注)記事の日付は太陰暦を用いております

2020年07月17日

笑う門には

閏皐月廿六日 曇り

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 なんだか不思議と言えば不思議な一日だった。

 あれはもう、2年も前のことだ。

 マインドボディヒーリング、心身治癒法という名で、「潜在意識のストレスに注意を寄せることで身体の症状を変化させる」活動を行っていた身でありながら、そのころの2週間ほどは、腰痛に苦しんでいた。アメリカのジョン・E・サーノ博士の理論は、実際私のぎっくり腰を何度も治癒し、花粉症、片頭痛、など片手では収まりきらない諸症状を劇的に改善させてくれた。その身でありながらの、なかなかしぶとい、ここ数日の強めの腰痛に心身は結構な悲鳴を上げていた。「なんで治らんの?今までの取り組みは間違ってたの?なぜ消えないの?」と。

 腰痛があらわれたのは、2018年春、長年住み慣れたつくば市からの移動(文化的サバイバルバケーション。詳細は「動くよ」を参照)を決定するかしないかの時期である。当然、慣れ親しんだ町からの移動、引っ越しに伴う荷物の整理、諸業務の調整、タイトなスケジュールに、意識的にも無意識的にもストレスは顕在していた。さらに日々の家族とのやり取り(上手くいくことも上手くいかないことも当然あるわけで)、そして一向に上向かない身体の状態もプラスされたネガティブ感情は、習慣化したストレスマネジメントでは太刀打ちできないほど膨らんでおり、私の腰は、治る気配が見当たらなかった。

 腰を痛めた期間中、自然体研究所のイベントとして人様に「マインドボディヒーリング」の講義をしたのも2回。そこではどちらも正直に自分の現況を伝え、苦笑いしながら、参加者とともに改善を心から願ったりもした。結果、話すことで自分の認識が深まり、わずかに快方に向かうのだが、しかし翌日にはさらに痛みをますのであった。それでも引っ越し準備は続き、妻とも腰への対処を相談しながら、はてさてどうしたものかという数日が続いたのだった。

 
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 <大子町の清流で、川遊び@昨年>


 そんな中の、とある日の、外出した帰宅後の夕飯前。 
 腰痛は、ほぼほぼ、きれいさっぱり、姿を消していたのだった。

 「あれ?この姿勢は? お?この前かがみも? どこまで大丈夫なんだ? え?痛くないの?」

 ほんの数時間前まで、「痛いなー。これいつまで続くんだー、昨日より痛み増してないか?」と嘆き悲しんでいた感覚が、気づけば嘘のように消えている。
 
 帰宅して、着替え、やっぱり痛みがないことを確信した私は、「あれだけ自分でマインドボディヒーリングしてたのにダメで、今回のストレスには参ったと思ってたのに、驚きの展開!」と、感動と共に、少々興奮気味で妻に話しかけていた。と同時に、自称「自然体研究家」として今回のこの変化を、冷静に考えてみることにした。

 なぜ、私の腰は、痛みを収めたのか。別の言い方をすれば、心はなぜ、もう痛みを出さなくていいと、判断したのか。おのずと答えは、痛みが治まる前と後の間の、私の過ごし方に隠れている。

 その日の午後。土浦保健所で開催されていた、「ひきこもり当事者を家族にもつ親御さんの会」に参加。ひきこもり大学茨城の末端スタッフとして、あるいは、ひきこもり当事者限定の対話イベント「新月カフェ」の進行役としとして、縁があってちょくちょく顔を出させてもらっている会。そこで私は、自分はひきこもり歴なしの素人のくせに、悩めるお母さまたちと、悩み、笑い、雑談した。自分でもこれはなかなか的を得てそうだなと自画自賛できそうな提案もできたりしたことや、最初は眉間に皺をよせてテーブルを囲んでいた方々が終わりのころは表情がほぐれて笑顔も見られたことで、なんだかとても嬉しかった。数週間ぶりにお会いした元当事者の友達の顔も元気そうで、それも嬉しかったことをよく覚えている。

 会が終了し、いつものごとく、懇親タイムとしてファミレスに場所を移した。その日は珍しいことに、会の代表のお母さんであるご婦人も参加してくださった。話好きのお母さんのハートフルな雰囲気もあって、私はいつものように軽口を叩き、レベルの数段落ちる毒蝮三太夫のような振る舞いで冗談を言ったり自虐を言ったりして、和やかな時間が過ぎていった。自意識過剰ではあるが、皆の笑いもとった自信もあった。

 この出来事の中に、いったい何が私の腰痛が消える要素があるだろうか。

 それは、親の会で感じた、「手ごたえ感」だろうか。普段、自営業ではなかなか他人に価値を提供できているかどうか自覚しにくいという、無意識的な自己否定のストレスが、その日の手ごたえ感で消えたのだろうか。
 あるいはファミレスでの、軽妙に笑いをとれた会話での、他人を喜ばせることができたかもしれないという達成感が、自分の中の微妙な劣等感を払拭してくれたのだろうか。
 はたまた、雑談中にでた、私自身の中学時代にいじめを受けたことの軽い告白が、無意識のトラウマを解きほぐしてくれたのだろうか。

 そこまで考えて、妻が、助け舟をだしてくれた。
 「いっぱい笑えたからじゃない?」

 え? 笑い?

 そう、そうか!それだ! 

 保健所での親の会でも、そしてなによりファミレスでの、皆さんとの会話で、私は遠慮なしによく笑っていた。自分の話が的を得た気がしたのも確かに嬉しかったが、なによりも、くだらない妄想話やふとこぼれた本音話などで、皆さんと、不謹慎なくらい良く笑った。自分のイベントなどでの、難しい顔して話す、ストレスとは〜とか、自然体とは〜とか、心と体の相関関係とは〜とかいった(それはそれで大好きなんだけど)真面目に探究する時間ではなく、くっだらない馬鹿話をして、屈託なく笑った。子どもみたいに。両手を叩いたりして。

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<長女5歳の時。大人はなかなかこうは笑えない。>


 そしてそれが、確かに、私の腰の痛みを取り払ったのだった。きれいさっぱり、何事もなかったかのように。自分がいつも他人に提案してるストレスチェックでは届かなかった、その奥に手が届いたかのように。見事に、効果的に。

 馬鹿笑いした時間を過ごした後、私の腰痛はもう役目を果たし、元の通りの傷める前の腰に、あきれるほどの短時間で戻ったいた。近代医学的な処方、投薬、治療に、一切頼ることなく。あれほどまでに、苦しんでいた腰の痛みが、かげろうのように消える、この事実。

 「笑う」ことの効能。笑いが、心だけでなく体に直接好影響を及ぼす。子供みたいに笑う。馬鹿話を楽しむ。そのことは、講義の中で、余談として、あるいは副次的なサポートとして扱うことが多かった。なぜなら、それは、個人的な実感を得る機会が無かったからでもある。

 しかしこの体験を振り返って、心身治癒法の、さらなる進化を確信しつつある。

 「笑い」という行動は、人間という生物が、「安心感」や「充足感」や「幸福感」を脳に直接知らせる行動である。表情筋が笑顔になる時、ポジティブなバイブレーションで腹筋が鼓動する時、身体の中の様々な感覚器官が、「今は最高に安全で喜びに満ち溢れていて大丈夫な、時と場所にいる」と認識することは、脳にとっては何事にも代えが効かない、ストレスフリー状態なのではないだろうか。これは、身体側からのアプローチが心に作用を及ぼすという、心身相関のメカニズムに沿って考えれば極めてスムーズな理解も可能だ。

 深層心理のストレスへの自己認識(イヤチェック)だけでは拭いきれなかった、心の奥の詰まりを、「笑い」が、晴らしてくれた。そして同時に、治癒しきれなかった腰痛も、見事に晴らしてくれた。きっと、「ナマ感情の抑圧への気づき(イヤ!チェック)」と「思いっきり笑うこと」は、並立なんじゃないかな。どちらだけでも治癒するときは治癒する。でもどちらか一方ではダメな時、もう一方を実践してあげる。そんなアプローチが、現時点での到達点だ。
 
 だから、笑えないとダメ!とかではないから大丈夫。笑えなくてもいいんだけど、どうも治らんなーと思ったら、どっかの馬鹿笑いできる環境に身を置いて、心置きなく爆笑してみてください。そしたらその詰まりが、すこーんと抜けるときもきっとあるから。 

 いまだからこそ言っていいと思う。笑いは、マインドボディヒーリングの最強のパートナーなんだと。文字通り、笑う門には、福が来るのだ。

 症状や痛みに困ったら、無意識ストレスを見つめる習慣を身に着け、身体の芯から笑い転げよう。そんな単純なことで、病院フリー、症状フリーの人生が、手に入るかもよ。

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 ※実は心の底から泣くことも、症状改善と関係がある予測もあるし恐らくそうなのだが、実体験をもとにしてないので記事にするのはまたいつか。
posted by 学 at 21:07| Comment(0) | 身体を見つめる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする