
生産力という意味では(おそらく経済的という意味でも)、きっと何も生産していない一日だったのかもしれない。 しかし日常であり、ありきたりの十数時間でもある、娘と(間接的には妻とも)共に過ごしたごくありふれた、循環的な充足力とでもいうべき時間に満ちあふれた一日でもあった。
昨日は、朝からシャカリキに畑に出て、友人と共同で始める「自然農実験圃場」の準備作業に明け暮れた時間を過ごした。鍬を振るい、刈り払い機をぶん回し、畝を整え、草を運び、全身が筋肉痛になるような、そして明確に成果の伴う、心地よいほどに労働的でもあり、将来的にも生産的な一日だった。
今日は、朝から、家での一日。 はて何をしたっけか。
身体が軋んで少々寝坊をし、朝食を先に済ませていた妻と娘への侘び代わりに台所に雑巾をかけて朝が始まった。前駆陣痛に耐えながらもテキパキと家の改良作業(ただいま我が家では小規模な住居空間改善運動の真っ最中なのである)を進める妻を横目に、不便だった食器棚の一部に突貫工事で簡易棚を一段こしらえる。
家のそこかしこから出てくる空き瓶をかき集めて、娘と日課のゴミ捨て場までの小散歩。帰り道、後ろ向きで道路歩に挑戦する娘の、ほんのささいな小冒険。
ごみ捨て後は、汚れが目立ってきたスニーカー数足を庭のたらいに放り込み、洗濯石鹸と井戸水で、ゴシゴシとブラシング。裸足にサンダルで登場した娘も、いとこから譲り受けた汚れの目立つスニーカーで初ブラシ。洗剤で泡立ち、面白いように白くなる様子が楽しいようで、ゴシゴシゴシゴシ、すすぎまでしっかりと洗い通す。生分解性の洗濯石鹸ではあるが、水を畑には捨ててはいけないよと伝え、排水のお勉強もかねて。
しばしコーヒーブレイク。最近豆乳ばかり飲んでいる三人は、抹茶ソイラテの娘、ソイミルクココアの妻、そしてソイラテの小生でそれぞれ一息。甘み一切なしで、抹茶ソイラテ(カテキン緑茶パウダー)を初飲みにてゴキゲンに楽しむ娘の味覚が頼もしい。
ようやく曇り空から春盛りの濃厚な陽射しが降り注ぎ、庭に出て、玄関左でよもや倒壊寸前にまでなりかけていた、ビニルハウス倉庫の修繕に取り掛かった。娘と2人で、さながら大工の棟梁と見習いのごとく、ガムテープ! はいどうぞ! ここ押さえて! はい! と掛け声の威勢も良く、ビニールの修繕と張りなおし、補強、荷物の整理、掃除が進んでいく。途中で飽きた娘は、庭に落ちた梅の実をスカートに包んで拾い始める。

正午も過ぎ、山羊の粟子を庭に入れて、近所の知人からいただいたキャベツの残渣(外葉と芯)を食べさせた。1年前には、怖がって人の後ろからしか山羊に接することができなかった娘が、いつの間にやら掴んだキャベツを山羊に自分の手で食べさせている。人一倍、慎重派の娘が見せた驚くべき、ほんの小さな進歩。
数週間前に、3人で庭の隅々に種まきした野菜たち。明日葉、ミツバ、ホウレンソウ、うまく発芽したものしないもの。密集したミツバの芽を見て娘が、「これは私が播いたんだよお」と、偉ぶるでもなく謙遜するでもなく。また、庭に茂った菜の花を2人で食べては、「まあまあ苦いね、辛いけど唐辛子ほどじゃないね」とワイルドな味を楽しんでみた。

庭で過ごす、あまりにも日常的、なのに少々面白おかしい今日の時間は、食いしん坊の(というより食欲魔人のごとき)娘の空腹感も追いやってしまったのか、いつもなら朝食後2時間で「昼ごはんはまだかなあ」とはじめるはずの娘の口から、一向に「昼ごはん」の言葉が出てこない。
ビニルハウス修繕の際、娘はひとつ大きなブツを発見をしていた。なんとも大きな、そしてぷっくりと太った、本シメジかと見まがうほどの色艶のよいキノコであった。一段落したら図鑑で調べようと籠に入れ、いよいよリビングの植物図鑑と野草辞典を開いてみた。カサを眺め、ヒダを調べ、クキを撫で、それでもなかなか判別がつかない。図鑑だけでは心もとなく、google先生にも尋ねる。調べること数十分。我々にくだされた決断は、「クサウラベニタケ」という、日本の3大毒キノコ(症例数において)にあげられる毒キノコであった。もしかしたらハタケシメジかもしれない、と祈る娘と小生であったが、食べたら腹が裏返るほどの痛みが起こるとの記事を見つけ、南無三、庭に戻したのだった。

※参考HP
⇒【 代表的な毒きのこ。見分け方も紹介。】
⇒【 きのこ図鑑「クサウラベニタケ」】
キノコが終われば、しばし別行動。午前から、家の中でこまごまと手を動かしながらも身体を休める妻。午前中の庭仕事から離れ、いったん絵本に囲まれて過ごす娘。小生は続けて、テラスの大掃除に取り掛かった。テラスに置きっぱなしの雑具を片付け、溜まった落ち葉を履き始めるころ、またも外着に着替え直した娘が参戦。この箒はお父さん、こっちが私、しっかりね、と指示をだし、あれやこれやと手を動かしている。ふと、掃除のさなか、両手の平ほどの大きな貝殻でできた化粧皿を発見し、娘に差し出す。取るが早いか箒を手放し、彼女はテラスを離れていった。妻は布団から身体を起こし、庭の畑から夕食の菜花を摘み始める。小生はテラスからの排水を整えようと庭に溝を切る。貝の皿を庭の石に乗せた娘は、「家(うち)は草だらけだから、ちょっと取ってもなくならないよね」と誰かしらに確認しながら雑草と花を器用に飾り盛り、生春巻きと花びらサラダという、東南アジアのオシャレレストランもビックリのプレートを作ってみせた。写真を撮らなかったのが残念だが、これが本日の白眉であったのは間違いない。
そのまま夕暮れまで、庭での作業を終えて家に入れば、キッチンテーブルに食器を並べる娘と、疲れを吹き飛ばすエスニックメニューを用意してくれた妻の料理。TVのない我が家の食卓に、今日一日の盛りだくさんの思い出話、いまだ産声が聞かれないまだ観ぬ赤ん坊、両実家のじじばばの話、それぞれに花が咲き、(いつもよりも数倍ほど)のどかで平和な晩御飯のテーブルとなった。
ただ、それだけの一日。とりあげて何かイベントがあったわけでもない一日。そしてそれに反比例して満ちる充足力。なんだってんだ人生は。
それではおやすみなさい。
第十九候: 立夏 初候
【蛙始鳴(かえるはじめてなく)】
=霜が終わり稲の苗が生長する=
(新暦5月5日頃〜5月9日頃)
【蛙始鳴(かえるはじめてなく)】
=霜が終わり稲の苗が生長する=
(新暦5月5日頃〜5月9日頃)
※七十二候を“ときどき”取り入れています※