注)記事の日付は太陰暦を用いております

2020年11月21日

どう生きるか

神無月七日 晴れ

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 茨城北部に移住して、季節が一周半した。二回目の秋、サツマイモはまあまあよく育ち、大豆と小豆は妻が奮闘して豊作、大根も良い感じ。

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 ただ、どうしても、言葉が出ない。

 パートの身分とはいえ、公職に関わることでこんなにも言葉が出て来なくなるとは、不惑を越えたおっさんになっても思いもよらなかった。

 畑のこと、田んぼのこと、森のこと、心のこと、身体のこと、食のこと、環境のこと、命のこと。毎日毎日、布団に籠り、後ろ髪を引かれながら着替え、ヤギを小屋から出し、時折畑に出たり出なかったり、職場に行き来し、人と交わり、妻と子と話し、食事し、暮らす。感じること、思うこと、伝えたいこと、が喉の奥から出そうになり、キーボードに指を置くたびに、手が止まる。

 向き不向きで語れるのなら、こんなに向いていないなんて(笑)。

 田畑に向き合い、大自然に向き合い、身体に向き合い、そうして立ったこの足で、人と交わり、言葉を選んできた。人の目、人の思惑、を決して優先せずに、想いを最優先して。だから今、言葉を出すことができない。

 先日の新月カフェで、「小さなことがきっかけでどうしても心が前に進めなくなった時にどうしてますか?」というテーマが話された。私は、この一周半の巡り合わせで体感していた、森や自然から受け取れる、天然のヒーリング作用をお伝えした。フィトンチッドや1/f(えふぶんのいち)ゆらぎや酸素濃度やそれら自然の恵みによる生理学的な機能としての、リラクゼーション効果や健康増進効果は、確かに偉大である。

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 しかしながら、心身相関、心身合一のメカニズムに携わってきた身としては、それらの限界も、一方で明確に感じている。森や大地のもつセラピー効果は偉大であると同時に、人は、「どう生きるか」に心の底で触れていない限り、それは脇役に甘んじることになる。

 例えどんなに森に暮らそうとも、心身に不調は発生するし、例えどんなに自然から離れて暮らそうとも、心身に一点の不安もない生き方も可能なのである。

 だから、それぞれ皆、自分にとって生きやすい場で生きるべきなのだと信じる。畑に立ち、森に入り、布団に入り(笑)、時々人と交わる。それこそが、自分の立ち位置なのだと、自覚は益々高まっていく。
  
 私は、公職に生きるべきではない。生きるべきではないが現実には生きており、であるなら、世の習わしには応じ、バランスをとる。しかし、生きるべきではないので、続けることはすべきではない。であるなら、明確であり、契約期間をもって、次のステップへ移行する。

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 もちろん、縁あって今の仕事につけたことで、無職6人家族が謎の里山暮らしをスタートさせて周囲から好奇の目だけで見られてしまうという、移住前に恐れていたような残念なスタートを切ることは避けられた(笑)。この幸運は計り知れない。この町で活動する様々な分野の方と繋がるきっかけでもあり、すこぶる有意義な仕事にも恵まれた。森の効能を存分に学び体感する機会と、事業に取り組む時間は、今後の糧でしかない。また、空き家や移住に関わる職務は、山間地に暮らす上での課題をまざまざと体感することができたし、今後の最重要課題であることも間違いない。この縁に、感謝しかないことは言を俟たない。そして、繰り返すことにはなるが、自身の方向性も改めて確認することができた。やっぱり私は、自分以外の思惑の中では、十全に根を伸ばす才能がないのだ。


 一周半は過ぎ、二周目はあと半周残っている。皆さんと一緒に、半周を存分に楽しむ。さあ、三周目は、いよいよ、大地に存分に立つ。妻との想い、子らとのワクワク、そして何よりも、自分のムクムク。

 地球のためでも、世界のためでも、日本のためでも、地域のためでもない、ましてや、誰かの思惑のためなんかでない、自分のためからの発進、発信、発震。「どう生きるか」。それこそが、未来の魂と直結する唯一のアクセスコードだ。

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 芋掘って、焚き火して、竹細工して、自然食囲んで団らんする。ああ、これだけで。生きていける。(いや、もっとか。ああ、それこそ、書ききれない(笑)!!)


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posted by 学 at 23:27| Comment(0) | 学びを知る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月29日

What a wonderful day !

神無月十四日 晴れ

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 土曜日。お勤めに出る身であることが理由にはならないが、午前11時まで、布団に入って過ごした。朝方から時折、妻と子どもたちが丁々発止でワイワイやっている声にうしろめたさも感じつつ、ものの5秒で意識は薄れ、また惰眠へ。

 あ、ヤギたちを小屋から出すのって、あいつら出してないだろうなー、そろそろかなー、と思い至り、モゾモゾと、日差しが気持ちよい縁側へ這い出した。

 
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 もうすぐお昼だけど、妻とコーヒーを淹れて、来年何蒔こうかねえ?と、在来種専門の豆屋さんのカタログを眺め、あれもこれも、とメモしていく。日本でずっと育てられてきた在来種の種を譲ってもらって育てて残していけたら最高だねえ、と笑う。そのうち、庭先でベネチアごっこ(絵本がきっかけの、謎の遊び)に飽きた子どもたちが、お腹すいたーとシュプレヒコールをあげてきた。そこで我が家の労働組合長である長女をなだめすかして、うどんを茹でて柚子のぶつ切りをのせた柚子うどんを作ってもらう。

 13時も過ぎ、あー、蕎麦の脱穀いい加減やらないとまずいな、と夫婦共通の懸念事項に合意し、まどろみタイムに終止符を打って、外着に着替えた。あとは、妻は大豆の脱穀、私は蕎麦の脱穀、子どもたちは遊びとお手伝い半分半分で日暮れまでみんなで過ごした。

 あーーーー、楽しい!!


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 森と遊ぶ、畑と遊ぶ、身体と遊ぶ。

 そんな日々を暮らしたい。暮らしているし、これからもそうやって暮らそう。


 今、この瞬間に生きる喜びを最高に感じることは簡単じゃないけど難しいわけでもない。そのヒントはいくらでもある。ヒントは世界中に転がってるし、ヒントを持っている人もたくさんいるし、視点さえ変えれば自分の中にもいっぱいある。

 その遊ぶ時間を、楽しむ時間を、育む時間を、率先して喜び、そしてシェアしたい。

 畑って楽しいよ〜。
 森って楽しいよ〜。
 身体って楽しいよ〜。
 子どもって楽しいよ〜。
 人間って楽しいよ〜。
 世界って楽しいよ〜。

 って、どんどん実践して発信して共有すれば、それで生きていけると思う。世界中でどんなに困難な状況があると見聞していたとしても、世界は自分の中にしか存在しない。自分の楽しさを抑える口実を世界に押し付けるのは、違うと思う。


 ・森に入って、裸足で歩きながら全身を感覚器にして時間を過ごす。そこで感じるフィーリングは、地球上の全ての生命と繋がっていて、生きとし生けるものの悩みや喜びや苦しみや慈しみや憎しみに通じている。
 ・自然農の田畑に立ち、人が口にすることができる植物を愛で、食べ、雑草に包まれながら人間以外の動植物の全循環を知る。地球の全ては、食べることの繋がりを通して成り立っている。
 ・呼吸を穏やかに瞑想し、身体を観察し、思考を眺め、自分の来し方と行く末から離れて今のこの瞬間に目を凝らす。自分がそのものとして生きる奇跡を感じることもあるかもしれない。環境「問題」とか社会「問題」とかは、自分がいなければ存在していない。
 ・火を囲み、座る。沈黙をベースとした時間の先に、会話はコミュ二ケ―ションのいち手段に過ぎないことを知り、だからこそ、口から言葉を紡ぐことの大事さを感じる。
 
 こんな面白いこと、何日もかけて、掛け値なしにやりたい。何やろうかなー♪
 いいと思うこと全部やって、社会はwonderに満ち溢れていることを、恩着せがましくこれでもかって表明してやる(笑)。面白いことは、そりゃあ面白い。だからどんどんやろう。

 そして同時に、だからこそ本来のベースは、妻と家族との毎日の自然農から広がる、本当の意味で地に足のついた、シンプルな暮らしなのだ。

 
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 いやあ、それにしてもいい一日だった。欲張りに聞こえるのか、それとも真逆に聞こえるのかは正直わからないけど、もうずーっとこうやって生きていければいいや(笑)。What a wonderful day!

 脱穀した蕎麦(常陸秋蕎麦)の殻付きの実を、どうやってそば粉にまでするか、なーーんにもめどが立ってないけどね!
posted by 学 at 00:08| Comment(0) | 地に足つけて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする