注)記事の日付は太陰暦を用いております

2011年02月24日

どずん

睦月二十二日 曇りのち雨

 つい先日まで雪を降らせていた空気がなんとなしに弛緩し、一昨日は春一番、昨日は陽気、今日は雨と、そろりそろりと春の足音を鳴らし始めた。百姓はその足音の前に作業を進ませなければいけないのに、毎度のことながらスタートダッシュは好調とは言えない。 驚くほどに日に日に足元の草が息吹をあげ、そこかしこに冬眠から目覚めた春草の芽が、溶けはじめた土から顔を覗かせている。焦る、焦るねー。

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 2月の13日には、つくし農園の2011年度が開幕。前日までの降雪の影響で日曜日に順延された今期最初の集合日であったが、寒風に負けずに実習と共同作業を乗り切った。毎年恒例の一ノ矢八坂神社への参詣をすませ、農園に再集合してからイントロダクションとして、プレーヤーの皆さんに向けて自然農について話をした。ガイダンス的な概要でもなく、通り一遍の説明でもなく、今の自分として腹に落ちている「自然農」に対しての考えを、果たして話せていただろうか。畑に向き合うたびに皆さんと話すたびに今の自分が思い伝えるべきことは変わっていき、それを面倒がらずに応対していけるかという問いは、自分の存在証明でもある。いやむしろ面倒などではなく、その変化と逡巡が楽しみであるという方へ傾きつつあるのは、悪くない兆候なのだと思う。

 集合日の数日前、知人である石岡市の「あらき農園」さんにお邪魔して、団子と昼食を食べながら自然農談義に花を咲かせていただいた。それぞれの立ち位置や姿勢、歳月、条件は異なるものの、自負として真剣に取り組んできた数年の自然農を振り返りそして展望する中で、折々に荒木さんの言葉が染みた。それは具体的には言いまわされてきた言葉だったかも知れないのだが、実感と覚悟が伴って互いに握手しているような感覚で話していると、その中にどずんと太い理解が降りてくるときがある。空間的に、時間的に、立体である動態として畑を想像すること、自然農はルールではなく目的であること、解釈の自由さは「逃げ」ではなく「応用」であること、土は、微生物は、前提条件であり繊細でもあるが一方でとても力強いこと。・・・荒木さんと話しながら、「言葉にしたら消えちゃうんですよねー」と笑ったとおり、書くとやはりなんだか意味のないような文章になってしまってしまうんだよね。いいんだけど。時間でしか体感できない、感覚でしか実感できないモノは確かにある。それは、自分だけのモノであるべきなのだ。

 最高のタイミングでこうした内的な消化ができた後の集合日。はたしてなるべく言葉にしないように、でもなんとか思うことは話せるように、よくわからないまま時は過ぎ、いつもどおり農園のひとめぐりはスタートされた。なーんだかよくわかんねーな。大学の旧友からは「Blog見たらチョーシこいて格好つけてるくせに実際はこれだもんなあ」と、猥談に盛り上がる最中に言い放たれる始末の俺。

 
 いつのまにやら、来週には3月。昨年の猛暑で圧倒的に不足気味だといわれるジャガイモの種イモを必死で仕入れ、いよいよ本格的に農シーズンの到来を迎える。種まいて、イモ埋めて、土整えて、小屋も建てて、ムチウチ治して、映画も観て、飲んで騒いで、なんだかんだとおおわらわ。あらたいへん。


posted by 学 at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然農のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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