霜月十八日 寒い…(天気じゃないか)
「農」、というのはどうしても「食べる」という行為へと最終的に繋がるため、どうしても食品への関心が日常的になるもの。とはいえ、小生は特にベジタリアンでもなければマクロビオティストでもなければスローフーダーでもなければ野菜ソムリエでもない。オーガニック野菜の範疇に入る農作物を自作してはいるが、スーパーに行けば特売野菜も買うし、添加物たっぷりのスナック菓子も好物である。今後、商売として「自然食」のようなコンセプトを目指したいとは思っているが、日常生活はまた別の話でもある。
自然農的リンクにもあるyoyoさんのBlogで、オーガニックな鮨屋さんがあるという記事を読み、そのこだわりの潔さに小気味良さをおぼえたと同時に、改めて自分の認識の甘さを痛感することになった。「あああぁ、そうだよね。そりゃあ今の日本の食物産業(特に生産、加工、外食において)でモノホン自然の恵みをいただける筈はないよね。」と。
すでに世の中が、添加物、科学薬品、工業的食品に依存することなく成り立たなくなりつつある現状にあって、それらを体内に取り込むことを否定することは、「個人的に」不可能である。現代の便利さという果実の背後には、天然自然の恵みだけで生きることは許されないという十字架を背負わされていることを胸に刻むべきだ。世の中のほとんどが「経済性」を最高位の判断軸にして動いていこうとしてる中で、食の安全のみをその軸から外して考えようと言っても無理がある。政治さえも経済性を最重要課題のように捉え、「住」の安全が経済性によって損なわれたのが強度偽装問題だとすれば、米国産牛肉輸入問題や残留農薬野菜問題、食糧自給率や農家離れ、さらにはアトピー、アレルギー問題にいたるまで、「食」の安全は経済性という現代の神話によって蝕まれている。いくら「個人的に」避けようとしても。
一方、そんな時代にあって「オーガニック」「天然もの」「トレーサビリティ」などの反発軸が表面的に紙面を賑わせているのも事実。「自然農」など、はたから見れば、そんな反発軸の最右翼に位置する概念であろう。小生は、結構、毒は好きです。化学薬品も添加物も農薬も、それを摂取せずには生活し得ない環境でもあるし。ただ、自分で「選ぶ」ことができるなら、そして可能な限り自分で「創る」ことができるなら、体と気持ちに心地よい食べ物を食って生きていきたいと思う今日この頃なんです。皆様も、少しずつ「選んで」みてはいかがでしょうか。
最後に付け加えるなら、小生には、科学的に添加物etcが人間の体にとって真に害であるかどうかはわからない。ただ、そういう手間を加えないとうまく回らないような世の中は結果的に(鉱物資源や自然環境の点などからも)高コストのように思われ、自分にとって心地よくないだけなのだろう。あーシンプルに生きたい。
〜自然農里芋のセイロ蒸し〜 ……シンプル過ぎ!? (写真提供T氏)
※yoyoさんの記事は↓こちらから↓
◎オーガニック鮨を囲むセミナー についての記事
◎オーガニックな鮨屋さん 大内 についての記事
注)記事の日付は太陰暦を用いております
2005年12月19日
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難しい問題ですが、知った上で選びましょう!ってな訳で私だってコンビニでお菓子買ったりするんですよ。ただし、しつこく原材料表示見て、少しでも添加物が少ないものを選ぶわけですが・・。
でも海苔の問題のように、添加物としては表示されないものも多いわけで・・・野菜だって農薬使ってても「何を何回使いました」なんて普通は書いてないし。
子供の頃は私がこの手の話を周りにしても、けむたがられるばかりでした。今は皆さんが耳を傾けてくださるし、私なんかよりもっと突っ込んで研究なさっている方もたくさんいらっしゃる訳ですね。嬉しい傾向ではあるのですが、もはや遅すぎるのかもしれません。
たとえ間に合わなくとも、知ってしまうとあきらめる訳にもいかず、がんばるしかないのです。