葉月十九日 曇り時々雨
先日の十五夜、とてもとても、大事な夜を過ごした。
その満月とはかけ離れた、何も動いてないようで、何かに突き動かされているようでもいる、この頃。衝動のような、必然のような、安心のような、不安のような。内的なプライベートには、満ちるような、グラスに溢れるような泰然が湧き上がりながら、パブリックの目前は、頭と体が分離しそうな押し寄せる怒涛の渦に飲まれつつある。
とにかく、Blogが書けない。仕事として、書かなくてはいけない記事も書けない。日記も書けない。メールも、必至で書いている。ぐわんぐわんと思考と指と眼球の奥が喧嘩をして、殴り書きをしてとにかく前に進んでいる。それでもBlogは進まない。
自分と、自然農と、生活と、将来が、分離しそうになり、気がついてまた体に入りだす。草刈りと、種播きと、構想と、妄想と、相談と、企みと、献身と、怠惰と、なんでこんなに交通渋滞しているのかわからない。
これから一ヶ月、「自然農」と徹底的に、思考を中心に向き合うことに決めた。草を刈り、種を播き、あとはひたすら問い重ねてみる。
草の中はコウロギの大合唱。田んぼでは稲穂が見事に咲き始めた。稲穂は実るものだが、自然農の、古代米は、見事に、咲くのだ。その命の美しさに負けず、有無を言わずに歩け。満月を携えて。
注)記事の日付は太陰暦を用いております
2008年09月18日
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