自然農の目的は、作物を育てることではない。
それはRPGが、一匹一匹の敵を倒すことやゴールドや武器を手に入れることが目的ではないことに良く似ている。と、ドラクエ世代の自分は思う。
ゲームにさほど詳しいわけではない小生でも、いわゆるRPG(ロールプレイングゲーム)はそれなりに遊んだ経験がある。RPGの目的は、主人公が、最終的にゴールとされる最強の敵を倒すことである。しかしそれまでの道筋には、そのレベルに応じた敵を倒したり、武器を手に入れたり、謎を解いたり、という課題やプロセスが用意されている。時間を重ねることで一つ一つできることが増えていき、主人公が成長していく過程をプレーヤーは楽しんでいく。
であるなら。
自然農とは、田畑を育てる、RPGである。
収穫物としての野菜は、ゲームに例えるならば、一匹一匹の敵であり、手に入れる武器であり、要所要所のイベントである。であるなら、それは目的ではない。 自然農の畑に取り組んですぐ、何でも思い通りに作物を育てられることは難しい。ときには何も育てることができない一年も、あるかもしれない。それはまるで、ゲームの主人公が、スタートしてすぐには、本当に弱々しい敵しか倒すことはできず、手にすることができる武器もごくごく粗末なものであることによく似ている。
自然農の畑に向き合い、手を入れ、営みに応じた作物を選び育てていくプロセスを経ることで、いつしか、育つ野菜の種類が増えていき、自分なりの応じ方が身についていく。まさに、RPGの過程で、経験値を積んでレベルが上がり、倒せる敵も増えて扱える武器も増えて行動範囲がどんどん広がっていくことに重ねられる。トマトも育たなかった畑にトマトが育ち、その翌年にはナスに実がつくように変わってきたように。キュウリが育った畑の2年後に、ズッキーニが育つようになったように。

では自然農のボスキャラはいったい何か。それは、毎年毎年、自分の収穫したい野菜を継続して栽培していけることである。そしてそれを達成するために必要なことは、豊かな土壌を育み続けることなのだ。土壌が、無農薬・無肥料・不耕起でも作物が育つような環境に至れば、極論すればどんな作物も自然農で育てることができる。
そこに至るプロセスが、まさにロールプレイングゲームさながらであり、一年一年の野菜の出来不出来に一喜一憂していられない所以である。RPGで、いちいち敵との一戦一戦に一喜一憂してはいられない。もちろん勝てば嬉しいように、収穫できればそれは嬉しい。しかし自然農で野菜が育たないのは、土壌がそのレベルに成長していないからで、まだ倒す(育てる)には早すぎたから。 ならばその土壌が豊かになる(=豊かな微生物環境を整える)ことをイメージしながら折々の手入れを行い、その状況に応じた作物を選んで栽培していくことを継続していくことが、ゴールへの最短距離なのだ。
RPGに近道はない。途中になにか一足飛びのイベントがあったとしても、大局としては、時間をかけて、主人公を成長させて最終目的まで着々と歩んでいくことが、結局は王道のはず。
自然農にも近道はない。もちろん、テキストもあり、指導者もあり、運不運もあり、それこそ千差万別なプロセスではある。作物がすぐに良く出来ることもあれば、数年間まったく育たないこともあるだろう。しかしそれは、「何も起こっていない」のでは決してない。RPGで、闘い続けていれば必ず経験値が溜まっていくように、自然農の田畑には、命の積み重なりが増えていく。土壌微生物が増え、雑草の植生が変わり、少しずつ少しずつ、育つ作物が多種多様になっていく。
もちろんそのプロセスは一直線ではない。土壌環境だけではない自然の容赦ない条件が変数として掛け算され、収穫も一直線に右肩上がりのはずが無い。しかし、それに向き合っている人それぞれの中には、自分にしかわからない、確かな積み重なりが、着実に残るのである。
RPGの最終目的は、ボスキャラを倒すことだと書いた。主人公の成長の果て、例えばレベル99にまで達した主人公は、どんな敵も倒せ、あらゆる武器を手にし、悠々とゲーム世界を旅することであろう。
であるなら自然農は、終わりなきRPGであると言える。その地域、その土地での理想的な土壌環境を整えたとしても、それを継続的に、自然環境に応じながら、好みの作物を収穫し続けることができるかどうかは、さらにその先の永遠の課題でもあるからである。毎年毎年、ボスキャラが自動更新されていく、永遠のリアルRPGなのだ。

自然農の田畑に見学に来られる方たちから、「自然農って何が育ちますか?」とか、「自然農では収穫はどれくらいですか?」と質問されるたびに、自然農の目的はそこじゃない!と思いながらも明確に答えられなかった自分の、12年目の今の答えが、これ。
全然、明確じゃない(笑)。 まあいいかー。