注)記事の日付は太陰暦を用いております

2020年02月24日

ぎっくり腰の治し方

如月一日 晴れ 於大子町

これは、人生何度目かの「ぎっくり腰」を発症してから、治癒に至るまでの、完全ドキュメンタリーである。

【途中、この枠の中でマインドボディヒーリングの解説を挟みながらお届けします。】



1.プロローグ

 令和二年二月某日、午前7時半ごろ。その日は曇りと晴れが混ざり、移植を待ち望む果樹の苗たちが、庭に根を下ろすのを今か今かと待ち望んでいるような、冬の朝だった。

 出勤前の定植作業を予定していたにもかかわらず、相変わらず寝坊を決め込み、布団から出たのはもう出勤まで余裕もない時間。妻の一押しで覚悟を決め、「30分で終わらせる!」と意気込んで支度にとりかかった。

 急ぎつつも順調に2本のプルーンの苗木を畑に移植し、次は3本目の苗に取り掛かる。少し大きめの、10kg程度の果樹の苗木を、時間も気になって、ちょっと無理のある体勢で持ち運んだ。植え穴に降ろして、根を包んでたネットを外しそうとしたが、根っこが引っかかってなかなか取れない。

 力任せにネットを引っ張り、反対の手で根っこを抑えておりゃ!と気合を入れた瞬間、仙骨から15〜20p上部、背骨を中心にして直径15pほどの範囲に、大激痛が走る。

 来た!!!?!!!!!
 ぎっくり腰!!?!!


2.腰の崩壊、そして奇跡への軌跡


 うめき声とともに、膝をつく。激烈な刺激とともに、猛烈な違和感が腰に襲い掛かる。数年ぶりの、奴との再会。間違いない、これは「ぎっくり腰」だ!

 間髪入れず、「来た!!」と確信して
「その手は食うかーーーーーーー!」と庭で一人、声をあげる。

【無意識の抑圧感情が引き起こすTMS(心身性症候群)への初期対応で最も重要な点は、「症状を身体の問題としてではなく、心の問題として認識すること」。それに最も効果的な行動が、自分の脳に真剣に話しかけることです。】


 そして即座に具体的に、思い当たる「無意識の抑圧感情(イヤ!)」にフォーカスしていく。

「違う違う違う違う!
 そうかー、今かー!やっぱそう来るかー
 だよなー、早起きしたくねーよなー
 ていうか出勤前に苗の植え替えって鬼かよ!
 ていうか出勤したくねーんだよ!
 仕事やりたくねーーー!
 行きたくない!
 なんなら苗だって植えたくない!
 だらだら朝寝てたい!
 昨日だってみやちゃんの誕生日頑張ったし!
 なんか疲れてるし!
 もうやだやだやだやだやだ!」

【具体的な、ストレスであっただろうことを、吐き出す。列挙する。当たってても当たってなくいてもいいから、とにかく、無意識から意識上に、浮かび上がらせる。重要なのは、脳に、「ネガティブ感情が溜まってたことに気付いてるぞ!」と無理やりにでも認識させること。】


 まだ腰の痛みは消えない。まだ痛い。しかしここで、次の一手を放つ。

「あー立つぞもう立つぞ!絶対大丈夫だし。
 痛さは脳のせいだし!腰じゃねーし!

 立つ!!!

 よーしOK!立てんじゃん。やっぱ立てんじゃん!
 いけるいける、やっぱなー。そうだよな。」

【マインドボディヒーリングで、無意識の抑圧感情に目を向けるとともに大切な行為が、「痛み(症状)に取り込まれずに、身体は大丈夫なんだと強く自覚すること」です。】


 ただ、一度発症した痛みは、余韻を残す。そしてその余韻は脳に揺さぶりをかける。

「ん?? 
 あー、まだちょっといてーなー。
 あれー、くそー。これやっぱなんかやっちゃったか??

 いやいやいやいや!違うから!
 なんだーこのやろー!絶対その手は食わねーーぞこのやろー!

 ほら、もう立ててるし!
 すぐにでも動けるし!

 うわ!なんかびりびりする!!いてー! 
 いやーでもこの激痛ぶりはなんかちょっと不安になるくらいいてーなー!
 ホントは腰やったか?マジか?やべーか?

 いやいやいやいや!絶対違う!
 腰は最強!こんな程度の苗で絶対やるわけないし、
 そもそも重いもの持って腰痛くなるなんて科学的じゃないし
 メカニズム的に発生しえないし!

 ていうか立ってるし!動けっぺ!

 よしよしよし動ける動ける。
 よっしゃやっぱり大丈夫じゃん。
 あー、まだちょっといてーなー。
 でも大丈夫じゃん。」

【症状は、脳が引き起こす「無害な状態」である。という言葉があります。サーノ博士が解き明かした腰の痛みのメカニズムは、「人間の身体はとても強くしなやか」であることを証明しました。痛みに負けることは、脳に負けることを意味しています。これはTMSとしての全ての症状に当てはまります。】


 この激痛が「無意識の抑圧感情」による脳の戦略(心を休ませるために身体に症状を引き起こす)によるものだと自覚した上で、さらに力強く、脳に話しかけ、畳み掛ける。そして、対話を重ねていく。

「なんだ―!何があったー!
 何を我慢してたー!

 いやそうじゃねーな。。。

 とりあえず全部我慢してるわー。
 イヤイヤやってること沢山あるわー。
 なんにもしたくねーわー。
 仕事も家事も育児もぜーーんぶめんどくさいわー!!!!
 やだやだやだやだず――――っと寝てたい!

 ね、だよね。
 そうだよね。
 そりゃ腰も痛くなるよね。

 もう大丈夫だよー。
 わかってるよー。
 最近気にしてなくてごめんねー。
 そうだよね。
 頑張ってたよね。

 大丈夫大丈夫。気づいたよー。
 腰の痛みはもういいよー。
 ありがとうー。ごめんねー。許してねー。愛してるよー。
 ありがとうー。ごめんねー。許してねー。愛してるよー。」

【何がストレスだったのか、ということへのフォーカスすることと同様に、もしかしたらそれ以上に、脳へ感謝する、脳をいたわることも大変重要です。脳は、痛み(や症状)を通して、心に相当の負担がかかっていることを教えてくれているのです。小松は個人的に「ホ・オポノポノ」の手法を便利なツールとして利用して、脳(つまり自分自身)へ愛を送るフレーズを唱えています。】


3.奇跡ではない、日常へ

 そして、これら一連の行動は、本当にすぐに効果を表す。ぎっくり腰を起こした自分に、奇跡が起きる。

「ねー。
 そろそろ動くかー。
 動くの怖がってっと余計痛くなるからなー。

 よーし、もう元の作業戻るぞー。
 しゃがむぞー。

 あーちょっとぴりぴりすんなー。
 怖いなー。でも大丈夫!!!!

 痛くなる必要はもう無くなったから!
 余韻の筋肉の緊張で血行不良で痛みが出てるから!

 深呼吸すっかー。
 酸素を腰に届けっか―。
 血流を送り込むか―。

 リラックス―。リラックス―。
 深呼吸ー。深呼吸―。

 はいOK〜。
 ちょっと痛くても大丈夫〜。
 あとは普通に作業に戻るよ〜。」

 
 ・・・ぎっくり腰が発症してここまで、きっと2〜3分。そしてその後すぐに3本目の移植作業に戻り、30分くらいかけて、予定通り10本の苗の植え替え作業を終わらせることができた。

 痛みの残像はまだ残っている。しかし、痛みに屈し、「ぎっくり腰」患者に陥り、これからの数週間、痛みと恐怖と悔しさに翻弄されるはずだった自分は、そこに居なかった。

 雷に打たれたように襲い掛かった腰の激痛。まぎれもない、ぎっくり腰。ともすれば、痛みに顔をゆがませ庭にうずくまりその後の数週間を棒に振る寸前まできていたが、自分には、マインドボディヒーリング(心身治癒)の心得が身についていた。

 やったことは、記述した数分間のアプローチだけ。庭で小声でもなく時々大声で、自分の芯に言い聞かすように。周りの目をほんのちょっと気にしながら。

 5年前のぎっくり腰よりももしかしたら激甚な腰の痛み。

 あの時は、立てるようになるまで12時間。車に座れるまで、まる2日。痛みから回復して作業ができるようになるまで、2週間。そしてその後も続く、腰の違和感に怯える日々。

 それが、数分で、もとの果樹の植え替え作業に復帰。ときどき残る腰の違和感の残像は、恐怖ではなく、戒めとして、心の片隅に残っている。しかし、日常生活として、腰からのサインが自分にとって全くの障害でないことに、喜びを感じずにいられない。

20200224imfine.jpg


4.モノローグ

 ぎっくり腰が、腰痛が、「腰の関節や骨の異常」って誰が言い出したんだろう?

 でも、わかる。
 この痛みは、絶対腰が物理的に障害を負ったとしか思えない。
 わかるよ。

 でも、心の「無意識の抑圧感情」にフォーカスして脳と対話しただけで、俺、治ったよ!
 みんなー!ホントだよ!!


 あれから数日が過ぎた。

 ぎっくり腰未遂の朝の後、全てを縁側のガラス戸越しに見ていた妻からは、「やってたねー♪ がんばったね♪」と委細を見守った上で、「いやだったのに苗作業終わったね♪ ありがとう♪」とねぎらってくれた。

 作業後、
 ・車を運転して
 ・出勤してデスクに座って数時間のPC作業に向かい
 ・時々プリントアウトした資料を取りにプリンターを行き来し
 ・同僚が重そうに持つ段ボールを代わりに手伝い

 などなど、ぎっくり腰を朝に患った人間には到底避けたくなるような行動を、気がついたらやって(できて)しまっている。ときどき、慎重に動かすことはあるけれども。(痛みが一瞬で消えるわけではない。特にぎっくり腰のように強烈な痛みを伴う症状は、数日間は余韻を残す。)もちろんその日以降も、腰の痛みを悲観するような事態には至っていない。整形外科も、痛み止めも、整体も、針治療も、マッサージも食事療法も、体操も、ヨガも、すなわち身体(腰、痛み)に直接フォーカスするようなことは、一切行っていない。

 ときどき、あまりの痛みの無さに「あ、そういえばあの日危なかったな―」と笑いながら思いだす。そして、先日TVで見かけた花粉症注意の報道に触発されて、持病(だった)花粉症の初期症状が身体に現れる。(花粉症などのアレルギー症状も、TMSのひとつに挙げられます。)

 そのたびに、心の内側で、「大丈夫大丈夫♪ もう気づいてるよ〜。花粉症じゃないよ〜。ストレス溜まってるね〜」と話しかける。それで数分後には、くしゃみも鼻水もない身体に戻っていく。この数年間そうだったように、そしてこれからも。妻も、家族も、そして、マインドボディヒーリングを共有できた人たちもきっと。

 これは、奇跡でも、怪しい宗教でも、疑わしい民間療法でもなんでもない。身体と心の相関関係を理解して、理論にそってアプローチすればだれでも可能な、マインドボディヒーリングの全てだ。

 サーノ博士をはじめ、心身相関、心身合一のプロセスへの理解のヒントを提供して下さったすべての先人たちに感謝して。
 
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マインドボディヒーリングって結局何よ?って思ったら、こちらへどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/shizentai_labo/archives/1125388.html

出張講座の開催希望、募集してます。
http://blog.livedoor.jp/shizentai_labo/archives/22038357.html
posted by 学 at 22:02| Comment(0) | 身体を見つめる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月29日

自粛とは?

如月五日 曇り時々晴れ 於大子町

20200228jinan.jpg
〜日に日に男子へと成長する次男。もうすぐ1歳♪〜


 ゴムなし就寝、裸足生活、風呂要らず、洗剤フリーテレビなし、スマホなし、自然食、発酵食アーシング、森林浴、家庭保育病院フリー、そして、マインドボディヒーリング(心身治癒法)。雑草屋の暮らしそのものが、コロナウィルスへの発症リスクからほど遠い位置にあるため、全く罹患への心配をしていない我が家。(今年度から小学校に通いはじめてしまった長女が、もっともリスクに近いかな。)

 それでも、職場、SNSで接する一連の日本の状況に触れ、自然農、自然体、とは少し別の視点からも、今回のウィルス騒動を眺めている。

 20200228lookingfor.jpg
 〜今日は、今年から始めたい田んぼを探しに、近所を探索していました。〜

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 さて唐突ではあるが、でも、考えてしまう。明らかに、違和感を感じている。違和感とは、感じてしまうもので、作り出すものではない。どちらかというと、「排泄行為」に近い、どうしても出さなくてはいけない、大切な感覚である。ここ数週間の、世界を取り巻き日本を混乱させている騒動の展開には、違和感を感じずにはいられない。

 自粛とは?という点についてだ。

 大げさではなく、本気で思う。

 第二次世界大戦中の、「日本全体を考えたら○○な行動はすべきではない」という風潮と、今回の新型コロナ騒動の、「日本全体を考えたら○○な行動はすべきではない」という風潮に、どこに共通点があってどこに相違点があるのかを、私たちは真剣に考察する必要があると感じている。

 単に、イベントをやる、やらない。学校を休校する、しない。の問題でない。
 単に、このウィルスは危険か、そうでないか。リスクが大きいか、小さいか。の問題ではない。

 信憑性がありリスク不安が大きいとされる情報が流布されたときに、それを防ぐという名目で個人の活動が自粛されるような風潮が高まることは、妥当か否か。という問題だ。

 ポイントは、あくまでも、風潮、という点である。明確な根拠や、あきらかに確率の高いリスクや、行動が制限されるに異論のない状況が存在し、自粛を余儀なくされるというわけではなく、いまだに賛否両論もあり確定的ではない状況。にも関わらず、風潮という姿の見えない何かにより、活動が少しずつ制限されていく感覚。

 「集団のリスクを前面に出せば個人的活動を自粛することを促すことができる。」という前例が出来上がることにある程度の違和感を覚えないのならば、国際政治を学んできた者としては責務を果たしているとは思えない。集団リスク回避と、個人的活動の実現を、ギリギリのところでバランスを取りながら達成するのが、現代政治の根幹なのではないだろうか。

 マスクや外出抑制で、ウィルスは回避できるかもしれない。しかし、安易な自粛ムードの風潮は、大義名分さえあれば市民の行動を自粛させられるというカードを権力者に容易に譲り渡してしまうことにつながる。

 自粛するという行為は、その行動主体が自主的にリスクを判断して決定されるべきであり、決して、自粛すべきという風潮を恐れてされるべきではない。例え自粛が行われるとしても、それは自粛なのだから、様々に段階もあるべきだし、全面中止から段階的開催までが存在するのが本来の自粛である。自分たちで決定する意思を、風潮に奪われている状況は、決して喜ばれるべき状況ではない。


 繰り返すが、集団リスク回避と、個人的活動の実現を、ギリギリのところでバランスを取りながら達成するのが現代政治の根幹である。政治が、何もせずに個人の自由にゆだねることは無策であるが、同様に、リスク回避の為に個人活動に安易に犠牲を強いるのも無策であると言わざるを得ない。風潮が風潮のまま、終わればいい。しかし、気をつけなくてはいけないのは、風潮が政治に利用される時である。そして最も注意すべきは、安易に犠牲を強いる政治は、実は政治家ではなく、私たち自身、社会全体が作り出しているという点だ。

 風潮を作り出せば個人の行動を制限することも可能だ、という前例は、少ないにこしたことはない。社会は、多様性なのだ。自粛するも、自粛しないも、意見の価値としてはシンプルに等しい。大げさではなく、決して、個人行動の可否を権力者に預けるチャンスを増やしてはならない。

 一斉に、全部が自粛なのではなく、これはOK、これはNG、と風潮に屈せず判断していこう。面倒くさいけど、それを手放すのは止めにしよう。風潮に流れることに鈍感にならずに、集団のリスクも軽んじず、最適解を求め続けていこう。20世紀初頭と違い、私たちにはインターネットがあり、個々人の活動や思いを表明できる余地が残っている。

 自分たちの、本当に快適な未来は、正体の見えない風潮や、それを悪用しようとする将来の権力者に、奪われるわけにはいかないのだから。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


20200228forest.jpg
〜そして、なんとなく、秘境のような、沢水の流れる田んぼを発見!〜

【新型コロナウィルス 参考記事一覧(2/28時点)】

【医師直伝】間違いだらけの新型コロナウイルス。〜いま日本人が知っておくべき6つのこと
https://www.mnhrl.com/covid19-6point-2020-2-28/

新型コロナウイルスと認知バイアス@
https://kuromarutakaharu.com/2020/02/24/coronavirus/

新型コロナウイルスと認知バイアスA
https://kuromarutakaharu.com/2020/02/28/coronavirus-2/

自然派医師 本間真二郎氏のFacebook
https://www.facebook.com/shinjiro.homma

つくば市長Facebook記事【新型コロナウイルスへの学校の対応について】
https://www.facebook.com/tatsuo21/posts/1878821665587643





 
posted by 学 at 00:12| Comment(0) | 本質を考える | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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