
数日前の大雪の予報が、期待ほどに盛り上がらず、もう降りやしまいとすっかり腑抜けていた今日の朝、しきりに冷える窓を開けると柔い粉雪が庭に積もっていた。別段に鬼の面もかぶらず、黙って西南西も向きもしない節分の夜を過ごして、いよいよの立春。
なにはともあれと言うべきか、待ちに待ったと言うべきか、重い腰に鞭打ってと言うべきか。何につけても理由を欲したがる小生の怠け心を無理やりにでも奮い立たせるべく、「春立つ」の音の響きにあやかって、今年の農作業が、とりわけ特別なこともなく、梅の蕾の静けさのごとく、自分の心の中で幕開けした。作業の中身に、前日との差はなくとも、心が、ようやく前を向き始めた。
どうでもいいようなこのスイッチを、誰からでもなく、自分で入れられたことが大きいのだと。積もり積もる下の、2月3月の冬の野良仕事が、このスイッチオンによってベルトコンベアのごとく回転をはじめる。あれをやり、これをやり、これもして、あれもして、眩暈と恍惚の自然農トランスへ。そんな桃源郷があればいいのだがね。現実は、行きつ戻りつの振り子の中なのであろうが、今年はもう少し没入したい意気地を持っていきたい。感性360度に張り倒して、頭は緩急つけて、肉体は喜びに変わるぐらい酷使して。今日くらいは鼻息荒く。いざ。


スイッチを常に自分が押さねばならないわけで、
私にとっては、結構しんどいなあと思ったりします。
私の好きな漫画「F」の中で、こんな台詞があります。
「サーキットは、同じところをグルグル回っているのだと思っていたが、実は違う。
みんな、前に進んでいるのだ」
振り子も、同じところを行きつ戻りつしているように見えて、
実は、地球の自転に合わせて、さっきとは違う軌跡を描いているのかもしれませんね。
「F」。「何人たりとも俺の前は走らせねえ。」ですね(笑)。
違う軌跡といいますか、みんな前に進んでるといいますか、そうですよね。
田畑の、その自然農の営みを見ていると、常に「同じようでいて違う」
ということに気づくことの大切さに気づかされます。
福岡伸一氏などが著作でよく述べられる「動的平衡」が命そのものだと
するならば、自然農の畑も命そのものとも言えるかもしれません。
自然は、自ずから然らしめて、進んでいるのですから、それに関わる
はしくれとして、その自由に進む様を体現していきたいものです。
適度に自身でスイッチを有効活用しながら。
酒とか、漫画とか、堕落とか、季節感とか。