
野草の上に、梅が花びらを散らしはじめている。庭のチンゲンサイが、カブが、トウ立ちして菜の花のつぼみを膨らませている。モンキチョウも、ミミズも、一匹また一匹と遊びだす。木の芽、花の芽、全ての命が今か今かと、準備をすすめている。3月11日とは、本来、そうした春の訪れの機微を楽しむ、そんな季節の一日である。
震災のことは、パソコンも新聞もテレビも関係なく暮らしていると、まったく生活に飛び込んでこない。現代社会は、過去に縛られながら生きることに今や不感症になっていて、戦争のことも、震災のことも、記念日を大事にしてしまいすぎる。記念日を大事にするということは、実は、それ以外の日常への溶け込み方が薄まっているという裏返しでもある。
記憶は、惨禍を繰り返さないためにも、亡くしてはならないだろう。しかし、いったい、3月11日が近付くこの時期以外に、震災を思い起こして実際に日常生活の行動を選択する人はどれだけいるだろうか。原子力発電はいまだに継続し、電力依存の社会はほとんど変わっていない。大規模な環境汚染を恐れる代わりに、小規模に環境を破壊しながらのソーラー発電所を選択する。天災で、人災で、文明社会がいかに容易く壊されるかを目の当たりにしても、経済成長が根本にある「復興」や「生活」が省みられることは少ない。
「もうあんな悲劇が起こりませんように」と、年に一回唱えても世界は変わらない。と言ったら語弊がふかくあるだろうか。それよりも、たとえ、何度悲劇が起こったとしてもそれに逆らわずに流されずにたおやかに強く生きる。そんな覚悟を持って日常的に息づいていく人が増えることこそが、世界が良くなる本当の一歩なのだと信じる。
経済一辺倒の今の暮らしを見つめなおす。不自然が蔓延しているこの世の中を、心に体に五臓六腑第六感を総動員して、人間に自然に備わる幸福力が発揮される世の中に。買い物を、食べ物を、生きる時間を、過ごす時間を、少しずつ本質的に変えていくこと。それが震災を経て我々ができる、小さいけれども、最良の行動なのだと思う。
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今日、長く闘病している学生時代の親友夫婦から、本当に久しぶりに便りが届いた。「体のために、学の作っている野菜が食べたい」と。 自然農を続けていて、これほど嬉しいと思ったことも無かった。これまでも、自分のために、家族のために、知人友人のために、お客さんのために、遅々としながらも、自然農の田畑に向かってきた。育ったものを、採れた分だけ、のペースで続けてきた。それはこれからも変わらないと思う。
それでも、今日初めて、誰かのために自然農をしたいと実感した気がする。大げさでもなく、俺はこのために、自然農をやってきてたんだと。春の訪れと寒の戻りを体中に感じながら、うずうずと、畑に向かいたい意欲が満ちてきている。自然農の野菜、野草、自然療法、これまで自分の歩んできた道と、これからも歩むであろう道が、大好きな誰かの、ほんの少しであっても力になれそうなことが、こんなに嬉しいとは。彼女の病態を心配する気持ちも大きいのだが、俺の野菜食って元気になる姿を思い描き、体にエネルギーが溢れてくるのだ。
人間はそんなに強くも大きくも広くもない。目の前の家族、大切な友人、そんな小さな繋がりを一番大事な構成単位にして、自然体の幸せを探していく。それはきっと、金を稼ぐことではないし、社会で活躍することでもない。才能を発揮させることでも、良い行いをすることでもない。もっともっと根本的な、心に、体に、大自然に、耳を傾けながら生きていくこと。そうすると自分の心は、お金のためでなく、親友のために自分の時間を使っても良いと、叫んでいた。妻も、それを心から喜んでくれていた。
震災の日をすっかり忘れて一日を過ごしかけていたこの日に、親友から届いた、とても大切なメッセージ。5年前の震災を日常に、今日のこのメッセージを日常に、また自然農の田畑に向かっていきたい。
