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2018年04月24日

ギフトの輪の中に

弥生七日 晴れ

 自分にとって、何年どこに住んだかは、それほど重要ではない。

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 この春につくばを離れることになってから、〇年続けた自然農、とか〇年つくばに暮らしました、と話すことが多かったのだが、今になってもいったい何年だったのか思い出せない。いやもちろんBlogとか辿ればわかるんだけど、調べようという気にもならないし面倒くさいし、それってつまり、興味がないからということである。

 数か月生活&研修させてもらえることになった千葉県いすみ市での滞在がスタートして気づいたのは、種を蒔ける大地、フィールド、土、の有難みだ。どんな小さな面積でも、ジャガイモやニンニクを植え、種まきできる場所を探す自分は、「農」の恵みの中に生きているのだと感じる。雑草の花々が色とりどりに咲き、あちこちが新緑に覆われだすと、自然農の徒として本当にむずむずしてくる。あー種まきたい!と。
 しかし種を蒔くという行為は、生育に手を添えるという行為である。つまり、収穫や種取りの旅路に足を踏み入れるということを意味する。数か月滞在の先が決まっていない自分たちにとって、実は畑作業はジレンマでもある。種は蒔きたいけど、最後まで面倒見られないかも。うーん、やきもき(笑)。

 そのやきもきと同時に、もう一つの想いがわいてくる。ああ、自分に必要なのは、落ち着いて腰を据えることができる田畑に沿った暮らしなのだと。植物は、草は、動けない。植物を、食べ物として、そしてパートナーとして、あるいは癒しとして、寄り添いたいのなら、私に必要なのは、そのサイクルの中に身を落ち着かせること、つまりは定住することなのだ。

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 自然農をするうえでの最も大きな楽しみの一つは、変遷の実感である。一年目、二年目、三年目と過ごし、生えてくる草、育つ作物の移り変わりを眺めていく。少しずつの変化を願い、楽しみ、感じ、喜ぶ。時に落ち込み、離れ、また戻ってくる。そうした暮らしを人生を通して続けられることを、今は望んでいる。自然農の田畑は、続ければ続けるほど、豊かになってくる。取り組む人それぞれの個性・性格も反映されながら(つまり紆余曲折しながら)、結果的には森が豊かになるように経年変化していく。だからこそ、何年もおなじ圃場で続けることがとても大切だと言ってもいい。だから、つくばで10年以上田畑を続けてこれたのは、本当に財産だったのだ。

 大切な大切な、何年も過ごした自然農の田畑という財産を、私は手放した。しかしそこに、実は未練はない。土地を惜しむ心は、執着から生まれる。私が過ごしたおよそ十年は、その瞬間瞬間に楽しんだ。草は、微生物は、大地は、私の所有物では決してない。全ては日本という、地球という、生命の輪の中に存在していて、巡り巡っている。生命の営みはつくばの「つくし農園」にあったのではなく、どこにでもどの瞬間にも存在している。いつでも、どこでも、始めればそこに自然農はある。なぜなら、自然はどこにでもあり、農は種を蒔きさえすれば始まるのだから。

 そうか、であるなら、種を蒔けばいいんだ。手入れや収穫は、誰かがしたいときにすればいいんだ。自然が豊かになる行為に身を置くだけで、それは喜びでもあり、ギフトでもある。次の誰かの為に、もちろん自分の為にでも、土があったら種を蒔いて、鳥にでも、動物にでも、人にでも、微生物にでも、誰かに喜ばれたらそれでいいんだ。



 パーマカルチャーと平和道場での暮らしの中で、研修生(住人)たちは様々なスピリットを学んでいる。その一つがギフトエコロジー。友人の言葉を借りれば、交換関係ではなく見返りを求めない与えあいの関係による生態系。種を蒔く人が、収穫者である必要はない。野草を食べるとき、種を蒔いたのは誰? 木の実を採って食べるとき、種が蒔かれたのはいつ? 私たちは、実はそのサイクルの中に存在する。自分で蒔いて自分で食べる。あるいは誰かが蒔いて誰かが育ててお金を介して自分が食べる。そんな小さな枠組みから少しずつ、離れていこう。

 自然農を始めるなら、ずっと同じ場所で続けられるのが一番いい。確かにその通り。しかしそれは執着を生む。大地はその土地の人のもの、という誤解が生まれる。私はその執着から離れたかった。その執着を離れたうえで、またどこか、落ち着ける場所に導かれたいと願っている。

 その日のためにも、私は種を蒔くことを選ぼうと思う。誰かがずっと続けてきてくれたからこそ今に続く、その循環の輪の中、ギフトの輪の中に。それを確信させてくれるかのように、こちらに移動して間もなく移植したジャガイモは、当たり前のごとく芽を出してくれているのだから。

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 そうだ。今年の旅は、こうした大事なものに気づくためのバケーションなんだ。つくばを離れることはとても大きな決断だったけど、それにふさわしい、沢山の学びにつながっている。種とともに、草とともに、人とともに、今しばらく、この旅を続けてみようと思っている。



posted by 学 at 23:27| Comment(0) | 沿って暮らす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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