注)記事の日付は太陰暦を用いております

2010年12月25日

徒然すぎ

霜月廿日 晴れ

 冬至、天皇誕生日、クリスマスイブ、クリスマス。冬を迎えての、雑踏ではここぞとばかりに賑やかな数日が通り過ぎる。闇雲に一人でもあり、川の流れのように人にも会い、何かとソワソワしながらも、酔いにまかせて布団にもぐる日々。


 冬至。ぽかんとした陽だまりが届いた一日。我が母校で宗教学の教鞭を執られるK准教授が畑にみえられた。見るからに思想していますといった趣の髭を蓄えられたKさんと、見るからに生え散らかしていますといった風情の百姓髭の小生が、昼の畑のガーデンテーブルにて対峙するその光景は、傍から見たら少々異形であったかもしれません。岡田茂吉氏の自然農法を入口として自然農へも足を伸ばされ、そのついでにつくばでの自然農という順路でつくし農園に来られたKさん。研究のいちトピックとして遊びにいらしたので専ら小生が話すことが多くなったが、時折に髭を撫でて応対される姿や、挟み込まれるお話やご意見が印象深く、何かと面白い時間となった。記憶ではアフリカ関連の学会にて、今回のご訪問の話を取り上げられるとのこと、いったいどんな報告になるのやら、学会など門外漢の小生も大いに興味をそそられる次第です。


 天皇誕生日。喜寿を迎えられた今上陛下の誕生日、つくばでは季節外れの強い風が吹き荒れた。肌を切るような木枯しでは決してない、南国から届くようなどことなく湿り気のある、しかししっかりと冷たい、不思議な風であった。畑に出るには少々手強い一日となり、家の隣の雑木林に分け入って、篠竹刈りに没入した。できれば開店したいなと、思惑だけは継続中である直売所の景観を、のろまな歩みで整えていく作業。誰とも会話することなく静けさの中に旗日は暮れ、久しぶりにTV番組の前にどっぷりと腰を降ろし、年末特番の垂れ流しを浴びて眠る。君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで。


 24日。クリスマスイブ。笠間のIさんの工房で、大工仕事をお手伝い。午前から日暮れまで、山間の木漏れ日の中での木工作業。ひとしきりラジオから届くメロディにあわせて、時折Iさんが口ずさむクリスマスソングが耳を流れる。クリスマスなんて趣味じゃないのよね、と笑うIさん。仕事を終えた後に加わるご隣人とのパーティーでの、プレゼント交換のアイデアがまだ決まらない、と苦笑いする顔がとてもいい表情だった。帰り道に寄った、チキン料理に占領されたようなスーパーマーケットの駐車場の上に、昇り始めた月が凄みを感じるほどに見事で、冬の夜の美しさを久しぶりに思い出した。チキンとビールとシュークリームを、投稿動画を眺めながら腹につめ、ほろ酔いで寝床に着く。


 クリスマス。少々寝坊して庭に出ると、3cmはゆうに越すような気合いの入った霜柱が目に飛び込んできた。キンキンに冷えた朝で背筋を伸ばして、ナチュカフェへ向かう。二年前にご一緒することができた、クリスマスランチとアカペラのちょっとしたおもてなしに、今年も声をかけていただくことができた。自身の支離滅裂なクリスマス感を追いやって、シェフが腕を振るって並べる料理が嬉しくないはずがなく、それを心から楽しみにして来店されるお客さんの前で、少しだけでも気分を盛り上げるサポート役としての一日。馴染みの友人たちとの、声だけで音を重ねる楽しみは、年を経てその回数は減りさえすれど愉しみの質は変わることがない。そのシンプルな快楽を味わい、さらに渾身の料理とデザートもいただいて、友人達は今宵のそれぞれのパーティーにアクセルをふかして帰り、小生はヤギの待つ家に(いや、おそらく待ってはいないのだが)戻った。


 いったい何の為の文章なのか、実は気付いているようで、気付きたくもないような、正体不明のこの日記。気の抜けたビールとジンジャーエールのシャンディガフを飲み干して、とっ散らかした部屋の真ん中で、今日はこのまま眠るのだ。自分一人で生きてるように常に勘違いし、そのくせこうして数日を記しただけでも、関係性の中に生きていることの当たり前さに気付かされるという、ただの愚劣な独り言。この独り言が、それでも必ず後に意味を成すのだと、どこかしらに留め置いて。



posted by 学 at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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