節分。ぽかんと晴れた午前。散歩の時間を作って畑に足を伸ばす。春が生まれる前日のこの日の畑は、息吹きの可能性が雑草の下に隠れて満ち満ちているようだ。

収穫し忘れて取り残されている冬菜やラッキョウの少し目立つ緑色の周りに、薄茶色の雑草に覆われた亡き骸の層。陽気に誘われてその層をめくり、土に手をさしのばす。草は冷たいのに、土はほんのり温かく、ほこほこに柔らかい。その感覚に指先の記憶が敏感に反応する。あああ、しゃがんで草をさわり、土の柔らかさを確かめるこの姿勢を、なぜ僕は忘れていたのだろうか。何がしたくて今の生活をしているのか。この、自然農の、あまりに直感的な感覚に、魅了されたからこそではないのか。それは、ふるさとへ帰ったとき以上に心の中に安心感を与えてくれる優しい時間なのだ。
鬼は外、福は内、と一人で儀式をする必要はない。自分の心に潜む鬼は、怠け心と慣れ心なのかもしれない。帰り道、廃屋の板穴から首を出す野良猫に睨まれた。お前最近見かけなかったけどサボってたんじゃないの?と見透かされた気がした。

鬼を追い出して、初心を思い出してみる。
自然農の土が、草が、太陽の匂いが、大好きなんだということ。

