本日は、夏至。北半球で昼の長さが一番長い日とされている。太陽暦の現代では、意味としてはそれだけに過ぎない。
しかし私が考える夏至はもう少し趣がある、と思う。夏至という言葉は二十四節句の一つでもある。(二十四節句とは、一年を24の節目で区切った呼び名。別の機会に詳述する。)夏という季節が使われる二十四節句は夏至の他にもう一つ、5月5日頃の立夏がある。これは私の解釈ではまさしく夏が産声を上げる頃であり、つまり春真っ盛りである。ちとややこしい?それから春と夏のパワーバランスが徐々に移動して、ついに夏至のこの日、夏の力が春を追い越すのだ。
せっかくなのでもう少し季節を追いかけてみよう。二十四節句はこの後、小暑と大暑を経て8月の7日頃、立秋を迎える。これは世間の人が「旧暦と今は季節がずれてるのです」などとしたり顔で言うような秋の始まりだとは考えない。私の解釈では、まさしく秋が、か細い産声を上げる頃なのである。つまり夏は盛りも盛り、眩暈がするほど暑いのである。これすなわち暦どおり。そうして9月23日の秋分に、秋にパワーバランスを奪われるまで夏の支配は続くのである。
小松的結論、夏至とは「夏に至る」頃。これよりますます夏の勢い増す。夏至から秋分までの時期を夏と呼ぶ。
蛇足。夏の盛り、まさに立秋の折に私は生まれました。母さん、さぞや暑かっただろうね。
↓初収穫となったジャガイモ数個。ああ、可愛いこと!

いやぁ、、、いつ出るかと思ってたら、、、、。
小松師匠のこの暦論。個人的に好きです。ハイ。
以下、3年半くらい前に、小松師匠が書いていた暦論を、勝手に転載。
今回の記載と、雰囲気の伝わり方は違いますかね?
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「立春」と書くと確かに春の始まりであり、春の始まり=冬の終わりと連想してしまいますが、それは余りにデジタルな現代的な考え方ではないでしょうか。
しかも、今のこの時期に冬の終わりというのも、ちょっとずれてますよね。
どこかからの受け売りか自分の発想かは忘れてしまいましたが、節句と現代の季節の結合可能な発想法を伝授します。
季節は「移り」変わるもので、「切り」変わるモノではありません。何月何日から春、夏と言うわけではないように。
東洋の24節句の考えは実にこの移り変わりを見事に映し出します。
ポイントは、季節は「常に」混ざり合っている。ということ。なかなか文字だけで説明するのは難しいのだが、(今度pptででも図化してみよう。)
↑ まだしてないっすよね?(助手K)
例えば、春真っ盛りとは、夏や冬よりも、春の量がはるかに多い時期をいう。
また、季節の分かれ目と言うのは冬と春の割合もしくは夏と秋の割合が同じ時をいう。
以下、計算法(小松案 特許申請中)
立春(2/4) 春1:冬9 →まさに春の起こり(BUT冬真っ盛り)
春分(3/23) 春5.1:冬4.9 →始めて冬より春がまさった時。=ここからが春の始まり
もしくは 春6:冬4
立夏(5/5) 春9:夏1 →夏の芽生え(=冬は5月の頭までわずかに続いていた!!)
→例)4/20の穀雨なんかは春8:冬2くらいかな?
夏至(6/21) 春4:夏6 →とうとう夏に至る(要するに四季では夏の始まり)
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こんな感じで1年が続いていきます。
4月に急に寒い1日があったりするのは、まだわずかに息を潜めていた「冬」がちょっとだけ暴れたりする日なんだなあ、なんて思ってみたりするととても楽しいよ。立春の直前の今なんかは、秋の成分がまだ残ってたりする。
そう思うだけで、四季がとても生き生きと感じてきます。
そして、立春は、一番冬が厳しい時期であると同時に、これからは冬が減りつづけていき、春は増えていく一方なんだと思うと、ホントに日に日に近づく春を待ち焦がれてしまいます。
スキー好きには、酷な告知です。
でも冬が残っている立夏まではあきらめないのだ!