注)記事の日付は太陰暦を用いております

2011年02月09日

むつき

睦月七日 雪のち晴れ時々曇り


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 立春の声を聞いて間もない今年の睦月(旧暦)。先月までの芯から震えるような木枯らしの記憶はまだ残っているが、どうやら暖かな新春を迎えている。今朝がたにしんと降った柔らかな雪も、きりと引き締まった昼の太陽光線に押しのけられ、午後にはぽんわりとしたまろやかな空気があたりを包んでいる。

 旧正月の趣きもなにもないままに七草粥の頃を迎えてしまったが(とはいえ、一日には御神籤をひき、ついでに恵方巻に恵方餃子、恵方ピザと恵方ワインで楽しんだのだが)、そんなゆとりも持てぬまま、この迎春はいささか災難に襲われて過ごしていた。ようやくこうしてパソコンを開けるまで回復したのは幸いだが、数日前にささいな交通事故に遭い、間抜けなムチウチを患ってしまっていた。もともと体と精神が捻じ曲がっている上に、不運な衝撃が追い討ちをかけた結果、皮肉なことに首の骨も腰の骨もピンと真っ直ぐに伸びたのだという。真っ直ぐかと喜んでいたら、レントゲン写真の前に座った医者からは、普段は曲がってなくてはいけないので、頚部捻挫の典型的な症状ですねと諭された。たまにこうして被曝して、自分の体を透かして見るのも悪くない。これは意外と三、四ヶ月くらいゆっくりかけて様子をみたほうがいいなあと言う医者を、そんなに待てるかと心のうちで舌打ちしたが、焦って野暮な不安を残すよりは体の修復をじっくりと楽しんでやろうと考え直した。漢方を処方してくださる整形外科と、マクロビも嗜まれるという整骨院という、風変わりな両院にお世話になりながら、体を万全に修正していけることを望みたい。

 新年も新春も越し、土草もようようと息吹きはじめた。今年、この一巡りのテーマは、「優しさ・築き」と立てた。自分にも他人にも優しく、少しでも少しずつでも身の回りを築いていくこと。今欠けている、ものことを、自分の内外に備わるように。一方で、余分だと思うものは少しでもいいから忘れ捨てられるように。一つを得て、一つを捨てて、その先に何があるかは誰にもわからないのだから、やるしかない。
 自然農、生物多様性、野生と人間、体の動かし方、心の動き方、聴くことと話すこと、コミュニケーション、そして世界と自己。人が生きて死ぬ、ということにアンテナを張る限り生涯かかわってくるこれらの課題に、一筋でも係わりながら生計を立てるべく前を向いていきたい。おもしろきこともなき世をおもしろく。そう念じて、自然農をたずさえて、首を揉みながら今年の経営計画書(思いつきを書きなぐるメモ帳のこと)にペンを走らせる。自然農は、農に留まらない思想がある。その幹は、どうにか小生に接ぎ木された。それを信じて、葉を広げ、根を伸ばして、育てていこう。

 足元にはフキノトウ、頭上には梅の花、ヤギは丸々と太り、自分だけが足踏みをしている。世の中の些細な煩わしさはどうにでもなる。明日死ぬと思って、今日を生きる。堕落と奮起のペダルを漕いで、日常をサイクリングしていこう。田んぼと畑は、いつも目の前にある。なんか最近こんなことばっかり。

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(空豆 in 立春)
posted by 学 at 21:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 徒然なる日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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