茹でたてのトウモロコシを頬張る。完熟に達しきらずに獣害の手が伸びる前の成果をもぎ、甘めのウイスキーソーダを飲みながら主食でありオカズでもあるトウモロコシだけにかぶりつく。夕方の田んぼの帰り道にはご先祖様を迎える線香の香りがただよい、帰省できない親不孝を思いながらその煙を懐かしんだ。なんとなしに、風鈴が欲しくなった。
さて、現実。つくばでの自然農1年目は、なかなか手ごわい様相を示してきた。しかしすべては必要な体験となり、身にしみて血肉となるはず。
つくし農園の田んぼの西隣は、慣行農(いわゆる普通の農法)でのお米作りをされている。米作りのシーズンは自然農の暦より数ヶ月早く、場所によってはでは9月頭には収穫の時期をむかえるところもある。収穫はコンバイン(=エンジン動力を用いた稲刈りマシー)を田んぼの中を走らせて刈り取り、同時に脱穀まで行なえる設備を備えたものが多い。
コンバインは重い。そのため収穫期の田んぼの土が軟らかいと足(キャタピラ形式)をとられて作業遂行に支障をきたすことがあり、その頃の田んぼは事前から乾かすことはひとつの必須作業となる。(もちろん自然農でも収穫前には水は落とします。)この地域は北側を緩やかな傾斜地に面し、雨の翌日などは自然に傾斜からの水が田んぼに染み入り、他所に比べると水気の多い(土の軟らかい)土地である。よって隣接の田んぼでは収穫予定の9月半ばに備えて8月頭から土を乾かし始めるのだそうだ。
一方自然農。収穫時期は早くて10月半ば以降、水を落とすのは早くても晩生の出穂が始まる9月半ばまで待ちたい。重ねて今年の稲の様子は発芽の遅れや日照不足も重なってか生育はいつもよりのんびりの様子を見せ、心の中ではついつい水をあげたい気持ちがつのってしまうのが親心。
しかし、、、とうとうお叱りをいただいてしまった。自然農にかぎらず農を行なう者にとって本当に大切なご近所への心配りを欠いた結果のトラブル。春にこしらえた幅50pの畦道は念入りに土を固めて固めて補修も重ねてどうにか隣への浸水を防ごうと苦心してはいたのだが、そこは自然の堤防の限界か、片やカラカラに乾かしたい田んぼと片や豊かに水を張らんとする田んぼを完全に隔てることはできなかった。じわりと染み出てうっすらと水の見える隣田の境に内心ビクビクしながらも、これくらいなら大丈夫じゃなかろうかと続けてきた甘えをついに厳しく苦言された。このままではコンバインが動かなくなって収穫できなくなってしまうとの言葉と、あんたらの田んぼはまだ水が要りそうなのはわかるがなんとかしてくれという言葉、なんとかしなければならなくなった。
対策として考えられるのは、従来の畦の内側に別の畦を築いて隣の田んぼに水が入ることを抑えることだった。西側の畦道付近は苗床に使用し区画の都合でも偶然にも今年は使用しておらず、畦の内側にもうひとつの畦(堤防ともいえる)を作ることはそれほど問題ではない。一部区画は畦に接して稲を植えているが、そこはしっかりと畦を整え直せば問題はないだろうと判断して、日曜日の午前までになんとか工事を終わらせることができた。さあ、しばらくの間乾かしてしまった田んぼに水を入れてみると、新しく作った堤防はどうにも不十分であり、少し目を離した隙にまた隣への浸水を始める始末、そこにたまたま通りかかったお隣の方にまたまたお目玉。もう、言い訳はできない。堤防をきつく固めると同時に、心を鬼にして畦付近の稲を刈り取り、作付面積を減らしての堤防工事を決意しなければならなかった。

<ここまで育てた稲を刈らねばならぬ失態・・・>
今日と明日で、なんとか第二期工事も完成の目処がつきそうだ。自らの不注意と慢心と心配りの足りなさが招いた、真夏の肉体労働と刈られてしまった稲達の犠牲。こんなもんで済んだらいいほうなのかもしれない。自然農をさせてもらえる土地や地域に巡り合うことは、とても大切なことだから。この経験を血肉として、逞しくならねばならないのだ。
冷や汗と作業の汗をいやというほど流した後、採れたてのトウモロコシと冷やした桃で癒す。そんなお盆になりそうです。
昨年末、斉藤さんに、大掃除の際に、大量に、タダであげたんだけどね。
まだ、残ってんじゃないかな。あぜシート止めのプラ杭込みで。
まずはあぜシートを入れるその前に出来ることをと思いまして。
で、結果として今のところご迷惑には至ってないようですが、多分甘めに見てくれているんだろうなあ。隣のお百姓さん曰く、「ここはあぜシート入れたってうまく水は止まんねえんだからしょうがねえんだけどよ〜。」だそうです。
あぜシート、いただいておこうかなぁ(弱気)。