いよいよ、百姓の仕事の一つに「教師」も加わることになる。
今年7歳を迎える長女は、この春から、ホームスクールの生徒となった。
世間では小学校に入学し、ピカピカのランドセルを背負って、学び舎での学校生活をスタートさせる歳である。「小学校に入学する」。数年前の自分にとって、そのことに、疑問を差し挟む余地はほとんど無かった。しかし今、あらゆる教育の選択肢を眼前に広げて自分たちの胸に耳を澄ませた結果、我が家では、親子で学童期をともに過ごすことを選ぶことにした。
家で行う教育。いわゆるホームスクール。
自分なりの解釈であれば、これは最小の私立学校である。
我が家が大切にしたいことは、自然の営みと日本の風土に感謝しながらの心と身体の発育、そして好奇心の発露である。その上で個人的に想いを込めたかったことは、入学式の日付と、行事カレンダーであった。小学校に憧れもある長女の夢もかなえてあげたかった私は、入学式や遠足などの行事などは、ひと通り用意したい。そこで、学校の名前は家の仕事の延長線上として「こぐましょうがっこう」とした。入学式は、4月ではなく、春真っ盛りの二十四節気の「春分」の季節に。そして生命活力がもっとも増大する満月の日(今年は3月23日)に、こぐましょうがっこうの入学式を執り行うことにしたのだ。

3学期制も我が家にはそぐわないので、こぐましょうがっこうでは四季で行事を進めていくことにした。季節のカレンダーは手作り。個人的に15年近く構想と実践を重ねた、季節と月齢のカレンダーを、画用紙とクレヨンで自作した。
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セレモニーの舞台は庭。看板、踏み台、飾りの花々は、全て、娘と共に手作りした。ランドセルは、なんと妻が使用したもの。大事に大事に使い、義母が保管していたものを、長女へプレゼントした。笑顔満載の入学式の後は、ピザパーティー。長女と妻が一緒に捏ね上げた生地に、季節の野菜や天然食材をトッピングして、娘の大好物のピザを大いに楽しんだ。

当日の詳細は、妻のBlog【雑草屋の嫁日記】から
それから二週間。「春分」は過ぎ、今日から暦は「清明」へ。節気ごとに手紙を渡し、季節の移り変わりと文化を体感してもらおう。畑に出たり、手伝いしたり、手遊びしたり、制作したり、本読んだり、好奇心の赴くままに。自由とお手伝いの狭間の中で、思う存分、羽ばたいていってほしい。
今日の長女は一番に早起きして、母のヒンメリに触発されてのヒンメリ制作に取りかかった。朝食後は苦手だった折り紙で、ヒンメリの材料を入れる紙箱作りへ。雨の合間には、父と一緒に山羊の餌のための草刈りへ出発。次女も引き連れて散歩しながら、荷車いっぱいに草を刈って山羊の朝食を世話してあげた。絵本を読んだ後の昼は、母と一緒にニョッキづくりのお手伝い。茹でたカボチャをつぶして小麦粉をまぜて、大興奮。しっかりと昼食準備に貢献してくれた。午後は、両親に促されての雛飾りづくりへ。(我が家では、伝統行事は本来の季節感にあわせるために旧暦で楽しむことが多いのです。今年の雛祭りは4月9日。) 折り紙が足りないと、裏紙のA4用紙を正方形に切り出しクレヨンで着色して雛人形の折り紙に。ひな壇は、絵の具遊びをしたいからと、大き目の紙に赤い絵の具できれいに染めて、工夫をこらしていた。
こんなに活動的な日が毎日な訳ではない。それでも、こうした長女の日々を、凸凹でもいいから共に過ごし、学校も否定するわけでもなく、全部受け入れる必要も無く、まずは2年間、その後は様子も見ながらというスタンスで、ホームスクールの日々が動き出しているのだった。
シュタイナー、モンテッソーリ、サドベリー、さまざまなオルタナティブ(代替)教育の思想・実践を参考に、大胆に、こどもに真摯に、カリキュラムも指導要領なんかもばっさり置き去りにして、「子育て」をとことん自然体に。自由に。こどもの本来力を信じて。人間を信じて。
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さて、そもそも。
そもそも子育てが、人に預けることが本流、王道になったのはいつごろからなのだろうか。それは産業革命に遡る。手元にあるサドベリースクールの書籍の一節がこう明言する。
「産業革命以前の時期に子供が成長するのに必要とされたスキルとは全く無縁の、行動様式や初歩技術を教え込むために<教育>が動員された」
それまで、家族の構成員の一員、もしくは社会の構成員の一員として、それぞれの受け皿の中で、ある一定の制限と自由を与えられながら、徐々に歳を重ねて、成長していったこどもたち。教育ではなく、知恵の伝授や体験の蓄積が、生活単位の中で、親であり、若者であり、老人たちによって自然に行われ、こどもから大人へと時を過ごしてきた。それが産業革命以後、資本主義経済を支える構成員を大量生産する目的で発明された学校教育が、こどもの成長過程に関与する主役にとって代わった。以後100年程の歴史の中でメインストリームとなる。そして現在、資本主義経済や民主主義などと同じスタンスで、学校教育は、疑う余地の無いほとんど絶対の社会概念として世界に蔓延している。
実は、こどもが歳を重ねながら学びを広げ深めることと学校に通うことは、論理的には対称関係にはない。決して、「学校に通う」=「こどもの成長」ではないのだ。つい、そんなはずがないと思ってしまうかもしれないが、そもそも学校教育とは、こどもが経験を積む場所や時間のひとつの選択肢(それも極めて歴史の浅い選択肢)に過ぎず、絶対の価値ではない。
とはいえ自分のことを振り返ってみても、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と過ごすことに、一点の疑問もなかった。底抜けに楽しく、時に色々とつらいこともあり、のびのびと謳歌もすれば、窮屈に苦しむこともあり、つまり善いところも悪いところも存分に味わって、「被」学校教育者として育ってきた。そして今の自分がいる。そこに何の不満も無い。学校生活、青春、ありがとう、と声を大にして言える。
しかし、自分の学校体験が悪いものではなかった、というのは、学校教育に賛同することには繋がらない。「学校体験が有意義だった=学校教育は良い」という方程式は、「原子力発電は今まで事故が少ないから安全=原発は良い」という方程式と同じである。その方程式は、決して正しいとは言えない。電気の発電方法や売電方法に様々な選択肢があるように、教育にも様々な選択肢があり、それは個々人のチョイスで決められても構わない。 というのが、本来の意味で自由な教育というものである。
ただし、この日本で、学校に通わないという自由な決断は、ほとんど受け入れられにくいという現実も事実である。今はまだ。しかし、だからといって、それに従う必要も根拠もこれっぽっちも無い。
農作物を育てるのに、農薬、肥料、大型機械は必ずしも必要でないので、自然農を楽しみながら作物を栽培する。たとえ世間のほとんどが、現代科学農法だとしても。
病気を治すのは医者や薬ではないので、病院には行かずに食事を中心に心身を整えていき、自己治癒力を引き出していく自然療法を実践していく。たとえ世間のほとんどが、現代医療を選んでいようとも。
栄養素やカロリーで生命が成り立つわけではないので、自然なものを大切に味わって食べ、食を楽しむことで健康を保っていく。たとえ世間のほとんどが現代栄養学をベースに健康に気遣っていようとも。
子育ても、教育も、同じ延長線上にある。
自分自身は、自然の智慧、野生の感覚、魂の成長、それらを存分に味わいながら生きていきたい。そして我が子にも、そのエッセンスを是非とも伝えていきたい。私も、(きっと)妻も、人間が本来備わる力に耳を傾け、目を凝らし、その発現力を最大に引き出すことを人生の目標に置いている。だとするなら、今の学校教育では、(怒られるかもしれないが、)どうしても物足りない。もっともっと、大事なことを、五臓六腑全身全霊を持って体感しながら育ってほしいと願っている。現代の「教育」や「成長」の概念を軽やかに飛び越えて。
であるから、「学校教育」を絶対の選択肢として考えることはせず、こども本来の学び育つ個性に、親自ら耳を傾けて寄り添っていくことが、自分たちにとってはごくごく自然な選択なのだ。だからこそ、ホームスクールを始めることに、私たち夫婦は、何も躊躇することはない。たとえ世間のほとんどが、こどもを学校に行かせることを選ぶという事実があろうとも。
だって、子育てを他人に任せるなんてもったいないじゃん!!
そしてもちろん学校とも、仲良くしながらだけんちょもね。

我が家の教育方針(?)はこちらから⇒【エリート教育】