注)記事の日付は太陰暦を用いております

2022年07月15日

ノラカツのススメ

水無月十七日 曇りときどき雨@大子町

 野良活、のらかつ。

 農作業でも、野良仕事でもなく、ノラカツ。

 月のうち、二十日以上は田畑や森で過ごしているのだが、どうしてもその時間を、「作業」とか「仕事」という言葉で表現することに抵抗があった。

 確かに、田植えをし、草刈りをし、大豆を蒔き、森に入り、木を切り、土を掘ったりしている。それは、誰が見ても農作業だし、あるいは野良仕事かもしれない。だけどなんか違うんだよなあ。例えそれでお金をいただいていたとしても、それでも、仕事とも、作業とも違う、何かしらの違和感がずっとあった。

 どこかしらで、誰かしらと集まり、畑で草を刈ったり森で竹を切ったりするときに、「では今から作業をスタートしましょう」という言葉を使うのに、ずっと抵抗があった。作業ってさ、やらされ感、タスク感、重い腰あげる感があるじゃない? それを、やる前から言葉にするのがイヤなのよ。自然農の田畑に出る時(特に他の誰かをお誘いする時)って、もっとこう、ウキウキして、ワクワクして、あー草に包まれてる!っていう時間に招待する感じで声かけたいんだよね。

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 <田植えはまさに、ワクワクウキウキ(^^♪>

 自然農の畑で作物のお世話をする時間に、どんな意味があるのかを考えてみると、そのことが少し伝わるかもしれない。例えばキュウリの苗の周りの雑草を抑えるために雑草の草刈りをする時、私たちにとってどんな時間が訪れているだろうか。

 まずは、草刈りをすることで、キュウリの株の生育を確保することができ、今後の成果として、キュウリを実を収穫することができる。これはまず第一に訪れるべき、目的に近づくという意味の「達成感」や「満足」だ。

 それだけではない。草刈りで発生するフィトンチッドを体内に取り入れることによる「リフレッシュ効果」。緑に包まれ新鮮な酸素を浴びて訪れる「リラクゼーション効果」。植物や土に触れることでアーシングされる「ヒーリング効果」。暑い日差しの中で発汗と共に身体を動かすことによる「フィットネス効果」。

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 <これに勝るヒーリング効果あります?>


 さらに付け加えるならば、黙々と草刈りを続けることで訪れる「瞑想的時間」。農薬肥料なしで育つキュウリを目にしながら思索する、「草とは何か?人とは何か?生きるとは何か?」という「哲学的時間」。草刈りをしつつも刈った草を土に敷くことで土壌の環境に配慮したり、あるいは虫の居場所を確保するように一列おきに草刈りしたりすることで間接的に提供する「環境への貢献」。

 あげればきりがないが、ただのキュウリの周りの下草刈りという「農作業」「野良仕事」でありながら、そこにあるのは、自分も自然もキュウリも喜ぶ、パーフェクトアクティビティなのである。

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 <庭木のスモモを食す時間も最高のグルメ>

 私はもう、この時間を仕事や作業と呼ぶことができない(笑)。

 あえて言うなら、子どもたちがただただ屋外で大解放のもとで楽しみまくる「野良あそび」になぞらえて、「野良活」「ノラカツ」と言うことに決めたのだ。なんなら、田畑や森で過ごす時間を野良活セラピーⓇとか野良活リトリートⓇで売り出したろうか(笑)。


 横道に逸れたけど、自然農や、大地再生(※)の時間は、作業でもないし、仕事でもない、野良活なんです♪ さああなたも、雑草屋と一緒に、レッツノラカツ!

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 <まあこれも一つの野良活か?違うか!>



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※『大地再生』とは:矢野友則氏の「大地の再生」の考え方、高田宏臣氏の「土中環境」の考え方を共に取り入れた、ごくごく個人的な里山再生活動を意味しています。

参考URL
『「大地の再生」について』 https://daichisaisei.net/#about
『見えない世界を見る力 ー 土中環境への旅』 https://chikyumori.org/2022/04/04/dochu01/
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posted by 学 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月20日

7月20日

水無月廿二日 晴れ

 「いま起こっていることに目を閉じれば、そのものの内なる歴史は腐敗し始め、過去に関する探索をやめれば、そのものの『今日』そして『明日』を見つめる目は、その輝きを失うのである。」(秋野豊『STUDENTS』 第244号、1989年)

 (※学部の先輩のSNSの投稿よりお借りいたしました。Iさんありがとうございます。) 


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 昨日、草刈り途中にノコギリ鎌で親指の爪の先と指先を1mmほど削ぎ落とし負傷し、迎えた7月20日。秋野豊先生の命日。

 毎年、直前までなんとなく覚えていて、いつも当日は忘れてしまいます、先生。

 今日は、指の負傷を言い訳に、午前中は3歳の次男を連れて軽自動車を往復120q程走らせて、古民家リフォームに使う照明器具類を祖母が暮らしていた空き家から取ってきました。大地を感じて移動する。それを背中で教えてくれたのは先生だったような気がしています。夏の風を窓を全開にして取り込み、山あいを急カーブに身体を預けて抜けていくドライブで次男はいつしか寝てしまいましたが、一人、先生のバイクを思い出しながら運転していました。

 古びた祖父母の照明器具を掃除して、家の壊れた配線をペンチで切ったりテープで繋いだりしながら、なんとか子どもたちの目の前で灯りの取り付けを澄まし、父の尊厳を保つことはできました。この、自分で直して取り付ける、みたいな喜びも、大地的というか肉体的な学問のような気がしています。ペンチを握りしめながら、タジキスタンの地で豆をペンチで潰して淹れたコーヒーを飲んでいる先生の姿も、想いうかべていました。

 夕方、傷も少し癒えてきて、妻や手伝いに来てくれた20代の友人(筑波大の後輩です!)と一緒に畑で大豆を蒔く準備を進め、日が暮れるころに子どもたちと一緒にヤギとニワトリの世話をして、薪調理で適当にパスタ山盛りの夕飯を作りました。信念に基づいて身体を動かしたあと、存分に飯を食う。その喜びを、寿司屋やお好み焼き屋に連れて行ってくれて教えてくれたのも先生です。

 子どもを寝かしつけた後、先生の命日も知らせずにいた妻が偶然、野菜の梱包や薪ストーブ用にもらってきている新聞の記事を拾い読みしながら、憲法改正や地域紛争や国際政治の話題を僕に投げてくれました。母として、女性としての命の根源的な平和を希求する妻の素朴な投げかけに対して、僕は、学生当時のままのつたない国際感覚で、最低限度の軍備の必要悪や軍需産業の存在、地政学的紛争の背景などを、絞り出すように話してみました。こうして夫婦で、何気なく、国際政治や平和、紛争、持続可能社会について会話ができることの喜び、平和の尊さを、缶ビールを片手に噛みしめています。

 明日は、朝5時に起きて、ジャガイモ掘りです。ジャガイモが掘り終わったら、ひたすら大豆を蒔くのでしょう。こうした日々が、原始的な平和活動なのだと自分に言い聞かせて、そろそろ布団にもぐることにします。

 先生、おやすみなさい。僕ももうすぐ、あと2年で48歳。先生に追いついてしまうんですね。2年後も変わらず、胸張って、種蒔く日々を過ごしていると思います。乱筆乱文、失礼しました。

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★秋野先生についての参考URL
 https://www.htb.co.jp/vision/tsubame/story.html

☆秋野先生についての過去記事
【七回忌】(2004年07月21日)
【7月1日に生まれた男】(2008年07月01日)
【お手紙します】(2008年07月20日)
ラベル:秋野豊
posted by 学 at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 故郷の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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