睦月十二日 晴れ
鰯の頭も信心から。「鰯の頭のようなつまらないものでも信心する人には尊く思われ、物事をかたくなに信じる人を揶揄するときなどにもいう」といわれる諺であるが、それでも人は何かにあやかってついつい生活しているものである。占い、おみくじ、から始まって、金融、株式市場、政権、会社、考えてみたら生きている全ての対象が、信心・信仰に近い思い込みの共有から成り立っているとも言えてしまう。自然も、生命も、科学も、絶対の事実であるようについつい思ってしまうけれど、それだってどうか分からんもんだよね、自然農しかり。自分がどのような視点に立ち、どれほどの視野を持ち、どんな指針を立てるかによって見え方、信じ方、生き方が変わってくるのだ。畑で田んぼで起こっていること、起こって欲しいこと、楽しみたいこと、そのあたりに忠実に従いつつ余計なものをそぎ落とし、さらには程よく鰯の頭を信じながら進むべしと言ったところでしょうか。
という訳で節分。昨日の買い物で鰯の丸干し8尾198円を求め、庭の柊の枝を落とし、切ってあった竹の残りの部分で竹筒を作ってみた。鰯の頭を落とし、身は焼いて丸ごとパクリ、別に香ばしく焼き上げた頭を柊に挿して玄関へ。門松に続いて、自家製の季節飾り第二弾「やいかがし」が完成した。
今日は朝から、週末のつくいち用の大豆の選別作業を行った。大きくて丸々としたものを最優先して今年の種播き用に、傷物・小物・虫食い物はよけて自分の調理用に、その他大勢の優秀君たちを商品に、より分けてゆく。作業中に出る、この三つの分類にも入らない屑くずを、まとめてあつめて枡に移しておく。胡坐と背中が痛くなった午後の夕日ごろ、玄関に出て、やおらその屑を豆撒きすることにした。張り切るには少々恥ずかしいくらいの声で、日本中のご家族や児童が叫び倒したフレーズを繰り返した。自然農の自家栽培で育てた大事な大事な豆を、投げ撒くほどの器量はありませんので、あしからず。決してパラパラと良い音にはならない屑豆や豆殻を、庭と裏庭に投げて鬼を追い出し、玄関や家壁に当てては福を招きいれた。ついでに山羊小屋も、鬼は外、福は内。山羊は気にもせず、投げ撒いたおこぼれをむしゃむしゃと食う。お前はそれでいいのだ。
のんびりと、陽射しのあたる縁側での選別作業にじっと手を動かすのももったいと思い、週末のつくいちでの販売促進の為にと試食を数品作ってみることにもした。木下豆・緑大豆・黒豆3種の大豆は、一晩水で戻してゆっくりと火をかけ、きび砂糖と醤油で甘めの煮豆に。小豆は、友人のご実家(竹内養蜂はちみつ店)で作られた天然蜂蜜を使っての粒餡へ。参考にしたレシピの調味料分量は半分以下に抑え、自然農の豆の味を最大限にいかしてみた。はたして、木下豆、緑大豆、小豆は既に完成、極うまの和スイーツになりましたぜ。黒豆は、火を落として一晩鍋で味を馴染ませるのが肝とのことで、明日にお預けとなっております。気になる方は日曜日のつくいち、雑草屋本舗にてどうぞ味見しておくんなまし。
自然農の豆はウマイ。これは信心かしら事実かしら。どうかしらね。
※節分についての参考サイト
・【豆まき】節分に豆をまこう!(allaboutより参考)
※大豆、小豆の調理についての参考サイト
・大豆レシピ (十勝小豆森田農場HPより)
・黒豆レシピ (同上HPより)
・粒餡レシピ (同上HPより)
・お手軽レシピvol.9[ハチミツで煮豆] (札幌山本養蜂園HPより)
注)記事の日付は太陰暦を用いております
2012年02月03日
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愛知県で教員をしている岩井と申します。
突然のコメント大変失礼いたします。
明治図書出版から出されている国語教育の雑誌の2月号の言葉の四季カレンダーを担当しています。
そこに、貴殿のブログにアップされている写真「柊鰯(ひいらぎいわし)」
http://104.seesaa.net/upload/detail/image/20120203yaikagashi.jpg.html
を掲載したいのですが、許可を頂けないでしょうか?
雑誌を読む方にきっと役にたつ情報になると思います。
お忙しいところ申し訳ありませんがご検討ください。
お手数ですが、dinfstsk@clovernet.ne.jp に返信いただけると幸いです。
どうぞ、よろしくお願いします。
小松です。コメントありがとうございます。個人的な記事で恐縮ですがお申し出いただき光栄です。
写真の掲載につきましてはあらためてメールにてご連絡いたします。どうぞよろしくお願いします。