注)記事の日付は太陰暦を用いております

2019年01月07日

KHJ(こうみえて・ひきこもり・ジェラシー)

師走二日 晴れ 於いすみ市

 1月14日(月)、成人の日の晴れやかな日に、150人超の人前でパネリストの一人として登壇することになった。


 「自分らしい生き方シンポジウム in 関東」
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 主催団体は、KHJ。「日本で唯一の全国組織の家族会(当事者団体)」で、家族・ひきこもり・ジャパンの頭文字でKHJ。なかなかポップ。
 さて、なぜこんな結構大そうなイベントに、ひきこもり未経験者の私が登壇する羽目になったのか。そもそも経験者でもないのに(しかも私以外の顔触れが、皆さんそうそうたるひきこもりキャリアの方々ばかり)、こんなところで偉そうに語りやがって、という声も聞こえてきそうなので、言い訳代わりに長々と書いてみることにした。(お陰様で当日は満員御礼なので、人集めの肩の荷はないのだ♪)


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(全然関係ないけど、昨日は新月。これは満月。)



 この数年間、茨城県南で、ひきこもり経験者の主催する当事者イベント(ひきこもり大学茨城キャンパス)を微力ながらお手伝いをしてきた(行けないことも多数あり)。その縁で、ひきこもり当事者の方がゆっくり過ごして対話できる居場所「新月カフェ」を開いてみることになり、ほぼ毎月開催し、進行役を務めてきた。

 いわゆる「ひきこもり」という現象が、社会的に何か問題なのか、というのは実は重要ではない。誤解されるのを承知で書くが、いわゆる「ひきこもり」という現象は、例えばLGBT、例えば未婚者、例えば在日外国人の方たち、と同様に、当事者本人が困っているかどうか、という一点に尽きる。本人が困ってない、気にしてない、であれば、それはもう、本当に「問題」ではない。であるから、という理由において、困っている、悩んでいる、のであれば大いに「問題」なのだ。

 あえてややこしく書くのは、理由がある。
 
 それは、数年前の私こそが、「ひきこもりなんて、本人の意思が弱いのが問題だろう」と考えていたからである。その考えが、ひきこもり当事者の生の声を聞いて、180度ひっくり返った。

 「世界中で、一番人生と社会を悩みぬいている人種の一つが、ひきこもりの人たちだ!」

 大学で国際関係という学問に身を寄せ、いわゆる途上国を放浪し、環境問題などに関心を持った流れで、世界の困窮する課題にそれなりに敏感だという自負がある。だからこそ、社会の構造やシステムの狭間で産み出される惨禍で苦しむ世界中の人たちを心苦しく思い、その為に何かできやしないか、この日本で暮らしながら、何か彼らの力になれることはないかと、アリの歩みでありながらも活動してきた。
 
 だからだろう、日本は、裕福で、恵まれた国。何の検討もなしに、そう安易に思い込む自分がいた。戦争や、飢えや、劣悪な環境汚染などによって、命の危険にさらされている人たちに比べて、ひきこもりやニートなんて、ただの甘えじゃないか。多くの周囲に居た人たちと同様に(今でも多くのそうした声を聞く)、大したことじゃない。と切り捨てていた。

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 (勝浦港で見かけた、愛想のない野良猫)

 そんな考えが、一変した。

 日本社会には、基本的な、本当に根本的な、【教育】と【勤労環境】そして【一般常識】という構造(観念?)に、大きな欠陥がある。その事を確信したのは、イベントで聞いたこの言葉だった。

 「自分がひきこもっていたころ、毎日のように考えていたのは、世界の70億人の中で、自分が一番生きている価値がないということでした。」

 いったいぜんたい、私含めて今まで出会った友人知人の中で、自分の価値を『70億分の最下位』と位置づけられる人が一人として居ただろうか。たとえどんなに、悲しい出来事があったとしても。たとえどんなに落ち込むことがあったとしても。世界で最も価値がない人間・・・。私には、そんなことを考える勇気はない。

 でも、目の前で話をされるひきこもり経験者は、平然とそれを告白しているのだ。そしてイベント後の懇親会を機に何名かの経験者と話をすると、皆さん、結構サラリと、「まあそんな感じは普通でしたよね。」と口にする。しかも実は、かなりの深刻さを当時は含んでいたことも付け足しながら。私は思った。「この人ら、悩み方が半端ない。。。で、それ実際あなた悪くないし!んでこのヘビー級の悩みを起こさせてる今の社会(学校とか会社とか行政とか人生観とか)ちょっと変わらんといかんだろ!」。その感覚は、数年たった今でも変わっていない。


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 (冬の野原には、セイタカアワダチソウがよく似合う)

 その後の縁で、「じっくりと数時間、和室に座ってのんびり話す」という企画を話してみたら、皆さんの賛同をいただき、「新月カフェ」が実現する。そこから様々に縁がひろがり、土浦での家族会「スマイルアップ元気会」、「ひきこもり新聞」、「つながる・かんがえる対話交流会(つなかん)」などに顔を出すうちに、今回のKHJさんから声をかけていただくことになった。

 そして今、私は、趣味的な本気のライフワークとして、ひきこもり経験者の友人たちと、月に何度か、楽しく過ごしているのだ。


 ということで結論。
「ひきこもり」という状況は、ひとまずは、本人や周囲が、人生をかけて悩んでいるという点で、問題なんだ、ということ。次に、そのような(辛辣で過酷な)状況を産み出してしまっている日本社会には、まだまだ風穴こじ開ける必要がいっぱいある、ということ。

 だから私は、自分にできる範囲ではあるが、少しでも関わりを持ち続けていきたいなと思っている。

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 (勝浦港の岬にある神社への階段。高いところが好きな我が子ら。)


 余談。

 そういえば誰にも関心を示してもらえないが、ひっそりと、「自然体研究家」を自称している。自然体とは、無理してないのに、バランスが取れている状態のこと。人として、心と体が自然体であること。生命体として、地球と暮らしが自然体であること。それを大切に生きている(つもり)。

 その上で、学校に左右されないようにホームスクールで子育てをし、医者に左右されないように自己治癒で体を整え、経済に左右されないように無職(自由職)で暮らし、食糧事情に左右されないように自然の中で食べ物を育てようとしている。

 今の日本は、「ひきこもり」という状況が生まれている通り、人間も、社会も、不自然体な面がいっぱいある。ひきこもりを経験されている方は、その不自然さを、人生を賭けて訴えているのだ。私が大切にしている自然体を追い求めて生きていたら、縁あって「ひきこもり」の方たちに出会った。私は、社会の不自然さに対し、自分で、夫婦で、楽しみながら自由になろうとしているが、ひきこもりの方たちは、不自然さに捕まって悩まれていた。

 そんな因果で、きっと「新月カフェ」を開催している。新月カフェは、「参加した人が、社会的な不自然さからできる限り自由になって、安心して過ごすことを目指している場」だ。

 自然体は、単に身体と心の状態ではない。常識と思っている社会の仕組みからも自由になる「選択」でもある。金がないと生きていけない。学校に行かないと生きていけない。そう思い込んでいる常識は、不自然体である。私は、それから自由になった喜びを、存分味わいながら、これからも生きていきたいと思う。ひきこもり経験者の人たちとも時々遊びながら。ついでに、人生の悩みの深遠さを教えてもらいながら。


 こんなことを、当日話してきたいと思っている。


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「自分らしい生き方シンポジウムin関東」

 日時:2019年1月14日(月・祝)12:30〜18:00(受付開始12:00)

 場所:IKE・Bizとしま産業振興プラザ 6F 多目的ホール
   (東京都豊島区西池袋2-37-4)

 参加費:一般・家族・支援者2,000円、学生・本人1,000円
 ※参加には事前申し込みが必要です。

詳しくは、こちらのURLから。
https://www.khj-h.com/event/symposium/1953/


posted by 学 at 23:59| Comment(3) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする