注)記事の日付は太陰暦を用いております

2008年07月01日

7月1日に生まれた男

皐月二十八日 曇りのち晴れ

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 13年前の夏、確かに自分はこの道を自転車で滑走していた。早朝からの作業を終え、数ヶ月ぶりの献血を済ませた午後、つくばセンターから大学を北に貫通する歩行者自転車専用道路(通称ペデストリアン)を歩いた。つくば駅からペデストリアンを北上すれば、大学の終点の先は我が家が目の前である。午後の早い時間から、帰宅途中の小学生に混ざって大学からつくば駅に向かう自転車の学生を多く目にし、今日の日付を思い出した。7月1日はひょっとしたら夏休みなのかもしれないと。1995年に筑波大学に進学した夏、同じようにこの道を何を思うでもなく自転車で往来した自分がそこにいた。時間は過ぎ、人もまた過ぎた後に、何が変わり何が変わらないのかを知りたくなり、家路の途中にすれ違う無数の学生一人一人の顔を追い掛けていた。そしてその面構えは、何も変わりはせず、そして自分もまた、変わってはいないのだった。

 7月1日、筑波大学時代の恩師である故秋野豊先生の誕生日である。全くの偶然にこの日にたまたま大学構内を歩いて、大学時代の自分を想起して、そして秋野先生と少し話をした。

 秋野先生は、1998年の夏、国連タジキスタン監視団政務官として執務中、反政府勢力に襲撃され殉職された。小生自身、大学4年次の7月の出来事だった。
 秋野先生のメッセージは、決して「国際政治に興味をもって、世界平和に貢献してほしい」というものだけではなかった。先生は、学内で会う生徒に「幸せですか?」「よく眠れましたか?」「今何が面白いですか?」と声をかけてくれた。勉強でも研究でもなく、生命は弾んでいますか?と問いかけてくれた。それは今も燦然と肉声となって魂に問いかけられる。
 

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 2008年7月19日(土)、つくばノバホールにて、「秋野豊メモリアルコンサート」が開かれる。是非この機に、人間「秋野豊」に触れる人が増えてくれることを望む。矛盾するかもしれないが、極論を言えば、行かなくてもいいのだと思っている。先生は、メモリアルコンサートに来てくれることを望んでいるわけではない。秋野豊を偲んでくれることを望んでいるわけではない。秋野先生を超えること、追いつくこと、真似することは誰もできない。付和雷同せず、立場や職業などを超えて、自分にも他人にも阿ることなく、「気概」を持って生きることを、先生は教えてくれた。「気概」を持って生きる人間が増えて、世の中が少しでもよくなり、ついでにグッとくるほど面白い世の中になればそれでいいのではないかと思う。どんなに世界の情勢が絶望的なり悲観的であったとしても、世の中を支えるのは一人の気概のあるサラリーマンの日々でもあり、気概のある主婦でもあり、気概のある学生でもあり、気概のある百姓の日々でもあるのだ。

 自分が秋野豊という虎になれないなら、次の世代が虎になればよいのだと思う。虎でなければ龍になればよい。それはコンサートによって築かれるものではなく、むしろその前であり、その後でもある。自分はコンサートに行く。行かない人もいて、行く人もいる。行っても虎にならないくらいなら、行かないで虎になるほうが、険しく素晴らしい。さて、あなたはどうする。先生を知ってるなら、自分の虎の道を歩けばいい。先生を知らないのなら、どんなことをしても、当日ノバホールに来て秋野豊に触れてほしい。

秋野豊メモリアルコンサート 公式サイト チケット絶賛発売中 ※


 大学を休学しての南米放浪から途中で戻ってきた98年の正月、先生からこんなメールをいただいた。


 『そうかそうか、学がけえってきたか。いろいろいい体験もしただろう。今度会うのが楽しみだな。おれは出発まで、少し日本にいそうだ。少なくとももう2週間はいると思う。元気で、秋野虎』


 小生が先生からいただけた、二つのメールの内の一つ、宝物のメール。


 世界は、現実は、生半可な物ではない。だからこそ、その内容と同じくらい、気概が世界には必要なのだと思う。楽しみ、悲しみ、それでも日常を前に進むために。


posted by 学 at 19:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 故郷の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
1950年7月1日に生まれた男、つまり自称「20世紀のど真ん中に生まれた」んだそうです。「いかに20世紀が僕を求めているかわかるでしょう!」って。
たまーに、偶像崇拝的なニオイに片眉が「ん?」と動くことがないわけではないですが、でも、まぁ、大局からいえば、しょうないな、と秋野さんは笑ってるような気がします。コンサート、やるからには、より多くの人が来て何かを感じ取ってくれますよーに。
Posted by at 2008年07月01日 21:52
小松さんを通して見える
パーッと広く明るい
でも時にじーっと深く暗い
その風景は何なんだろうと、ここ数回お話して思っていました。

それは自然農をしていることから来るイメージかな、と勝手に推測していたのですが
それだけではなかったようですね。

もちろん人を形作るものは
もっともっと複雑多岐に渡り
それでいてシンプルなものだとは思いますが、この日記を読んで私の見た風景の謎が少し解けました。
Posted by saya at 2008年07月01日 22:57
私には、これほど「恩師」と呼べるような方は居ませんし、「気概」を刻み込んでくれた方も思い当たりません。
それを不幸とは思いませんが、とても羨ましいです。
静かで力強い日記から、とても良いものをいただいた気がします。

また、「故郷の記憶」という書庫に分類されていることが、印象的でした。
まさに故郷なんですね。
Posted by つよじろう at 2008年07月02日 23:21
>「名無し」さん
「20世紀のど真ん中に生まれた」ってまたかっこいいこと言いますねえ。
そういうこと、楽しんでかつ自信もって言える先生が、やっぱり好きなんだなあ。
ナイスなお話ありがとうございました。

>sayaさん

確かに「じーっと深く暗い」ですよね(笑)。
私もsayaさんもご主人も、風景であり背景は様々にありますが、
それをズドンと適当に背負ってみようと思っているところが、
なんとなく気が合うように思えてきています。

>つよじろうさん

つくばであり、筑波大学であり、国際総合学類であり、友人であり、恩師であり、それら全てが私にとって「故郷」なのかもしれません。

もし秋野先生の「気概」に少しでもご興味がありましたら、
是非コンサートを覗いてみてください。

何かしら、誰かしら、背中をグイと押すような、そんな男です。
Posted by インチキ at 2008年07月13日 14:22
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