、ブロックと組み板で床を敷き、竹を組み、笹竹と稲藁で壁と屋根を囲って、まるで縄文式な四角錐の秘密基地が出現。断じて秘密ではないのだが、「立てば顔が隠れる」という攻守逆転の発想で、なんとか「秘密」に寄せて納得してもらった。
 できたらできたで娘は一人で基地で遊ぶでもなく、お腹がすいたと家に戻っていく。やはりまた、娘より父親が楽しんでいたという話。

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 どんど焼きの櫓が燃え落ち、残り火でみんなが餅を焼いていた時に、一枚シャッターを切った。年神様か火の神か、筑波山の山神様か、なにやら降りてきたような気がした。

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 今年も、無病息災でありますように。

posted by 学 at 23:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月22日

自然であること

師走廿二日 雪のち晴れ

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 雑草屋として、自分はなぜ生きているのか。

 それは、自然農の哲学から広がる様々な「自然であること」に目を向けて、耳を傾けて生きていきたいからだ。

 と、最近お会いした方との話の中で気がついた。

 
 雑草屋とは別で活動している「つくサス」。その活動として今は映画の上映会に向けての毎日。

 映画「地球交響曲」シリーズは、登場する全ての出演者がそれぞれに辿り着いた「自然であること」が語られるドキュメンタリーである。ある人は宇宙から地球を眺めた体験を通して(第一番:元宇宙飛行士のラッセル・シュワイカート氏)、ある人は一本のトマトの苗に1万3千個のトマトを実らせた体験を通して(第一番:植物学者の野澤重雄氏)、またある人はヒグマをカメラで追い続ける体験を通して(第三番:写真家の星野道夫氏)、それぞれに「自然とは何か、自然であることは何か」に迫っていく。第一番から第七番(第八番は現在製作中)を通して、紹介される出演者が見つめる先には常に、地球と人間が調和して存在している。
 
 自然農は、自然に目を向け、耳を傾けなければ存在しない農のあり方でもある。「耕さない、虫や草を敵としない、肥料や農薬を使わない」という言葉は目的ではなく、目を凝らして、持続可能な「自然のあり方」に耳を傾ければ、おのずと自然との関わり方がそうなっていく、というアプローチに他ならない。

 「自然であること」とは、当然ながら、自然環境のことだけに留まるわけではない。心が自然であること、体が自然であること、暮らしが自然であること、それらを考えるだけで人生は留まることなくめぐり続け、果てることがない。

 農が、食が、「自然であること」を目に向けたら「自然農」をしていた。
 対話が「自然であること」に目を向けたら、「話す・聴く」ワークショップをしていた。
 子育てに「自然であること」に目を向けたら、「こぐま塾」をはじめていた。
  
 体が「自然であること」に目を向けたら、「古武術」や「ヨガ」に親しんでいた。
 心が「自然であること」に目を向けたら、「ヴィパッサナー瞑想」を体験していた。
 感覚が「自然であること」に目を向けたら、「ネイティブアメリカン」の教えに耳を傾けていた。

 全てが生きる生業(なりわい)になるわけではない。お金を生む生まないは重要な世の中であるが、それ以上に自分は、「自然であること」に寄り添って生きていきたい。大自然で野生として生きることが「自然」なのではなく、どんな世の中でも、「自然であること」とは何かと問い続けながら生きること。それが自分なりの、最大限の、地球と調和して生きていくことなのだと思う。


 人は自分の人生で全てを体験できる訳ではない(本質的には、全ての体験は共通しているとも考えているが)。しかし、他人の真に迫る体験を通して、擬似的にそれに近づくことは可能である。共感と想像力をもって体感し、それを自分の人生に落とし込むことができれば、それは自分の体験として深く刻み込むことができる。映画「地球交響曲」シリーズは、そうした共感力を持つ、数少ない作品の一つだ。

 日常を退屈とは思わずに、きっとワクワクに満ちているだろうと生きている方には、まさしくその門が開かれている。逆に、ネガティブな日常と閉塞感を抱えて生きている方にとっては、そこにカウンターパンチを浴びせてくれる。映画をきっかけに、まず自分が「自然であること」を取り戻し、そして同時に地球と人間の関係が「自然であること」に目を向ける人が一人でも増えてくれることを願っている。


 そう願う気持ちは、きっと小生自身の気持ちが「自然であること」に適っている・・・はず・・・?



 2014年1月25日(土)
 映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第一番」
 つくばカピオホールにて上映!


 詳細はこちらからアクセス!




 
posted by 学 at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月23日

SPAM

師走廿三日 晴れ

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 <1月17日 ラジオ生出演の様子>
 Photo from ラヂオつくば



 スパム=SPAMとは、迷惑広告のスラングのこと。語源を紐解けば、1970年代のイギリスのテレビ番組で、缶詰の「SPAM」の名前を連呼して食べさせようとする食堂に老夫婦が辟易するというちょっと面白いコントから、とにかくうるさくて迷惑な広告(現代社会ではメールやネットでの販促がほとんど)を「SPAM」と呼ぶようになったとされる。
 ※SPAMの語源についてはこちらに詳しくあります。(コントの動画あり)
  http://moto-neta.com/it/spam-mail/



 さて、Facebookにも書いた近況を。

 時代にもれず、雑草屋や、つくサス、そして小生自身もアカウントをとりFacebookを利用している今日この頃。このところ、25日に控えた映画「地球交響曲第一番」の上映会開催に全力過ぎて、つながりある友人知人にスパムウィルスのごとく、宣伝や情報拡散のお願いをしてしまっている。ご理解ご協力いただいている皆様にはただただ感謝なのだけど、しかし。

 当然のように縁が重なる友人が多いので、Facebook上に積み重なる「地球交響曲」のシェアに、よくやってるなあと応援してくださる方もいれば、きっと食傷されている方も多いはず。 

 よもや自分が、こんなに宣伝になりふり構わぬようになるとは(笑)。。。

 大げさといえば大げさで、気にしすぎと言えば気にしすぎなのだが、ここに経済活動(社会活動)と宣伝活動のジレンマがある。「好意」と「迷惑」、「公益」と「私益」、「義理」と「応援」の狭間で、気持ちが揺れ動く。そうしてまた、意義があると信じて主催するイベントに少しでも多くの方に来ていただければと、ついつい声を大きくしてしまう自分に気付く。

 自分たちを丸ごと棚に上げて言い放ってしまえば、センスのない宣伝は、押し並べて「迷惑」になる可能性を秘めている。一方、洗練された宣伝であればあるほど、そこに不快感が存在せず、商品価値を高めて購買に繋げる効果を上げるに違いない。

 省みて、今の自分たちはどうか。
 周囲からの、無数の好意に頭の先まで浸かりながら、それでも上映会の価値を確信して、おかげさまでの気持ちを携えながら「お願い」の声を広げてしまっている。なんとか、いい機会になればなあ、という思いを灯しながら。そうして、今日も今日とてチラシを配り、WEBで宣伝し、電話越しに頭を下げ、チケットの一枚一枚の申込に、一喜するほかないのだ。

 宣伝すると決めたならば、気合を入れて。目にしてくれた方の人生を、できるだけ無駄にすることなく、何かしら残り香を放てるように。
  
 他人のスペースに入り込んでまで主張する様は、田畑での雑草の性格にも近しいのかもしれない。他の植物を押しのけて繁茂する雑草のように、自分たちは、作物たちの生育を阻害する「チガヤ」や「セイタカアワダチソウ」になってやしないか。それとも、雑草のように他の植物に負けずに繁茂もするけれど、せめて農産物としても益のある「菊芋」や「ササゲ豆」になれているか。きっと、きっと、美味しさを味わってもらえるような、実を、種を、宝物を、育てているのだと信じて。 

 なんて、うろうろと考えているまに、また夜がくれて、太陽は昇るのである。

  
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 そんなわけで、今日の夕方にはコミュニティラジオ(ラヂオつくば)に出演予定。本日の朝刊(朝日新聞)には紹介記事が。上映会の当日朝まで、もうしばらく。

 皆様への感謝とともに、せめて美味しいSPAMで在れますように。


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posted by 学 at 12:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 地に足つけて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月29日

おとなりさん

師走廿九日 晴れ 
 
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 いわゆる自然農が、Natural Farming という英語で的を得ているかは実際のところわからないのだが、ふとした縁で交流した外国の友人と、Organic Farming とは違う意味であるのだと、お互いにしっかりと認識し、肩を組み、握手をしてお別れした。 

 そんな先日の出来事。

 1月12日に開催した「つくいち」で、雑草屋の手書き看板を指差しながら、"Are you natural farmer ?"と笑顔で尋ねられた。聞くと、息子さんが筑波大学の大学院に留学されていて、つくばに遊びに来たという韓国の方だった。Yさんは、ソウル出身の47歳。現在家族もソウルに住んでいながら、昨年単身で韓国南部の都市(地名を失念)へ移住し、Natural Farming を兼業として始められたという。そんな話をしばし、つくいち会場で歓談しつつ、続きは畑でする約束をしての翌日の13日。

 Yさんは、息子さんの手助けを経て手に入れた雑草屋の住所を頼りに、息子さんのアパートからiphoneを片手に45分を歩いて我が家に現れた。我が家からは自転車2台にまたがって畑まで案内し、枯れ草と、わずかばかりに残る冬菜や麦の芽を見て歩き、田んぼを回り、韓国の気候、育て方、収量、四方山に話をした。お互い第一言語ではない英語でのコミュニケーションはスムーズとは言えなかったが、お互いのベースに「不耕起(no-till farming ,non-cultivation)」「無農薬(pesticide-free; non-chemical)」「無肥料(non-fertilizer)」という共有が成立していたため、普段は長たらしい説明が必要なところを、不思議なほどに阿吽で会話していた。

 途中、Yさんから、(恐らく)「なぜあなたは自然農をやっているのか。生計はたつのか。」という質問を受けた。いろいろと日本語で頭を巡らせながらも、結局は「持続可能な環境を考えたら、これに取り組むしかないと思った」と答えていた。はたして、「やっぱりそうか。」と、笑顔で握手が返ってきた。
 Yさん曰く、Natural farming は韓国でもほとんど知られていないのだという。有機農、Organic は今では誰もが耳にして、日本と同じような状況だそうだが、Natural farming はほとんど誰も知らないのだと。Yさんは、「だけどこれしか道はないじゃないですか。」と熱く話してくれた。だからYさんは、従来の仕事を半分やめてでも、ソウルから単身農村へ移住して、農ある暮らしを始めたのだ、と。

 「(モグラや鳥など)害獣は害獣ではなく自然のメッセージなのだ」「麦と大豆とジャガイモの輪作がいい」など、Yさんの哲学や試みをたっぷりと伺い、いつの日か韓国のYさんの畑の見学を約束し、名残を惜しみつつ畑を後にした。家路の折、息子さんのアパートまで車で送りますよと告げると、またにこやかにiphoneを取り出した。「ありがとう。だけど僕は歩いて旅するのが大好きなんですよ。歩いて見える景色を楽しむのが、旅の醍醐味じゃないですか。」と次なる目的地の筑波山へ向かう、ローカルバスの停留所まで、スマートフォンのmapを頼りに野良道を歩いて向かうのだと言う。

 別れ際に私から、お子さんも農業は好きなんですか?とたずねた。Yさんは、息子はゲームにばかり熱中して農業のことなどかけらも興味がないようだ、と笑っていた。

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 遠くて近いおとなりさんの国で、自然農(あるいは自然農法)から生まれる縁。隣の畑の爺さまよりも、韓国からの新しい友がずっとずっと近しいおとなりさんに感じた一日だった。


第七十一候: 大寒 次候
【水沢腹堅(さわみずこおりつめる)】
=沢に氷が厚く張りつめる=
 (新暦1月25日頃〜1月29日頃)
七十二候を“ときどき”取り入れています※


posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 新しき出会い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする