先日の、とある、茨城県北部の、山あいに暮らす家族の出来事。

梅雨入りして曇天と雨模様の続く日々の夕方、湿潤の大気をまとった草の中に作業の手を入れながら、汗をぬぐう。この瞬間の幸せにふと気づき、夫婦で嘆息がもれた。自然農のある暮らしの醍醐味とは、まさに、その日のような夕方を過ごしている時に、訪れる。
このところの我が家の暮らしと言えば、世に戸惑いと憂いを巻き起こしているウィルス事情とはあまり縁もなく、確信犯的にのんびりと家族で過ごしてきている。とはいえ、一時的ではあるものの勤めに出る日々を送る身としては、公私ともに様々に動揺は訪れもした。そして、その動揺は、少なからず家族へ、夫婦へ、暮らしへと、影響も与えつつある。
動揺の余韻により、なかなか畑に出る時間が取れなくなってしまったことで、なんとなくその余韻に飲み込まれそうに勘違いしてしまっていたのだが、それは杞憂に過ぎなかった。畑で、夫婦で、たかだか数十分、一心に過ごす時間を改めて味わうことで、その杞憂は、静かに霧散していった。
例えば震災が起きても、洪水が起きても、感染症が起きても、インフォデミックが起きても、一様に社会に動揺は訪れる。いずれも、天災と人災がモザイク状に混ざり合い、誰のせいでもなく、誰かのせいも存在する。つまりは、運でもあり、運命でもあるのだが、起きるときには起きる。そしてその結果、幾ばくかの動揺が必ず訪れ、変わらないコトも残しつつも、何かしらの変化が起こっていく。
ただ、改めて、確信する。自然の営みは、変わらない。
震災が起きようが、洪水が起きようが、感染症が起きようが、インフォデミックが起きようが、日は昇り、月は沈み、雨は降り、大地は潤い、種は芽吹き、草は茂り、鳥は啄み、虫が這い、そして、農夫は田畑に立つ。
ウィルスを恐れるも、恐れぬも、本質的には自由である。ウィルスを感染させることで誰かに迷惑をかけてしまうことと、ウィルスを感染させることを防ごうとすることで誰かに負荷をかけてしまうことの違いや差を、ある程度の推察はできたとしても、いったい誰が答えをだすことができるだろうか。何故いま社会は、世間は、本質的には誰も測れもしないことを前提に、行動様式をマワレミギでマエナラエさせようとしてしまえるのだろうか。

だから、というわけではない。
わけではないが、畑に立つ。
耕さず、農薬も肥料も使わず、人の力の届く範囲での、自然農の営みの中に、埋もれて、手足を動かす。
事務所のパソコンを叩いても、事業についてどなたかと話しても、自分の仕事と呼ばれる作業を粛々と進めても、それはそれでいい。それでいいのだが、こうした今の日常の普通の行動は、わずかに、あるいは非常に多くの、世間が生み出している動揺の渦の中に存在している。そこに、ウィルスを恐れない意思を全うする自由はない。社会が「ウィルスを恐れる自由」みたいなものに巻き込まれている以上、社会に働きかける行為に関わる限り、ウィルスを恐れない自由を全うすることはできない。
しかし自然農の畑で、妻と子どもたちと共に草に埋もれて過ごす時間は、完全に自由だ。種を蒔く時間、苗を移植する時間、雑草を鎌で刈る時間、子どもと一緒にスナップエンドウを収穫する時間、ジャガイモを掘る時間、ヤギを連れて歩く時間、そのあいだの私たちは、完全に、ウィルスを恐れる社会とは切り離され、完全に自然と一体化する。たかだか一日の終わりの、数十分かもしれないが、そこでは、戸惑いや憂いはほぼ完全に消え失せる。
そう。
この暮らしなのだと思う。
自然農の田畑に立ち、森に入り、妻と手を取り、子と過ごし、幾ばくかの社会と交わる。協力はあれど、強制のない暮らし。思い込みに過ぎない社会制度や風習に手足を縛られた暮らしではなく、心豊かに過ごすためにそれぞれに選択していける暮らし。
だから明日も、出勤前に種を蒔き、帰宅後に苗を植えよう。週末には区画を直し、ヤギの柵を作ろう。梅雨明けを待ちながら。夏を待ちながら。ウィルスにも、ウィルスを恐れる時代にも、愛を送りながら。

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同じような日々を、妻の視点で。
⇒まんぷく畑